『魔法にかけられて』をめぐって
(ミノさん)
チネチッタ高知」:(お茶屋さん)
(ケイケイさん)
(灰兎さん)
ヤマ(管理人)


  No.7813から(2008/04/10 22:29)

(ミノさん)
 ヤマさん 更新お疲れでした〜。『魔法にかけられて』拝読しましたよ〜。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、ミノさん。早速にありがと〜。

(ミノさん)
 うーむ、こうも男性と女性という見る主体が変わることで見るところが違うとは。。面白すぎますね。

ヤマ(管理人)
 某所にお書きになってたように、ミノさんは他の人が作り出した御伽噺という夢が醒めた後に、自らが御伽噺を作り出すと御覧になっておいでですから、夢が醒めるどころか貫いていたと映った僕との対照って、とても面白いですよね〜。

(ミノさん)
 まず、私、子連れだったんで、吹き替えだったんですね。英語の素晴らしさはもちろんわかってるんですがね。残念でした。ジゼルの吹き替えがイマイチ演技力なかったんですよ。歌は悪くなかったんですけどね。

ヤマ(管理人)
 字幕版でのエイミー・アダムスの芸達者振りには、すっかり感心!でしたよ。


-------ディズニー映画としての面目-------

(ミノさん)
 ところで、“能動的で自己決定力のある女性になっていくことで幸福を自ら手に入れる現代的な物語”仕立てをしているようでいて、その実、無条件に自分を受け容れてくれる男との運命的な出会いを果たす恋愛ファンタジーという点では、全く古典的なおとぎ話に他ならないという巧みな仕立てによって、きっと女性客の心を掴むに違いないような商才にも長けた、実に鮮やかな映画だったような気がする。と書いておいでの通り、冒頭のアニメ部分で“シンデレラ・コンプレックス”を提示して、あえてそこをひっくり返してみる。でも最後はやはり女性の喜ぶおとぎ話路線は崩さないどころか、まっとうするあたり、ほんまに商売上手ですよね。

ヤマ(管理人)
 でしょ〜(喜)。ご賛同ありがとうございます。

(ミノさん)
 私もまさしくターゲットの中におりますが、気持ちよく見れましたもの。

ヤマ(管理人)
 それは、何よりでした。

(ミノさん)
 おとぎ話を貫いてる、とヤマさん書かれているように、おとぎ話のダークサイドの話にはなっておらず、あくまで環境が変わろうと、時代が変わろうと、信じる心は花を咲かせるみたいなラインは絶対に崩さないと、ディズニーの世界は成り立たないんですよね。

ヤマ(管理人)
 そうそう、そこなんですよー。

(ミノさん)
 まあ実際は、あれだけ環境が激変すると、お姫様はジリツシンケーシッチョーになるのがこの世ですけどねえ。ヤマさんがターゲットにした女性客たちを気持ちよく楽しませて見せてしまう魔法のことを意味しているのではないかという気がした。とお書きの「Enchanted」は、私は雰囲気だけでとらえてましたが、確かに魔法にかけられたように気持ちよくはなりましたねー。

ヤマ(管理人)
 おおー、やっぱりねー。

(ミノさん)
 おそらく、ディズニー的説明で言うと、魔法の世界から来たお姫様に、信じることを忘れた現代NYっ子が“魔法にかけられて”新たな生活を手に入れた。王子も王女も、違う新しい世界で“魔法にかかって”違う自分を手に入れて・・みたいなことなんでしょうかね。あ、なんかこうして書いてるとアホらしくなってくるな。

ヤマ(管理人)
 んなこたぁ、ないでっしょ。

(ミノさん)
 もっとダークなディズニーも見てみたいですね。魔女が主人公とか(笑)。

ヤマ(管理人)
 ディズニーの枠内での奮闘ぶりとしては、なかなかのものだったと思いますが、『スィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師ばりの奴を観てみたい気もしますよね。

(ミノさん)
 コメディとしては、バカ王子が一番笑えましたね。

ヤマ(管理人)
 確かに。

(ミノさん)
 王子って、体育会バカなのかしら。今のアメリカではあの手のタイプって受けないんでしょうかね。

ヤマ(管理人)
 『うた魂!』の序盤でのかすみ(夏帆)みたいなもんですから、やっぱ受けないんじゃないかなぁ(笑)。

(ミノさん)
 それはそうと先ほど、夢が醒めた後に作り出す御伽噺と、夢が醒めるどころか貫かれていたと観ることの対照について書いておられましたが、いえいえ、対照ではなくって、ヤマさんと私って、同じこと感じてるんですよ。書き方の違いで。私もあの王女は「御伽噺を貫いた」と思いますよ。

