日誌をめぐる[めだかさんとの対話]往復書簡編集採録
多足の思考回路」:めだかさん
ヤマ(管理人)


  *掲示板・予告編(笑)

(めだか)
 ヤマ様、こんにちは。
 今回の更新なさった「ビューティフルマインド」と「アザーズ」について、珍しく見た映画が重なったので(笑)、是非ヤマ様とお話したいところです。でも、これは掲示板でしたら、せっかくのヤマ様の心遣いを無にしてしまいますよね(笑)。
 ということで、メールを送らせて頂いてもよろしいでしょうか?

(間借り人、ヤマ)
 もちろん大歓迎ですよ。ネタバレなんぞにいささかの遠慮もなく、存分にやりましょう(笑)。

(めだか)
 個人的に「アザーズ」は気分が悪くなりました。映画が悪かったということではないのですが、これほど見終わった後に読んだパンフの内容と自分の感想とが食い違った映画は珍しくて、大変面白かったです。

(間借り人、ヤマ)
 ほほぅ。僕はパンフを買ってませんから、これは面白い話が聞かせてもらえそうですね。
 楽しみにしています。

(めだか)
 ヤマ様、再びこんにちは。前の書き込みをお読みになられた方が誤解しているかもしれませんので、言い訳に出てきました(^^ゞ

(間借り人、ヤマ)
 鬼でも蛇でもお化けでも、どんどん出ておいで下さいな(笑)。

(めだか)
 「アザーズ」は私も途中でネタ割れしてしまったクチです。思うに、あれはそれほどたいしたサプライズ(F様のお言葉をお借りします)ではないのでは?と思うのです。
 で、そのサプライズ抜きでも見方次第で充分なショックと恐怖を観客に与えうる作品だったと思っていました。パンフを読むまでは(笑)

(間借り人、ヤマ)
 どのあたりでっていうのをメールで教えて下さるんですよね。楽しみにしてます。

(めだか)
 私が気分が悪くなったというのは、その恐怖に当てられたがゆえのことだったのですが、パンフを読んで、私の受けた恐怖がどうも見当違いの視点からのものだったらしい、と、恐怖がどっかにふっ飛んでしまいました(笑)。

(間借り人、ヤマ)
 このあたりも伺えるのが非常に楽しみだなー。

(めだか)
 良し悪しではなく、こういう勘違いができる映画は私的にワクワクするほど面白いです(変ですか?^^;)

(間借り人、ヤマ)
 変なもんですか。この感じ、すごくよく解りますよ。

(めだか)
 是非、その勘違いと突っ込み(ウズウズしています)をヤマ様に聞いていただきたくて、今感想をまとめてますので、どうか待っていてやって下さいませm(__)m。

(間借り人、ヤマ)
 さほどに見込んでいただきまして、首も、鼻の下も、長〜く伸ばしてお待ち申し上げております(笑)。



*往復書簡『ビューティフル・マインド』

(めだか)
 ヤマ様、こんばんは。早速、お言葉に甘えて「ビューティフルマインド」と「アザーズ」について語らせて戴きます。まず、「ビューティフルマインド」について。
 自サイトの感想にも書いています(悪文でまとまりなくて、さっぱり要領を得ない感想なので困ったものですが)が、私は最初からチャールズに対しては懐疑的に見ていたせいか、映画中間での種明かしを制作側の陰謀(笑)とは受け取りませんでした。実際は、効果を狙った演出だったのでしょうから、チャールズの存在には何か意図があるのでは?と疑っていたにもかかわらず、その陰謀にまんまと嵌ったわけです。

(間借り人、ヤマ)
 あの酒を酌み交わすときの速やかに馴染んだ親交ぶりが、ジョンについて、それまで映画で説明されていたキャラとしっくりきませんよね。
 そこでチャールズって何者?って感じを観る側は与えられます。

(めだか)
 疑ってはいましたが、存在自体が妄想だとまでは考えていなかったのと、周囲に理解されないナッシュに同情する気持ちからチャールズの存在が救いになっていたのですね。

(間借り人、ヤマ)
 僕はこの辺りでは、同情と言うよりは困った奴だって感じのほうが強くて、そんな優しい気持ちにはなれなかったんですよ(苦笑)。

(めだか)
 ああいう人が身近にいたら嫌ですよねえ(笑)。私は、同情はしますが、絶対お近づきになりたくないタイプです。ああいう人に惹かれたというアリシアの気持ちは、私は全く理解できません(爆)。

(間借り人、ヤマ)
 そうなんですよ(笑)。
 でも、まぁそれは前提として受け入れるしかないんだけど。

(めだか)
 でも、デートに遅れた席で、最初のデートの時になにげなく言った言葉を覚えていてくれて、それに合ったプレゼントをくれるというのは、女心にちょっと響きました(笑)。単純でしょう?

