その瞳に映りし者

 

〜第4話 シュテインヴァッハの三兄弟〜

 ソユーズ家から遠く離れた場所に、もうひとつの名門、シュテインヴァッハ家の屋敷がある。

そこは、大きな湖をグルッと取り囲むように広大な敷地が広がり、中央には荘厳なまでに高い塔がそびえ建っていた。

シュテインヴァッハの歴史は古く、この国では最も有名な貴族として、知られている。

現シュテインヴァッハの当主であるセルゲイには、三人の息子がおり、長男をヴィトー、次男をジュリアン、三男をノエルといった。

三人の母親は、既に他界しており、セルゲイは他の女性の所へ行ったきり、殆ど屋敷には戻ってこなかった。

実質的には、長男のヴィトーが、この屋敷を切盛りしている状態にあった。

 

 ある日、セルゲイが珍しく屋敷に戻ってきた。

しかも、その日に、どうやら大切なことが皆に発表されるらしく、朝から屋敷は慌しい状態だった。

「メイっ!…ノエルは、まだ戻らないのか」

この屋敷の次期跡継ぎともいうべき、長男のヴィトーがメイドのメイに、いささか苛立った様子で聞いてきた。

「はいっ、ヴィトーさま…ノエルさまはまだご到着ではございません おそらく、列車が遅れているのではないかと思われますが…」

「それにしても遅いな…ちょっと、外を見てきてくれ」

「は…はいっ!すぐに」

メイは、慌てて屋敷の外に飛び出していった。

ヴィトーは、時間厳守な人間で、ことがスムーズに進まないと、その几帳面さゆえか、時折イライラすることがある。

よって、この屋敷の使用人はいつもピリピリしていた。

 

 一方、次男のジュリアンは…

ちょうど今しがた起きたばかりで、まだ頭がボ〜っとしており、外が騒々しいことに初めて気付いたといった様子だった。

「…ったく、外は騒々しいな…今日は何のお祭なんだ?」

窓の外を眺めると、ちょうど眼下にメイが見えた。

「メイ〜っ!!おはようっ」

大きな声でメイの名を呼び、手を振った。

キョロキョロッとしてから、やっとジュリアンに気付いたメイが頭上を見上げた。

「ジュリアンさまっ!おはようございます…いま起きたんですか?」

「そうだよ…早いだろ」

「もうみなさん、とっくに起きて、今晩の準備をなさってますよ 遅いですよっ」

「ふ〜ん…今晩、何かあるの?随分とみんな張り切ってるみたいだけど…」

ジュリアンは、ふだんから屋敷の行事などに興味がないほうなので、面倒くさそうに頬杖を付いて言った。

「今晩は、なんでも旦那様が重大な発表をするって話ですよ…ヴィトーさまから、何も聞いてないんですか?」

「うん…なんにも…あの仏頂面が僕に話すわけないでしょ いつものことだよ」

「それはそうかもしれませんけど…」

ふだんの2人の関係を知っているだけに、メイもそれ以上は突っ込めなかった。

 

 いつからだったのだろう…

ヴィトーが、ジュリアンを遠ざけるようになったのは…。

おそらく母親が亡くなったとき…それとも…。

とにかく、ヴィトーはもともと自分にも他人にも厳しい性格ではあったが、特にジュリアンには厳しく接していた。

そしてそれは、ジュリアンの性格が、自堕落で父親に似て自由人であることも、関係しているようであった。

 

 ジュリアンとメイが話しをしていると、一台の馬車が入ってきた。

三男のノエルが、やっと到着したのである。

馬車のドアが開いて、一人の少年が現われた。

「ただいまっ…メイ、元気だった?」

メイは振り返って、ノエルに駆け寄った。

「おかえりなさいませ!ノエルさま…ノエルさまもお元気そうで、何よりです!」

「あとで、おみやげがあるからね…楽しみにしておいて」

ノエルは、メイに笑顔でそう言うと、駆け足で屋敷に入っていった。

メイは、慌ててノエルを追いかけた…。

 

 ノエルが、戻ってきたと聞いても、ヴィトーは態度を崩さなかった。

「遅かったな…迎えが行ったきり、戻ってこないから、どうしているのかと思ってたぞ」

「おかえりの挨拶もないわけ?相変わらずだね、兄さんは…はいっおみやげ!」

トランクからヴィトーへおみやげを取り出し、手渡した。

「…なんだ、これは…」

「向こうでのおみやげだよ…きっと気に入ると思うよ」

「……」

よくわからない包みを渡されたヴィトーは、ありがとうも言わずに話しを先に進めた。

「ところで、ノエル…父上から何か聞いているか…今晩、重大な話しがあるそうなのだが…」

「何も聞いてないよ…父上は、まず真っ先にヴィトー兄さんに話すでしょう…僕は、たぶん最後だよ…一体、何のはなしなんだろうね」

「そうだな…」

 

2人が話しをしているところへ、やっと洋服に着替えたジュリアンがやってきた。

「おかえり、ノエル…久しぶりだね」

「ただいまっ、ジュリアン兄さん…相変わらずだね〜今、起きたところなんでしょ」

「よくわかったね…さすがはノエル」

ジュリアンとノエルは、共に笑いあった。

「だらしないな…少しは、キチンとしたらどうだ…今日は、父上も戻ってきてるんだぞ…」

ヴィトーは、水を差すようにジュリアンに向かって冷たく言った。

「なにイライラしてる訳?…カルシウム足りないんじゃないの」

ジュリアンも黙ってはいない…2人の間になんとも言えない空気が流れた…。

 

