その瞳に映りし者

〜第25話 慟哭〜

 

 カイルは、暫く動けなかった…。

「ジュディさま…何を突然…」

「私、やっと気付いたの…この気持ちが何なのか…あなたを失いたくないのよ…なぜなら、私あなたを」

「それ以上おっしゃってはいけません、ジュディさま」

カイルは、ジュディの言葉を制止した。

「あなたは、今きっと混乱しているのです…ずっと傍にいた者が去るという悲しみの感情に気持ちが乱れているだけです」

「いいえ、違うわ!今ならわかるの…この抑えられない気持ちが…あなたを愛している…私、あなたを愛しているのよ!」

「ジュディさま……」

ジュディの突然の告白に、カイルは呆然とした。

とそれと同時に、何かの糸がプツンと切れる音がした。

ずっと抑えていた彼女への気持ちが、溢れ出しそうになった。

「私の傍にいてほしいの…ずっとが無理なら、あともう少しだけでも…お願い」

「あなたは、どうかしている…」

カイルは、ジュディを強く抱き締めた。

 

 シュテインヴァッハ家では、誕生パーティの準備が着々と行われていた。

その話を聞いた時、ヴィトーははじめ反対した。

だが、父セルゲイの説得に仕方なく承諾したのだ。

「今のうちに言っておくが、もしパーティの間に、ノエルの容態が少しでも悪化したら、その場で即やめるからな…」

「承知していますよ、兄上…」

ジュリアンは、いまだ冷めた関係のヴィトーに、少しでも歩み寄ろうとしていた。

たとえ、それが無駄な行為であっても、今回はノエルや家族のためでもあるのだ。

すぐに頭に血が上る自分の性格を抑えこんだ。

ソユーズ家からも、参加するという返事の手紙が先日届いていた。

「きっと、ノエル喜ぶぞ…」

ジュリアンは、まだサプライズとして、ノエルにはこのことを黙っていたのだ。

 

 やがて、誕生パーティの日がやってきた。

ノエルは、当日になって初めてそのことを知らされた。

車椅子に乗って、美しく飾られたエントランスをゆっくり見てまわった。

「うわぁ…すごいね…いつの間に、僕の知らないうちにこんなこと…」

「どうだい、ノエル…今晩はみんな久しぶりに集合するんだよ…」

「本当だね…すごいよ、ジュリアン兄さん…ずっと夢見てたんだ…いつか、またそんな日が来ないかなぁって…」

ノエルの瞳は、きらきらと輝いていた。

そんな弟を見ながらジュリアンは、目頭を抑えた。

(神様は残酷だ…こんな純粋な弟の命を奪おうとしてるんだから…)

 

 やがて、次々と招かれた客がシュテインヴァッハ家を訪れた。

従兄弟のダニエルと、その友達リオンが、まず始めにやってきた。

「久しぶり…どうだい、ノエル…体調のほうは…」

ダニエルの明るい挨拶に、ノエルは笑顔で応えた。

「まあまあかなぁ…いい時と悪い時があるけど、今日はすごく調子がいいんです」

「そうか、それは良かった…」

ノエルの病気のことは知らせてあったので…ダニエルは、ジュリアンの肩をたたいた。

 

その後、ソユーズ家のリリアとジュディもやってきた。

それを見て、一番喜んだのはノエル本人だった。

「お久しぶりです、リリアさんに、ジュディさん…」

「本当ね…思っていたよりも元気そうで、安心したわ…今晩は楽しみましょうね」

「はい、リリアさん…」

無邪気に微笑むノエルを見て、リリアはジュリアンに目をやった。

ジュリアンもそれを見て、小さく頷いた。

「ごきげんよう、ノエル…本当に久しぶりね…」

「ジュディさん…よく来てくださいました!またお逢いできて光栄です」

ジュディと恥ずかしそうに談笑するノエルを見て、奥に引っ込んだジュリアンとリリアは複雑な心境だった。

「手紙読んだわ…本当なの…元気そうに見えるけど、そんなに悪いの…」

「うん…医者の話だと、あまり長くないって…」

「とても信じられないわ…あんなに、楽しそうに明るく話をしてるのに…」

「僕もいまだに信じられないんだよ…弟が…あんなに生きようと必死に頑張っているのに…」

ジュリアンは、リリアの前で気がゆるんだのか、思わず涙ぐんでしまった。

震えるジュリアンの肩を、リリアは静かに抱いて一緒に泣いた。

「ジュリアン、辛いでしょうけど…今は、静かに見守りましょう…私たちにはそれしか出来ないのだから…」

 

 シュテインヴァッハ家の元当主セルゲイたち一行が到着して、パーティは本格的に始まった。

まず、主賓のセルゲイの挨拶があった。

「今晩は、本当に皆さん忙しいなか、お集まりいただき、有難うございます。わたしが、この屋敷で引退を表明したのも、ちょうど昨年の誕生パーティでのことでした。あれから一年…本当に時のたつのは早いものです…その間に色々なことがありました。

わたしは、現在ここからだいぶ離れた街で、妻のクロディーヌと静かに暮らしております…シュテインヴァッハ家を現在支えているのは、実質長男のヴィトーです…きっと彼は素晴らしい跡継ぎになってくれるでしょう…皆さんも彼をどうか温かく見守ってあげてください」