(間借り人、ヤマ)
 いやぁ、あれは手練れの技ですね。しかもこの人がっていう意外性を演出しているわけだから、実に高等テクニックですな(笑)。僕などには、とても真似できそうにないですね。

(めだか)
 ところで、あのチャールズの存在の種明かしから私が受けた衝撃は、ナッシュ主体の前半、信じていたプリンストン大学時代の正気が否定されたという事に対するものでした。

(間借り人、ヤマ)
 それこそ、まさに作り手が意図して与えようとしたサプライズだったんじゃないんですか?
 チャールズの存在が幻覚だったというのはそのための手段ですもの。そして、同時に幻覚が見えること自体は必ずしもネガティヴな側面ばかりでもなく、それゆえに救いとなっているところもあることの証左でもあって、ただし、それが現実と混同されていることが危険性を持っていることや病の度合いを深めていくベクトルを持っていることを示してもいると思います。
 そういう意味では、感心していただいたという、僕の受け取った「病」観に繋がるものとして、大学院時代から幻覚を見ていたということには、重要性があると思ってます。

(めだか)
 ヤマ様が日誌で指摘しておいでのように、暗号解読時代については、皮下移植の装置や発光ダイオード(っていうんですか?)の解読装置や基地の様子(あの時代で内部にあれだけの人と光があって、それが外部に全く現れないというのはひどく違和感がありました)で疑っていましたので、意外ではありませんでした。(原作の伝記によると、ナッシュはSFに興味があったそうなので、映画では彼のSF嗜好をこのあたりのフェイクのヒントで出していたのかもしれません。)

(間借り人、ヤマ)
 発光ダイオードなのかどうかは、僕は文系なので、理科や科学には弱いんですが、映画のなかではそのように言ってたと思いますよ。

(めだか)
 しかし、観客に擬似体験をさせることが目的ならば、大学時代にまで病気を脚色するのは少し行き過ぎのように思います。そこまで広げなくとも、暗号解読開始後だけで充分に思えるので、その点、パーチャーの最初の登場シーンについてのヤマ様の感想は同感です。

(間借り人、ヤマ)
 そうなんですよ、それだけが目的ならばね。
 だから、前半のあのフェイクの作り手の意図について、観客に疑似体験させることを第一義として評価する向きに対し、それだったら、めだかさんのおっしゃるようにすればいいわけで、そうでないゆえに、第一義は観客を驚かせることだったのではないか、と僕は、思うんですね。
 まぁ、陰謀とまでは言わないまでも(笑)。
 それだけに、その見せ方、明かし方がサプライズ重視に傾きすぎて、いささか不適切ではないかと感じているのですよ。
 むしろ最も重要なのは、彼の病が、周囲からは風変わりさで済まされる範囲内に留まっていたから気づかれなかっただけで、彼が大学院時代に既に発病していたとすることなんですよ。それについては、僕は行き過ぎとは考えずに、重要性を感じ取っているのは先に述べたとおりです。
 心の病におけるキーワードは現実適応力・現実対処力であって、幻覚幻視の有無が決定的なのではないという視点提示に必要だと思うんです。

(めだか)
 ヤマ様の日誌で発言の目的上、このへんを省いてしまわれたのはもったいないです〜(私的に^^;)。あのヤマ様の「病」観は、私は映画からは汲み取れずにいましたので、本当に新鮮な視点でした。どの辺りからの解釈かということを詳しく御聞きしたかったので、詳しく説明して戴けて嬉しいです。

(間借り人、ヤマ)
 そんなふうに言ってもらえるなんて、メールをいただけてよかったなー(笑)。

(めだか)
 チャールズの解釈が人それぞれに違うところが面白いですね。私はヤマ様の意見を読むまでは、結局、「精神分裂症」を主人公の設定の味付け程度に受け取り、その病気自体を作中で重視していませんでした。

(間借り人、ヤマ)
 現実適応できるようになってからも幻影が残るという描き方がなければ、僕もそこまでは考えなかったでしょうね。

(めだか)
 改めて、ヤマ様の視点から考え直して見て、あの映画にチャールズが幻覚であることを途中まで隠し続けておく必要性があったか?というと、私には確かにそうは思えませんでした。

