『4ヶ月、3週と2日』をめぐって | |
(シネマ・サンライズ 吉川さん) (アリエルさん) (TAOさん) (イノセントさん) ヤマ(管理人) |
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No.7884から(2008/09/10 09:15)
(シネマ・サンライズ 吉川さん) 『4ヵ月、3週と2日』の感想、面白かったです。書いていただいて、ありがとうございました。 ヤマ(管理人) ようこそ、サンライズ吉川さん。 面白く読んでいただけたとは、嬉しい限りです。 (シネマ・サンライズ 吉川さん) 僕のホームページは僕自身が管理しているのではないのですが、もし可能でしたら「これまでの上映作品」のコーナーから感想のサンプルとしてリンクさせてもらっていいでしょうか。 ヤマ(管理人) もちろん構いません。 当サイトにアップしている拙日誌からの推薦テクストのリンク要領で、拙サイトページと併せてリンクしてやってください。 (シネマ・サンライズ 吉川さん) 主人公の自分のすべきことに対する確信的な自覚と凛とした意志力というもので見られる作品でしたね。 ヤマ(管理人) はいな。ここが魅力でした。 見事なのは、あの緊迫感をいささかの緩みもなく持続させた演出力でしたね。 (シネマ・サンライズ 吉川さん) あの自覚と意志力がなければ、一層しんどい作品になっていたと思います。 ホテルでの違法中絶医とのやりとりは、圧倒的でしたね。 ヤマ(管理人) とても効果をあげていたように思います。 (シネマ・サンライズ 吉川さん) あの意志力、行動力、情緒に左右されない配慮は、男女に関係なく、また直面する問題の如何にかかわりなく見習いたいものです。 ヤマ(管理人) 容易なことではありませんけどねー。 (シネマ・サンライズ 吉川さん) ちなみに、監督は驚くべきことに男性です。 ヤマ(管理人) そのようですね。全く驚きました。あの女性たちの心情をあれだけニュアンス豊かに描出できるとは、全く凄いです。 (アリエルさん)2008/09/10 09:50 今、読みました。同感多いです。 ヤマ(管理人) ようこそ、アリエルさん。ありがとうございます。 (アリエルさん) 私はHPに感想書いてます。 ヤマ(管理人) 拝見しました。「彼女は自分自身の事として、この妊娠をとらえているのだ。」とお書きのところに同感です。 「妊娠した本人のノーテンキぶりには唖然とする」とお書きの部分は、僕には、必ずしもそうは映ってこず、絶望的な状況を持ちこたえるためのツッパリのように見えました。冒頭のムダ毛処理をしている姿にしても、何かしてないとじっとしてられないからのように思っています。「電話を隠し寝ていたり彼女の神経も信じがたい」についても、むしろオティリアのほうに思いを致す余裕のない切実感のほうを感じて、僕は、無神経だとは感じなかったですね。 「うらぶれたホテルの一室での半日を生涯、彼女たちは忘れないだろう。」は、全くそのとおりだと思いました。 また、彼女の置かれた妊娠の状況を何も説明していないところに不満を抱く方もいるようですが、僕は、何も説明されないからこそ、“望まぬ妊娠”の一事における本質が浮かび上がったのだと受け止めています。事情が加われば加わるほどに、個別性のほうが表に出てきて“望まぬ妊娠”の“望まぬ”のほうに視線が向かい、“妊娠”のほうが拡散してきますからね。 (アリエルさん) 1つ、彼女が夜、捨てたシーン?で吐いてたような・・ ヤマ(管理人) ホントは、埋めてくれるよう頼まれてて、そうしようとしていたけど、危険を感じて、結局、闇堕胎の男の指示通りの始末をしたわけですが、極度の緊張と不安の続くなかで身体のほうが悲鳴をあげたのだろうと思ってます。 (アリエルさん) もう前なので記憶が?ですが、彼女も妊娠していたのでは?はどうですか。 ヤマ(管理人) 僕は、そのようには観ませんでした。そこまで近い状況に二人を置くと、僕の受け取った主題が却ってぼやけてくるような気がします。彼女も妊娠してるからこそ、あのように懸命になるのだと受け取ると、本質的に“男という性に対して深い断絶を抱いている女の姿”ということよりも“孕む性の犠牲的側面”のほうが強くなってくるように思います。 (アリエルさん) 先日見た『天安門、恋人たち』も堕胎シーンがあり、麻酔なしでした。 ヤマ(管理人) 未見ですが、気になっている作品です。でも、こっちでは上映されそうにありませんが(とほ)。 (アリエルさん) 書かれた堕胎映画は私もすべて見ています。 ヤマ(管理人) 女性にとっては、一大関心事ですものね。 (アリエルさん) これは男性からすると、物理的に感覚がわからないと思います。 ヤマ(管理人) そうですね。想像しても及ばない「限界」があると思います。 (アリエルさん) やはり男性が妊娠可能にならないと、男女は永遠に遠いかもしれないなと ヤマ(管理人) 遠いがゆえに惹かれあう部分もあるのですから、いいとこ取りはできないとしたものでしょうね。 (アリエルさん) 今、思いましたが、医師である帚木ほうせいの小説、男性が妊娠する・・を書いてるみたいですね。いつか読んでみたいです。 ヤマ(管理人) 人工授精をして腹腔に着床させれば、全く不可能なことではないという話を聞いたことがあります。映画では、シュワルツネッガーが妊娠したことがありましたね(笑)。僕は未見ですが。 ヤマ(管理人)2008/09/12 21:12 mixi日記に「友情のためではない。理不尽な社会で女が自由に生きていくためにだ。」とお書きのラスト2行が効いてますねー。オティリアの放っていた凛々しいかっこよさが伝播して、TAOさんのなかにあるものが共鳴したようですね。この作品の監督・脚本が男だと知らされて驚きました。きっと女性だろうと思ってたんですよ。男も存外、侮れないと思いません?(笑) (TAOさん) おお、ヤマさんも侮れませんね(笑)。あのかっこよさは男性にはわかりにくいと思います。ヒロインの婚約者みたいに、いざとなれば責任をとるのが男らしさだと思っている方が多いですから。ヒロインがいざとなれば恋人ではなく友人(←頼りにならないけど)を頼ろうと思うきもち、あれをちゃんと描ける監督さん、すばらしいです。 しかも、サスペンスとして面白いところがエライ。女が監督だとかえってもっと理屈を主張する映画になったでしょう。 ヤマ(管理人) そうですか、侮れませんか(笑)。 実は、今、シューテツさんちにいるんですが、シューテツさんは、この作品あまりピンとこなかったそうで、「女性に対する関心の度合いの違いやろね」と冷やかされたとこです。そーなんですかね(たは)? 僕としては、拙日誌にも綴った十代の時分の鮮烈な記憶がたまたま作用しているだけで、侮れないとおっしゃっていただけるほどのものを持っているとも思えないんですけどね。 (TAOさん) 「女性に対する関心の度合いの違いやろね」というのは、大いに関係あると思います(笑)。 冗談はさておき、ヤマさんの日誌にはほぼ100%同感でしたよ。アリエルさんとの会話で書かれていた、一見脳天気に見える友人についての解釈も同じです。緊張のあまり、いちばん大事なビニールシートを忘れていったりするのも、いかにもありそうなことですしねえ。そして、そういう当事者の不安を誰よりもわかって、最後に友人と笑って食事ができるヒロインって人としてかっこいいなあと惚れ惚れしました。 でも、もしかして、私とヤマさんの感想がほぼ重なっているのは、ヤマさんが女性への理解があるからではなくて、私がオヤジっぽいからかも(笑)。 欲を言えば、私は婚約者にもうすこし女性の不安に対する共感を望みたいところですが、それはやっぱり無理なことなんでしょうね(苦笑)。だから、女性は連帯力というものに恵まれているのかもしれません。 ヤマ(管理人) お読みくださったんですね、ありがとうございます。掲示板に書いた友人についての受け止めもご支持いただき、心強く思いました(礼)。そうでしたね、ビニールシートの件も、確かに確かに。 我々の感想が重なっていることを、TAOさんも同意のシューテツさん説に当てはめると、TAOさんがオヤジっぽいというよりゃ「オヤジへの関心の度合いが高い」ってことにもなりませんかね?(笑) (TAOさん) なるほど関心の度合いが高いのですね(笑)。 ヤマ(管理人) 婚約者については、不安への共感を求めるのは、事情も知らぬゆえ無理だと思いますが、共感まではできなくても、様子のおかしさへの気づきは望みたいですよね。それは無理なことではない気がします。 (TAOさん) そう、そう、それです。