ヤマ(管理人)
 そうなんですね。醒めたのは、彼女の御伽噺ではなく、周りの風景というか光景だけってことなんですね。

(ミノさん)
 環境は激変しても、相手は変わっても、自らの同じ唄を唄い続けて幸福になったわけですからね。

ヤマ(管理人)
 そうです、そうです。そこんとこが核心部分ですよね、あの作品の。

(ミノさん)
 人が作った御伽噺=アニメの世界 で、そこから現実の世界で生身の人間になり、怒りにふれたりしながらそれでもやはり元から持っていた夢は捨てなかったってことなんですもんね。なかなかできるもんじゃないですよね。

ヤマ(管理人)
 だから、御伽噺なんですもの(笑)。

(ミノさん)
 ところで、私がこの映画での「ツッコミ」どころは、それまでドレスをカーテンを使って「手作り」していた王女が、「緊急事態」として、子どもの提案とはいえ、高級ショップでカードでガバガバ買い物してたとこですね。

ヤマ(管理人)
 白雪姫カラーからシンデレラカラーになった場面ですね。まぁ、“善い”魔法使いの手でカボチャを馬車に、ネズミを馬に変えて舞踏会に臨む支度を整えてもらったマジカルを現代に置き換えるとカードになっちゃうのは、“シニカルでブラックな眼差し”から見ても的確な選択だったように僕は思いました。しかも、そのカードの持ち主こそが“新たな王子様”なんですよね(笑)。

(ミノさん)
 何でも手作り、動物と共有という原始共産主義みたいな御伽噺の世界から来た王女は、ドレスを手作りするから王女なんであり、資本主義の世界にきたからといって、いきなりかいな!と。現代のプリンセスは金がかかるのよ、みたいな(笑)。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。そうも言えますね(笑)。

(ミノさん)
 作り手は、カード(つまり誰かの働きの前借り)で買い物、には全く疑いを持ってないっちゅーことですね。

ヤマ(管理人)
 いえいえ、作り手は、皮肉ってるのだと思いますよ。魔法にかけられる女性観客には観咎められないことを前提に。そういう点からは、ミノさんは、作り手のかけた魔法に完全にはかからなかったみたいですねー(笑)。


-------俄かに盛り上がる胸毛問題-------

(ミノさん)
 あと、見て思ったんですが、やはりディズニーは子供の鑑賞者を念頭に置いているんで「プリンセスの性」とか「排泄」は用心深く排除されるでしょう。

ヤマ(管理人)
 当然です。そこが「ディズニー作品の節度であり、面目」と僕も思ってますよ。

(ミノさん)
 うちではディズニーチャンネルを契約してるんで、それこそ24時間ディズニーのコンテンツがかかるような状況なんですが、やはりセックスとかは排除されてますよ。差別とかも。それでよくそこまでおもろいコンテンツ作れるよな、と時々感心しますもん。そのへんのセンスはやはり大したもんだと思いました。

ヤマ(管理人)
 そうです、そうです。しかもこれまでのディズニー作品にはない“シニカルでブラックな眼差し”というディズニーらしからぬ視線による作品ですからね。シューテツさんがお書きになっていた“挑戦状”というのは、そういうことなんだろうと思いますね。

(お茶屋さん)
 いやいやいや〜、ジゼルがロバートの胸毛に萌え〜のシーンがありましたよ(笑)。

(灰兎さん)
 そーなんです! 私もココでヤマさんになりました。大したもんだ!と(笑)。
 私この映画、お掃除応援隊の一種に逝ってしまい(大汗)、そこにほぼ終了状態でしたので記憶が薄いのですが、王子が生まれたてのアヒルの子みたいに、急にそっちに??? まぁ、この世でバカを引き受けるのが体育会の宿命ですから、いいんですけどぉ〜(ブツブツ)。

(ケイケイさん)
 違うって! あそこは「胸毛の奥のまごころ」に、ジゼルが萌えたんですよ。
 あのキスしそうで出来ない様子、ええ年こいた大人がなんと清らかな! 「私(僕)には、決まった相手が…」と、まるで昼メロのごときシチュエーションを、ディズニー仕様で見せてくれたんですって!
 私はこの作品で一番気に入ったところは、しっかり現実に目を向けつつ、夢も希望も愛も忘れちゃいけませんよと、きちんと描いていたところです。やっぱり豊かな潤いある人生には、愛ですよ、愛(笑)。

(ミノさん)
 「胸毛or真心」問題ですが、私もケイケイさんに賛成。
 し、しかし胸毛に目が釘付け。エロでした。エロ。あ、違う!

