「大石りく」でいいのですか?

長蘿堂

 TVドラマの配役などを見ていて気になることの一つに「大石りく」等の表記がある。「大石りく」は言うまでもなく大石内蔵助の妻を指しているし、彼女の名前が「りく」(この時代、宛字は無頓着に使用するので、理玖、リク、陸などの表記にはこだわらない)であることに異論はないのだが、問題は「大石」である。

 ここで問題。
 Q1 源頼朝の妻は?
 A1 北条政子。(正解)
 Q2 足利義政の妻は?
 A2 日野富子。(正解)
 それでは何故源政子・足利富子でないのか。答えは簡単。明治民法の成立までは、女性は生家の氏を称するのが普通だったからである。江戸時代も後半になれば、身分のあまり高くないところでは婚家の氏を称することもあったが、上流武家では依然として生家の氏を称した。(参考文献 福尾猛一郎『日本家族制度史概説』206頁)

 大石内蔵助は元禄期、1500石の御家老様である。「大石りく」は正しくあるまい。あえて氏を書くなら「石束りく」と書くべきではないか。それでは視聴者がピンと来ないというなら「内蔵助妻 りく」とかなんとか書き様はあるはずである。

 現代の「夫婦別姓」論は、何となく女性解放につながるような雰囲気だけで事態が進んでいる。前近代に妻が夫の氏を称さないのは、そもそも婚姻が家と家とのつながりを示すものだったからで、決して女性の権利を重んじたためではない。別の言い方をするならば、夫婦別姓が必ずしも女性の権利を保証するものではないのである。「夫婦別姓」論は、ともすれば「働く女性」(これも個人的には嫌いな言い方。専業主婦が怠け者みたいに聞こえる)が企業の歯車として効率的に作動するために利用されている感がある。
 ここで「夫婦別姓」を否定するつもりはない。ただ、そうした議論をするならきちんと歴史的経緯をふまえるべきだと考える。ドラマを製作する会社でも、夫婦別姓の女性スタッフ(あるいはその夫ないしパートナー)がいるだろう。そういう方々が「大石りく」という表記に何の疑問も持たないとすれば、それは「夫婦別姓」論議の底の浅さを示すものに他ならない、のではなかろうか。