『散歩する侵略者』
監督 黒沢清

 思わせぶりなところが多いとの印象のある黒沢作品らしからぬ率直なメッセージ性の強さに、いわゆる黒沢ファンからは支持されにくいのかもしれないと思った。しかし僕は、今まで観て来た黒沢作品(『スウィート・ホーム』『CURE』『カリスマ(Charisma)』『回路』『アカルイミライ』『ドッペルゲンガー』『ロフト Loft』『クリーピー 偽りの隣人』)のなかで、本作が最も気に入っている。

 黒沢作品に付きまとう得体のしれない不安感に、本作ではなかなかのアクチュアリティがあり、ちょっと感心したのだ。今の世の中の言い知れぬ“気持ちの悪さ”と、素朴でシンプルであるがゆえにしぶとく残っている善意による“希望”とを、かなりうまく捉えているように感じた。

 概念を奪われることで及ぼされる人格的影響として、非常に面白かったのが、引き籠りの丸尾(満島真之介)が所有という概念を奪われて得ていた開放感と、仕事人間の鈴木社長(光石研)が仕事という概念を奪われて晒していた幼時に還るしかない姿だった。

 地味なイラストレーターの鳴海(長澤まさみ)が、夫の加瀬真治(松田龍平)に宿った宇宙人のアレンジした人格・嗜好の真治に与えようとした愛の概念は、与えたものであって“奪われたものではない”ということが、ある種の鍵になるような結末が待っているのかと思ったら、そうではなかったことが少々意外だった。原作小説とは結末が違っているのではなかろうか。

 それにしても、近年はとみに、もう宇宙人とでも解しないと理解も想像もできないような“とんでもなく違和感を覚える人々”が、昔とは桁違いに増えてきている気がしてならない。単に僕が歳を重ねたことの証に過ぎないのかもしれないが、どうしてこんなことになったのだろうとついつい思わされることが多くなった気がする。

 聞くところによると、本作には舞台版もあるらしい。そう聞いて驚いたように、映画版には舞台では絶対に現出できない場面演出がたくさんあったように思う。舞台版と映画版の違いについて、ぜひ知りたく思った。
 
by ヤマ

'17. 9.23. TOHOシネマズ4



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