『追憶の森』(The Sea Of Trees)
監督 ガス・ヴァン・サント

 気を荒立てて怒ったりすることのない僕は、よく優しいといわれるが、誰に対しても鷹揚に優しく臨めるのは、薄情の裏返しでもあるという意識がある。それゆえに、幸か不幸か、あまり強い喪失感や悔恨に囚われたことがない。

 もっとも、アーサー・ブレナン(マシュー・マコノヒー)のような最悪の三年を過ごした後に、妻ジョーン(ナオミ・ワッツ)の脳腫瘍手術の成功というプロセスを経て、災い転じて福となすような“インティマシーの徐なる生還”を果たした直後の喪失ともなれば、僕の想像を超える領域にあるわけだが、こういうことは出来事自体の軽重よりも、受け手の側のメンタリティによるところが大きいはずなので、出来事のほうが重大ではない。大事なのは、なんであれダメージを受けてしまった魂の再生には、これだけ大層な儀式を要するということのほうだと思った。

 紅茶の補充や洗って畳んだシャツの仕舞どころといったことでの“暗黙のゲーム”が交わされていた夫婦だけあって、魂の再生に至る儀式も実に手が込んでいたが、その手の込みようが重要なのではなく、必ずしも全てを喪失したわけではないのだと思えることでの喪失感からの脱却を悔恨に対する赦しとして手に入れられることが重要なのだという気がした。そのうえで何よりも有効だったのは、忘れてしまっていたようなことを思い出すことによって得る数々の気づきだったように思う。成仏というか昇華の象徴のような花を移植すべき場所を思い出すことの暗示しているものは、そういうことだった気がする。

 ナカムラ・タクミ(渡辺謙)が妻の名をキイロ、娘はフユと言ったとき、アメリカでは英語字幕を「KIIRO」と「FUYU」にしていたのだろうとは思うが、日本人が観れば、字幕に依らずして耳に残るので、最後に教え子から気づかせてもらう場面の前に判ってしまい、少し興が削がれるのが残念だが、悪くない顛末だったように思う。

 うちの場合は「yellow & spiring」だと思うのだが、自信がなかった。翌日、確かめてみたら当たっていたので何だかほっとしたが、アーサーの知っていた妻の社会保障番号や妻の乗る自動車保険の満期日などは、どこにあるファイルを開けば判るかは知っているものの、記憶にはない。

 それにしても、なにゆえにナカムラ・タクミだったのだろう。



推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/16050502/
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2016/2016_05_09.html
by ヤマ

'16. 5. 1. TOHOシネマズ2



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