(間借り人、ヤマ)
 観客には幻覚であることを知らしめたうえで、その効用と危険性を感じ取らせておいて、病を乗り越えてからの存在のありようとの対比を提示するような構造が僕の好むところではありますが、それだとあの意匠は採りようがなくなりますよね。

(めだか)
 チャールズを幻覚として最初から出しても、充分、私が受けたのと同じくらい、あるいはそれ以上の感動を観客に与え得る映画が作れたのではという気がします。
 それが、ヤマ様のおっしゃる王道なのですね。

(間借り人、ヤマ)
 そうですね。いま言ったような構造を作品が採ってくれていたら、僕は大いに喜んだ気がしますよ(笑)。

(めだか)
 それにしても、チャールズの存在感があまりに大きかったので(良い役回りでしたから)、私は制作側が、ナッシュの人生の中のチャールズという存在に、何らかの意味を持たせて映画の中で使いたかったから、大学時代に登場させたのだろうと考えました。同時期に登場するこれまた架空の人物であるけれど映画上は現実の人物であるハンセンに対する対比かなあ…と。

(間借り人、ヤマ)
 僕の受け取っている意味というのは、まさに先に述べたようなものですね。

(めだか)
 ポール・ベタニー贔屓の感情も否定できないのですが(笑)、そう見たもので、嘘ではありましたが騙しとは受け取りませんでした。

(間借り人、ヤマ)
 ここまでの対話からご承知くださっているかとも思うのですが、僕は、チャールズの存在が幻覚であったこと自体に騙しを受け取っているのではありません。その見せ方・明かし方に採っているフェイク手法が不適切だと感じているんです。

(めだか)
 チャールズに注目したことが、結果的に中間のトリックを肯定的に受け取って、サスペンスでもアリシアとの夫婦愛でもなく、ナッシュの人生を語った話と見た私の理由のように思います。

(間借り人、ヤマ)
 同じようにチャールズに注目したればこそ、「中間のトリック」を僕とめだかさんで、逆に受け止めたというのが面白いですね。

(めだか)
 映画を見た後、ナッシュ自身に興味が湧いて、ナサーの伝記を読みましたが、映画はこの夫婦を美化しすぎだと感じました(笑)。このへんが、ヤマ様のおっしゃる人物造形の薄さに繋がっているのかな?と思いました。
 特にアリシアが、私はあまり感情移入できませんでした。最後のノーベル賞受賞式で妻との関係をクローズアップしているほどには、アリシアの掘り下げがなかったように思えて、最後の夫婦のシーンで感動できなかったことも、私がこの映画をあくまでナッシュの話であって、夫婦の話とは見なかった理由でしょう。

(間借り人、ヤマ)
 これは全く同感ですね。
 やはり功績者の実話という制約がもたらしたものなんでしょう。ハンセンさえも映画化に際して造形された架空の人物だったということをお伺いして、尚更にその感を深めました。
 もっとも、あくまでジョンの話であったにしても、関係する周囲の重要人物たちの造形には彫り込みが求められるのではないかという気はしますけど。

(めだか)
 周囲の友情と家族の愛情、どちらも表そうとしたために焦点がぼやけた気もするので、いっそ原作どおりにアリシアを離婚させちゃって妻の愛を友情に近い所から見せたほうが妻の人物像にリアリティが出たのじゃないかと…(暴言)

(間借り人、ヤマ)
 それはそうだと思いますよ。逆に言えば、そこの事実に触れないようにしたうえで実名で登場させたのだから、彫り込みようがなかったということかもしれませんね。

(めだか)
 ヤマ様の日記の精神分裂症についての「見識を窺わせたのが、幻覚を観ることが病ではなく、幻覚と現実の見境がなくなることを病としていて、幻覚を観ること自体を全面的に否定的には捉えていないことだ。ショック療法と薬物によって幻覚自体を封じ込めても、当人に現実を生きている実感と手応えがもたらされなければ、治癒を意味しないことが明瞭に描き出されている。そして、奇跡に近い可能性ではあっても、それを果たし得るのは、電気や化学物質ではなく、人と人との関係性であることが確信をもって描き出されている。」とのくだりには唸らされました。

(間借り人、ヤマ)
 ありがとうございます。

(めだか)
 特に「幻覚を観ること自体を否定的には捉えていない」という視点が新鮮で納得です。

(間借り人、ヤマ)
 ここのところについては、病から脱したとされた後も幻覚を見ているという描き方と一対になるものとして、大学院時代のチャールズの存在が大きな意味を持っているように思うんです。

(めだか)
 精神分裂症(統合失調症)の原因は解明されていないということですが、治療法についてはナッシュの快癒の例は、精神医学界に影響を与えたそうです。
 そのあたりを映画で出そうとした努力を考えさせられるヤマ様の評でした。

