その瞳に映りし者

〜第20話 追憶〜

 

ソユーズ家の広大な敷地の中を、一台の馬車が駆け抜けていった…。

それはリリアから手紙を受け取り、急いでソユーズ家へと駆け着けようとしているジュリアンが乗った馬車だった。

 

 ソユーズ家に着いた馬車から飛び降りると、ジュリアンは急いで屋敷へと向かった。

そこには、心配そうな表情を浮かべるリリアが立っていた。

「ジュリアン!…」

リリアは、そう叫んでジュリアンに駆け寄った。

「リリア…!」

二人は、しばらくの間抱き合った。

「手紙は読んだよ…大変だったね」

ジュリアンは、リリアを案じてそう言った。

「私のことより、母が…母が倒れたの…」

「お母上が…? それは大変だ…これから見舞ってもいいかな」

「ええ…きっと母も喜んでくれると思うわ」

二人は、ローズ・マリーの寝室へと向かった…。

 

 「お母様…ジュリアンが来てくれたのよ…」

それを聞いて、ローズ・マリーは起きようとした…が、ジュリアンがそれを制止した。

「どうかそのままで…お身体に障ります」

「あなたが、ジュリアンなのね…初めまして、ジュリアン」

ローズ・マリーは、か細い声でそう言った。

「お逢いできて光栄です…ずっと挨拶に伺おうとは思っていたのですが…」

「いいのですよ…こうやってみると、本当にお似合いな二人ね…」

ローズ・マリーは二人を互いに見やって、微笑んだ。

「今回…兄が…兄のヴィトーが、こちらの方へ来て…何かとんでもない提案をしたとか…リリアから聞きましたが…」

ジュリアンは、神妙な顔でそう言った。

「もとはといえば、私が悪いのです…ソユーズ家を守るつもりでいたのに…私が、いたらなかったばかりに…リリアにも心配をかけてしまって…」

「何を言うの、お母様!私は…」

ローズ・マリーの言葉に、リリアは反応して叫んだ。

「リリア…ヴィトーさまの申し出については、心配いりませんよ…あなたは、あなたの選んだ人と一緒になりなさい…ジュリアンは、あなたの大切な人なのでしょう…」

動揺するリリアに、ローズ・マリーは優しくそう問いかけた。

「お母様……」

「ジュリアン…どうか、リリアのこと…よろしくお願いしますね…」

ローズ・マリーは、そう言うと、二人の手をとった。

「あなた達は、まだ若いわ…これからの人だもの…私やソユーズ家の心配はせず、二人で生きていきなさい…それが私の願いです…」

ローズ・マリーの言葉に、ジュリアンは深く頷いた…。

「わかりました…必ず、リリアを幸せにします!僕が必ず…」

「ジュリアン…」

ジュリアンの決意にも似た言葉に、リリアは嬉し涙を流した。

 

 ジュリアンがソユーズ家を去るとき、庭まで見送りに出たリリアは尋ねた。

「これから、何処へ…」

「久しぶりに、シュテインヴァッハ家に戻ってみるよ…」

「まさか…ヴィトーに逢うつもりなの…」

「そのつもりだよ…今まで、僕はあいつから逃げようとしていた…なるべく顔を合わせないようにしてきたけれど…それじゃ駄目なんだ…やっぱり、逃げずに話し合わなきゃいけない」

「そう……」

リリアはうつむいた。

「心配はいらないよ…大丈夫だから…」

ジュリアンは、沈んだ顔のリリアを励ますようにそう言った。

「ことが片付いたら、また逢いに来るよ…それまで元気で…お母上のこと、大事にね」

ジュリアンの言葉に、リリアは小さく頷いた…。

 

 シュテインヴァッハ家に戻ってくるのは、何ヶ月振りだろうか…。

ジュリアンはそう思いながら、屋敷の門をくぐった。

メイドのメイがそれに気付き、すぐに駆け寄ってきた。

「ジュリアンさま!…お戻りになられたのですね」

「久しぶりだね、メイ…元気だったかい」

ジュリアンは笑顔で、メイに手を振った。

メイは涙目でジュリアンを見ながら、荷物を受け取った。

屋敷に入って、ジュリアンは懐かしそうに我が家を見上げた。

「なんだか、ここを後にして何年もたったような気がするよ…兄は…いるのかな」

「ヴィトーさまは…書斎です…」

「相変わらず、仕事三昧なんだね…お忙しいことだ…」

「あの…ジュリアンさま…」

「書斎に行ってみるよ…二人で、話したいことがあるんだ」

ジュリアンは、心配そうなメイをよそに、一人で書斎へと向かった。

 

 書斎では、ヴィトーが客と話しをしている最中だった。

ジュリアンが来ていることに気付いた客は、すぐに挨拶をして、その場を後にした。

「珍しい客人だな…一体どういう風の吹き回しだ…」

相変わらずのヴィトーの冷たい態度に、ジュリアンは冷静に応えた。

「あなたに逢いにきたんです、兄さん……」

「ほう…わたしに何の用かな…」

ジュリアンは、ヴィトーに真っ直ぐ近付いてきて、こう言った。

「あなたは、相変わらず卑怯だな…ソユーズ家の事情を知って、リリアたちに提案したそうじゃないか…手を結ぼうと…一体どういう考えなのか是非聞きたくてね」

「それで、わざわざ戻ってきた訳か…なるほど…そうでなければ、おまえが私に逢いに戻ってくるはずがないな…」

「わかっているなら、答えてもらおうか…なぜ、今さらソユーズ家にそんなことを申し出たんだ…ただの冗談なのか、それとも」

「冗談なわけがないだろう…私は本気だよ…彼女もしくは彼女の家族の為に提案したのだよ…シュテインヴァッハ家の長男である私と結婚した方が幸せになれるとね」

「幸せ…あなたから、そんな言葉が出るなんてね…リリアが冷徹非情なあなたと結婚して、幸せになれると本気で思っているのか…笑わせるね」

「じゃあ、聞くが…おまえは、彼女を幸せにできる自信があるのか…何に対しても責任を持たずに、今まで風の向くまま気の向くまま生きてきたおまえに…それの方が、よっぽど笑わせる…笑止千万だ…」

