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シネマフィロソフィア3.11第1弾〜福島編〜
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11月2日、3日の二日間で、高知県立大学のプロジェクトチームによる無料上映会が開催されたので、足を運んでみた。民権ホールでの『陸軍登戸研究所』の上映会に加えて、県民文化ホールでの兵庫芸術文化センター管弦楽団のコンサートが重なっていて、“シネマフィロソフィア 3.11”の一日目のプログラムは観られなかったが、二日目は何とか2作品とも観た。 先に観た『普通の生活』では、物理的被災はともかく、放射能汚染被害についてきちんとした情報が届いてこないことによる「家族のなかでの受け止め方の相違」で一家が離散せざるを得なくなっているケースのやりきれなさが後に残った。 50分という長い休憩を挟んだ後の『フクシマからの風』は、第一章として始まったまま、いつまで経っても第二章が始まらずに終わったので不思議に思っていたら、帰宅後に単体の作品チラシを見て、本作自体のタイトルが第一章となっていることに気付いた。シネマフィロソフィアのチラシではそうなっておらず、少々不親切だったかもしれない。 この作品では、古老の話も興味深かったが、何と言っても“獏 原人村”が目を惹いた。ああいうコミューンのようなものが日本にもあるのだなぁと驚いた。しかも奇しくも被災地になってしまったのだ。どういう共同体になっているのかよく分からなかったが、養鶏をやっていて、太陽光発電による電力自給に取り組んでいることだけは判った。「人間には被害者はいない。国や東電に騙されていたことも含め、我々人間は全員が自然に対する加害者だ」と代表者と思しき人物が語っていたが、被災者が言うと、やはり説得力が違うように感じた。 それにしても、実に個性的な面々が登場していた。そのせいか奇妙さが先に立って実のところ、共感はあまりなかったのだが、かの代表者の言葉には納得しつつ、先ごろ観たばかりの『飛べ!ダコタ』での森本村長(柄本明)の弁を想起した。漁師のおかみさんたちの肩を掴みながら「あんたたちやわしたちが起こした戦争なんや。そう思わんとに、誰かが起こしたもんやと思うてたら、今度起こしそうになってきたときに止められん。」と言っていたのだが、戦争であれ原発事故であれ、その悲劇を避けるためには、被害者になる可能性のある当事者が被害を受ける前に、その推進によって利得を手にする者たちの意志を阻み、それ自体の排除を求める意思を表明をしなければならず、被害が生じてからでは、失われたり損ねられた命は取り返しがつかないということだ。 ただ、共感ということで言えば、『普通の生活』のほうに登場していた人々についても、そのような感覚は湧いて来なかったように思う。僕のなかで、とても同じ地平には立ちようがないという意識が、ある意味、最初からバイアスとして働いているのかもしれない。 新聞報道によれば、このプロジェクトは、県立大学の文学部で哲学を学ぶ学生たち16人が企画し、大学からの助成金を受けて運営しているものらしい。来年1月までに計4回の上映会を予定しているとのことなので、第2弾以降の3回が、どのような切り口になって、どんな作品が選定されるのか、大いに楽しみになってきた。 | ||||||||||||||
by ヤマ '13.11. 3. 県立大学永国寺キャンパス137教室 | ||||||||||||||
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