その瞳に映りし者



第3話 或る朝の出来事 後編

 ソユーズ家の執事カイルは、屋敷を跡にしようとしているベアトリスをみかけ、声をかけた。

「ベアトリス様、もうお帰りなのですか?今日は、まだリリアさまの…」

ベアトリスは振り返り、こう言った。

「そのことだったら、今日はもう終わりにしました… あの子が、どうしてもオフの日が欲しいというものだから、特別に今日一日オフにしたのですよ」

「そうだったのですか…それは、ようございましたっ」

笑顔で答えるカイルに、ベアトリスは眉をつりあげ、冷ややかに言った。

「どうゆう意味ですか、カイル」

「あ…いえ、他意はございません ただ、わたしも、リリアさまが少しお疲れのようでしたので、たまには休養をとられるのもいいかなと思っておりましたので」

「フン…」

カイルの言葉に、ベアトリスは若造が何を言うかといわんばかりに、鼻をならして、

背を向け、そのまま屋敷を去っていった…。

「ふぅ〜…」

カイルは、ベアトリスの威圧感に少し疲れたのか、安堵した様子で廊下を歩きはじめた。

 

するとそこへ、乗馬服姿のジュディが戻ってきた。

「おはようございます、ジュディさま・・・朝の遠乗りですか?」

「おはよう、カイル…」

「今日は、お天気も良いので、さぞかし気持ちよかったでしょう」

「…」

ジュディは、特に何も答えず、その場を足早に去ろうとした。

「ところでジュディさま、リリアさまを見かけませんでしたか?」

「っ!…い…いいえ、知らないわ」

その態度に、妙なものを感じたカイルは、さらに続けた。

「そうですか…実は、先ほどベアトリス様とお会いしまして、今日1日オフにしたとおっしゃられてたので、外に出かけられたかと思ってたのですが…」

「私に聞いて、わかるはずないじゃないの…姿なんて見てないわ」

ジュディは、背を向けたままそう言って、去っていった…。

(何か変だな…ジュディさまは、何かを隠してる…)

カイルは、長年の執事としての勘でそう思った…。

そして、急に屋敷の外へ飛び出していった。

 外にいる何人かの使用人に、リリアの居場所を聞いてまわったが、手がかりは得られなかった。

そして、そのあと庭師のジャックをみかけたので、尋ねてみた。

「おはよう、ジャック…今日はいい朝だね…ところで、リリアさまを見かけなかったかい?」

「おはようございます、カイルさま…リリアさまって誰だったっけ?」

「ジャック…先日、うちに来たソユーズ家のお嬢様だよ…もうそろそろ覚えてもらわないと困るな」

呆れたように、カイルは初老のジャックに諭した。

「ああ〜っ!あの元気のいいお嬢さまだなっ…その方だったら、やたら嬉しそうな顔して、牧場の方へ走っていったよ」

と、思い出したジャックは遠くを指差してそう言った。

「牧場…?」

(一体、何しに行ったんだろう…)

カイルは、首をかしげたが、ジャックに礼を言うと、足早に広大な庭を歩き出した。

 

 一方…白馬にしがみついていたリリアは、今にも振り落とされそうな状態にあった。

「誰か助けて〜っ!!」

その声は、無常にも森の中を響き渡って消えていった…。

広大な敷地ゆえ、誰にも聞こえることはなかった。

そして、ついに興奮した白馬の背中が反り返り、リリアの身体は宙に浮いた…。

「キャ〜っ!!」

リリアは、そのまま地上へと落ちていった…。

一瞬、父と母の顔が走馬灯のように浮かんで消えた…。

「母さん…」

リリアは、遠ざかる意識の中で、そうつぶやいた…。

 

 広大な敷地ゆえ、一度馬をとりに帰ったカイルは、その馬に乗り捜索していたが、さんざん牧場周辺を探してみても、リリアは見つからなかった…。

「取り越し苦労だったかな…」

カイルがそう思った次の瞬間、視界に何か光るものがみえた。

馬から降り、近寄ってみると、それは髪飾りだった。

「っ!…これは、リリアさまの…」

カイルは、驚いて周りを見回した。…が、姿は見えない。

「リリアさま〜っ!何処におられるのですかっ」

カイルは、一抹の不安を感じ、馬を走らせた。

 

 …そして、ついに草むらの中に横たわるリリアの姿を発見した。

「っ!!…リリアさまっ、大丈夫ですか?リリアさまっ!」

何度かリリアを揺り動かすと、やっとリリアの目が開いた。

「…ここは…ハッ!カイルっ…」

リリアは、心配そうに覗きこむカイルの姿を見て、安堵したのか思わず抱きついた。

「カイルっ…よかった…私、もう死ぬかと思ったわ」

ギュッとしがみついて離れないリリアは、小刻みに震えていた。

それを見て、よほど恐ろしい目に遭ったのだと感じたカイルは、

「リリアさま…一体何があったのですかっ」

と、リリアに尋ねた。

「私、乗馬をしていたジュディに会ったの…馬に興味を持ってる私をみて、ジュディが馬に乗せてくれるっていうから、乗ったんだけど…急に馬が走り出してっ」

「ジュディさまの馬に…?…そうだったのですか…」

全てを悟ったカイルは、リリアが大きなケガをしていないか確かめてから、自分の乗ってきた馬に静かに乗せて、屋敷へと向かった。

 