(間借り人、ヤマ)
 僕は映画からそれを強く受け取った故に、やすっぽいフェイク手法なんか採っていることが惜しまれて仕方がなかったし、そのことがむしろ評価されているやに受け取れる映画の現況が興味深かったのでした。
 日誌では、このへんのところに焦点を当てて綴っていて、唸らされたとご評価いただいた部分については、その理由や根拠を詳述することなく、簡単に結論だけ書き付けちゃってますが(笑)。

(めだか)
 今回、これをお伺いできただけでも、メールさせていただいた甲斐があるというものです(笑)。全く、私にとってはラッキーです(^^)v

(間借り人、ヤマ)
 やっぱり日誌でも綴っておくべきだったかなー(笑)。



*そして、『アザーズ』

(めだか)
 パンフはヤマ様もご存知と思いますが、700円でした。形が変形で小さく厚みもなく、私には内容的にもこの金額の割には高く感じるものでした。変形だったのと、中のネタバレ部分の封のせいで高くなったのでは?とも思います。

(間借り人、ヤマ)
 形も値段も内容も知りませんでした(笑)。パンフにまで、中のネタバレ部分に封をしてるなんて笑っちゃいますね。まして、それで値段が高くなってるのだったら、噴飯ものですよ。ばっかみたい。

(めだか)
 まったく、その通りですね(笑)。ページ数も少なくて、パンフも意匠で見せているようでがっかりしました。
 死人からの視点の映画というトリックについては、かなり初めの方でネタが割れてしまったので、確かに後の展開は集中して見続けるのに忍耐が必要でした(苦笑)。
 トリックが分かってしまって退屈になりかねない分、他の部分に注意が行ったというのが、私が見当違いをした理由かもしれません。

(間借り人、ヤマ)
 仮に見当違いだっていいじゃないですか。作品は公開されたら作り手の手を離れるものです。
 それにパンフに書いてることなんて実にいい加減なもんですから(笑)。

(めだか)
 ヤマ様にそう言っていただけると百人力です(笑)。でも、深読みの感想はお嫌いな方も多いでしょうし、私のは本当に毎回、深読み、裏読み、曲解なので、不愉快に思われる方がいらっしゃると思います。私個人の映画記録のような気分で綴っていますので、数年後、また同じ映画を見ることがあったらどう感想が変わっているかが、実は楽しみなのです。
 ヤマ様の感想も”日誌”ですから、きっとそういう気持ちもおありなのでしょうね。以前の日誌を参照していらっしゃるような日誌を拝読していると、以前の映画を思い出されている様子がなんとなく伺えて、そこもまた楽しいです。

(間借り人、ヤマ)
 まさしくおっしゃるとおりです。ですから、発表や投稿する気もなく、二十年近く前から続けてきているわけです。
 あくまで自分の記録として綴ってきているため、粗筋とか、ネタバレとか、未見の読者を慮る作法なし、です(笑)。言葉の使い方にしても、自分中心で読者への配慮が全くありません(笑)。
 でも、めだかさんが遂に突き止めたとおっしゃってくださった拙著は、もともとが新聞社から頼まれて書いた連載をまとめたものですから、一般読者を想定して書いており、日誌のような言葉の使い方はしておりませんよ。
 逆に言えば、日誌はそれだけ自己中心的に綴っているということです。

(めだか)
 でも、私に文章を理解する能力が不足していて、いつも象の尻尾だけ触って全体を想像しているようなもので、ヤマ様に申し訳ありません。

(間借り人、ヤマ)
 それは、いま言ったような僕のジコチューによるものでして、そんなものをアップし、読んでいただけているのですから、こちらのほうが申し訳ない気分です(謝)。

(めだか)
 それでは、まず、私がパンフと食い違った部分から、感想をお話します。
(1)パンフ中の岩井志麻子(ホラー小説家)の紹介文
 この映画を”美”という点から語っている文にまず感覚の違いを感じました。
 「怖いものは美しく、美しいものは怖い。こんな簡単なことを、あまりにシンプルな真理を、なぜか人は気付かぬふりをする」という冒頭で始まっており、ヒロインや闇の中で生きる子供たちに”美”を見ている点が、どうにもイメージが湧かなくて困惑(笑)。

