『東京タワー』
江國香織 著<マガジンハウス>


 十年近く前に観た映画化作品は、大方の顰蹙を買いながらも僕的にはけっこう買いの作品で、なかなか面白かったのだが、映画日誌設定も展開も小説的虚構性に満ちた特異性と空想性に覆われている印象を与えるのに、生半可ではない現実感をも同時に宿らせているのだから、けっこう大したものだと感じたのだが、やはり人物造形に魅力があったのだと思うと同時に、それは原作者江國香織の功績であるような気がした。と綴った部分は、むしろ映画化作品のほうが秀でているような気がした。

 映画化作品で最もインパクトのあった、乱暴な運転で耕二の運転する高級新車に故意に追突を仕掛け「耕二クン、絶対に私を許しちゃいけないからね」という台詞を発した場面も、詩史が陽子からグラスに入った酒(シャンパンだっけかな?)を浴びせ掛けられる場面も、原作にはなかった。

 2001年の単行本だから、作者37歳のときの作品だ。あとがきに若い男の子たちに、おそらくは不覚にも恋をした、二人のあまり若くない女たち−詩史と喜美子−には、経緯と同情を禁じ得ません。恋の前で、人はたぶん勇敢にならざるを得ない。 読みながら、あらまあ、と思っていただけたら嬉しいです。(P297)と記してある部分についても、僕は、むしろ映画化作品のほうが鮮やかに描出していたような気がしてならない。原作でも専ら透の眼差しを通して描かれるから、至って現実感を欠いた“素敵でカッコイイ大人の女性”たる詩史が詩史に言わせると、詩史は『どんどん度を失っていくので、自分で自分が怖い』のだそうだ。透は思わず笑みをこぼしてしまう。(P286)と綴られた様の具体化として取られた映画のラストは、あながち的外れとは言えないような気がした。むしろ、映画化作品を観て、パリに暮らす二人の姿に対して、原作とは異なるハッピーエンドなどという受け止め方のできる感性のほうが表層的に思えて仕方がなかった。

 ただ、若い男の子が女の子でも同じことだと思うが、年上の女の方が無邪気だ、と、思(P24,62)い、頭のよさというのはつまり、行動能力だ(P8)と考え、詩史さんが読んだ本はすべて読みたい(P291)と思うような若者が持っているシンプルさと残酷なパワーというのは、映画化作品以上に原作のほうに描きこまれていたような気がした。そして、映画化作品にはなかったように思うそしてその日から、人生は耕二の行動能力外のものになった(P259)との一文を添えてある原作者に“二人のあまり若くない女たち”の間の年頃にある女性の放った一矢のようなものを感じた。

by ヤマ

'13. 8. 4. マガジンハウス



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