『ハドソン川の奇跡』をめぐって
和広さん
まさ子さん
安正さん
映画通信」:圭子さん
ヤマ(管理人)


フェイスブックにて
2016年10月 3日(月)23時22分~2016年10月 6日(木) 1時14分

(和広さん)10月3日 23:22
 『ハドソン川の奇跡』観ました。イーストウッド監督、今回もグッときた作品でした。過失より事故のほうが保険金が多いと思っちゃうんですけど、不思議ですね。車のように事故だと次回からの保険掛け金が高くなるんでしょうか?

(和広さん)10月4日 7:24
 機長の判断ミスにして会社の名誉守るためかな。蜥蜴の尻尾切り?トム・ハンクスいい演技でした。

ヤマ(管理人)10月5日 1:12
 原題となっているサリーの人物像は、とても魅力的でしたね。エンドロールで示されていたように、事故後も集いが続いているようですから、慕われる立派な人のようです。保険金を支払いたくない保険会社が機長の判断ミスにしたがるのは判ります。
 でも、なぜ国家運輸安全委員会(NTSB)が?となるわけです。会社の名誉で考えても、鳥による事故に対して奇跡の不時着をなし得た機長を擁している航空会社というほうが遥かに上回るような気がします。



(まさ子さん)10月4日 0:46
 話題の映画だけど、ヤマちゃんの国家運輸安全委員会が なぜ“墜落”にしたがり、機長の判断ミスにしたがったのかが今ひとつ釈然としなかった。という感想だと迷うなぁ。

ヤマ(管理人)10月5日 1:15
 時間がないから最も引っ掛かったところだけ記したんであって、つまらない作品ではないよ。原題に相応しく彼の人物像だけに焦点を絞って描き出し、他をほとんど切り捨てているからこそ、そういう釈然としない部分が残ったけど、この奇跡に対してそれらは夾雑物にすぎないという作り手の構えなんだろうね。

(まさ子さん)10月5日 18:34
 了解、やっぱり試験終わったらみにいこう。

ヤマ(管理人)10月6日 1:13
 ぜひ。



(安正さん)10月4日 14:01
 公的機関というのは、自分たちが仕事をした、というのを見せる必要がある。いつも素通りだと無能だと言われかねない。そういう体質の批判でもあると思いますが。

(まさ子さん)10月4日 15:53
 それを考えさせるために、わざと意識的に「釈然としなかった」つくりにしたのでしょうか、それとも政府への遠慮があったのでしょうか?そのあたり、どう思われます?

(圭子さん)10月4日 17:56
 私も安正さんに一票。重箱の隅をつつくのが彼らの仕事だ、みたいなセリフがあったと記憶しています。

(安正さん)10月4日 17:58
 いえ、私は全然釈然としなかったわけではありません。管制官が「引き返せ」と言ったのを無視して機長はハドソン川への着水を試みています。調べるのは当然です。その中で少しばかり意地悪く描いているとは思いますが、その塩梅がまた絶妙だと思います。ぜひご覧になってください。

(安正さん)10月4日 17:59
 圭子さん ありがとう。ご賛同いただき嬉しいです。優れた映画だと思います。

(まさ子さん)10月4日 23:11
 安正さん、ありがとうございます。ヤマちゃんの評価は低いので迷いましたが、テストが終わったら観にいってみます。

ヤマ(管理人)10月5日 2:01
 公的機関のアリバイ作り的スタンスということで言えば、国民的ヒーローを敢えて引きずり下ろすことで受けそうな逆風からして見合わないと察し、いつもなら素通りしないケースであってもやり過ごしかねないのであって、ここで「無能だと言われかねない」と気張ることはないような気がします。
 保険会社から手が回っているとの設定なら確かに「無能と言われかねない」と無理をするかもしれませんが、どうもそういう設定ではなかったから、最後は彼らも潔かったですよね。だから、釈然としませんでした。政府にしても、航空会社にしても、乗客乗組員全員の命が救われた顛末に対して、機長に責を負わせて得られるものがあるとは思えません。
 17回もシミュレーション飛行のテストをさせ、最短時間で最短空港への帰還のみでしか成功しないのだったら、事故発生当時に現場でその判断ができないのも当然だという証拠にはなっても、そうしなかったことで機長の責を問えるはずがないというのは自明のことなので、なんでそんな無理をしてまで?と釈然としなかったのですよ。
 国家運輸安全委員会(NTSB)を最終的な悪役にはしたくなかったからなんでしょうが、それは政府への遠慮というものではなく、政府機関の告発めいた部分を添えずに専らサリーの偉業を讃えたかったからだろうと思います。それはそれで成功していると思うのですが、そのことによって結果的に、彼らの事故検証への向かい方に釈然としないものが残ることになったように僕には感じられたということです。