(間借り人、ヤマ)
 その引用部分のパラグラフ自体には、僕は同意するところがありますよ。
 そして、真っ先に連想するのは、増村保造作品の女性たちです(笑)。今、ちょうど彼のレトロスペクティヴに入り浸っているところなので、余計にそうなのかもしれませんが(笑)。若尾文子や左幸子のコワイこと、美しいこと!
 でも、めだかさんの「困惑」には、同感ですね。あの子供たちに「美」ですか?
 それはかなり特殊なセンスですよね。

(めだか)
 というのは、私は、逆にあのヒロインには醜悪なものを感じていましたもので。
 見かけの美しさと裏腹な自己欺瞞と妄執、自己愛といったものです。

(間借り人、ヤマ)
 僕も最初はここからスタートし、次第に哀れさがつのり、最後に納得したのでした。
 だからこそ、日誌に「グレースが、錯乱し、遂には凶行に至る過程のほうを観せてもらいたかったという気がする」と綴ったのでした。

(めだか)
 ヤマ様はファナティックという言葉で表現されましたが、まったくその通りで、神経過敏な言動と、子供たちや使用人に対する高圧的な態度と厳しさは異常に見えました。

(間借り人、ヤマ)
 そうそう、そうなんですよねー。
 最初にここのところでちょっとムッときちゃうんですよね(笑)。

(めだか)
 その背景に何があるのか? と思わせる演出だったので、「常に光に怯えなくてはならない環境へのストレス」と「孤独感」「疎外感」によるもの…ということかな? と考えていたのですが、そのストレスが周囲の支配という形で現れているようで、私的に大変、不愉快な女性ととったわけです(笑)。

(間借り人、ヤマ)
 この後段部分、ストレスの表れ方へのご指摘、わりあい女性にありがちなパターン(偏見をばお赦しを)で、女性のめだかさんが鋭敏に反応しておいでの処に興味を覚えます(失礼)。

(めだか)
 女性は女性に厳しいものですから(笑)。

(間借り人、ヤマ)
 男は男に厳しいですよ(笑)。

(めだか)
 むしろ、男性の方がこういう点には甘いのではありません?
 よって、そういう男性は、えてして他の女性の株が下がるのです(笑)。
 でも、男性の方がこういうパターンに陥った場合の、女性の被害は少ないものですから、私は大目に見ます・・・ということで(笑)。

(間借り人、ヤマ)
 でもねー、キッドマンでしょ。それに夫の不在が招いたようなとこあるし…。僕が同情するのも仕方ないとこあると思いませんか?
 男のほうについ厳しく当たらずにいられない男の側からすれば、あんなにキレイでいい体した女をほったらかして、いい気になって義に燃えて、志願出征したエクルストンが一番悪い!(もったいない!(笑))

(めだか)
 子供たちに対する態度、特にアンに対する態度は、一切の反抗を認めない押し付ける態度で、逆にアンの反抗を更に助長させているようで、そのくせ、寝ている子供に頬をよせて愛情を囁くあたりは、自分の所有物に対する執着のように感じて気分が悪いものでした。

(間借り人、ヤマ)
 辛辣ですが、実に的確な捉え方だと思います(感心)。

(めだか)
 子供たちの、抑圧され、それでも母親を慕う様子は健気を通り越して、悲惨です。
 このあたりの歪んだ家族愛が古い屋敷と孤立した環境と一風変わった使用人たちとよくマッチしていて、ホラーよねv…なんて悦に入っていたのですよね。

(間借り人、ヤマ)
 なるほどねー。

(めだか)
 ところが、これを”美”と形容されちゃったら、イメージがガラガラ崩れてしまって、どう収拾つけて良いか困ってしまったもので、ヒントが欲しくてさっさとパンフのネタバレ封を切りました(笑)。

(間借り人、ヤマ)
 醜悪と美じゃ、言わば、正反対の作品観ですもんね(笑)。

(めだか)
 すると、そこにあったのは、(2)反転の世界構築法の、観客の意表をつく演出への絶賛、でした。

(間借り人、ヤマ)
 やっぱり、ここのところが評価されてるんですね(笑)。
 でも、意表を突いているのは、構造であって演出ではないってのが僕の見解です。

(めだか)
 パンフでは、この点しか書かれていませんでした。でも、ヤマ様から映画におけるこの構造の意味合いを伺って納得です。

(間借り人、ヤマ)
 僕は、めだかさんとのメール交換で、自分がいかにジャンル映画としてしか観ていなかったかということに気づく機会をいただいて、とても嬉しく思っていますよ。

