原作小説『エル・スール』を読んで
アデライダ・ガルシア=モラレス 著
野谷文昭・熊倉靖子 訳 <インスクリプト発行>


 ビクトル・エリセ監督による映画化作品を観たのは、二十三年前になる。当時の映画日誌に「この作品の表現意図は、少女ないし娘に映った父親のイメージの映像化ということに限定されていたのであろうか。作り手は、その視点の維持にかなり固執していて、その面での達成度はかなりのものである。」と綴ったことが原作小説のスタイルそのものであったことを確認すると共に、「娘の側の視点だけに執着する意図は見えても、意味が伝わってこない」と感じた部分が、本書の訳者解説にところで、映画を観た読者の興味をそそるのは、やはり小説の終盤で語られる、主人公の南への旅だろう。プロデューサー側の都合で、エリセが撮りたくても撮れなかった部分だ(P120)とある箇所を読むことで随分と違ったものになった。

 自殺した父親についての謎と疑問に対して、信じたくないけれどもしかするとありえたかもしれない(P82)父親のもう一つの人生の片鱗に実際に踏み入ってみることで、あなた(父)の苦しみが初めていくらか分かりかけてはきましたが、でも、それももはや大したことではなかった。というのも、あなたの存在や母さんの存在、私自身の存在、それから、あなたに見捨てられたことでやはりそれなりに苦しんだ寄る辺ないあの二人の存在、それらの存在と私が和解するには、理解するだけでは不十分だった(P106)ことを実感することで、“父との別れ”をきちんと果たせるようになる姿が描かれていたからだ。


 それにしても、年端もいかない娘にもし一生のうちに何かしたいことがあるんだったら、大きくなっても、結婚したり子供を持ったりするんじゃないぞ…好きなときに死ねる自由を持つためにだけでもだ(P54)と言い、あの絶望的な言葉を私は忘れたことがありません(P54)というほどの衝撃を与え、数年後に実際に自殺をしてしまう男の人生と心境というのは、いかなるものなのだろう。

 そして、母さんによれば、私はあの女が人生において責任を負うべき唯一の存在だったのに、もう自分にはほとんど手のほどこしようがないとでもいうように、深い悲しみをたたえた目で私を見るようになりました(P51)と娘が感じてしまう夫婦関係に身を置きつつ、深い沈黙のなかから意を決して十年ぶり近くに出した手紙に対し、きっぱりとした拒絶を律儀に再三返し、決して黙殺はしなかった嘗ての恋人の決然とした靭さに比して、我が身の情けなさに晒されたであろう男の人生と心境というのは、いかなるものなのだろう。あのとき私はひとりで、私に起こったことは私だけの問題でした。(P84)とグロリアが手紙に書いていたのがまさしくミゲルを身籠った時のことなのだろうが、それをそのように書かせてしまうほどの失望を与えるようなつまらない言い訳をした(P84)と記憶されていることへの思いは、いかなるものなのだったのだろう。

 映画作品を観たときは殆ど思いの及ぶ余地のなかった父親ラファエルの人生と心境に対する思いを随分と触発される原作小説だった。
 また、映画を観た当時、僕はまだ“ダウジング”という言葉を知らなかったように思うが、今回、ひょんなことから原作小説を読んで、あぁそうだったのかと実に新鮮な気分を味わうことができた。



推薦テクスト推薦テクスト:「銀の人魚の海」より
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by ヤマ

'10. 1. 6. <インスクリプト発行>



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