『ヨコハマメリー』
監督 中村高寛


 『ヨコハマメリー』と題していながらも、むしろ寄る辺なき身の上同士のなかで実母には向かわせられなかった想いをメリーさんに仮託していたかのようなシャンソン歌手の永登元次郎氏が印象深かったり、昭和の時代を過ぎても下町人情的な繋がりがヨコハマという大都会の伊勢佐木町という繁華街において残っていることが偲ばれるところに味のある作品だったように思う。

 1995年の冬にメリーさんが忽然と姿を消した背後には彼女を故郷の親族に繋いだ人がいたことが明らかになったとき、七十四の歳までずっと独りで宿無しの立ちん坊暮らしを続けてきながら、誰しもに毅然とした誇り高さを認めさせずにはおかなかったらしい彼女ですら、誰かの世話という仲立ちなしにはできないことだったのかと、彼女の背負ってきた娼婦稼業の重さを知るとともに、むしろ誇り高き彼女なればこそ仲介なしには戻れなかったのだろうとの思いと、仲介によって遂には故郷に戻るしかない限界点にまでメリーさんの孤独な生との格闘は追い込まれていたことに想いが及んで心打たれた。自身にも女装して身を売った男娼経験があると語っていた元次郎さんが、故郷に戻ったメリーさんを訪ねて老人ホームの小さなステージで歌っているときの表情が何とも素敵だった。歌に気持ちが入ってきて思わずステージの前部に進み出てハウリングを起こしてしまうことにも気を害するどころか、済まなさそうな表情で慎ましく後退する風情や元次郎さんが歌って聞かせる歌詞を噛みしめるようにしてフレーズ毎に頷きながら聴き入っているメリーさんの顔立ちの穏やかな上品さにも感銘を受けた。映画のなかで山崎洋子氏がメリーさんの白塗りの化粧は彼女がメリーであるための“仮面”のようなものだと語っていたが、老人ホームで元次郎さんの歌に聴き入る彼女の素顔を観ると、まさしくかつての化粧が“仮面”そのものであったことが偲ばれた。生身のメリーさんの、ちょっと甲高いとも語られていた肉声による映画での第一声は何になるのだろうと固唾を呑んで観ていたら、“ありがとう”だった。

 しかし、行方知れずとなっていたメリーさんの消息を追って、せっかくここまで迫りながら、作り手は何故に彼女へのインタビューを映画として盛り込まなかったのだろうか。断られてすごすご引き下がったとは思えないが、最終的に映画のなかでは語らせることができなかった顛末それ自体はクレジットででも明らかにしておくべきではなかっただろうか。まさかとは思うけれども、ここまで迫りながらも、いざインタビューを撮ってみたら、今や伝説化した“ハマのメリーさん”のイメージが損なわれるとか“ヨコハマメリー”を慕う人々を幻滅させるといったことで“配慮”が加えられたりしたのだったら、作り手のドキュメンタリー作家としての精神が問われることになるのではないかという気がしないでもない。

 主題歌となっていた「伊勢佐木町ブルース」は亡父の好きな歌だったが、高知の廃業したクリーニング屋の看板やシートもそのままに、看板なしのもぐりの飲み屋を開いているらしき店につい最近友人に連れて行ってもらった際に、何十年ぶりかで青江美奈のレコードで聴く機会を得ていた。当時二十三歳だったというのが信じがたいような歌声だった。映画では、渚ようこが歌っていたのだが、青江美奈の歌声に比べると、その雰囲気は確かに漂わせながらも、ねっとり感に乏しい歌声だ。その主題歌の歌声そのままに、この映画は、いい味を備えながらも、ドキュメンタリー映画としてのねちっこい食い下がりに少々乏しいところが、少し物足りない点として不満の残る作品だったように思う。
by ヤマ

'06.11.23. 自由民権記念館民権ホール



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