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『世紀の歴史裁判 事実か?ねつ造か?~歴史学者たちの闘い~』 | |||||
NHKダークサイドミステリー
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四年前に観た劇映画『否定と肯定』の映画日誌に「映画としては、デボラよりもデイヴィッド・アーヴィングのほうを追う作品のほうが面白くなったのではないかという気がする。僕の一番の関心が「何がアーヴィングのような輩を生み出すのだろう」ということにあったからかもしれないが、その点では、演じたティモシー・スポールの存在感におんぶにだっこの状態だったように思われる点が少々物足りなかった。」と記してある部分が、どのように捉えられているのか興味があって観た。だが、映画作品があまり売名事件的なものとしてアーヴィングを描いていなかった部分はどうだったのだろうという点からは、余りにお粗末なアーヴィングの姿に唖然とした。 映画のほうに描かれていた「あまりにも話にならない否定論者」というのは、あくまで「あまりにも話にならない否定論」を唱える者という主旨だったが、本放送でなぞられていた法廷でのアーヴィングの弁を観ていると、あまりにも話にならない否定論を唱える「あまりにも話にならない人物」のほうがむしろ強く印象付けられる始末だった。 それなのに、アーヴィングが発する「ノー・ホール、ノー・ホロコースト」などという短く強い、いわゆる“分かりやすい”ワンフレーズ言葉による「破壊されたガス室に毒ガス投入孔が見つからないなら大量虐殺はなかったということだ」という煽りに対して、まんまとキャッチーな言葉に食いついてしまうメディアと大衆の姿に、デボラ・リップシュタット教授がなんと敗訴を懸念していたことが印象深かった。一断片資料によって、数多くの資料の集積による定説や通説をすっかり覆そうとする、言わば「偽史が歴史の中に入り込む回路が開かれる」のは、こういうメディアによる部分が大きいと学習院女子大学の武井彩佳教授が述べていたが、昨今のビジウヨと呼ばれる人々による言説を想起せずにいられなかった。 現在のリップシュタットが登場して言っていた「嘘は言論の自由に含まれない」との言葉は大切だと改めて思った。二十年前に決着がついているアーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件を回顧して言っているのではなくて、おそらくは、現在のトランプ現象などを踏まえてリップシュタットは言ったのだろうし、武井彩佳教授が「偽史が歴史の中に入り込む」という発言のなかで学問的領域を超えて“人々の意識”に言及していたのは、四年前の日誌で僕が言及している「我が国でも南京虐殺や慰安婦問題などを巡って似たような裁判沙汰が現に起こっている」ことを踏まえての発言だったような気がした。 旧知の友人が「嘘はどういうシステムで生れ、どう証明すれば看破出来るのかの実例でしたが、生半可なことではない」「なるだけ多くの人に見てもらいたいのでぜひ地上波で再放送してほしい」と言っていたが、全くそのとおりだと思う。訴訟費用は一億円だとか言っていた。この敗訴によって訴え出たアーヴィングは破産したそうだが、自業自得とはいえ、これまた凄い話だと思った。 | |||||
by ヤマ '22. 9.16. BSプレミアム録画 | |||||
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