その瞳に映りし者

〜第21話 眩暈〜

 ヴィトーは、深くため息をついた。

「正直、これ以上おまえとくだらない話をする気はない…わたしは忙しいんだ…」

「自分に都合が悪くなったら、すぐ逃げるんだね…まだ話は終わってないよ」

「わたしは、ソユーズ家とシュテインヴァッハ家の今後のことを考えて、一番良い方法を提示しただけだ…何も問題はあるまい」

平然とそう言ってのけるヴィトーの落ち着きぶりが、更にジュリアンの怒りに火をつけた。

「あんたって人は、どこまで人の気持ちが解らないんだ…リリアが苦しむことが、何故理解できない!いつもそうだ…その無神経さが、ずっと僕を苦しめてきた…」

「おまえが、何に苦しんできたというのだ…いつも、自分の思い通りに自由奔放に生きてきたじゃないか、今まで…よくそんな事が言えたものだ」

二人の対立は、このまま続きそうに思えたが…

そんな中、急にドアがノックされ、慌ててメイが入ってきた。

「お話中、失礼します…あの、ヴィトーさま」

「何だ…」

「ノエルさまの通われてる学院の方が…」

メイの沈んだ表情をみて、二人に一抹の不安がよぎった。

 

学院の関係者が、神妙な顔で応接間に立っていた。

「どうぞ、お掛けください…どうされたのですか…弟に何か…」

ヴィトーに促されて、ソファに腰掛けた男性が、こう話し始めた。

「急な話で、驚かれるかと思いますが…実は、こちらのご子息の体調が思わしくなく…出来れば、少しご自宅にて療養をとられてはと思いまして…」

「どう悪いのですか…」

「はじめは、ただの流行り風邪だろうと思っていたのですが…なかなかその後も良くなる気配がなく…食欲もだんだんと落ちてきまして…」

男性は、さらに話しを続けた。

「そのあと、心配になって校医にも診せたのですが…それ以上のことがわからず…こちらとしましても、このままにしておくより一度戻られてから、もっと良い医師の支持を仰がれたほうがよいかと…」

「そうですか…わかりました…すぐに迎えの馬車を向かわせます…弟は、ずっとそちらに預けっぱなしで…こちらとしても、様子が解りかねるので…しばらく、屋敷で療養させましょう…わざわざ、お越し頂きありがとうございました」

ヴィトーは、丁寧に礼を言った。

「いやいや…とんでもない…私どもも、もう少し早くお話し申し上げればと思っていたのですが…何しろ、あなたはお忙しい身の上ですから…」

男性は、深々と頭を下げると、早々に出て行った。

それを見届けるとジュリアンはヴィトーに近付き、心配そうにこう尋ねた。

「ノエルがどうしたって…?大丈夫なのか、彼は…」

「大丈夫だ…おまえが案ずることはない…まもなく、ノエルはこの屋敷に戻ってくるだろう…どうするかは、その後だ」

「僕に迎えに行かせてよ!ノエルのことが心配だ…早く、医者にも見せなきゃ…」

「おまえが、そうしたければ勝手にしろ…わたしは止めない」

ヴィトーは、ジュリアンに背を向けてそう言った。

ジュリアンは、すぐに仕度をして…ノエルを迎えに馬車を走らせた。

 