「……」

ジュリアンは、この男が嫌いだった…。

自分を一度も認めたことのない男、人一倍プライドの高い男、ヴィトー…

今まで何度理解しようと努力してきたか…しかし、その度に傷つけられた…。

今度もそうだ…きっと話し合いにならない…いつも、一歩通行でしかないのだ…。

いつから、こんな関係になってしまったのか…

そうだ、それはおそらく母の葬儀の日から…あの日から始まったのだ…。

 

 あの日は朝から雨が降っていた…

人々は、皆若くして亡くなった母の涙雨だと言っていた…。

母は、もともと身体が弱く、僕を生もうと決めたときも、はじめ周囲から止められたそうだ。

しかし、母は無理を推して僕を生んだ…。

僕が生まれたとき、兄はすでに10歳で…

僕が生まれたことに始めは戸惑っていたそうだ。

母は、そんなヴィトーを寝室に呼んでこう諭した。

「ヴィトー…あなたは、これからお兄ちゃんになったのだから…今までのようではいけませんよ…どうか幼い弟を可愛がってあげてね…」

母の言葉に、ヴィトーは小さく頷いた。

 

 母は、とても美しい人で…シュテインヴァッハ家の庭に咲いている花のような可憐な人だった…。

そんな母は、僕たち兄弟の自慢だった…。

兄は、幼い僕を当初とてもよく面倒を見てくれた。

でも、寒い冬のある日…僕が氷の張ってある湖に落ちるという事件が起きて…

それは、完全に僕の不注意だったのだけど…傍にいた兄が両親から咎められた。

「ヴィトー…あなたが付いていながら、何故こんなことに…もっと気をつけてくれなきゃ、困るじゃないの!ジュリアンが死ぬところだったのよ」

母は幼い僕を胸に抱いて、そう叫んだ。

「御免なさい…お母様…」

ヴィトーは、何度も母にそう謝った。

それから、高熱を出した僕を、母はずっと看病し続けた。

3日3晩そんな状態が続き、或る朝僕は目を覚ました。

そこには、ヴィトーが静かに立っていた。

「お兄様…お母様は…?」

「お母様は、ここにはいない…」

「どうして…何かあったの…」

「おまえのせいで…無理をして…お倒れになったんだよ…別の館で療養している」

「別の館って…そんなに悪いの?」

「お医者さまが、もう長くはないって…」

「えっ!…どうして…」

僕はその言葉が信じられなくて、気が動転した…。

僕が寝込んでいた間に、一体何が起こったというのだろう…

僕はとにかく母に逢いたくて、何度もその館に行こうとしたが、その度に止められた。

後で知ったことだが、どうやら母の病名は「白血病」だったらしい…。

つまり、別の館で隔離されていたのだ…。

幼い僕は、それからずっと母を思って泣いた…

それしか僕に出来ることは何もなかったのだ…。

その間、兄はどう思って過ごしていたのだろう…今になってそう思う。

 

 そんなある日、父が僕たち兄弟を呼んだ…。

そして、父は神妙な顔でこう言った。

「いいか…ヴィトーにジュリアン…お母様はね…もう長くないんだよ…おそらく今夜が峠だろう…傍についていてあげなさい…」

僕はとまどったが、兄は静かに頷いてその言葉に従った。

三男のノエルは、この頃まだ1歳で…母からやっと離れたくらいだった。

だから、僕たちのように母の思い出はない…。

 

とても静かな夜で、母は眠るようにベッドに横になっていた…。

だが僕たちが来たのを悟ったのか、静かに眼を開けた…。

「二人とも、いるのね…御免なさいね…こんなことになって…もっとずっと、傍にいたかったのだけど…本当に御免ね」

何故か母は、ずっと僕たちに謝っていた。

「私が死んでも…兄弟、仲良くするのよ…ヴィトーはお兄ちゃんなのだから…ジュリアンとノエルのこと…お願いね…面倒をみてあげてね…」

「……」

ヴィトーは、何も答えなかった。

「ジュリアン…おまえは身体が弱いから…とても心配…でも…これからは強く生きていくのよ…お父様や兄上の言うことをよく聞いてね…」

「うん…お母様…」

「いい子ね…本当に…」

母は、そう言って静かに眼を閉じた…。

そして、そのまま二度と眼を開けることはなかった……。

 

 あの日は、朝から雨が降っていた…。

黒い柩が、沢山の人々の群れの中を墓地まで運ばれていく。

人々は、皆涙にくれていた…冷たい雨の中を黒い葬列が続く…。

僕は、それを呆然と見ていた。なんだか不思議と実感がなかったのだ。

全てが夢の中の出来事のようで…だが兄は違っていた…。

兄は葬儀のあと…僕の傍にきてこう言った。

「僕は、お前が嫌いだ…もう甘えるな…わかったね…」

僕と兄は、その日を境にずっと対立したままだ……。
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