『リアリティのダンス』(La Danza De La Realidad)
監督 アレハンドロ・ホドロフスキー


 高知ではもう観ることができないと思っていたが、あたご劇場でのキネマ旬報ベストテン特集上映という企画で思いがけず観ることができた。'89年度のマイベストテンに『サンタ・サングレ 聖なる血』['89]を選出している僕にとっては、'91年に観た『エル・トポ』['69]、『ホーリー・マウンテン』['73]以来となるホドロフスキー作品だ。

 観てみると、フェリーニ、寺山、アンゲロプロス亡き今なお、こういうイメージの豊かな喚起力で己が心象を語ることのできる作り手がいることを現認できる喜びというものがじんわりと湧いてきた。この得も言われぬニンマリ感を味わえるのは、おそらくこの3人ほかの巨匠の映画を若き日にスクリーンで観た今の僕より上の世代に属する映画愛好家の特権ではないかとも思えて、ますます愉悦が広がってきたのだが、『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』よりも『サンタ・サングレ』を贔屓にする僕としては、「私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私を身籠りました」との詩篇51が引用される本作は、実に興味深いものだった。

 この詩篇51の意味する“悔い改め”をアレハンドロ・ホドロフスキーがどういう思いで本作に託しているのかは、とりわけ両親に対する描き方に表れていたように思う。むろん単純な受容ではないように感じたが、齢80歳を過ぎて思うところがあったのではなかろうか。父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー)、母サラ(パメラ・フローレス)の強烈な人物像を、美化も侮蔑も与えずに造形していて恐れ入った。

 また、本作が『サンタ・サングレ』同様に“家族の物語”だったこととともに、欠落であれ、麻痺であれ、手が使えない不具合に対する執心が共通していることも妙に印象深かった。日本語には「手も足も出ない」という慣用句があるが、現実世界では、子供はもちろんのこと大人にも手だしの叶わないことがいくらでもある。そういう現実とどう向き合い、どう対処しつつ自分を表していくかということが即ち“生きる”ことに他ならないのだろうが、スターリンを信奉しつつ共産党員手帳を焼却し、独裁政権下のチリでウクライナを名乗る雑貨商を営むユダヤ人の生き難さには、かように強烈な両親のもとに育った少年アレハンドロ以上に厳しいものがあったことが想像に難くない。原題は、手だしの利かない現実に踊らされるのが人の生であるというような意味合いを持っているのではなかろうか。

 そして、幼い子供であった自分にとっては如何ともしがたい暴君であるとともに社会活動意識の強い人物だった父親においても、その手だしのできない現実世界に苦しんでいたことをアレハンドロが今や受容していることと、その受容に途轍もなく時間を要したことが偲ばれる作品だったように思う。手が使えない不具合に対する執心の原初は、本作に現れたように、少年期に不具者を観たことが残した痕跡なのかもしれないが、単なる記憶と違って非常にシンボリックで、内省的に強い意味を持っていたような気がする。

 今回、アレハンドロ・ホドロフスキーがチリで育ったことを初めて知ったのだが、なんとなくメキシコの監督だと僕がずっと思っていたのは、ブニュエルの存在が及ぼした思い込みだったのかもしれないとも感じた。現に存在していても認知されなければ、見えないし、存在していないに等しいことを鮮やかに視覚化したエピソードを持つ作品として印象深いルイス・ブニュエル監督の『自由の幻想』['74]を思い起こすような、遊興酒場をサラが全裸で徘徊しながらも誰も見咎めない場面が登場していたのは、何かの因縁なのかもしれない。

 それにしても、圧巻の母親サラだった。『サンタ・サングレ』の母親も強烈だった覚えがあるが、それとはまた異なる破格を、パメラ・フローレスが美声による歌でしか話さない豊満な姿で印象づけ、見事だった。衰弱したハイメに跨って小水を浴びせることでペストの罹患から救う奇跡を起こすなどというエピソードを、アレハンドロは、母親のいかなる部分から着想したのだろう。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=3700229&id=1931013684
推薦テクスト:「映画感想*観ているうちが花なのよやめたらそれまでよ」より
https://kutsushitaeiga.wordpress.com/2014/04/23/リアリティのダンス/
by ヤマ

'15. 3.03. あたご劇場



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