 学院に着くと、すぐにノエルのいる部屋へと向かった。

そこには、ノエルの友達と思える学生が数人囲むように立っていた。

するとその中の一人が、こちらに気付いて話しかけてきた。

「ノエルのお兄さんですか…僕は、ジノと言います…あの、ノエルとはルームメイトで、仲良くさせてもらってます」

いかにも真面目そうな、メガネをかけたその少年は、ペコリと頭を下げた。

「初めまして、ジノ…弟の容態は、どんな感じなの…」

「それが…あまり、よくないです…なんだか、この頃顔色も悪くて…」

「そう……」

眠っている様子のノエルの姿をみて、ジュリアンは心配になった。

「ノエル…痩せたな…以前、会ったときに比べて…」

「ノエルは、ずっとあなたのことを自慢してました…素敵なお兄さんだって」

「え…僕のことを…」

ジノの話しに、ジュリアンは驚いた。

まさか、弟がそんなことを同級生に話していたとは…

「しばらく、彼はうちに帰って療養することになるけど…また、必ずこっちに戻ってくるから…その時には、また仲良くしてあげてくれないかな」

「勿論です!早く良くなって戻れるよう、みんなで神様に祈ります」

「ありがとう、ジノ…」

ジュリアンは、ジノに笑顔を返した。

しばらくして、ノエルは目を覚まし、ジュリアンの姿を見て驚いていた。

「どうして…ジュリアン兄さんが、ここにいるの?」

「おまえを、迎えに来たんだよ…これから、うちに帰ろう…うちに帰って、ゆっくり療養して、はやく病気を治そうね…」

「僕、大丈夫だよ…何も心配いらないよ…でも、久しぶりに家に帰るのも悪くないかな」

ノエルは、いつもの人懐っこい笑顔で、そうつぶやいた。

 

 ノエルを乗せた馬車が、シュテインヴァッハ家の門をくぐった…。

久しぶりに帰ってきた我が家をみて、ノエルは感慨深げにこう言った。

「なんだか、本当に久しぶりだね…何も変わってないや…いつもの風景だ」

「ノエル……」

ジュリアンは、そんなノエルを横目に、これからどうするか考えていた。

すると、ヴィトーがノエルを出迎えにやって来た。

「おかえり、ノエル…どうだい、容態は…少しは、いいのか」

「ただいま、ヴィトー兄さん…僕だったら、大丈夫ですよ…突然、ジュリアン兄さんが学院に迎えに来たことには、驚いたけど…すぐ良くなると思います…それまで、よろしくお願いします」

「何を言う…ここは、おまえの家だぞ、ノエル…遠慮することはない…すぐにいい医者に診せて、治してやるよ…」

珍しく、穏やかな口調でヴィトーがそう言った。

 

 ヴィトーは、さっそくこの国でも1番と呼ばれる名医を呼び、ノエルを診察させた。

しばらく診察したあと、医師はヴィトーにこう話した…。

「事態は、かなり深刻です…ご家族を早急に呼んでいただけますか…お話は、その後で」

「どういう事ですか…弟はそんなに悪いのですか…」

「ええ…手遅れにならないうちに、話しておかねばなりませんので…」

「わかりました…すぐに父にも連絡します…」

ヴィトーは、離れて暮らしている父とも連絡をとった。

セルゲイは、恋人のクロディーヌ同伴でやってきた。

そんな父をみて、ヴィトーはため息をついてこう言った。

「父上…医師が重大な話しがあると言っているから、呼んだのに…愛人同伴ですか…クロディーヌ、ちょっと席を外してくれないかな」

クロディーヌに冷たくあたるヴィトーに、セルゲイは口を挿んだ。

「ヴィトー…クロディーヌは、愛人ではないよ…もう、私たちは夫婦も同然だ…クロディーヌは行かない方がよいのではと言っていたが、私が無理に連れてきたのだよ…そろそろ、お互いちゃんと会って話しをしてもいいのではないのかな」