(圭子さん)10月5日 16:54
 ツリーが長くなったので、別にしました。ヤマさんの疑問、当たっていたみたい。映画的に意図的にそう感じるようにしたようです。マイミクさんの日記です。全体公開だから構いませんと許可いただいたので、リンクしますね。
映画「ハドソン川の奇跡」を見て | mixiユーザー(id:739849)の日記

(安正さん)10月5日 21:59
 「委員会をいわばアマチュアとして描いていると、見える。」というのをどう解釈するかでしょうね。この方のご指摘のように機長を引き立てるための調査委員会であることは間違いありません。しかしだからと言って、誰が見ても分かるような杜撰な組織にするはずもありません。事故は救えたけどそれがベストだったかどうかの検証は必要であり、彼らがプロとして厳しい姿勢で臨むのは当然で、嫌味な感じの人間にするのもまた当然なのだと思います。あの憎らしげな人物像、いいじゃないですか。しかし真実が判明すると、潔く非を認めむしろ嬉しそうな表情を見せる。
 それがこの映画の本質だと思うのです。機長を絶対のヒーローとして描くのでなく、迷いや苦しみや家庭不和を描いてこそ、機長の人物像が浮かび上がる。という仕組みではないですか。このご指摘は間違っているわけでは決してないけれど。それはシナリオの不備ではなく狙いなのではないかと思います。

(圭子さん)10月5日 21:42
 ノンフィクションだと思って観ているから、違和感があるんでしょうね。実話を元にしたフィクションなら、映画的作為としては、ありだと思います。知ったうえでも自分の感想は変わりませんけど、ヤマさんの感想にも素直に肯けるようになったので、教えていただいて、良かったです。

ヤマ(管理人)10月6日 0:56
 やっぱりなぁ。圭子さん、ありがとね。
 あの委員会、どう考えても不自然というか、ヘンでしたもん。
 僕は事故のことも事故後のことも、よく知りませんでしたが、画面に映し出された範囲内でもオカシナ委員会だと思いました。ヴォイスレコーダーに残されている声を本人と聴くのは初めてだと言うからには、これまでに何度も聴いてきていることが前提で、事故検証の素人ではないわけだから、あの公聴会で見せたシミュレーションなら、うえにも書いたように事故発生当時に現場でその判断ができないのも当然だという証拠にはなっても、そうしなかったことで機長の責を問えるはずがないというのは自明ということに気づかないはずがありません。
 そもそも機長が人的要因を抗弁として持ち出すまでもなく、委員会側では考慮するはずですもん。ご紹介いただいた方が記しておいでるように。それなのに、なぜ敢えてそうした?という点が釈然としないわけです。しかも、機長の抗弁によって覆されても動揺すらしないどころか、素直に称賛するなんてヘンですよ。明らかに無理な問責をしていた思惑は何だったの?ってことになりますから。

 この方の記事を読んで、結局、まさ子さんのコメントへの返信に書いた原題に相応しく彼の人物像だけに焦点を絞って描き出し、他を殆ど切り捨てているからこそ、そういう釈然としない部分が残ったけど、この奇跡に対してそれらは夾雑物にすぎないという作り手の構えなんだろうね。というのが当を得ていたのではないかと改めて思いました。お粗末と言えば御粗末なのかもしれませんが、僕は必ずしもそうは思いません。夾雑物くらいにしか思ってなくて、重視していないだけなんでしょうね。まさにこの方も書いておいでるように「イーストウッドが撮りたかったのは前半の苦悶する主人公の姿で、後半の委員会とのやりとりはテキトーでよかったのかもしれません」ね(笑)。



(まさ子さん)10月5日 18:40
 ヤマちゃんのカンによる、釈然としない、の意味が、前のツリーでヤマちゃんが説明してくれたので、ようやくわかってきました。描き方をどう選ぶかですよね、社会派的な焦点ではなくて、サリーの偉業や苦しみにポイントを置いたということですよね。そして、ヤマちゃんの評価は、低いわけではなかったと。

ヤマ(管理人)10月6日 1:14
 そうです、そうです、そのとおりです。ポイントをどこに置いたかは、原題から自明だと思っていたんだけど、圭子さんが教えてくれた記事に「( 原題の「Sully」はサルンバーガー機長の愛称だが、「名声や評判を傷つける」という動詞でもある。)」とあって、狼狽中(笑)。後者の意味があるなら、もろ委員会の公聴会の場が焦点ってことになってくるものね。
by ヤマ

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2016年10月 3日(月)23時22分~2016年10月 6日(木) 1時14分



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