その瞳に映りし者

〜第23話 切望〜

 

 ジュディは、動揺を隠しきれずにいた…。

(カイルが辞める?…そんなこと、あろうはずがないわ…なぜ、執事であるカイルが辞めるのよ…信じられない…どうして…)

「カイル…あなたは、ここにいなくてはならない存在よ…ソユーズ家の執事でしょ…代わりは他にいないのよ…なのに、なんで急に辞めるなんて…」

ジュディは、カイルに詰め寄った。

「ジュディさま…ジャックは、身寄りがおりません…田舎に突然戻れと言われても、生活ができないのです…でも、わたしなら何とかここを辞めても生きていけます…ですから、わたしが代わりに…」

「以前から考えていたとは、どうゆうことなの…何か他に辞めたい理由がある訳?」

「それには、お答えできません…今が潮時だと思ったのです…」

「潮時って何!もっとちゃんと説明しなさい!」

ジュディのうろたえ振りを見て、たまらずリリアはそれを制止した。

「もうそれ以上問い詰めるのはやめなさい、ジュディ…カイルが困っているわ」

「お姉さまは驚かないの…カイルは、私が生まれた時には既にうちにいたの…ずっとこのソユーズ家を支えてきてくれたのよ…彼がいなくちゃ、この屋敷はなりたたないわ」

「それはよく解っているわ…だけど、カイルにはカイルの事情があるのよ…そりゃ私だって悲しいわよ…だけどもうこれ以上責めるのはやめましょう」

リリアの説得により、ジュディは少し落ち着きを取り戻したが、まだ内心納得いかないようだった…。

「私は、承諾しないから…」

ジュディは、そう言って去っていった…。

 

 再び、二人きりになったリリアとカイルは…

「御免なさいね…ジュディは、まだ全てを受け止めきれないのよ…私と違って、子供の頃からずっと一緒だったのですもの…無理ないわ…」

「理解しております、リリアさま…本当に私事で申し訳ございません…」

カイルは、リリアに深々と頭を下げた。

「何言ってるのよ、カイル…あなたは、本当に今までよく仕えてくれたわ…とても感謝しているのよ…とても…」

リリアは、そう言いながら少し涙ぐんでしまった。

「あなたが、私を迎えにきた日のことを、今でもよく憶えているわ…あの頃は、突然の出来事を受け止めきれず、ただ不安でしょうがなかった…そんな私を、あなたはいつも励ましてくれて…どれだけそれが、支えになったかしれないわ…」

「リリアさま…あなたをこの屋敷に迎え入れることは、長年のわたしの責務と思っておりました…それが、叶いましたことを、深く感謝しております…これからも、奥様とジュディさまをどうか宜しくお願い致します…」

リリアは、カイルの決意が揺るぎないものであることを、この時はっきりと感じたのだった。

 

 シュテインヴァッハ家の庭には、今年もたくさんの花が咲いた…。

亡きエリザベスが好きだった庭だ…。

その庭を、病床のノエルが窓越しから眺めていた…。

「母上って、どんな感じの人だったの…みんな綺麗な人だったって言うけど、僕、全然記憶にないんだ…兄さんたちは、思い出に残っているからいいよね…」

ノエルの突然の言葉に、ジュリアンは少し動揺したが、こう返事をした。

「とても、優しい人だったよ…たおやかで、素敵な人だった…」

「たとえば、リリアさんみたいな人ってこと?…」

「え…リリア…?」

「うん、なんとなく彼女みたいなイメージかなって、僕は思ってるんだけど…」

「そうかもしれない…似ているのかも…」

ジュリアンは、ふとリリアの顔を思い浮かべた。

そして、無性に彼女に逢いたくなった。

(リリア…今頃、どうしているかな……)

