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『サラバンド』(Saraband) | |||||
監督 イングマル・ベルイマン | |||||
鋭い人間観察の元に家族関係の愛憎を比類なき緊張感で厳しく描き出していたベルイマン作品の新作をこうして再び観る機会が得られるとは正直なところ、思っていなかった。僕がまだ27歳だった'85年に岩波ホールで『ファニーとアレクサンドル』('82)を観て以来のことになる。その作品を最後に映画はもう撮らないと宣言し、ずっと実行して四半世紀となっていただけに、これはもう“事件”と呼ぶしかない出来事で、かつての自主上映仲間に強く働きかけて、上映してもらった。 しかも今回の作品は、かの『ある結婚の風景』('74)の続編に当たるとのことだ。それこそは、僕がベルイマンとスクリーンで出会った最初の作品で、23歳のときだ。それから三ヶ月足らずの間に『処女の泉』('60)『沈黙』('62)と続けて観る機会を得、すっかりベルイマンに魅せられた記憶もさることながら、僕にとって『ある結婚の風景』は、自分が結婚をする三ヶ月あまり前に観たことの意義のほうが大きかったような気がする。もう四半世紀前のことで、あまりよく覚えてはいないが、とにかく凄い映画を観たと興奮したものだった。 今回の作品のなかには「いい夫婦には、ふたつのものが必要だ。すなわち、深い友愛とエロチシズム。」などというヨハン(エルランド・ヨセフソン)の台詞がある。少なくとも二回以上は繰り返して夫婦生活を破綻させた彼にそんな警句を告げられるのは、何か釈然としない気分を誘われたりもするが、かつて観た『ある結婚の風景』のことを思い起こしてみると、自ずと結婚に臨み威儀を正すようなところが生じるか、結婚なんぞ気が進まなくなるかのいずれかであったような気がする。それに倣えば本作は、昨今の少子化状況においては、かなり危険な映画のようにも思えるほどの親子の確執が描かれていて、子供を持つのが嫌になる観客が出たのかもしれないとさえ感じた。『秋のソナタ』('78)での母娘も凄まじかったが、『サラバンド』におけるヨハンとヘンリック(ボリエ・アールステット)の父息子の積年の確執たるや半世紀にも及び、親子問題に加えて男のダメさ加減の描出が強烈で、男としては何とも嫌な映画を観たと言うほかないような痛撃を食らわされる。それに引き替え、ここに描かれる女性たちは、驚くほどに寛容で包容力に富み、かつてベルイマンが女性のほうにより辛辣な視線を向けていたことからすると、ちょっと狐につままれたような気がしてくるほどだ。 そして、なぜベルイマンが四半世紀の封印を解いて、再び映画を撮る気になったのかを想像すると、大いに気になるシーンがあった。86歳のヨハンが我知らず涙し、狼狽した挙げ句、30年ぶりに訪ねてきて滞在していた63歳の元妻マリアン(リヴ・ウルマン)の寝所を訪れる場面だ。ベルイマンの映画で、かように素直な感情に身を委ねる人物の描出がされるとは、思いも掛けなかった。そんなベルイマン作品は、かつて一度も観たことがないような気がして、いささか驚いたわけだが、おそらくは自身を投影しているであろうヨハンに、その姿を付与したのは、もしかすると、老境に至って初めて、ベルイマン自身が“我知らずの落涙”と“素直な感情に身を任せる”という体験をしたことに起因しているのではないかという気がした。そのことが四半世紀の封印を解かせたのではないかと思ったわけだ。そして、女性にも神にも実に辛辣な視線を向け続けていたベルイマンに対し、その女性観を揺るがせるような出来事があったのではないかとも想像すると、80歳を超えてそういう“事件”に出会える人生の幸を羨ましく感じるとともに、それは老いてなお精力的に活動を続けていればこその生きる力の充実が引き寄せていることのようにも思えて、感じ入った。それくらいに、変わりなきかつてのベルイマン作品を彷彿させつつも、昔の作品にはなかった大きな変化を感じさせてくれたように思う。やはり巨匠と呼ばれるに足る大監督だ。 もうひとつ気になったのは、この映画が日本公開に際して何ゆえR15指定になっているのだろうかということだった。19歳の実娘カーリン(ユーリア・ダフヴェニウス)と同衾している60歳に近い父親ヘンリックの姿なのかもしれない。 タイトルのサラバンドについては、ちょうど一週間ほど前に赴いた『松下敏幸&藤原真理 レクチャーコンサート』のなかで、この映画でもその名の登場するガルネリを愛器としている藤原氏が、バッハの無伴奏チェロ組曲を弾く前の解説で、六曲構成のなかでの第四番目の部分である古典舞曲の名称として紹介してくれていたが、この映画では、カーリンとヘンリックが相対して練習に耽っていた楽曲という以上の意味が込められているように思うのだが、僕の音楽に対する造詣不足からか、特に響いてくるところがなかったのが残念だった。ただ少し感じたのは、マリアンの人生全体を一つの組曲とするなかで、30年ぶりに別れた夫を訪ね、先妻の息子ヘンリックとの間での父息子の相克を目の当たりにし、ヘンリックと彼の娘カーリンとの桎梏とも言うべき危うさを伴った濃密な関係に触れ、おそらくはかつて一度も観たことがないはずのヨハンの素直な姿に出会ったことが、彼女の人生における第四曲目として位置づけられていたのかもしれないということだった。そして、精神を病んで認知能力を著しく欠いているように見える娘の入院先を訪ねたラストシーンが、彼女の人生における、第四曲目のサラバンドを経た第五曲目ということだったのかもしれない。 | |||||
by ヤマ '07. 7.19. 県立美術館ホール | |||||
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