『屋根裏部屋のマリアたち』をめぐる往復書簡編集採録
TAOさん
ヤマ(管理人)



ヤマ(管理人)
 TAOさん、こんにちは。『屋根裏部屋のマリアたち』、ご覧になってたんですね。
 1ヶ月温めてからの日記だったせいでしょうね、6階が7階になってます。また、「メイドのマリアとの不倫を疑われ、家を追い出されたジャン=ルイ」ではなく、彼の顧客のベッティーナ夫人との浮気を疑われたのでした。
 それはともかく、本作のテーマは、不倫でも純愛でもなく、中年男の再生の一文に流石流石と快哉をあげました。中年男には、ホント強いよなぁ、TAOおやぢ(笑)。

 拙日誌に「決して自分からマリアと一線を越えようとはしない節度を守っていたジャン=ルイ」と書いた彼が、妻の誤解に対して一言の反論もせず黙って6階に上がったのは、何故だと思いますか? また、仕事仲間に半ば呆れられながらも、DVに見舞われていたピラールに管理人の部屋と職を世話してやったのは何故だと思いましたか?

 そして、何よりも、拙日記でも触れたマリアの誘惑と失踪。帰国前夜にジャン=ルイをベッドに誘ったマリアの心境と黙って姿を消した思いについて、TAOさんはどのようにご覧になっていますか? そして、そして、ラストショットで大写しになったマリアの笑顔。三年後に彼女の元に辿り着いたジャン=ルイを観て放った笑顔に、何をお感じになりましたか?

 問い掛けの連射になるので、コメントではなくメッセにしました(笑)。ご回答いただけると、とっても嬉しいです。ホントに「主人公が父から受け継ぎ、田舎で育った妻を巻き込み、息子たちへと縮小再生産されていくブルジョワの非人間的な暮らしが、メイドたちとの出会いによって生き生きと再生されていく過程がとても愉しい」愉快な映画で、思わず笑みが零れつつ、ちょびっとドキリとも…(たは)。なかなかの作品でした。


(TAOさん)
 ヤマさん こんばんは。そうだそうだ、不倫疑惑は派手な未亡人とでしたね。
 ジャン・ルイが弁解せず家を出たのは、屋根裏部屋に住む絶好の機会だと思ったからでは? とくにマリアを意識して、というより、屋根裏の住人たちがもつ生命力に惹かれたのと、人生に夢や期待を持っていた少年時代への郷愁のためでしょう。

 イキイキとしたメイドたちに比べて、彼は自分の仕事が虚業であることにコンプレックスを持っていたので、困っているピラールの役に立てるのがうれしかったのではないでしょうか。みんなのお金を運用してあげればいいんだと気づいたときも、とてもうれしそうでしたよね。

 マリアの心境は、わりとシンプルだと思っています。母として息子の側にいたいという思いが一番強いけれども、そのためには好きな男ともう会えない。せめて一晩過ごしてから旅立とう、ということでしょう。それ以上のことは、特別には期待してないと思います。手紙も出してないし。でも、今頃どうしているかなあ、私のことはきっと忘れてないはずよね、縁があったら、また会えることもあるかしら、と考えることはあったはずですし、もしやあの人のことだから離婚して会いに来てくれたりして・・・という直感はあったでしょうね。
 女ってそういう直感は働くんです。でも期待しすぎちゃいけないわ、という賢明さもあったはず。マリアという女性は恋愛に溺れ、相手に依存するタイプではなく、自分のことは自分で面倒を見るタイプですから。


ヤマ(管理人)
 早速にありがとう!
 6階に上がったのは、やはり「これ幸い」だったんでしょうかね〜。実は僕、日記に“気紛れでは片付けられない楔が打ち込まれてしまう罪な出来事”と書いた一夜がなければ、ジャン=ルイはマリアを半ば手の届かない存在として密かに想うに留めていただろうと思うばかりか、それさえなければ、シュザンヌの遣り直しの申し出を受け入れられないほどに妻への想いが冷え切っていたわけではないと思うんですよね。

 図らずもマリアの裸身を盗み観て昂ったものを妻に向けていたことが、ホントに生理的な解消を求めるだけの行為だったとは思ってなくて、妻に対しても思うところがあるからこそ、黙って6階に上がっていったような気がするンですよ。
 じゃあ、何を思ったのかっていうと、結婚した頃の田舎娘をこんなふうな社交マダム的邪推に走らせるようにしてしまったのは、自分なのかもしれないとの思い当りと弁明の無為というものが彼を黙らせたように感じました。