(灰兎さん)
 わかります、お気持ちよーくわかります。
 『マイ・ブルーベリー・ナイツ』のジュード・ロウの腕毛も負けてませんでしたよ(笑)。私の場合、大好きなギタリストの腕の血管に萌えたりね、ボーカリストの歌のシャウトの方に萌えてしまったりとか、何かと忙しいんです(笑)。萌える瞬間って本人も想定外だったりするわけで、そこのところをゼジルが実に見事に演じていて最高でした! しあわせを感じる力だって、立派な生きる能力なんですから(^^)
 ヤマさんの感想にまるでおとぎ話の世界の逆を行く“能動的で自己決定力のある女性になっていくことで幸福を自ら手に入れる現代的な物語”仕立てをしているようでいて、その実、無条件に自分を受け容れてくれる男との運命的な出会いを果たす恋愛ファンタジーという点では、全く古典的なおとぎ話に他ならないという巧みな仕立てによって、きっと女性客の心を掴むに違いないような商才にも長けた実に鮮やかな映画だったような気がする。とありますように、本当!まさかお姫様に親近感を覚えるとは思いませんでした(笑)。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、胸毛好きのお姫さまがた(笑)。
 いやぁ、しかし何ですなぁ、007の昔から今だに、それって記号なんですな〜(感慨)。そういう意味では、やっぱ古典的なとこのツボを押さえてるんだなぁとまたまた感心中であります。
 で、胸毛が映し出していたものが、性的イメージなのか、その「胸毛の奥のまごころ」なのかは、どちらももっともな話で、ちょうど今回の更新でアップしたばかりの長江哀歌』をめぐる往復書簡編集採録のなかで、作品のなかに宿っている何に目を留め観るのかってとこが、まさに鑑賞の醍醐味なんだから、当否が争われることは場合によってあっても、正誤ってものじゃないような気がするもんね。と言ってるように、どっちが正しいとかって話じゃありませんよね〜。
 肝心なのは、お色気を売りにしていながらも007シリーズが、ケイケイさんのおっしゃる「夢も希望も愛も」描いていた作品だったことだし、『魔法にかけられて』にそういう健全な節度と面目が“シニカルでブラックな眼差し”のなかで保たれていたことなんでしょうね。そう言えば、007シリーズも当時は、お色気路線で不健全だなんて言挙げする向きもあったやに思いますものねー。
 少なくとも、その程度の色気については、お茶屋さんが御指摘のように『魔法にかけられて』の作り手も意図していたように思いますねー。

 それにしても、ケイケイさん、ロマンチックやなぁ〜(感心)。007シリーズは「しっかり現実に目を向けつつ」なんて映画じゃ全然なかったけど、『魔法にかけられて』に「しっかり現実に目を向け」た部分を受け止めて夫婦は良い時も悪い時もあるわ。悪い時に良い時のことを、全て捨てなくてもいいと思うのという脇台詞を心に残しつつ、ちゃっかり魔法にも気持ちよく罹っておいでたようで、一番おいしいとこ持って行ってたみたいですね(観巧者!)。

 灰兎さんは、たぶん○○でも○○○でもなく、○○○○のお掃除隊にやられたんだと拝察してますが、魔法にかけられるよりも感心のほうに向かってしまったとは、ちょっと損しましたね(笑)。まぁ、でも、僕と違ってお姫様に親近感を覚えられたのだから、僕よりは損してないですね。やっぱり何にしても、女性のほうにアドバンテージのある作品だったということだよなぁ(苦笑)。

 お茶屋さんは、「私はもう一度観ても笑えるだろうなぁ(^o^)。」とおっしゃるほどに楽しまれたようだしなー。ミノさんも「期待以上に楽しめた」ということでしたしねー。
by ヤマ(編集採録)



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