…と、そこへ一人の紳士が現われた…。

それが、このシュテインヴァッハ家の当主、セルゲイだった。

「全員、揃ってるな…おやおや、久しぶりだな、ノエル…背が少し伸びたんじゃないか?」

「ただいま、父上!お元気そうで、何よりです」

ノエルは、明るくセルゲイに挨拶をした。

ノエルは、社交的で誰とでも仲良くできてしまう天性のものを持っていた。

セルゲイは、優しく微笑むと息子たちを手招きして奥の応接室へと入っていった。

 

 夕方になって、少し早い夕食が運ばれてきた…。

ワインを飲んで、食事を済ませた後…セルゲイは、3人を見据えて話し始めた…。

「全員を呼んだのは、是非ともこの機会に話しておかねばと思ったからなのだが…」

「父上、改まって一体何のお話なのですか…寮に入っているノエルまで帰宅させて」

ヴィトーは、セルゲイに詰め寄った。

「そうだな…実は、わたしはそろそろ隠居しようと思っているのだよ…」

「隠居っ!?…でも、父上はまだお若いではないですか!一体、どうして」

「ヴィトー…わたしは、正直もういいと思っている…余生を、クロディーヌと過ごしたいのだ…静かな生活がしたいのだよ」

突然の思いもよらぬ告白に、一堂は唖然となった。

(愛人と暮らしたいだって?この人一体なに考えてるんだ…)

誰もが、内心そう思っていた…。

しばらくの沈黙のあと、ノエルが切り出した。

「…それで、父上…跡継ぎは誰にするつもりなの?やっぱり、順番からいくとヴィトー兄さんだよね」

ノエルの問いに、セルゲイは意外な答えを返した。

「いいや…それは決まっていない…このシュテインヴァッハに最もふさわしい者がこの屋敷を継げばよいのだ…別に長男だからって、ヴィトーを当主にするとは決めていないよ…」

ヴィトーは、複雑な心境だった…。

当然、長男の自分が継ぐものだと思って生きてきたからだ。

父親のきまぐれに振り回されてたまるかと思い、はがゆい思いがした。

だが、ここで冷静さを失ってはいけないと思い、落ち着いた口調でセルゲイに話した。

「父上、あなたは本当に彼女と生活を共にしていくおつもりなのですか?この屋敷を捨ててまで…」

「そうだよ、ヴィトー…おまえには理解できないだろうが、わたしはそれを望んでいる」

真っ直ぐな瞳で、そう答える父親の姿を見て、一番共感したのは、何を隠そうジュリアンであった…。

彼は、父に向かっていきなり拍手をした…。

「父上…愛する人と余生を過ごそうと思うのは素晴らしいことですよ!僕はあなたを尊敬します」

「ジュリアン…」

思いもよらぬ息子の言葉に、セルゲイの顔が思わずほころんだ。

「ハッ…馬鹿馬鹿しい…何を言っているのだ…こんな身勝手な理由に、我々は振り回されなければならないのかっ…私は、絶対に歓迎などしないっ!」

ヴィトーは、机を叩いてこう言った。

「父上っ!もう一度お考えになってください!この屋敷と愛人と一体どっちが大事なのか」

ヴィトーは、それだけ言うとすぐに応接室を出ていった。

後に残った3人は、お互いに顔を見合わせた…。

「やはり…ヴィトーの共感は永遠に得られそうにないな…」

ため息をついて、セルゲイはそうつぶやいた。

「父上…大丈夫ですよ…ところで、お話はそのことだけですか?」

ジュリアンは、セルゲイに問いかけた。

「いや…実は、続きがあるのだが…おまえたちだけでも話しておくか…」

気落ちしていたセルゲイは、改めて話しだした。

 

「先日、ソユーズ家に16年ぶりに行方不明だった娘が戻ってきたのは、知っていると思うが…」

この話しは、この国では有名なひとつの事件となっていた…。

よって、3人の兄弟も皆いちようにその事は、耳にしていた。

「知っていますけど…それが何か?」

ノエルは、不思議そうにセルゲイに聞いた。

「ソユーズ家とは、昔から縁が深い…向こうは女系家族でな…2人の可愛いお嬢さんがいるのだよ…どうだ、お前達…」

「?…」

2人は、顔を見合わせた。

「縁談だよ…2人と逢ってみないか…」

突然の縁談ばなしに、年頃の2人は顔を赤らめた。

「父上っ…きゅ…急に何を言うんですか!そんなこと、突然言われても困りますよ」

やたらと照れまくるノエルを見て、ジュリアンは可笑しくてしょうがなかった。

「何慌てまくってるんだよ、ノエル…まだ結婚するって決まったわけじゃないんだよ」

ジュリアンは、ノエルを指差しクスクスッと笑った。

「笑い過ぎだよ、ジュリアン兄さん…自分だって、可愛い女の子に逢えるって聞いて、興奮してるくせに」

ノエルは、ムッとしてジュリアンに言い返した。

「そうだよ…勿論、可愛い女の子は大歓迎だ…でも、実際逢って話しをしてみなければ、なんとも言えないけどね」

なぜか2人がその話しで盛り上がりだしたので、セルゲイは少し安堵した様子で、

「このことは、ヴィトーにも伝えておいてくれ…これからは、3人ともなるべく早い段階でいい人をみつけて、結婚し、自立の道を目指しておくれ…期待しているよ!」

と、話しを締めて椅子から立ち上がり、寝室へと帰っていった。

 

 セルゲイは、早く息子達がそれぞれ自立して、立派な大人になってくれることを願っていた。

たとえ、それが息子達にとって少々酷な話しであったとしても、やがては息子達に自身と誇りをもたらすと信じていた…。

 こうして、シュテインヴァッハ家の夜は更けていった…。



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