 リリアを抱きかかえて、屋敷に戻ってきたカイルを見て、皆は一堂に驚いていた。

「カイルさまっ…一体どうしたのですか?リリアさまは、無事なのですかっ」

ナディアが駆け寄ってきて、不安そうにカイルに尋ねた。

「幸いにも、骨折はしていないようだ…しかし、万が一のことがあっては困るから、主治医を呼んでくれ 頼んだよ、ナディア」

カイルは、ナディアに支持を出すと、リリアをそのまま寝室へと運んだ。

 

 主治医が来たあと、適切な処置が行われ、リリアが軽症であること、そしてそれがとてもラッキーであったことが判明した。

落馬したところが、一面のやわらかい草むらだったことが幸いしたらしい。

「お大事に…」

主治医が帰ったあと、カイルは鎮静剤を打たれて眠っているリリアを見て、ナディアにたくすと、自分はそっと部屋を出ていった。

そして、そのままジュディの部屋へと向かった。

 

「ジュディさま、ちょっといいですか?」

カイルが部屋へ入ると、ジュディは読書をしていた。

「読書の邪魔よ…何か用?」

「リリアさまが見つかりました…落馬して、倒れておられました」

「そうらしいわね…お気の毒」

ジュディは、そしらぬ顔をして書物を眺めた。

「本を読むのをやめて、聞いてください…大事なことをお訊ねします」

カイルは、ジュディの本を遮った。

「一体なんなのよっ…あなた、仮にも執事でしょ…ちょっと失礼なんじゃない?」

ジュディはムッとして、カイルを睨んだ。

「申し訳ございません…しかし、あなたはわたしに嘘をおっしゃいましたね…先ほど尋ねたとき、リリアさまには会っていないと…」

「それがどうかしたの?」

「リリアさまは、間違いなくジュディさまとお会いして、馬に騎乗させてもらったとおっしゃいました…なぜ、嘘をついたのです! リリアさまは、危険な目に遭われたのですよ 何もお感じになられないのですかっ」

鋭い口調で、カイルはジュディに問いただした。

「知らないわよ…たとえ彼女と会ったとしても、私は何もしてないわ リリアが、馬を怒らせたんじゃないの?どちらにせよ、私には関係のないことよ」

ジュディは椅子から立ち上がり、部屋から出ていこうとした。

しかし、カイルはジュディの腕をつかんで、こう続けた。

「お待ちください…万が一、何もしなかったとしても、暴走する馬を見て、他の者に助けを求めることも出来たはずです それをあなたは敢えてなさらなかった…その真意は何ですかっ」 

「うるさいわねっ…あなたには関係ないでしょう!とっとと、ここから出てってよ」

ジュディは、カイルを部屋から無理やり追い出した。

「ジュディさまっ…」

カイルには、これ以上どうすることもできなかった。

 

 リリアが寝室で目覚めたとき、あたりはとうに暗くなっていた。

「一体、どの位時間がたったのかしら…」

それに気付いたナディアが、心配そうに覗きこみ、こう言った。

「リリアさま…お気付きになられましたか…本当に無事でよかったですっ どうなることかと心配しましたよ〜」

「ナディア…心配させて御免ね…それより、カイルは?」

「カイルさまは、ジュディさまのお部屋に行ったっきり…」

「ジュディのところに?!…私も行かなきゃ…会って話をしなきゃ」

リリアは急に起き上がり、ガウンを羽織ろうとした。

それを見て、ナディアは慌てて止めた。

「リリアさま、駄目ですよっ、安静にしてないと…先生も安静第一と言っておられましたから…無理をなさらないでくださいっ」

「でも…どうしても聞いておきたいことがあるの…」

リリアの強い眼差しに、ナディアはどうしてよいかわからず困惑した。

…と、そこへローズ・マリーが現われた。

「入っていいかしら…気分はどう?リリア…」

「お母様っ…ご心配をお掛けしました…もう大丈夫です」

突然の母の訪問に、リリアは驚いた。

「ナディア、ちょっと席をはずしてくれる?リリアに大事な話があるの…」

ローズ・マリーにそう言われると、ナディアは頷いて部屋を後にした。

 