突然の、父の発言に、ヴィトーはとまどった。

以前は、あれほど自分が継ぐことに異論を唱えていたというのに…。

まるで全てを認めたかのようなセルゲイの言葉に、いささか動揺した。

「父上……」

「ヴィトー…この屋敷のことを頼むよ…それから、はやく妻をめとることだな…おまえは少し堅すぎる…ジュリアンのような柔軟な姿勢も大事だよ、これからは…」

「何を言っているのです…こんな所で…」

「こんな席だから、話しているんじゃないか…兄弟仲良く、これからは協力して、この屋敷を盛り上げていってくれ…」

父の願いに、ヴィトーは首を振った。

「父上、わたしは…ジュリアンとは…」

「ヴィトー兄さん、僕からもお願いするよ…どうかジュリアン兄さんと仲直りして…」

ノエルも、近寄ってきてそう言った。

「ノエル、おまえまで…」

ヴィトーは困惑した…なぜ、皆自分の気持ちを無視してそんな勝手なことを言うんだと思った。

遠くで、楽しげにリリアと談笑しているジュリアンに目をやって、やはり無理だと確信した。だがこの場では、そんな態度は微塵も出してはいけない…

このパーティは、ノエルを元気づける為に催したものなのだから、ここでいつものように自分の感情をぶつけることは出来なかった。

「解りました、父上…そしてノエル…その言葉に従います…わたしは、この屋敷のため、ジュリアンと和解し、二人で協力してやっていきます…」

「ヴィトー兄さん!本当だね…本当にそうしてくれるんだね」

ノエルは、嬉しそうにジュリアンを呼びにいった。

「おまえ…本当にそう思っているのか…まさかノエルの前だから…」

「父上…それ以上何もおっしゃらないでください…わたしは、今自分の心に鍵をかけたのです…何か言えば心が乱れますから」

「ヴィトー…どうしておまえは、そんなに…」

ノエルに呼ばれてジュリアンが駆け寄ってきたので、セルゲイは、そのあとの言葉を飲み込んだ。

「ジュリアン兄さん、ヴィトー兄さんがね…二人仲直りして、一緒にこの屋敷を盛り上げていこうって…言ってくれたんだよ」

「え…本当に、兄上が…」

「そうなんだよ…だから…ねっ、お互いの手を取り合って、ここで約束して…」

ノエルは、二人の手を取ると、それを重ねた。

「……」

ヴィトーもジュリアンも複雑な心境だった。

(とても、この男が承諾したとは思えない…きっと、ノエルの前だからだ…)

ジュリアンは、そう思ってヴィトーを見つめた。

ヴィトーもまた、冷たい眼差しでいつものようにジュリアンを見た。

「ほら、笑顔笑顔…」

ノエルは、ニコニコしながら二人を誘導した。

ジュリアンは、思いっきり作り笑顔で、それに応じた。

「約束するよ…ノエル…兄弟仲良くやっていくって…だから、もう変な心配しなくていいんだよ…もう大丈夫だから…」

「うん、僕もうこれで何も思い残すことはないよ…本当に有難う…」

ノエルは、そのまま静かに倒れこんだ…。

「ノエルっ!!」

あまりの突然の出来事に、辺りは騒然となった。

「誰か、医者を!早く…」

ヴィトーは叫んだ。

ノエルは、そのままピクリとも動かなかった……。

 

 どのくらいの時間がたったのだろう…

誕生パーティは、そのまま解散となった。

ノエルが、意識を取り戻したとき、すでに明け方近くになっていた。

「夜が明けるね…パーティはどうなったの…」

「あのまま、みんな帰ったよ…」

ジュリアンは応えた。

「そう…本当に御免ね…僕のせいで、せっかく開いてくれたパーティ、台無しになっちゃって…」

「何言ってるんだ…ノエルのせいじゃないよ…さぁ、もう気にせず、ゆっくり休んで…」

「僕ね…とっても嬉しかったんだ…ずっとヴィトー兄さんとジュリアン兄さんには、仲良くしてほしかったから…二人が手を取り合ってやっていくって約束してくれて…本当に嬉しかったんだよ…」

「ああ…僕も嬉しかったよ…二人だけじゃない…三人だ…これからも兄弟三人で仲良くやっていこう…そうだろう、ノエル…」

ジュリアンは、目を真っ赤にしてそうつぶやいた。

「御免ね…そうしたかったけど…無理みたいなんだ…もう、僕には時間がないんだよ…だから、残った二人で…この屋敷を…」

ノエルは呼吸をするのも苦しそうにしていた。

やがて、ヴィトーやセルゲイも傍に寄ってきた。

「少し、寝ようか…苦しいだろう…」

ジュリアンは、ノエルに促した。

「ううん…大丈夫だよ…もっと父上や兄さんたちの顔を見ていたいから…」

「ここにいるよ、ノエル…しっかりするんだぞ…」

セルゲイは、息子の手を強く握り締めた。

「父上…御免なさい…ぼく、もう少し生きたかったよ…でも…もう母上の傍に行くときが来たみたいなんだ…だから…」

「何を言ってるんだ!そんなこと、わたしが許さないぞ」

セルゲイは、ノエルに叫んだ。

遠くで見ていたリリアとジュディも、大きな瞳を潤ませていた。

ジュリアンは、たまらなくなって部屋を出ていった。

(こんなことがあっていいのか…何故ノエルがこんな目に遭わなければいけないんだ…まだ幼い弟をどうか連れていかないでください、神様)

一人で泣いているジュリアンに気付いて、リリアが駆け寄ってきた。

「ジュリアン…大丈夫?…」

「リリア…僕は結局何もしてあげられなかった…僕は無力だ…弟がこんなに苦しんでる時に、何も出来ないなんて…」

ジュリアンは、声をあげて泣いた。

 

 やがて、ノエルは静かに息をひきとった…。

ちょうど、朝日がシュテインヴァッハ家の屋敷を照らしはじめる頃であった。

享年14歳…若すぎる死だった。

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