その瞳に映りし者

〜第24話 別離〜

 

 ノエルの部屋にジュリアンが行かなくなってから、数週間がたっていた。

ジュリアンは、その間ノエルに何かしてあげることはないかと思案し続けていた。

そして、やはりノエルが望んでいたように、父の誕生日の日に親しい者全員が、以前のように集まるしかないと思いたった。

ジュリアンは、さっそく父に手紙を書いた。

父の誕生パーティという名目で、ノエルのために皆を集めようと提案したのだ。

その手紙の返事はすぐに返ってきた。

父のほうも、ずっとジュリアンと同じ思いだったようで、パーティの準備は静かに、そして着々と実行されていった。

ジュリアンは、勿論ソユーズ家にも手紙を出した。

その手紙で、ノエルの容態があまり思わしくないことも知らせた。

 

 ソユーズ家では、いよいよカイルとの別れの日が近付き…

リリアもジュディもそのことで頭がいっぱいになっていた。

そんな中、ジュリアンからの手紙が届き、ノエルの容態のことを知ったので、更に気持ちは暗いものになった。

「なんて書いてあるの…」

ジュディは、手紙を一心に読むリリアを覗き込んだ。

「ノエルの容態が、あまり良くないみたい…学院から屋敷に戻って、しばらく養生していたみたいなんだけど…今度、お父上の誕生パーティをするので…私達にも参加してほしいって…」

「どういうこと…?普通は、パーティなんか自粛するものじゃないかしら…なぜ、こんな時期に全員を集めるの」

「真意は解らないけど…たぶん…」

リリアは、ノエルが思った以上に早く病状が悪化したので、ジュリアンが、もしかしたらこれが最後になるのではと思って計画したのではと考えた。

「私、行くわ…ジュリアンにもしばらく逢っていなかったし…ノエルのことも心配だから…ジュディはどうする?」

「まだ、わからない…少し考えさせて…」

ジュディは、そう言って外に出て行った。

「ジュディ……」

このところのジュディの様子は明らかにおかしかった。

リリアにとっても、カイルとの別れは悲しい…

しかし、ジュディはそれ以上に心に何かを抱えているように思えた。

 

 草原を吹き抜ける風は、夏だというのに、どこか切なさを漂わせていた。

以前は、あれほどの敷地面積を誇ったソユーズ家も、今はかなりの土地を手放してしまい…ずっと遠くまで愛馬に跨って駆け抜けることができたのにと思うと、悲しくなった。

(私は、いったい何を悩んでいるのだろう…カイルと別れるのが、そんなに辛いの?ただの執事なのに…?解らない…自分でもよく解らない…だけど、どうしても納得がいかない…このまま彼を手放したくはない…)

「ジュディさま……」

後ろで、ふと声がした。

ジュディは、ビックリして振り返った。そこには、カイルが立っていた…。

「ここで、何をしておいでなのです…」

「別に…ただ、この景色をこの目に焼き付けておきたいの…またいつ、自分達の土地じゃなくなるかわからないから…」

「大丈夫ですよ…もうこれ以上は、悪い方向にはいきません…ソユーズ家はもう安泰です」

「そんなのわからないじゃない!…どうしてそう思うの…このまま、この屋敷だってなくなる時がいつか来るかもしれないわ」

「わたしがそう言ってるのだから確かです…ジュディさまだって、リオンさまのところに嫁ぐわけですし…」

「そ…そんなこと、まだ先の話でしょう…リオンとの間だって、どうなるか…」

「何言っておいでなのですか…あんな素晴らしい方と一緒になられることは、ジュディさまにとっても、この屋敷にとっても幸福なことですよ」

「私は、この屋敷のために結婚を決めたわけじゃないわ…」

「わかっていますよ…好きだから結婚するのでしょう」

「違う…それも違うと思う…」

「ジュディさま…」

ジュディは、急に黙り込んでしまった。その後の言葉が続かなかった。

一体、自分はカイルに何を言おうとしているのだろうか…

何か、とてつもないことを告げようとしているようで、頭が混乱した。

「わ…わたしは、ただ…」

ジュディの唇が、少し震えた。

「誰でもよかったの…私のことを愛してくれる人なら誰でも…いつも、みんなお姉さまばかり…私じゃなくてお姉さまばかりが選ばれてたわ…ただ寂しかったのよ…ただそれだけで…私は…」

ジュディは、そのまま泣き崩れてしまった…。

「ジュディさま…」

そんなジュディを見て、カイルは何も出来ず立ちすくんだ。

しばらくの沈黙のあと、カイルはジュディに静かに上着をかけた。

「風が強くなってきましたね…そろそろ、帰りましょうか」

「何も答えないのね…こんなこと言う私を、軽蔑したでしょ…誰でもよかっただなんて…そんなことを言う私を叱らないの?」

「わたしには、そんな権利はありませんよ…誰にだって、そう決断したのなら、それなりの深い理由があるはず…あなたが、そう思われることに対して、執事であるわたしが叱るなんてこと出来ません…」

「どうして、叱ってくれないの…以前は、叱ってくれてたじゃない…姉に対する私の態度とか、いつも咎めてくれたじゃない!…なのに、なんで今度だけ、何も言ってくれないの…どうして、そんなに冷たく突き放すのよ」

ジュディは、カイルに自分の感情をぶつけた。

「ジュディさま…わたしは…ただ、あなたに幸福になってもらいたい…ただ、それだけなのです…どうかわたしの最後の願いを受け止めてください…これ以上、何も言うことはありません…それでは…」