そんなジュリアンを見て、ノエルはあることを閃いた。

「ねえ、兄さん…今度、また父上の誕生日が来るじゃない…そのときに、リリアさんも呼ぼうよ…親しい人みんな呼んで、また盛り上がろうよ!」

「そうだな…でも、あまり無理はできないよ…身体が心配だし…」

「平気平気…僕は、ピンピンしているよ…なんだか楽しみになってきたなぁ」

明るく笑うノエルを見ていると、ジュリアンは居た堪れなかった…。

この笑顔がいつまでも消えないように、見守っていきたい…そう強く思うのだった。

 

 しばらくして、ノエルはジュリアンにこう言った。

「あのね、兄さん…外に少し出てもいいかな…車椅子に乗ってなら、出てもいいよね…押すのを手伝ってほしいんだけど…」

「ノエル…」

ジュリアンのたっての願いに駄目とは言えず、ジュリアンは車椅子を用意した。

そして、二人はゆっくりと庭を見てまわった。

風が、ゆるやかに吹いていた…穏やかな午後だった。

「やっぱり、外は気持ちいいね…風に乗って、花の香りがする…」

ノエルの言葉を受けて、ジュリアンは庭先に咲いていた小さな花を摘んできた。

「ほら、ノエル…こんな小さな花だってしっかりと根を張り、逞しく生きているよ…」

「本当だ…本当に逞しいね…僕も頑張って、早く病気治さなきゃ…この花に負けないように…」

「そうだよ…その通りだ…頑張って、病気を吹き飛ばそう!」

「うん…あれ、僕なんか変だ…」

「えっ?……」

突然、ノエルの鼻から血が滴り落ちた…。

そして、それはノエルのひざ掛けを塗らした。

「……!!」

ジュリアンは、急なことに動揺した。

「どうしよう…兄さん、血が止まらない…」

ノエルの手が震えた…。

「ノエルっ!…」

その声に気付いたヴィトーが、どこからか飛んできた。

「どうしたんだ、ノエル!…大丈夫か…おいジュリアン、突っ立ってないで、早く医者を呼べ!」

「わ…わかった…」

ジュリアンは、我にかえって…慌てて医者を呼びにいった。

その間にもノエルの血は止まらず、ひざ掛けはどんどん汚れていった。

ノエルの意識は、朦朧としていた。

「ノエル、しっかりするんだ!…すぐお医者さまが来てくれるからな」

「…ヴィトー兄さん…」

ノエルは、ヴィトーの腕の中で意識を失った。

 

 医師が来て応急処置が済んだ後…ヴィトーは、医師に詰め寄った。

「どうなんですか、先生…ノエルの容態は…」

医師はため息をついて、こう言った。

「あまり良くありません…少し無理をされたのでしょう…これからは、更に悪くなっていくでしょうから、なるべく無理をさせないように、周りが気を付けてあげてください…」

「わかりました…今日は、有難うございました」

ヴィトーは、医師を見送り、そのままノエルの部屋へと向かった。

ノエルは静かにベッドに横になっていたが、その顔色は以前より更に青白かった。

彼の行く末を思うと、さすがのヴィトーも尋常ではいられなかった。

傍に座っていたジュリアンに向かって、外に出るよう合図した。

 

 部屋の外に出たヴィトーは、ジュリアンに向かってこう言った。

「おまえ…一体何してたんだ…ノエルを外に出すなんて…どうかしてるぞ」

「ノエルが、どうしても外に出て庭を散歩したいって言ったんだ…彼の望みを叶えてやりたくて…」

「先生の話を聞いてなかったのか…今のノエルは免疫力が極度に落ちていて、あの部屋から出してはいけないんだ…おまえが付いていながら、何なんだ…まったく役に立たない奴だな…おまえは弟を殺したいのか」