共感はできなくても、気づいてくれれば十分なのです。 ヤマ(管理人) でも、そうすると、断絶の淵を浮かび上がらせる主題が損なわれちゃいますから、作品的には、無理なことだと思いますけどね〜。 (TAOさん) たしかに、作品的にはそれじゃあ困りますね(笑)。 (イノセントさん)2008/09/27 06:00 お久しぶりです。 ヤマ(管理人) ようこそ、イノセントさん、お久しぶりです。 (イノセントさん) 日記拝見しました。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。僕もイノセントさんとこ訪ねて、mixi日記探してみました。五月に御覧になってたんですね。 (イノセントさん) 僕は、この映画をヤマさんとは随分違う印象で観ました。 ヤマ(管理人) そうですか? mixi日記を拝見すると、「テーマは“中絶”でも背景は“独裁政権下”でも、知人の感想(ルーマニアの暗黒時代)もキャッチコピー(勇気あるヒロインの物語)も、僕にはピンとこなかった。この映画で僕が感じたものは、主人公の女性が体験した“孤独”。助けようとした友人にも、最も近しいと思っていた恋人にも自分の想いが伝わらない孤独。挙句に金の不足を体で補わなければならない屈辱。」とお書きですから、僕が最も強く受け止めた“男という性との深い断絶”を捉え、描いた作品というのは、むしろ、他よりも近いほうなんじゃないかと思いますよ。 (イノセントさん) 僕が感じたのは主人公の「孤独」でした。 ヤマ(管理人) 僕もそうです。 (イノセントさん) 堕胎という権利を奪った社会、能天気で総て人任せの友人、心を通わすことのできない恋人・・・ ヤマ(管理人) 僕も彼女たちの孤独・孤立を強く感じたからこそ、その背後にある“男という性との深い断絶”というものが単に「状況」を超えて、ある種、本質的なものとして浮かび上がってきたのだと思います。そこのところがちょっと衝撃的な作品でした。「堕胎という権利を奪った社会、能天気で総て人任せの友人、心を通わすことのできない恋人…」ということでしょ? 先の孤独も含め、僕と受け止めが違っているのは、「能天気で総て人任せの友人」ってとこだけですよ。 (イノセントさん) 彼女が堕胎のために奔走したのは、先のレスにもありましたが、まさに他人事ではない想いからだったと僕も感じました。 ヤマ(管理人) ええ、それについては、僕も異議なしです。他人事ではないと思ってるからこそ、恋人にそうなったときのことを訊ねないではいられなかったんですよね。 (イノセントさん) もちろん、友人の堕胎のための奔走というのは、彼女の強い意志と勇気でもあるでしょうが、僕はむしろ、彼女を捉える不条理な状況から抜け出すため、そうでもしなければ押しつぶされそうな自分への焦燥が生み出した行動だったと感じました。 ヤマ(管理人) mixi日記のコメントに「友人のためというよりは、自分の置かれた立場、閉塞的な社会状況に対する不満から、一つの目的というか信念を達成するための突破口として、あのような行動に出たのでは?とも思えるのですが・・・」とお書きになってもおいでるイノセントさんですし、我々の受け止めのなかにおいて、“強い意志と勇気”ゆえか“孤独と焦燥”ゆえかの順位を競っても仕方がないところのように思えますよ。 (イノセントさん) 彼女の勇敢さ以上に彼女の「孤独」と「焦燥」が前面に現れ、これが監督の意思だったかどうかはわかりませんが、僕はこれこそがこの映画の本質だったように感じました。 ヤマ(管理人) イノセントさんが並記された「彼女の勇敢さ」「孤独」「焦燥」については、彼女たち女性の置かれている状況が「孤独」であり、しかも状況の強固さというものが半端ではないがゆえに引き起こされる切迫感と焦燥感も半端なものではなく、それゆえに果敢とも言える勇敢さが発揮されたのだろうという感じで僕は捉えており、その「孤独」の本質を“男という性との深い断絶”として作り手が捉え、描いているように受け止めているわけですから、イノセントさんと受け止め方が大きく違っているようには感じないのに、「この映画をヤマさんとは随分違う印象で観ました」というイノセントさんの思いがどこから湧いてくるものなのか、ちょっと興味深く感じているところです。 久しぶりのご来訪どうもありがとうございました。