カイルは、静かに頭を下げて、その場を去ろうとした。

「私は、あなたを許さないから…このまま勝手に去ろうとするあなたを、一生許さないから」

ジュディの叫びに、一瞬足を止めたカイルだったが…

また歩き始めた…そのまま振り返ることなく遠くに消えていった。

 

 リリアは、自分の部屋から出てこないジュディが心配になった。

牧場から帰ってきて、ずっと部屋に閉じこもったままだ…。

以前の自分にも同じようなことがあった。

きっと、ジュディも今心の中で何かが葛藤しているのだろう。

それが何なのかは、よく解らなかったが……

リリアは、静かにドアをノックしてみた。

「ジュデイ…大丈夫なの…ちゃんと食事は摂らなきゃ駄目よ」

「私のことは、放っといて…」

「ジュディ…」

リリアは、それ以上何も言うことが出来ず、しばらく様子を見ることにした。

 

 やがて、カイルが屋敷を出ていく日がやってきた…。

カイルは、屋敷の人々全員に挨拶をした。

「今まで、長い間本当にお世話になりました…わたしは、子供の頃からソユーズ家にずっとお世話になっておりまして…亡くなられた旦那様には、生前よく可愛がって頂きました…奥様にも、とてもお世話になり…至らなかった部分も沢山あったと思いますが、自分なりに精一杯この屋敷に仕えてきたつもりでいます…最後まで、お守りすることが出来なかったことが悔やまれますが…どうかみなさん、いつまでもお元気で…」

カイルは、深く頭を下げた。

「カイル……」

ローズ・マリーは、なかなか頭を上げようとしないカイルの傍に寄り、ねぎらいの言葉をかけた。

「本当に、今までよく頑張ってくれました…とても感謝していますよ…こんなことになって、本当に御免なさいね…さあ、頭を上げて…リリア、ジュディはまだなの…」

ジュディがいないことに気付いたローズ・マリーは、リリアに尋ねた。

「それが、まだ…一体こんな大事な時に何をやっているのかしら」

「早く呼んできなさい…もうすぐカイルが出発するのですよ…」

「いいのです、奥様…このまま、去ります…ジュディさまには宜しくお伝えください」

「そんな…せめて最後に…」

「もう別れは告げましたから…それでは、これで…」

カイルは、静かに微笑み、玄関から出て行こうとした。

リリアは、慌ててジュディを呼びにいった。

 

 ジュディの部屋の前で、ドアを強く叩いた。

「ジュディ!早く出てきて…カイルが行ってしまうわ…このまま逢わないつもりなの…最後の別れの挨拶をしなきゃ後悔するわよ」

「……」

何も返事がかえってこなかった。一体どうしたというのだろう……

「ジュディ、いい加減にして!早くしないと、二度と逢えなくなるわよ」

「もういいの…彼とはもう…」

聞き取れないようなか細い声で、ジュディは応えた。

 

 庭先で、カイルはナディアやジャックと談笑していた。

「カイルさまがいなくなっちゃうと、寂しくなるわね…私、カイルさまがいないと何も出来ないからさ…」

「何を言ってるんだ、ナディア…おまえは、もう充分何でもこなせるよ…昔のナディアじゃないんだから…これからはわたしの代わりに、お嬢さまたちを宜しく頼むよ」

「はい、カイルさま…」

「ジャックも泣いてばかりいないで、しっかり頑張るんだぞ」

「泣いてるんじゃないよ…目にゴミが入っただけだ…」

「そうか…それじゃ、そろそろ行くよ…いつまでも馬車を待たせているわけにもいかないからな」

カイルは、そう促して皆に手をあげた。

「カイル!もう少し待って…ジュディがまだ…」

「リリアさま…もういいのです…先日、ジュディさまにはお別れをいいましたから…」

「でも……」

「リリアさま…短い間でしたが、本当に有難うございました…わたしは、あなたから色々なことを学びましたよ…この屋敷に新たな風を運んでくれたあなたに感謝しております…どうか、いつまでもお健やかに…ジュリアンさまと末永くお幸せに」

「カイル…あなたって人は…」

カイルは、もう一度深々と頭を下げると、そのまま待たせてあった馬車に乗り込んだ。

ジャックが荷物を運び、ドアを閉めた。

「皆さん、お世話になりました…さようなら…」

カイルを乗せた馬車は、ソユーズ家を後にした。

だんだんと小さくなっていく馬車を、一同はずっと手を振り見送った。

 

 遠ざかっていく景色を眺めながら、カイルは思い返していた。

自分が、初めてこの屋敷を訪れた幼い日のこと、旦那様や奥様に初めて逢った日、そしてリリアさまやジュディさまが生まれた日のこと…リリアさまが誘拐され、旦那様が亡くなられて悲しみにくれる奥様を少しでも勇気づけようと、必死になってリリアさまを捜索した日々…やっと探しあてて、この屋敷に連れ帰った日のことを…思い返せばアッという間だった気がする…まさかこんな日が来ようとは夢にも思っていなかったが…。

ふと、馬のいななく声が聞こえた気がした。

窓の外を見ると、遠くに愛馬に乗って疾走するジュディの姿がみえた。

「ジュディさまっ!?」

カイルは驚いて叫んだ。

ジュディを乗せた馬は、馬車を追いかけてどこまでも疾走する。

「馬車を止めてくれ!頼む…」

カイルは、馬車を止めさせ、急いで飛び降りた。

「ジュディさま…一体、何をしているのですか…こんな所まで追いかけてくるなんて」

馬から飛び降りて、息を切らしながらジュディは駆け寄ってきた。

そして、突然カイルに飛びついた。

「……っ!!」

「もう何処へも行かないで!お願い…ずっと私の傍にいて」

ジュディの、その言葉に頭の中が真っ白になった。
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