『ラブストーリー』(The Classic) & 『猟奇的な彼女』(My Sassy Girl)
をめぐる往復書簡編集採録
夫馬信一ネット映画館DAY FOR NIGHT」:映画館主・Fさん
ヤマ(管理人)


 
ヤマ(管理人)
 Fさん、こんにちは。
 一昨日、『ラブストーリー』を観てきたんですが、日誌綴る気までは生じなくて、早々に昨日Fさんの感想を読みました。
 僕も、ベトナム戦争に出るまでは、かな〜り気に入ってたんですが、「前半部分の瑞々しさが素晴らしいだけに、このあたりのあざとさがイヤな感じなんだよね。ここらで僕はうへ〜と音を上げてしまった。何だよこりゃないだろう…。」とFさんがお書きになっているように、僕もさすがにゲンナリきちゃいましたよ(苦笑)。

(映画館主・Fさん)
 ヤマさん、こんばんは。
 まぁ・・・たぶんみなさん同様にお感じじゃないかと思いますね(笑)。

ヤマ(管理人)
 かなりいい感じだったんですけどね〜(残念)。
 「番小屋」から始まり、雨が降るたびに接近するジュヒとジュナ。それと同じく雨のなか、図書館をなぜが敢えて「番小屋」呼ばわりして(笑)、上着をかざして二人で駆けるジヘとサンミン。現代の二人の接近にも雨が欠かせません。小道具的にも、想い出のホタルの光やそれを偲ばせるような明滅する電灯での合図など・・・。ペンダントは、テスの父からジュヒ→ジュナ→ジュヒ→ジュナ→サンミン→ジヘと渡り、ジュナがジュヒに寄せた詩文の一節と同じものがサンミンの芝居を飾る。テスの髪を吹き上げる癖は、ジヘにそのまま引き継がれ、60年代末の男2女1のトライアングルが、35年後に女2男1のトライアングルと対照されます。
 随所に“対照と継承”が盛り込まれ、もう作りに作ったフィクションドラマなんですが、そのなかに湛えられていた詩情と情緒の甘酸っぱさには、格別のものがありました。何と言っても、テスのキャラのよさ、ジュナの笑顔のよさ、罪作りなジュヒの無邪気さがたまりませんでしたよ。それなのに、あぁ、それなのに・・・(笑)。

(映画館主・Fさん)
 見てから僕も時間が経ってるんで、ディティールについては忘れてしまいましたが、それでもあのくだりでガクッと来たのは鮮やかに覚えてます(笑)。

ヤマ(管理人)
 実は僕、『猟奇的な彼女』が今イチだったんですよ、Fさんには申し訳ないんですが(笑)。やっぱり作り過ぎっていうのがあって(あは)。なのに『ラブストーリー』は、前半まではすごく乗れたんですよね、すんごく作ってあるのに(笑)。

(映画館主・Fさん)
 う〜ん。これはどうなんでしょうか。僕が好きだから贔屓にしている・・・という点を当然のごとくさっ引いた上で、それでもコテコテなコメディにも関わらず「実感」は『猟奇的な彼女』の方が上と思うんですが。仮に「実感」という極私的なモノサシは使わずとも、高い「鮮度」みたいなものが「猟奇」にはあったように思います。同時代性とか、今のモノとしてのリアリティとかです。

ヤマ(管理人)
 えぇえぇ、少なくとも『ラブストーリー』の原題たる「クラシック」な恋愛とは興趣を異にする、時代的な鮮度はありましたよね。ごく最近まで、儒教色が日本以上に強かった韓国なれば、殊更にあのような一見女性上位的に見える恋愛関係を表に出すことには、カウンターカルチャー的なインパクトがあったでしょうからね。タブー破りというか、建前破りというか(笑)。

(映画館主・Fさん)
 僕はそのへん、おそらく元ネタが若い人が書いたインターネット上の小説で、それも作者の私小説だった・・・というあたりにあっただろうと思うのですが。「今」の若い人の「私小説」・・・それもネット上にほぼ「リアルタイム」掲載されてた鮮度ホカホカの小説・・・というあたりで、たっぷりと「実感」「リアリティ」「同時代性」、さらには「鮮度」が盛り込まれているはず。ただし、あくまで素人のおなぐさみ的小説。しかもネット上でパッと散るようなつもりの時代の徒花的な、稚拙なシロモノではあったでしょう。
 で、僕はクァク・ジェヨン監督をちょっと時代遅れ気味の感覚の作家だと思うんです。そしてお察しの通り「作り込み気味」の作家・・・巧みなストーリーテラーですね。もっとも、オーソドックスなストーリーテラーとは、得てして「時代遅れ」的に揶揄されがちなので、同じコインのオモテとウラ的なものなのでしょうが。

