『響-HIBIKI-』
監督 月川翔

 作家志望を抱いたことはないけれども、自分が文芸部に身を置いたり、出版社への就職試験を受けたりしたことがあるからか、めっぽう面白かった。そのことは別にしても、自分の物差しをきちんと持つことのかっこよさのようなものを強く感じ、なかでも終盤の記者会見場面の痛快さには、膝を打った。

 僕は、文芸部と併せて高校時分には新聞部にも在籍していて、ジャーナリズムにも少なからぬ関心を持っていたから余計にそうなのかもしれない。自分の言葉、自分の物差しというのは、多年にわたって自身の課題としてきたところでもある。その勢いが余って若い時分にはかなり天邪鬼的なところがあり、今なおその名残があるように自分でも感じている。

 新聞部時代に在校生の喫煙問題を特集企画に取り上げて学校側に潰されたり、制帽廃止キャンペーンを張ろうとして生徒指導の教諭に呼び出され、ここは私学なんだから、それほど制帽が嫌なら、いつでも辞めてもらって構わないなどと言われたことに対し、嫌なのは制帽ではなく、先生方が抜き打ちで行う制帽検査である。それに、制帽が嫌なら退学せよなどと言うのは、先生が授業漫談のネタに朝寝坊の奥さんのことをボヤくのに対して、嫁の寝坊が気に入らないなら離婚すればいいと言うのと何ら変わりなく、およそ指導教員の説諭とは思えない貧弱なロジックだなどと咎めて大顰蹙を買った覚えがあるのだけれども、響-HIBIKI-(平手友梨奈)を観ていると、てんで敵わないと、天才と凡人の切れ味の違いに苦笑させられた。原作を読んでみたいと思ったのだが、なんと文芸ではなくコミックスのようだ。

 先ごろ観た『銀魂2』でも感じたが、ここでも柳楽優弥がいい人物造形をしていたように思う。NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』で龍雲丸を演じてから後、実に波に乗っているような気がする。また、かつて天才作家と呼ばれた鬼島仁(北村有起哉)の漏らしていた世間との折り合いが付いちゃってしまうと書けなくなるというのは、遠い昔に僕が思ったことのある言葉でもあって、なんだか古傷を触られたような気恥ずかしさが湧いてきた。
by ヤマ

'18. 9.30. TOHOシネマズ1



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