おかげで、そちらでは、ほぼ「4ヵ月、3週と2日」前に(笑)既に上映がされていて、イノセントさんが御覧になっていることを知ることができ、mixi日記も拝読することができました(礼)。 (イノセントさん) ヤマさんは「孤独」よりも、主人公の凛々しさをより感じられたのだと思い、先のような感想を述べたのですが、僕等の印象はそう遠くないのでしょうか? ヤマ(管理人) むろん違いはありますが、僕は、そう遠くないと思いますよ。 (イノセントさん) 改めてヤマさんの日記を読み直して、堕胎する友人に対するヤマさんと僕の受け取り方の違いが、僕にそういう印象をもたらしたようです。 ヤマ(管理人) ここのところは、先のレスでも記したように、確かに違ってますよね。 (イノセントさん) ヤマさんの日記の後半部分。「その一方で、ホテルに残してきた施術後の友人(ローラ・ヴァシリウ)の容態を気遣って入れた電話に返答がないことに、不安と動揺が極点に達していながらも、駆けつけたホテルでなぜ出なかったのかと問い質すと、電話器をベルの音の聞こえない別室に追い遣っていた友人が“静かに一人になりたかったから”と答えたことに怒り出しもしない彼女の靱さには、難題を抱え心身共に今いちばん過酷な状況に置かれているのが誰であるのかを見失わない毅然とした聡明さが宿っていて見事だった。遠い日に僕が感じた凛々しいかっこよさ以上に凛々しくかっこよかった。そのあと、ようやく少し落ち着いてきたところで先ず最初にするのが二人での腹ごしらえであるとの原初的な生命力の逞しさを示唆したラストシーンが、とても効いていたようにも思う。最も痛烈に断絶を浮かび上がらせていた先のパーティでの食卓とちょうど対になる鮮やかさに唸らされた。」とお書きですが、僕は堕胎した女性は、自分で物事を解決できずに総て他人任せ、挙句に他人の行為に感謝する心もない人物と感じましたので、彼女が電話に出なかったことに主人公が何も言わなかっのは、凛々しさとは逆に、むしろ同性にも裏切られた空しさだと感じました。それに続く食事のシーンも、結局人は孤独であることをまざまざと実感させらるシーン、僕はそんな風に感じたのです。 ヤマ(管理人) 電話の件については、何も言わなかったわけではなくて、きっちり問い質していたところが重要で、友人の回答に納得したんだと僕は思いました。そこにあるのは、オフィリアの人のよさではなく、想像力の柔軟さだと映ってくるところに僕は強い感銘を受けました。そういう点では、確かに違ってますね、我々は。でも、そこのところは、そんなに大きな違いだとは思いません。 食事のシーンについては、大きく違いますねー。 (イノセントさん) 堕胎の事情を話せなかった恋人との間柄は男女の断絶ともいえるかもしれませんが、友人との断絶も同様に感じた僕は、もはや男女の問題を超越した孤独を感じたのです。 ヤマ(管理人) 僕は、友人との関係については断絶と違うものを感じていて、最後の食事の場面は、恋人の家に招かれて共にした食卓で吐き気さえ催したオティリアにとっては、むしろ、きちんと食べる力を与えてくれた救いの場として映ってましたからね。 (イノセントさん) 恋人の家族と食事を共にするシーンは、老若男女ありとあらゆる人と心が通じあわない、その象徴だったのかなとも今は思えます。 ヤマ(管理人) そう受け取るほうが、一般性は増してくるのかもしれませんね。ただ元々の“孕む性が一方的に負わされている苛酷な負担”という、この作品のバックボーンとも言える背景からも遠ざかる気がするので、僕は賛同しませんが、作品の受け止めとしての寄り付きのよさは生まれてくるように思いますね。 (イノセントさん) この点がヤマさんとは違う部分だと思うのですが、如何ですか? ヤマ(管理人) 孤独・孤立という点では同じだと思いますが、イノセントさんのほうが、個の問題、心情として汲んでいるわけですよね。まぁ、その点では大きく違っているとも言えますね。大きな違いではないように思っていましたが、けっこう大きく違っているのかもしれません。 |
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by ヤマ(編集採録) | |
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