父親の言葉に耳を傾ける様子もなく、ヴィトーは冷たい視線を向けた。

「相変わらずですね…まあいい…とにかく、今日は医師の話を聞きましょう…ノエルの病気について説明するそうですから」

 シュテインヴァッハ家の家族が一同に介するのは、どのくらい振りだろうか…

まさか、こんな形でバラバラになっていた家族が集まるとは、それぞれ思っていなかったに違いない…。

医師は、全員揃ったところで、ノエルの容態について話し始めた。

「正直申して…あまりいい状態ではありません…彼は、恐らく…亡くなられた奥様と同じ、白血病だと思われます…」

一同は、その言葉を聞き、絶句した。

「弟は、あとどのくらい生きられますか…」

その中で、一人冷静だったヴィトーが、医師に尋ねた。

「兄上!!どのくらいって、どういうことだよ…ノエルがまるですぐ死んじゃうみたいじゃないか」

ジュリアンは、ヴィトーに憤慨してこう言った。

すると、医師は静かに話しはじめた…。

「おそらく、あと3ヶ月…長くて半年でしょう…」

「……っ!」

ジュリアンは、それを聞いて呆然とした。

まさか、弟が…ノエルがあと3ヶ月しか生きられないなんて…

我が耳を疑った…信じたくはなかった…しかし、これは現実なのだ。

誰もが、同じ病気で亡くなったエリザベスのことを思い出していた。

セルゲイは、亡き妻と同じ病に侵された息子の運命を呪った…。

「まさか、あの元気だったノエルが…」

セルゲイは、頭を抱えた…。

「先生…息子を助けることは出来ないのですか!どうか…どうか息子を救ってあげてください…その為だったら、何でもします」

セルゲイはすがるように、医師に詰め寄った。

しかし、医師は深刻な顔で、セルゲイにこう告げた。

「申し訳ありません…最善は尽くしますが…完治は、難しいでしょう…いまの技術では、治すことは不可能です…残念ながら」

「先生……」

セルゲイは、深い悲しみに打ちひしがれた…。

まだ若い息子に、これ以上何もしてあげられないのだろうか…。

出来るなら、自分が代わってあげたいとさえ思った。

重苦しい空気が流れる中、医師はさらにこう告げた。

「どうか…残りの時間、ご家族で温かくご子息を見守ってあげてください…それが、何よりの彼の支えになりましょうから」

医師の言葉も、沈み込んだ彼らを勇気づけることは出来なかった。

 

 医師が戻ったあと…ジュリアンは、ノエルにどんな顔でこれから会えばいいのか解らず、悩んでいた。

自分に出来ることは、何なのか…先のことを考えると更に暗くなりそうだった。

部屋に入ってきたジュリアンを見て、ノエルはすぐにこう聞いてきた。

「先生の話は済んだの?…で、何て言ってた…」

ノエルもやはり、気になるらしい…

「心配いらないって…少し、疲れが出て免疫力が落ちてるんだろうって…」

「そう…じゃあ、少し療養したら、すぐ学院に戻れるんだね!」

「ああ…そうだよ…また、ジノたちと遊べるよ…」

ジュリアンは、ノエルに精一杯の笑顔を見せた。

「良かった〜!実は、少し心配だったんだ…なんだか、みんな深刻そうだったから…でも、ジュリアン兄さんがそう言うなら間違いないよね」

「そうだよ…僕は絶対嘘は言わない…ノエルだって知ってるだろ…僕が嘘をつけないことを…」

「本当だよね…だから、世渡りが下手なんだよ、兄さんは」

「コラッ!」

ジュリアンとノエルはじゃれあった…。

無邪気な弟を見て、ジュリアンは本当に医師から告げられたことが全て間違いであってほしいと思った。

(ああ、どうか神よ…ノエルをお救いください…弟をもとに戻してください)

ジュリアンは、心の中でそう強く願った。

 

 医師の話が済んだ後、応接間に残っていたセルゲイは、ヴィトーにこう言った。

「ヴィトー…おまえも、心の中では色々と葛藤があるだろうが…今はそれには目をつむり、可愛い弟のことだけを考えて行動してくれ…頼んだよ…おまえは、この屋敷の事実上、当主でもあるのだから…」

「わかってますよ、父上…わたしだって、子供じゃない…そのくらいの事はわきまえてます…ノエルのことは心配しないでください…わたしが、ここできっちり面倒をみますから…」

「それから、もうひとつ…ジュリアンのことだが…」

「なんですか…」

「あの子のことも、少しは考えてあげてくれないか…おまえは、昔からジュリアンに厳し過ぎる…あの子だって、おまえとこれ以上、仲違いしたくないんだよ、内心は…」

「そのことでしたら、また今度…今は、ノエルのことしか考えたくありません」

セルゲイは、ヴィトーの態度にこれ以上話す余地はないと悟った。
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