『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』(Grace Of Monaco)
監督 オリヴィエ・ダアン


 いい映画だ。軍事力などなくても他国からの侵攻を防げることを実話をもとに説得力のある語り口で綴ってみせたゴージャスな作品だった。そして、外交力というのは、決して権謀術数そのものを言うのではなく、決め手となるのは、やはり国を背負って相対する人々の人間力に他ならないことを見事に描き出していたように思う。

 こういう作品を観ると、国を代表する人々を選ぶ際には、彼らを縁遠い存在として冷ややかに眺めるのではなく、いかに低劣化が進んで来ようとも最善を尽くして、きちんと選ぶ意思を弛まず持ち続けなければいけないのだと思わずにいられない。選ぶ手立てを持っているということはそういうことなのだと、何だか妙に考えさせられた。

 実話を基にしたフィクションとの断りをオープニングから映し出した作品において造形されていたグレース・ケリー(ニコール・キッドマン)が、実像にどこまで忠実だったのかは知る由もないが、完璧にグレースでタフな素晴らしい女性だった。

 一国の命運を賭けた舞踏会を開催し、マリア・カラス(パス・ベガ)の歌うプッチーニの私のお父さんを聴かせた後で、居並ぶ列強諸国の代表者に対し、小国への来訪に謝辞を述べ、アリアの歌詞さながらに恋人への想いを父親に訴えかけるがごとく、モナコと家族への愛と、平和と自由への願いを訴えかけた際の見事な演説と涙が満場の人々の心を打ったのは、決してアカデミー女優としての演技力のみで出来たことではない。

 そのスピーチのなかで「王子との結婚を夢みる多くの人がその意味を分かっていない」と大切な友人から言われたとして、タッカー神父(フランク・ランジェラ)の言葉を引き、その意味を「選択」だと述べたグレースの意図するところは、公妃への専念を指していただけではないのだろうが、彼女の言葉の意味についてもう少し考えてみたいように思った。映画の中盤で神父からその言葉が出たとき、僕が普通に感じ取った意味は、グレースなだけでは務まらないタフさのことを言っているように感じたから、彼女の回答が「選択」だったことに少々意表を突かれたのだった。

 それにしても、現存する女優で彼女を演じられるとしたら、やはりニコール・キッドマンが最右翼だろうとは僕も思うものの、それでもグレース・ケリーの“クール・ビューティ”には、やはり及ばないのだと改めて思った。

 そして、暑苦しいエロ親父の海運王オナシス(ロバート・リンゼイ)に対し、いかにもお坊ちゃん的な虚弱さを窺わせつつも、グレースが本気で愛したであろうグッド・ネイチャーを醸し出していたレーニエ3世を演じていたティム・ロスが目を惹いた。

by ヤマ

'14.10.22. TOHOシネマズ7



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