ヤマ(管理人)
 そうそう(笑)、テーマ主義とか、ストーリーテラーってそう言われがちですね。
 でも、そもそも、古い・新しい、非現実的・現実的、絵空事・リアル、いずれにおいても、前者が後者に劣るものでは決してありませんよね。ですから、僕も彼の作り込みを以て否としているわけではなく、「過ぎ」を感じるところにゲンナリしたわけです(笑)。Fさんと同じように。

(映画館主・Fさん)
 「猟奇的」の場合、ここで原作と映画監督は、それぞれの長所と短所の補完し合って、プライベートなリアリティと同時代的な鮮度を持ちながら、大衆的な娯楽の王道映画に生まれ変わったと見ているんですけどね(笑)。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。このへんは、『ラブストーリー』の感想でも言及されてますよね。

(映画館主・Fさん)
 アレにヤマさんがノレなかったとしたら、理由は明確でして。
 本当に心底振り回された、なおかつ振り回されてもいいと思った。冷静な自分というものを失った時があった。かつメランコリックな何らかの感情を持った。・・・これらに該当する経験を持っていない場合には、何の事やらピンと来ない可能性があると僕は思うんですよね(笑)。そこが「実感映画」の所以です(笑)。

ヤマ(管理人)
 いやはや、これは手厳しい御指摘ですね(苦笑)。
 ボロボロになって長らく立ち直れなかったなんてことはないですが、「冷静な自分というものを失った時があった。かつメランコリックな何らかの感情を持った。」ぐらいのことは、僕にもあるんですけどね(笑)。

(映画館主・Fさん)
 あ、申しわけありません。この言葉は全然違う意味で僕は使ってました。つまり、自分のコントロールをなくす事が「ホメられたことではない」と思って僕は言っているんですよ。心の豊かさとか人生経験だとか美徳とは思ってません。
 で、ヤマさんは賭け事や麻薬に手を出してズブズブにハマることは多分ないと思いますが、僕はそうなりかねないんですよ。ですから、絶対手を出しません(笑)。でも、たぶんヤマさんならちょっとぐらい手を出しても大丈夫だと(笑)。そういうキャパの違いを言ったつもりなんですよ。
 あれは、ズブズブのヤツの方が分かる映画だろうと(笑)。

ヤマ(管理人)
 で、僕が『ラブストーリー』の前半に乗れたのは何故かって思ってたんですが、Fさんの感想読んで、現実的と非現実的って対照からの連想で「絵空事」の絵空事らしさの現実感ってのに思い当たったんですよね。
 Fさんが「現代のエピソードはどうしても過去のエピソードと比べると鮮度が落ちる。そして時々寒くなる。いい感じなんだけどな〜と思いつつ、今ひとつの観が拭い去れないのだ。」とお書きのように、僕が魅せられたのも勿論、過去のお話のほうです。
 んで、これって「放っておいた手紙と日記に興味を抱いたジヘは、少しづつそれらを読み始める」ということでの、恋に夢みる年頃のジヘのイマジネーション世界だったわけだから、そういう空想イメージとしては、実にもっともらしいわけでもありますよ。だから、作り込み志向のクァク・ジェヨン監督の非現実感がカバーされてたんだなって(笑)。そして、ベトナム戦争以降は、それでもカバーしきれないほどの作り過ぎにいささかゲンナリしたのだろう、と(苦笑)。
 でも、そう考えると、僕にとってイチバンの傷は、脚本じゃないかって気がしてきたんです。やっぱり演出力は、力わざ的に凄いんじゃないかって思いました。『猟奇的な彼女』も『ラブストーリー』も監督/脚本ともに一人でこなしてるじゃないですか。
 別人の手によるいじくりすぎてない脚本での彼の監督作品を観てみたく思いました。

(映画館主・Fさん)
 これの逆の手がかりになるかもしれないんですけど、実はクァク・ジェヨン監督が脚本だけ手掛けたのが「純愛中毒」という映画で、これが実にコテコテな作品なんです(笑)。

ヤマ(管理人)
 それって、僕の希望から言うと最悪パターンってことじゃないですか(笑)。でも、確かに逆の手がかりになるかもしれませんね。チラシは持っていたような気がするんですが、こちらでは上映されそうにないなぁ(とほ)。

(映画館主・Fさん)
 ご覧になるとオモシロイかもしれません。で、これも実に残酷です。

ヤマ(管理人)
 機会が得られれば、ぜひ観てみたいですね。
編集採録 by ヤマ

'04. 6. 9. 県民文化ホール・グリーン
'03. 5.24. あ  た  ご  劇  場



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