『風のなかで むしのいのち くさのいのち もののいのち
監督 筒井勝彦

 東京都杉並区の住宅街にある中瀬幼稚園の、2009年の園児たちとは思えないタイムスリップ感に驚かされた。デジタルカメラで捉えられた画面のどこにも一切、デジタルで現代的な事物が映らず、子供たちの歓声や笑顔も信じられないほどに伸びやかでにぎやかだ。当初、内輪で楽しむための卒園までの一ヶ月の記録として撮ろうとしたらしいが、捉えられた子供たちの生き生きとした姿の魅力に、一般公開を決め、中瀬幼稚園の教育方針に賛同する親たちが「風の会」を立ち上げ、上映運動を展開しているらしい。

 幼稚園には花園と工事現場が必要だと語る井口園長は、現在の幼児教育が、預ける親の側も預かる園の側もこぞって大人の都合で、本来接するべき危険から遠ざけることで、子供たちを虚弱にし、命の力を育み損ねる傾向にあると考えているようだ。確かに、ここに映し出された子供たちは、自然の細部と身体で交わり、物と遊ぶのではなく人と遊ぶことを体得していて、全身に原初的な命の力が漲り、溌剌としていた。

 だが、僕が最も感心したのは、園庭ではあんなに賑やかに走り回っている園児たちが、室内での講談師の公演というおよそ幼児向きとは思えないものに対して、誰一人立ち上がることなく、そして、騒がしくも静か過ぎることもなく、大勢できちんと観賞していたことだった。今どき小学生どころか中学生でも、数十人単位で、先生に注意されることもなく、教室でこんなふうにきちんと観賞することのできるクラスは、そう多くないのではないかと思った。落ち着いて座り楽しむことのできる力は、ストレス開放によって育まれているのだと改めて感じた。

 管理教育を脱して、ゆとり教育が目指していたものが、まさしくここに現出しているような気がする。そして、それを生み出しているのが、安易に子供を抑圧せずに勇気と楽しみを持って、子供の伸びやかさと付き合う意思を保つ“大人の側の辛抱強さ”だと思った。やはり鍵を握っているのは、子供でも幼稚園でもなく、子供の親だ。

 それゆえに、ドキュメンタリー映画として教育問題を問い掛ける視座に立つならば、卒園前の一か月の記録を提示するだけでは物足らず、入園前の親たちのレディネス形成から捉えるべきだろうし、何よりも、おそらくは最初は人と遊ぶことよりも物と遊ぶことのほうに馴染んでいたはずの入園児たちが幼稚園での日々を重ねるなかで次第に“命の力を育むプロセス”を捉えていなければならないとは思う。そして、そのなかには当然にして起こっているであろう子供が怪我をする場面や、そのことへの園と親の対処の仕方も含まれてなければならないと思う。元々の製作動機にそのようなものがなかったのだから致し方ないにしても、せっかくの好材を得ているのだから、そのような視座での企画による作品を改めて見直してみたいと感じた。

 大いに感心したのは、素材の力に引き寄せられてクローズアップ撮影が多用されていたにもかかわらず、カメラのぶれによる見苦しさが一切なかったことだ。安易なカメラの手ぶれや移動ブレを臨場感の演出だと勘違いしている向きが多いなかで、実に真っ当で頼もしい見識だという気がする。

by ヤマ

'11. 1.10. 美術館ホール



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