『BOX 袴田事件 命とは』
監督 高橋伴明

 この作品で実名の挙がっている元裁判官の熊本典道、死刑囚の袴田巌が昭和11年生まれの同い年ということは、僕の母親とも同い年ということになる。今現在、74歳だ。この映画の最後に映し出された熊本氏の写真は73歳時点のものだろうか。暗澹たる気持ちに見舞われるような長い年月だと思う。

 事件のあった30歳のときから半世紀近い年月を二人がどう抱えたかは、そう簡単に描き出せるものではなかろうが、作り手が描きたかった軸が、事件のほうなのか、元裁判官の葛藤のほうなのか、妙に曖昧で、少々ブレているような気がした。せっかく熊本氏が実名で登場し、敢えて司法制度に対する問題提起を挑むのならば、やはり事件そのもの以上に、裁判所で袴田事件がどのように取り扱われたかをもっと詳細に具体的にドラマ化すべきではなかったのかという気がしてならない。

 起訴後一年を経て提出された新証拠たる“血痕まみれの犯行時の犯人の衣服”なるものが、劇中にて熊本裁判官(萩原聖人)が指摘するように、ズボンよりも下着の猿股のほうの血痕が多く、被害者4名の血液の付着の仕方が矛盾だらけだったとしたら、裁判でそれがどのように取り扱われたかを、熊本氏が主任裁判官を務めた地裁のみならず高裁、最高裁も含めて追っていかなければ、話にならないような気がした。それでもボクはやってないを観たときに綴った日誌に三審制のもとに下級審が無難な判決を下して判断を上級審に先送りして、火中の栗を拾おうとはしなくなることも大いにありそうなことだ。すなわち“迷ったときは取りあえず有罪、疑わしきは有罪”という対処の仕方になるということだ。と記したことが、まさしく重大事件で行われたように思える展開になっていたからだ。熊本主任裁判官の先送りの自覚は、台詞においても明示されていたように思う。

 だからこそ、少なくとも熊本氏からの助言を得た土肥弁護人(塩見三省)による高裁での法廷闘争は省略してはならない部分だったような気がする。それなのに、熊本氏を探し訪ねてきた土肥弁護人に、袴田死刑囚(新井浩文)の熊本氏に対する心証を語らせるだけで留めてしまっては、本作が何を意図して撮られた作品なのかが、些かぼやけてくる印象を残すような気がしてならなかった。

 本作を観ていると、脚色を含んだ劇映画としてよりもむしろドキュメンタリー作品によって接してみたい素材のように感じられた。実話を基にしたフィクションとしては、その虚構性を創造力の発揮やインパクトの強化に繋げるよりも専らエクスキューズとして使っているような腰の引けた感じがあって、そこに煮え切らない制作姿勢を窺わせたから、ドキュメンタリー作品で観たいという欲求を喚起したのだろう。近い齢ながらも、実際は同年生まれではなかったらしい熊本元裁判官と袴田死刑囚を同じ生年にしてみたり、地裁で熊本裁判官とともに審理に当たった二人の裁判官の実名の名字の二文字目を入れ替えて石井判事(村野武範)・高見判事(保阪尚希)にしたりすることの虚構性が活かされているようには感じられなかった。
 とはいえ、実際に裁判に携わった元判事の目からの告発という事実の重さには途轍もないものがあるからこそ、尚のことドキュメンタリー作品で観たいというのは誰しもが思うことだろうから、そうはできない事情や現実というものもまた重く横たわっているのだろう。そうは言っても、映画の作り手としては、元判事の画期的な告発を受けて、もう少し踏み込んだ形での迫り方があったような気がしてならない。熊本氏は元裁判官だし、『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三のような迫り方はかなわないだろうから論外だとしても、彼の告発活動の現在を見せてもらいたかったように思う。

by ヤマ

'10.11. 7. あたご劇場



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