しばらくの沈黙のあと、ローズ・マリーはゆっくりと話し始めた。

「今回のこと、本当に御免なさいね…あなたを危険な目に遭わせてしまって、私はどう

侘びていいものかと…」

娘を心配し、悲しそうな顔をする母の姿を見て、リリアは何も言えなくなった。

「お母様、私はこの通り、元気ですっ…お母様が謝ることなんて何もありません」

「ジュディのこと、カイルから聞きました…あなたが危ない目に遭っているということを、隠していたそうですね 本当は、ジュディと何かあったのではないの?あなたには本当の事を言ってほしいのよ」

「いいえ…何も…何もありません…あれは、私の不注意が原因で…」

リリアは、病弱な母の前で、本当のことを言って心配させるべきではないと思った。

「ジュディはね、あなたの代わりだったの…」

「えっ?…」

「あなたが、16年前…突然私たち夫婦の前から消えてしまったとき…私は目の前が真っ暗になって、生きる気力を失いました」

ローズ・マリーは、リリアに当時のことを語り始めた。

「ありとあらゆる手を尽くして、あなたを捜索したけれど…何の手がかりも得られなくて、私も夫のフランツも空虚な日々を送っていたわ…でも2人で話し合った結果、もう一人をもうけることにしたの…それがジュディだった…あなたがいなくなって2年後のことよ」

リリアは、初めて聞く自分とジュディの話に静かに耳を傾けた…。

「ジュディには、行方不明の姉のことは一切話さず、育てたわ…ソユーズ家の跡継ぎだと話し、跡継ぎにふさわしい教育を受けさせた…あの子も、それを受け入れ、私たちの期待に答えようとしてくれたわ…だから、突然のあなたの出現にとまどったのよ…おそらく、あなたの存在に嫉妬したんだと思うわ」

ローズ・マリーは、涙を浮かべながら、リリアにこう続けた。

「だから、お願い…あの子を許してほしいの…全てはこの母が悪かったのよ…あの子にあなたのことを話さなかった母が…あの子のプライドを傷つけてしまったから、こんなことに…」

ローズ・マリーの声は震えていた…。

全てを聞き終えたリリアは、母の手を握り、こう笑顔で答えた。

「お母様、そんなに心配しないでください…私は、ジュディのこと、嫌いじゃないし、憎んでもいません!寧ろ、仲良くやっていこうと思ってるんです…今度のことも気にしてませんから、どうか安心してください」

そう言う以外なかった…。たとえ、どんなふうに思っていたとしても、病弱で心労が重なっている母の前で、リリアは安心させようと、精一杯の笑顔をみせた。

「リリア…あなたって子は…本当にありがとう…本当に御免なさいっ」

 …16年という長い年月を、親子は必死に埋めようとするかのように、抱き合った。

 

 一方、カイルは今回の件に対して、納得していなかった…。

正直、このままでいいはずがないと思っていた。

たとえ、リリアがジュディを許したとしても、このままにしておくと、もっと事がエスカレートするような気がしてならなかったのだ。

そして、強硬手段に出た…。

「痛いわねっ!話してよ…カイルっ」

カイルは、ジュディを無理矢理連れて、リリアのもとにやってきた。

「どっ…どうしたの?カイル…」

リリアは、驚いてそう尋ねた。

「ジュディさま…さあ、リリアさまに謝ってください!」

「冗談じゃないわよ…私が何をしたっていうの?馬鹿じゃないっ…」

ジュディは、絶対に謝ろうとはしなかった…。

「あなたは、ご自分のしたことを少しは反省するべきです…いつまでも、ワガママは通用しませんよ…」

「はぁ?!…あなた、執事の分際で、私に指図するの!いい度胸じゃないっ…お母様に頼んでクビにするわよ おぼえてらっしゃい!」

2人の押し問答を聞いて、リリアは我慢できずこう叫んだ。

「もうやめてっ!!こんなこと、いくらやっても解決にはならないわ…カイルも、もうジュディを責めないで!私は、大丈夫だから…」

「リリアさま…しかし」

「あなたの気持ちはすごく嬉しいわ…でも、もうこれ以上争いたくないのよ…」

リリアは、ジュディのほうを向いてこう続けた。

「ねえ、ジュディ…あなたが、私を受け入れられないのは解るわ…私たちにはもっと時間が必要なのよ…だけど、せめてお母様の前だけでも仲良くしましょうっ…それだけは約束してほしいの…お願いっ!」

「リリア…あなたって…」

リリアの申し出に、ジュディは少々動揺した…。

が、すぐにこう言い放った…。

「あなたって、本当にいい子ちゃんなのね…呆れてものが言えないわ…私は、あなたの頼みをさらさら聞く気なんてないわよ…勝手に、一人でやってれば!」

そして、カイルを振り切って、出て行った。

「ジュディさまっ…」

「追いかけなくていいわ、カイル…私たちの間には、長くて深い川が存在してるの…お互いが、歩み寄るには、それなりの時間を有するわ…わたし、気長に待つことにする…いつか、きっと解り合える日が来ると信じてるから…」

そう言って、リリアはカイルに微笑んだ…。


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