(めだか)
 掲示板でも書きましたが、このトリックは、それほど驚くべき反転とは私は思えなかったのです。
 SF的にはこういう逆転の世界観はよくあることですし、幽霊(あるいは異種生物)と生きている人間の世界を位相が異なる別世界的に考えることに慣れている人には容易にネタ割れしてしまうシチュエーションだったのではないかと思ったりしています。使用人の言動にも、かなりヒントがあって、ヒントというよりも、これはやりすぎではないかとさえ思えました。懲りすぎです(笑)。
 せっかくのミルズ(フィオラナ・フラナガン)の良い雰囲気出してる演技が〜(;_:)と、使用人同士での会話の多さが煩く感じてました(笑)。

(間借り人、ヤマ)
 僕は、SFもホラーもほとんど読まないのですが、それでも小説などにそういう逆転の世界観があることや異界に対するパラレルな捉え方などということが既知のものとしてあることは、比較的容易に推察できるような気がします。
 ただ映画は、小説以上に大衆娯楽として、観る側の同化を意図しており、娯楽性が強い映画ほど主人公への感情移入を前提に作られてきてますよね。そして、映画のジャンルで特にホラーというのは、なかんずく娯楽映画の最たるものという位置にあり、“基本的に画面のなかで怯え、脅かされるのは観客の分身ともいうべきものである”というのが、これまでのお約束事として、ある種、確立されていたことだったように思うんですよ。
 お客さんの分身を死者にするわけにはいかないという不文律のようなものですかね。『アザーズ』という作品は、そういう意味で、肯定的に見れば、いわばコロンブスの卵みたいな作品だと思うんです。(否定的に見れば、掟破りの外道映画(笑))

(めだか)
 パンフレットでは、主人公が死者という映画は、この映画以前に「恐怖の足跡(62)」「ゾンゲリア(81)」「ジェイコブズ・ラダー(90)」「惨劇の週末(00)」という作品があるそうです。どれも私は未見ですが、多分全部ホラーでしょう。

(間借り人、ヤマ)
 『ジェイコブズ・ラダー』は観たことがある映画だけど、よく覚えてないなー(笑)。でも、ホラー映画ってのでもなかったような気がしますけど。
 まぁいずれにしても、ホラー映画としての掟破りという意味でも、コロンブスの卵ではなかったということですよね。あまり好むジャンルの映画ではないから、よく知らないままにそう言っちゃいましたけど、初めてでなくても主流ではないですよ、少なくとも。
 未だに意外性は充分にありますもの。

(めだか)
 とはいえ、グレースも死人(もしくは別世界の人間)と気がついたのは、彼女が霧の中で迷った時なのですが。
 あそこで、どうやら、屋敷に縛られて離れることができない存在らしい…と考えました。加えて、現れた夫チャールズですね。

(間借り人、ヤマ)
 お見事ですね。僕はもう少し後だったように思います。子供のほうが死者だというのは、もう少し早く気づいてましたが。
 もっとも映画は別に気づきの競争をするものでもないんで、こんなことでお見事なんて言われても、不本意かもしれませんね。その際は、他意なき賛辞ですので、流して下さいな(笑)。

(めだか)
 私的には、闇と光をトリックに使うのなら、カーテンが外された時点で種明かしをしてしまった方が分かりやすかったです。

(間借り人、ヤマ)
 このカーテンが外されたのが何故で、外したのが誰だったのか、に僕は、気づいていませんでした。日誌綴っているときでさえ、問題にしていませんでしたよ(笑)。めだかさんにメールをいただいて初めて思い起こしました。
 アンの姿に怯えるビクターを案じて屋敷の点検をするためにビクターの両親が外したんですね。(場合によっては、霊能者のアドバイスを得て、追い払うために)

(めだか)
 カーテンが外された後も、グレースは自分の世界に固執して、世界が反転するのは交霊術の時なんですよね。そこで、私にとって光と闇の対比が大きな意味を持たなくなってしまい、それまでに出されていた(と、私が思い込んでいた)歪んだ家族愛という視点から、「トリック明かしを交霊術に持ってきたのは、生きてこの屋敷に住んでいる家族に焦点を向けたかったからだろう」と思いました。

(間借り人、ヤマ)
 これは普通にそうだったんじゃないですか。

(めだか)
 交霊術の最中に「もう、たくさん!」と叫んで子供のために家を出ることを主張する母親に注目し、死んだ家族と生きている家族、同じ屋敷に住む二つの家族が、実は存在の位相は違えども、似たものであると感じました。
 似た環境にいる者同士だったからこそ、アンとビクターは互いを見ることができたのではないか?

