高田郡兵衛の伯父
ある不運な旗本のこと

田中光郎

 赤穂浪士中江戸急進派と言われたのが、堀部安兵衛・奥田兵左衛門(孫大夫)・高田郡兵衛である。この三人はしばしば大石内蔵助に書簡を送って早急に事を挙げるように要求した。その貴重な書簡の控が『堀部武庸筆記』(『赤穂義人纂書』補遺所収。また『近世武家思想』=『日本思想大系』27にも収める)に残されている。尤もこの三人のうち、高田郡兵衛は脱盟した。その事情はこうである。
 郡兵衛の父方の伯父の内田三郎右衛門が、郡兵衛を養子にしようと、橋爪新八なる人物を仲介として申し入れてきたので、郡兵衛の兄で浪人の高田弥五兵衛を通じて断ったところ聞き入れず、弥五兵衛が考えなしに復讐の一事を漏らしたので、ますますこじれ、思案に余った郡兵衛が安兵衛らと相談の上、脱盟することとなった(以上、思想大系本219〜220頁)。この郡兵衛の話はかなり有名なものだが、重要な登場人物である内田三郎右衛門について知られるところが少ないので、ちょっと調べてみよう。

 以下、『寛政重修諸家譜』(刊本16巻77頁)による。内田三郎右衛門元知(もととも)の父は三郎兵衛貞親(さだちか)。兄(従って元知からすれば伯父)・谷六右衛門俊次(としつぐ)が大久保忠隣と親しかったので、その改易(慶長19=1614年)に際して処罰され、貞親も連座して五百五十石の領地を失った。元知の生まれたのはその後だった(正徳元=1711=年78歳で死んでいるから、寛永11=1634=年生まれの計算になる)。で、元禄13=1700=年というのだから、忠隣の事件から86年後の5月20日、67歳の元知は召しだされて小普請入りした。翌14年12月1日綱吉に初めて謁見し、25日に百五十俵を賜った。

 高田郡兵衛の脱盟は、この元禄14年の12月ころである。「一両年已前に公儀へ召し出され」たという安兵衛の記述(219頁)と一致する。また、村越伊予守組(同)とあるが、村越伊予守直成は当時留守居で(寛政譜16巻102頁)、このころの小普請組は留守居の管轄であるから、間違いなくこの人物であろう。そしてまた、これは『堀部武庸筆記』の信憑性を裏付けるものである。

 但し、郡兵衛はこの内田家を継いではいない。元知のあとを継いだのは内田正備(まさとも、七五郎・三郎右衛門)、武沢氏から入った養子で元知の娘を妻にした。こう書くと、妻も子もないという安兵衛の記述(219頁)と齟齬するようであるが、正備が養子になったのが正徳元年13歳とあるから、一件の後で妻を娶り娘を儲けたと考えてもおかしくはない(70を過ぎても子供のできることはありうるだろう)。あるいは、娘も養女なのかも知れない。委細は不明である。郡兵衛はどうなったのだろう。安兵衛らに語った(220頁)ように一挙後自殺したのかも知れないし、何らかの理由で破談になったのかも知れない。

 内田氏と高田氏との関係もよく分らない。父方の伯父とある通りならば郡兵衛の父の兄になるだろうが、元知には妹があるばかりである。元知の母(野村新蔵の娘)についても妻(富田氏の娘)についても分らないので、手掛かりがつかめない。或いは郡兵衛の一件が家の恥ということで提出した系譜には削除したのかも知れない。

 内田氏は徳川の譜代である。遠州勝間田の住人で今川氏に仕えた正利の子が、家康に仕えた内田近江正之で、正之の長男が正成の、次男が正次である。正成家は正信の代に、将軍家光の異様な引き立てにより、大名になっている。正信は家光に殉死したが、その子孫は繁栄している。たまたま権勢ならびない大久保忠隣と親しかった伯父のために、元知は大名になった再従兄を横に見ながら牢人していた訳である。そんな家など後世に伝えても、と妻も娶らず子も儲けずいた。それが老齢に及んで召し出された。家を残したいという気持ちが急に沸いてきたとしても不思議でない。近い親類から養子を迎えよう。ところが、なんと、その甥が反逆まがいのことを企てている。連座の厳しさは誰よりもよく知っている(ほとんど一世紀に近い苦難の日々!)。なかば逆上して甥に脱盟を迫ったと考えれば、この老人に同情したくもなる。いやいや、むしろ不遇の中で培われた片意地な忠誠心かも知れない。忠隣の叔父・彦左衛門忠教を見よ。安兵衛の記した(恐らくは郡兵衛の語であろう)「片向」な老人の一生を想像してみるのも、歴史の楽しみ方のひとつであろう。

 それにしても、親戚づきあいはむずかしい。同じく旗本の家ながら、名門桜井松平の出身で浅野家の番頭・岡林杢助は、当初から連盟に加わっていなかったが、一挙後一族に責められて詰め腹を切らされたそうな。『寛政譜』には松平忠郷の弟に直之が記されているが、「杢之助、浅野内匠頭長矩が家臣となる」とあるのみで、岡林の姓も自殺のことも記されてはいない(刊本1巻39頁)。郡兵衛も杢助も、旗本の縁者がなければ、思うように生きられた…のだろうか。