「そんなつもりはなかった…ただ僕は…」

「言い訳は聞きたくない…」

「言い訳じゃない!少しは僕の話に耳を傾けてくれてもいいだろう」

ヴィトーは、呆れたように言った。

「おまえの話になど興味はない…まったく、おまえときたら、この屋敷の疫病神だな…母の時といい、今回といい…」

「どういう意味…」

「不幸を呼ぶってことだよ…母の時のようにノエルの寿命を縮めるつもりか…ノエルの世話は、これからこちらでやるから、もうおまえは一切関わらないでくれ」

「そんな……」

ヴィトーはそう言い捨てると、そのまま下へと降りていった。

一人残ったジュリアンは、哀しみと怒りで混乱していた。

(僕は、この屋敷で疫病神なのか…不幸を呼んでるのは僕なのか…一体どうしたらいいんだ…)

ヴィトーに強く罵られたジュリアンは、一人で苦悩した。

 

 そんなことがあってから、暫くの間ジュリアンはノエルの部屋へ行かずにいた。

不思議に思ったノエルは、メイに尋ねた。

「ねえ、メイ…近頃ジュリアン兄さんを見かけないけど、どうしたの…全然部屋に以前のように来てくれないんだけど…」

「ノエルさま…ジュリアンさまは、その…」

言いづらそうにしているメイを見て、何かを悟ったのかノエルはこう言った。

「またヴィトー兄さんに何か言われたんだね…僕のせいなのかな…だとしたら、ジュリアン兄さんに悪いことしちゃったな…」

「何言ってるんですか…ノエルさまのせいじゃありませんよ…ただ、ジュリアンさまなりに少し気を使っているだけで…きっと、またお見舞いに来てくれますよ」

メイは、無理に笑ってそう答えた。

「メイ…悪いけどヴィトー兄さんを呼んでくれないかな…少し二人で話したいんだ…」

ノエルは、力なく言った。

「わかりました、すぐに…」

メイは、慌ててヴィトーを呼びに走った。

 

 まもなくして、ヴィトーが何事かと心配そうにやってきた。

「どうした、ノエル…具合でも悪くなったのか…」

「ううん、そうじゃないんだ…ただ、少しヴィトー兄さんに話しておきたいことがあってね…」

ベッドに横たわってる弟は、以前よりも痩せてみえた。

「なんだ…急に改まって…」

「あのね…ジュリアン兄さんのことなんだけど…これから、もし僕が死んだ時、まだ仲違いしていたら、すごく嫌なんだ…僕が生きてるうちに仲直りしてくれないかな…」

「ノエル…急に何を言い出すんだ…ジュリアンと仲直りだって?…第一、おまえは死なないよ…死ぬわけないじゃないか」

「ヴィトー兄さん…僕のために嘘をつくのはやめてよ…僕だいたいわかってるから…もうそんなに長くないってこと…」

「ノエル……」

ノエルの突然の言葉に、ヴィトーは何も言い返せなかった。

「いつも、二人が言い合いをしてるのを聞いて、すごく悲しかった…なるべくなら、みんな仲良くしていたいのに、同じ家族なのに何故って、いつも思ってたよ…だから、最後に僕の前で誓ってほしいんだ…これからは兄弟仲良くやっていくって…」

「……」

「お願い、ヴィトー兄さん…ジュリアン兄さんは、すっごく優しいんだよ…ちょっと不器用だけど、本当に優しいんだ…ヴィトー兄さんは彼を勘違いしてるんだよ…どうか、最後に僕の望みを聞いてほしい…」

ノエルの願いを叶えてあげたい…できることなら、そうしたい…

それはヴィトーも、おそらくジュリアンも同じ気持ちだろう。

しばらくの沈黙のあと、静かにヴィトーはこう答えた。

「わかったよ、ノエル…おまえの望みを叶えてあげるよ…」

「ありがとう、兄さん!本当だね…僕、とっても嬉しいよ」

ノエルは、満面の笑みを浮かべた。

ヴィトーは、無邪気に微笑むノエルを見てとても嬉しく思った。

…と同時に、複雑な心境でもあった。

なぜなら、彼は内心まだジュリアンを許せていなかったからだ。
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