(間借り人、ヤマ)
 今回いただいたメールで僕が瞠目し、唸らされたのは、ここです。これには参りました。
 ここのところのヴィジョンが開けると、あの映画はかなりな作品だと言えますよね。ジャンル映画としてのホラー映画の枠組みを完全に越えちゃってますし。そうか、そういう作品だったんだなー。なるほどー。
 どうやら僕はホラーサスペンスというジャンル的枠組みに縛られて観ていたようです。質は違っていても、「硬直」という点では、自分で日誌に綴ったこととおんなじですね(苦笑)。いやー、見事な解題をしていただきました。

(めだか)
 私のは単なる深読みです。
 でも、いろいろ深読みする余地のある映画は、他の方の感想を伺って面白いので、私は嫌いではありません(笑)。分析好きなのは、これは経歴上の習慣とどうぞお許し下さい。変わり者ですけれど(苦笑)。

(間借り人、ヤマ)
 これは、全く同感です。深読みに説得力があれば、それは立派に解釈でしょうし、説得力がなければ、思い込みってことになるのであって、深く読んだこと自体を表白してもらうのって同意するしないに限らず、面白いですよね。

(めだか)
 そういうことで言えば、家族が屋敷に縛られている理由がグレースの独善性と自己愛と所有欲によるものであったことが、種明かしと同時に闇から白日に晒されて(交霊術者が盲目のようだったのが興味深いです)、それでも、グレースは「私たちはこの屋敷を離れない」と呟き、子供たちにもそう繰り返すことを強要するのです。母親に殺されたというのに、その母親から離れることができない。死んでからも尚、支配され続ける子供たち。
 霊としてその場にとり残されたものたちが、その妄執と我欲ゆえであることを見るようでゾッとし、二コール・キッドマン演じる母親の毒にあてられて、足が震えたくらいです(笑)。家を出る前に、窓に佇む幽霊三人を外から見上げるビクターと、車に乗り込む母親の姿は、この先のこの家族の未来の可能性を暗示しているように思えて、映画らしいENDだなぁなどと感じていたのですが、

(間借り人、ヤマ)
 この段も、実にもって、ごもっともと納得。

(めだか)
 ・・・パンフにはそんな家族の形のことなんて一言も書かれてやしない(爆)。
 ひっくり返りそうになりました。どうも、全然違うところから映画を見ていたようだと笑ってしまいました。

(間借り人、ヤマ)
 繰り返すようですが、パンフなんて、けっこういい加減なもんですから(笑)。
 僕はもうほとんど買わないんですよ。たまに買うのは、写真が欲しいときとシナリオ採録が欲しいとき。もっともシナリオ採録のされているパンフ少ないですけど(笑)。

(めだか)
 しかし、この視点からこの作品を見ると、トリック明かしをラストに持ってきてトリックの印象ばかりが残る作りにしたことは不満が起こらざるを得ません。

(間借り人、ヤマ)
 そうですね。アメナーバルは、ある意味、自業自得なのかも(笑)。

(めだか)
 トリックが途中で分かってしまうと醒めた目で見てしまうものですが、「ビューティフルマインド」とは違って、「アザーズ」は、そのために監督の観客の”騙し”重視とそのための作為が感じられて、反感を感じました。
 客の反応の操作が、映画を製作する者の面白さと意欲かもしれませんが、刺激するトリックに夢中になって御座なりにして欲しくないものがある、と私は考えます。

(間借り人、ヤマ)
 要するにあざといんですよね(笑)。

(めだか)
 的確なお言葉ですね(笑)。
 この点、もしかしたらヤマ様が「ビューティフルマインド」で感じたことと似たものを私は「アザーズ」で感じたのかもしれません。



*女性の視線・男性の視線

(間借り人、ヤマ)
 この対比で僕が連想し、興味深かったのは、めだかさんがサイトアップしているテクストで糾弾していないことでした。
「ラッセル演じるナッシュは、数学的なことのみに興味を示し、
 不遜な態度を取って他人を見下すいかにも神経質そうな人物。」
と綴りながらも、いただいたメールのなかで
「周囲に理解されないナッシュに同情する気持ちから
 チャールズの存在が救いになっていた」
と書いておられほどの寛容さを『アザーズ』のグレースに対しては、一向にお示しにならないのと対照的な形で、僕は、若きジョン・ナッシュにいっかな同情しないくせに、グレースに対しては、さきほど言ったように、最初は醜悪からスタートし、次第に哀れさがつのり、最後には同情してたんですよねー(笑)。
 男は女に寛容で、女は男に寛容だということなんでしょうかねー(笑)。

(めだか)
 言われて、初めて気がつきました。
 ですから前に言ったとおり、女は女に意地が悪いんですよ(笑)。でも、どうかな?
 グレースが自分の手で子供を殺したのでなかったら、ここまで私の目も厳しくなかったかもしれません。一家全員、戦争に巻き込まれて死んだ…というのを期待してたところがあるんですよね。