 ベッティーナ夫人は“魔性の女”なんだから注意せよと吹き込んでいたのが、カード仲間の有閑夫人たちでしたしね。TAOさんが日記に「本作の主人公ジャン=ルイには妻がいて、夫婦仲は円満そのもの。利発そうな息子2人に恵まれ、穏やかで安定した理想的な毎日を送っている。」とお書きになっている部分が、まるまる偽りの姿だったとは思えないんですよね。

 ジャン=ルイの携わっている仕事が“虚業”だという対比の御指摘は鋭いですね。マリアたちが体を張って働く姿に、単に負い目を感じるのではなく、功罪ともどもを受け取っているからこそ、得々と“資産運用”を勧めるわけですが、そのあたりの開かれた感じも彼の美徳ですよね。

 マリアの心境は、そうですか、シンプルなんですか。全く罪作りだなぁ(笑)。感謝とかお礼でもなくて、本当に好きだったのかな? それだといいですね。ま、仲間内では聖人とさえ呼ばれていた尊敬に値する人気者なんですから、惹かれていたというのも分からぬではないのですが、“好きな男”にまで行ってたようにも思えませんでした、僕的には。

 マリアが彼をホントに“好き”になってくれたのは、最後の再会の場面だったのではないかというのが僕の思いなんですが、「マリアという女性は恋愛に溺れ、相手に依存するタイプではなく、自分のことは自分で面倒を見るタイプ」というのは同感です。未婚の母となる経験によって鍛えられたはずのプライドが彼女をそのようなタイプに育んだのだろうと思います。

 ところで、あの失踪前夜の出来事がなくても、シュベール夫妻の結婚は、屋根裏部屋のマリアたちとのふれあいを経た以上、早晩、解消に至ったと思われますか? それとも「私もあなたに話したいことがある」と言っていたシュザンヌの申し出の方向に、彼らの結婚生活が見直されたと思われますか?


(TAOさん)
 ジャン=ルイはマリアを半ば手の届かない存在として密かに想うに留めていただろうと思うばかりか、それさえなければ、シュザンヌの遣り直しの申し出を受け入れられないほどに妻への想いが冷え切っていたわけではない
 はい、同感ですとも! これ幸いというのは、屋根裏=自分の生活に欠けている生命力に近づきたいということであって、マリア目当てではないと思います。だから、邦題が”マリアたち”と複数になっているのは見識があるなと。そして妻への想いも冷え切ってないし、ヤマさんのおっしゃるとおり、素朴な田舎娘を変えてしまったことへの後ろめたさもあると思います。
 ただ私が思うに、彼のいちばん凄いところ、すべてを捨てて破滅することなくみごとに自己再生できた所以は、そんなふうに自分の思いを分析するタイプではなく、 魂の命ずるまま直観的に行動する開かれた意識の持ち主だったところだと思うんです。優柔不断なインテリだったらこうはいかなかったでしょう。

 マリアが彼を好きになったのも、そこのところだと思いますよ。
 彼女、いったんジャン=ルイに対して猛烈に怒りますよね。あの怒りは、すでに”好き”の裏返しでしょう。雇い主なのに偉そうなところのない好人物だと好感を持っていたのに、所詮ブルジョワ男の独占欲だったのね!と、じつは自分の見る目のなさにも怒っています。彼女はじつは育ちのいい坊ちゃんに弱いんです。たぶん息子の父親もそのタイプでしょう。母性の豊かな彼女は、素直で育て甲斐のある男が好きなんですよ。感謝やお礼で・・・というのはラテン女にはあるまじきことかと(笑)。

 シュベール夫妻は離婚せずにふたりで再生する道もあったと思います。なにも離婚だけが再生へのルートとは限りません。家も仕事も捨てて奥さんの田舎に移り住んで、ふたりで農園でもやるとか、思い切った手段を講じればリセットできたはずです。
 でも、そのまま穏便にやろうと思ったらなかなか難しいでしょうね。それなりに巧くいっている人生をリセットして再生するためには、やはりエロスのように下手すれば破滅に至るくらいの強烈な衝動がないと。その意味でマリアの放った楔は非常に効果があったのだと思います。そして、ここでもジャン=ルイのすばらしいところは、3年の歳月をかけて諸々の始末をつけていることですね。ただ激情の赴くまま、何もかも放り出してスペインに行ったら、きっとマリアに追い返されているでしょう(笑)。


