『ニート』を読んで
絲山秋子 著<角川書店>


 やわらかい生活を観たときは、さほど食指が動かなかったのに、ばかものを観て、俄然気になり始めた原作者の小説を初めて読んだ。

 奥附によれば、大学の同じ学部の八歳下の後輩で、七年前の著作だから、著者が四十歳前の頃の作品集だ。表題作の『ニート』に『ベル・エポック』『2+1』『へたれ』『愛なんかいらねー』を加えた五篇から成る短篇集を読みながら、“孤独な魂の呼応”とも言うべきプライヴェートな人間関係、とりわけ男女関係における距離感の捉え方に、僕的にはドライというのとは明らかに異なるフラット感による湿度が保たれているとでも言うような魅力があって、「なるほど『ばかもの』にあって、『やわらかい生活』において変質していたものというのは、こういう感じか」などと思いながら、読み進めていたら、最後の『愛なんかいらねー』で、そのモチーフがなんとスカトロ・セックスであることに出くわして驚いた。

 十歳年下の乾ケンジロウが大学四回生のときに知り合って以来の十年ぶりで再会をした四十二歳の経済史の大学教員 成田ひろみが、その夜に彼と初めて交わすセックスに際して施された浣腸プレイの描出においても、フラットな感じの湿度感が顕著で、ありがちなSM官能小説などには決して出てこない生々しさが何とも強烈だった。

 …一回息はいてみな。深呼吸。 力を抜くと肩が震えた。体を起こして両肩を畳むようにしてその間に顔を埋めた。すぐに次の段階が来た。空気が勢い良く二回抜けて、それから力を入れ直した。額に気持ちの悪い汗がにじんだ。何度もしゃくりあげるようにいきんだ。本当に、泣いてしまいたかった。乾は彼女の足の間に左手を突っ込んで出てきたものをそのまま掴んだ。 すげえ。 そう言うと立ち上がって右手でジーパンの前を開け、硬くなったそれを顔につきつけた。左手に握りしめた糞が強く臭った。 しゃぶって。 だって、まだ拭いてないし-- いいからしゃぶれよ。 髪を強くつかまれると自然に口が開いた。乾が深い息をついた。 そんなに長くはかからなかった。乾は彼女の口のなかに精液を出すと、少しだけ放心していたが、鳥を野に帰すように軽く身を離した。(P143)

 「…それより約束だぜ。脱げよ。」(P155)と前夜、乾に促されて「今日はトイレ行かせて、と言った。」(P142)ことの代償を求められた場面は更に強烈だった。

 人前でしたことなどなかったのだ。裸でダイニングテーブルに昇ったことなどなかったのだ。 こうするとおれが屈まなくていいからさ。 乾はそう言ってパイレックスを持ってくると、背後に立って片手で尻の肉を掴んだ。一体この男がどこまでのことを考えているのか、おそろしくて想像するのをやめた。…太ももにパイレックスのへりが当たる。けれどもお腹の力を抜くとひっこんでしまう。苦しい。恥ずかしい。つらい。苦しい。苦しい。したい。恥ずかしい。出したい。足の裏が冷たくなったのは毛細血管が縮んでいるからだと冷めた部分で思った。…重い痛みとともにそれが噴き上げてきた。彼女は呻いた。最初は頼りなく小便が滴った。それから体温と同じにあたたまったグリセリンが細く迸り太ももにかかるのを感じた。その色を思って嫌悪に包まれた。嫌悪のなかで、腸が裏返しになる力に逆らうのをやめた。 いいぞ。と乾が言った。出せ。もっと出せ。 全身が熱くなった。皮膚がひりひりと焦げる。…股の一番深い部分に乾は指を滑らせた。排泄の途中で触られるのは本能的に嫌だった。体をよじって避けようとすると、 これが成田さんの履歴だよ。と乾は言った。嫌がってるけどさ、すごい濡れてた。糞ひりながら感じちゃったんだよ。その事実はもう消せないんだ。 乾は半分出かかっている糞に指を当てて体の中に押し戻し、それがまた出てくると手にとって尻から背中にかけて塗りつけはじめた。鳥肌が立った。…(P155)
 雑巾掛けしなきゃ、と乾は言った。 裸のままテーブルを拭いた。床を拭いた。雑巾を何度も新しいものに替えた。乾も這いつくばって床を舐めるように拭いている。真剣そのものだが、後ろから見ると睾丸が揺れている。 おれたちってほんと、清潔好きだよな。 乾はファブリーズを吹きつけた床に鼻をつけて犬のように臭いを嗅いだ。 大体いいみたい。 壁もちゃんと見ろよな。すげーとこに飛んでるかもしれねーんだから。 雑巾を洗面台で洗い、洗濯機に放り込むと、二人で家具を元の位置に戻した。何もすることがなくなると裸でいることが奇妙に感じられた。(P161)

 映画『やわらかい生活』のmixi日記のコメント談義の際に、奇しくも渡辺淳一との対照について話が及んでいたが、性というフィールドにおいて男性が女性に到底かなわないのは文学でも同じだなと改めて思った。
by ヤマ

'12. 5. 4. 角川書店



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