(間借り人、ヤマ)
 なるほどね。御自身も母親! としては見過ごせないって、ね。

(めだか)
 でも、あれを見た皆さん、どうして子供に同情した感想はないんでしょうか?(笑)

(間借り人、ヤマ)
 でも、いわゆるお約束事的には、この場合の我が子を殺すという設定は、子供を殺したということより、自分の子供を殺すほどに母親が追いつめられていたという、その追いつめられ具合を際立たせるための道具立てというふうに受け取られることが多いような気がしますね。

(めだか)
 二コール・キッドマンの演技は素晴らしかったと思います。前作があの「ムーラン・ルージュ」でしたから、冴えてて、その点は見惚れました。
 結局、あの妻は夫にも逃げられてるんですよね…。私はああいう奥さんは息が詰まるのではないか、と思ったのですが、これも女の意地の悪い見方ですね(笑)。

(間借り人、ヤマ)
 ここが我々の立場の違いによる視線の決定的な差だなー(大笑い)。
 ああいう奥さんだから、夫に逃げられたと観るか、馬鹿な夫がいい気になって志願出征したから、キレイで真面目な奥さんがあんなふうに追いつめられちゃったと観るか(笑)。

(めだか)
 人間の性(さが)に根付いた恐怖を充分に味わわせることのできるホラーストーリーと見たのですが(…私の見当違いにしても(汗))、結局、私の視点からはトリックに作為と拘りの感じられた点に残念な印象が残った映画でした。

(間借り人、ヤマ)
 僕は、めだかさんほどまでの作品分析をしていませんでしたから、日誌でも作品の内容にはそれほど立ち入らずに、めだかさんが、トリックに作為とこだわりの感じられる点を残念に感じているという 部分について、それと同じ様なことを綴っていますが、ずっと深く作品を分析・把握されてたんですね。

(めだか)
 しかし、これは、まさにヤマ様のおっしゃる「前提となるモチベーションに異議の申し立てをするのは筋違い」ということになりますね^^;。

(間借り人、ヤマ)
 いや、めだかさんの読み取ったようなことは、作り手の意図としてあったことだと思いますよ。
 仮にそうではなかったとしても、そのように読みとれるし、また読み取るべき作品であるように思います。ただ作り手のもう一つの欲としてあったトリックへのこだわりと作為が、結果的にそこのところを見落としやすいようにもしているわけで、それは指摘するに足る内容ではないかと思いますね。

(めだか)
 ホラーにしろ、サスペンスにしろ、私が見て注目するのは恐怖やスリルの快感ではなく、恐怖の原因となる人間の性(性別じゃありません^^;サガのほうです)と恐怖から引き出される人間の心理に対する興味のようです。この点、私は古いタイプなのかもしれませんし、ホラーやサスペンスに求めるものが人とは少し違うのかもしれません(ジェットコースターとか苦手ですし…)。
 観客をアッと言わせる奇抜な演出や技巧に頼った映画は、一度見てネタ割れしたら、それで充分なのではないでしょうか。果たして、2度3度と重ねて見る気になれるものか。興行成績は上げられても、後世に残るとは思えないし、限界があるように思うので、私個人の評価としては低いです。

(間借り人、ヤマ)
 お気持ち、よくわかります。

(めだか)
 「ビューティフルマインド」は実話を元にしていて、主人公が精神分裂症だということは周知の前提ですから、ヤマ様がご覧になったチラシの「意外な展開に息をのむ…」という見出しは、なにか違う気がしますね(笑)。

(間借り人、ヤマ)
 これは単に、精神分裂症であったにもかかわらず、それを克服してノーベル賞を得たということではなくて、やはり映画の展開手法としてサスペンスの手法を採っていることを指しているんじゃないでしょーか。

(めだか)
 しかし、先日、ヤマ様の日誌を拝読した後に、他の「ビューティフルマインド」の評価の低い方の感想を読んだのですが、この方はこれが実在の人物を元にしているとは全くご存じなく映画を鑑賞して、「もっと奇想天外な方向へ持っていけよ!当たり前すぎる!」とか、「シックス・センスみたいなオチ だったら怒るぞ!」という感想を持たれたそうです(笑)。
 なるほど、フィクションと見ればこういう感想になるか!と、大変面白かったです。

(間借り人、ヤマ)
 なるほどね。

by ヤマ

掲示板『間借り人の部屋に、ようこそ』&交換メールより



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