ヤマ(管理人)
 おぉ〜、ジャン=ルイの株がバカ高いぞ!
 でも、教えていただいた解し方、なかなか素敵ですし、大いに納得。とりわけ「ラテン女にはあるまじきことかと」は嬉しく、「彼女はじつは育ちのいい坊ちゃんに弱いんです。たぶん息子の父親もそのタイプでしょう。」に納得感倍増(笑)。

 ジャン=ルイが「魂の命ずるまま直観的に行動する開かれた意識の持ち主」であることに異論はありませんが、同時に彼は内省的で分析的な性格でもあるように思います。職業が相場を読む株式の売買ですし、6階に上り、独りになって自由を得たと感じるなかで、読書に勤しむ男ですからね。彼の素晴らしいところは、まさしくそこであり、インテリのブルジョアなのに、同時に「魂の命ずるまま直観的に行動する開かれた意識の持ち主」になれたところですよ。

 それは、先ずは素養的に備えていたからこそなんでしょうが、いまだ顕在化していなかったものを“マリアたち”が引き出し、育んだのだろうと思います。そこに打ち込まれた楔だから、強烈に作用し、魂の命ずるままの行動に踏み切れたのでしょうね。3年の歳月をかけて諸々の始末をつけていることの素晴らしさは、まさしく御指摘の通りだと思います。

 その3年の歳月の重みがあってのマリアの笑顔なんですよね。とても良いラストショットでした。


(TAOさん)
 ジャン=ルイ株の上昇はタオノミクス効果です(笑)。ファブリス・ルキーニが演じると、とりわけ素敵な人に見えてしまって。それとこの監督さん自身が素敵なんですよ。妻をちっとも悪者にせず、素朴で善良で聡明な女性に描くところにも見識を感じます。

 “彼は内省的で分析的な性格でもある”こと、たしかにそうですね〜。彼は“マリアたち”の話に耳を傾け、スペインの内乱に関するおのれの無知を反省するれっきとしたインテリですよね。奥さんのスケジュールをあれだけきちんと把握してるあたりも、彼が諸々の後始末をどれだけこまやかに処理したか察せられます。

 いまだ顕在化していなかったものを“マリアたち”が引き出し、育んだ
 少年の日の彼はきっと好奇心にあふれ、柔軟な生命力が顕在化していたはずです。かつて田舎育ちの奥さんにもきっと触発されるところがあったのではないでしょうか。でも仕事を続けていくうちに、いつのまにか風化してしまったところへ、強力な一群と出会ったわけです(笑)。


ヤマ(管理人)
 タオノミクスは、乱高下したりはしないでしょうから、柔軟な生命力を取り戻した彼は、もう黙して6階に上がるようなことはなくなるでしょうね(笑)。

 言われてみて改めて思い当たりましたが、僕がこの作品を好きなのは、イヤな女性が出てこないところにあるのかもしれませんね。玉の輿婚で姑に苦労した反動を顕在化させる段では、シュザンヌ、ちと険があったんですが、それも次第に故なきことではなかろうことが分かるように描かれてましたもんね。やっぱ、あの「私もあなたに話したいことがある」との場面の勝利ですな。

 少年の日の彼、田舎娘に惹かれた若かりし頃の彼、確かに仰るような顕在化を果たしていたんでしょうね。そういう意味では、まさに“再生”そのものですよね。「とびきり私好みの映画」となるも道理です(笑)。

 例の紹介稿のほうのゲラ刷りがちょうど届いたので、添付してみます。うまくいくかな(たは)。


(TAOさん)
 ヤマさん、ゲラ刷り、ちゃんと読めましたよ! すっごくステキな解説になりましたねえ。
 時代背景に関する説明も行き届いていて、この映画の「危うくも刺激的で微笑ましい」味わいがネタバレなしに伝わってきます。コンセプシオンのだんなさんの台詞を最後に持ってくるあたりも憎いなあ。大人の男性らしい成熟を感じさせる洒脱な映画解説だと思います!!


ヤマ(管理人)
 ありがとう。嬉しい讃辞に喜んでます。何か、あまり大きくできなくて読みにくいのに、感謝です。
 作品がいいと書きやすいですよね(笑)。「12日夕〆 1本1000字」というメモが業務用DVDの入った封筒に記されていたので、普段より300字ほど長くなったなと思いつつ、それぞれ1000字にして送ったら、実は2本分を1本にまとめて1000字というつもりだったそうです(たは)。説明不足で申し訳ない、なんとかスペースを見つけ出しますとのことで、上・下2回に分けての夕刊への掲載に変更ということになったようです。
編集採録by ヤマ

2013年 6月12日〜2013年 6月15日



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