『60万回のトライ』
監督 朴思柔、朴敦史


 大阪朝鮮高級学校ラグビー部の活躍を軸に、朝鮮学校の状況を捉えたドキュメンタリー映画で、東大阪市との間での運動場明渡裁判や高校授業料無償化からの除外問題などを取り上げつつ、106分の映画のなかで、声高に差別を訴えるのではなく国籍を超えた人々との共闘を語り、ただの一度も“サベツ”という言葉が聞こえてこなかったことに驚いた。敢えて確信的にそうしていたのだと思う。そして、ラグビー部主将のガンテが会見の場で「ノーサイド精神」を訴える際にも、実に慎重に言葉を選んでいるふしが窺え、そのことに少なからぬ感銘を受けた。

 在特会やヘイト・スピーチの横行が目に余る昨今の日本人たちの一部との品格の差の大きさに、何とも言いようのない気分になった。非難や攻撃の形でしか言葉を使えないことに比べて、理も知も情も比較にならないくらい“高級”だと思った。

 試合中の接触で脳震盪との診断がされ、規定により以後の試合に出場できなくなったエース選手のユインのために、部長や主将が密かに全国の有力校に働きかけて、特別チームとしての参集を得、大阪朝高ラグビー部との親善試合を行ったエピソードにラグビー精神の善き姿を感じない者はいないはずだ。

 とても興味深く思ったのが朝鮮語と日本語の混じり具合だった。大阪朝鮮高級学校の生徒も父兄も先生さえも、きちっとカメラを向けられてのインタビューには朝鮮語で答えているのに、スナップ的に捉えられた場面では、彼ら同士の間でも圧倒的に日本語が優位を占めていることが図らずも映し出されていたように思う。日本で生まれ育ち暮らしている人々が大半なのだから、当然と言えば当然のことなのだが、朝鮮高級学校の生徒には韓国籍の者も日本国籍の者もいるとの話とともに、かなり思い掛けない気がした。無意識のうちに自分の先入観や思い込みによるフィルターが掛かっていることに気づかされ、見知らぬ領域のドキュメンタリー映画を観ることの醍醐味は、こういうところにあるのだと改めて思った。

 癌を宣告されているらしいソウル出身の朴監督の思いと説明をナレーターとして語っていた根岸季衣の立ち位置が最初、少々わかりにくくて混乱したが、Jスポーツの映像提供を受けて肝心のラグビーの試合をきっちり収め、橋下府知事(当時)へのインタビューも抜かりなく折り込んであったことが目を惹いた。ソウル出身の女性と在日朝鮮人3世の男性という二人の朴監督による日本映画という成り立ちそのもののバランスのなかで訴えられていた「ノーサイド精神」は、権力や愚民による政治的な思惑などの及ばぬ生活者の領域では、普通に成立していることのように思われるのに、“国”などというものを持ち出すがためにおかしなことになっているような気がする。スポーツというものに、そういうナショナリズムを掻き立てる部分と超えさせる部分との両面があるのもそれゆえなのだろう。

 映画としての作り自体は、いかにも手作り的な素朴な親しみやすさに彩られていたが、素材の良さとスタンスの潔い清廉さが気持ちのいい作品だった。

by ヤマ

'14.12.11. 美術館ホール



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