『マチルド、翼を広げて』(Demain Et Tous Les Autres Jours)
監督 ノエミ・ルヴォウスキー

 自伝的物語として実母と自分の関係を描き、自ら母を演じた脚本・監督のノエミ・ルヴォウスキーの9歳の頃を思うと、映画作品の映し出していた美しさ以上に、痛ましいものをより強く感じないではいられなかった。親が不安定だとそのぶん却ってしっかりせざるを得なくなる子と、親の不安定さに翻弄されてしまう子との分かれ目は、どこにあるのだろう。幼子の生命力の逞しさに観惚れつつ、少々気が重くなった。

 奇しくも先頃ラファエル前派の展覧会を観て来たばかりだったが、ジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』とは向きが違えど、同作を想起しないではいられない“水中に横たわった女性の姿”が印象深かった。最初、狂気の淵に沈んだ母のイメージかと思ったが、最後に水中から脱してきたのは、ハムレットに翻弄され追い込まれたオフィーリアの如く、母に翻弄されたマチルドの長い道程の果ての徐なる生還を示していたのかもしれない。

 もっぱら9歳のマチルドの目に映った母親の姿が描出されていたが、次第に精神の病を進行させていっていたザッシンガー夫人の身に起こっていたことは何だったのだろう。僕は、むしろそちらのドラマのほうを観たかったように思う。離婚が大きな鍵になっていた気がするけれども、敢えて幼いマチルドに絞った視座からは、具体的に窺えるものはなかった。

 それにしても、火事の場面の緊迫感には恐れ入った。マチルドにもかなりエキセントリックな人物造形がきちんと施されていたところに、母子関係の緊密さと危うさの双方に繋がる説得力がしっかり備わっていたように思う。
by ヤマ

'19. 6.10. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター



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