『続 兵隊やくざ』['65]
監督 田中徳三


 7年前に増村保造監督作品の『兵隊やくざ』['65]を観たときに、後のシリーズは、二人のでこぼこコンビがもっと娯楽色を強めて続けられたのではないかという気がするけれども、第一作は随分と真面目な作品だなと思った部分は、続編のほうがむしろ第一作以上に軍隊というものを糾弾する部分を濃厚に打ち出しているように感じた。ラストでの初年兵 大宮貴三郎(勝新太郎)の「軍隊なんざ、ろくなもんじゃねぇ」との台詞が、とても印象深い作品だ。

 第一作での芸者の音丸(淡路恵子)のヘソ酒に代わっての続編での大宮の慰めは、若き従軍看護婦の緒方恭子(小山明子)にダメ元で頼んで貰った御守りの陰毛という相変わらずの下卑た稚気ぶりなのだが、曹長が宿舎に連れ込んだ芸者(水谷良恵)の悩ましい声に当てられ、禁を冒して訪れた夜の慰安所で、横たわる女体の股間に手を合わせて拝み挨拶をする図が微笑ましくも好もしかった。

 それに引き換え、下士官たちの繰り出す「命令だ」の声の虫唾の走ること夥しいものがあり、その非道ぶりは第一作以上だったように思う。八路軍討伐を名目に襲撃した村で老農夫とその娘と思しき二人を捕え、農夫は初年兵訓練と称した生きたままの銃剣突きにし、娘は下士官の慰みものにしようとする有様が告発されていた。

 僕自身には軍隊経験も戦争経験もないけれども、半世紀前当時この映画を撮った人たちの多くには戦時下での生活体験があったわけで、こうして残っている作品をどれだけの人が見聞したうえで、自衛隊の軍隊化を言っているのか、全く理解に苦しむ思いを新たにした。よもや非道極まりない特権を一部で牛耳っていた旨味を再現させたくて権力側にいる人たちが主張しているというのではなかろうが、そうも勘繰りたくなるほどに近年は生々しく、石破幹事長などは遂に“軍法会議”のことをあからさまに口にし始めた。

 本作でも、軍法会議はキーワードになっていて、有田上等兵(田村高廣)の抗議は、それを覚悟してのものとして語られ、エロ中隊長は緒方看護婦に弟の軍法会議送りをチラつかせながら、自分に身を差し出せと迫る。内部統制の名の元の軍隊権力の最大基盤となる軍法会議というものに対する感覚をもはや失っているはずの現代日本人は、すべからく本作を観る必要があるのではないかと思った。


(参考)
  ヤマのMixi日記 2006年08月06日22:01
『兵隊やくざ』['65] & 『座頭市物語』['62]

 あたご劇場の昭和レトロスペクティヴが“カツシン特集”も始めてくれたので、かねてより気になっていた『兵隊やくざ』を観ることができた。どちらも彼の人気シリーズなのだが、きちんと第一作を並べてくれたのが嬉しかった。『座頭市物語』は昔、観た覚えがあるのだが、スクリーンでは初めてだと思う。

 『兵隊やくざ』は冒頭、野ざらしで白骨化した日本兵の死体の映像と「戦後二十年、もう兵隊の話なんぞ要らないと思われるかもしれないが…」ってなナレーションと共に始まった。戦闘場面は一切なくて、ひたすら軍隊内での兵士の生活を綴った作品だが、軍隊とはビンタだという台詞が出てくるように、位や兵歴による暴力支配の構造のなかでの、破格の初年兵大宮貴三郎(勝新太郎)と三年兵有田上等兵(田村高廣)のバディ・ムービーだった。後のシリーズは、二人のでこぼこコンビがもっと娯楽色を強めて続けられたのではないかという気がするが、第一作は随分と真面目な作品だった。

 だが、両作品に共通して最も印象深かったのは、男というもののろくでもなさというか馬鹿さ加減で、大宮と有田の結びつきにしても、座頭市(勝新太郎)と平手造酒(天知茂)の手練れ同士の通い合いにしても、幼稚なナルシズムが透けて見えるところがいかにも男のドラマって感じの作品だ(苦笑)。『兵隊やくざ』で、脱走兵の戦友を自殺させてしまって落ち込んでいる二人に、音丸(淡路恵子)が将校にしかさせない“へそ酒”をさせてやるからさぁと気を取り直すよう持ちかけても、お前はヘソの形が悪いから、両脇に零れちまう、ありゃあ下のほうにこぼれなきゃ面白くねぇ、などと言って拗ねてる場面があったが、ああいう稚気というのが全く以て男の本質だよなぁと少々情けなく観ていた(とほほ)。


by ヤマ

'13. 8.11. あたご劇場



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