乾いた音をたて、白い砂が足元できしむ。 頂上では七色に輝く結晶が
地上に露出しているのだろうけれど、此処からではただ延々なだらかに続く
道がみえている。
 この途中に彼らはいる筈だった。 ギルドで偽の依頼を受け、結界の罠に
はまったゴブリンが。 おそらく騙された事も気付いていないだろう。
何故見知った場所で迷い続けるのかわからず、同じ所を回り衰弱してゆく。
 私は彼らの気配を探した。
一一「中腹の少し広くなった辺りに居るわ、サイフォス。 それで、」
気まずい沈黙って、どうしてか癖になる。 わかっていて言いたくなる。
「……それで、何故あの二人も此処に来たのかしらね、サイフォス」
 もう、この質問が出る事も、それに対する答えも覚悟して来たのだろう。
返ってくる声は、とても穏やかで落ち着いていた。
「ええ、私が呼びました」ロイは言った。
「ギルドを介して手紙を送ったのです。 二人と話をする為に」

 わざわざゴブリン達が居る場所へ、時期をみはからって呼ぶ事に、何の
意図があるのかおおよその見当はついていたものの、それでも私はこの時、
その理由の如何を問わず彼を殺したいと思った。

 カノンとセラは初め予期せぬ敵に驚いていたが、すぐにその剣を抜き、
ゴブリン達を追い詰めている。 その手に盾が握られている事に私は気付いた。
ディンガルの黒鎧騎士が持っているのと同じ盾。 今までは無かった筈。
そうだ、朱雀軍の副将に呼ばれたとアンティノに聞いていた。 
 これでロイの妹を嫌う理由がまたひとつ増えた訳だ、と私は思い、すぐに
考え直して可笑しくなった。 何故私が、黒鎧騎士を嫌うというの?
黒鎧騎士、デスギガース……ロイ、私も貴方に黙っている事が沢山有る。
「アーギルシャイア様、二人が聖杯を手に入れたようです」
 私は顔をあげた。 ゴブリン達がこちらへと走ってくる。 大事な宝物を取られて
がっかりしているかと思えば、意外に元気そうだった。 闇の神器や、追って来る者
との抗争には彼らも疲れてきたのだろう。 楽になったという顔をしていた。
「……どうされますか」ロイが訊ねた。
「放っておけばいいわ」聖杯を持たぬのなら何の価値もない。
「それでは私はあの二人の元へ」
「……どうするつもりなの」
「罠は決して解除しないで下さい」
 ロイは念を押すように言った後、少し声を和らげ、付け加えた。
「二人は神器を他にも所持しています。 ……忘却の仮面を含めると五種に、では」
一一「サイフォス?」
 灰色の姿は既に転移し、呼び声は虚しく宙に消える。 嫌な感じが残り、けれど
わかっていただろうと内心の言葉が責めるように響いた。


 二人は黙ったままロイをみている。
「セラ……」
 ロイは懐かし気にその名を呼んだ後、もう一度繰り返した。
「セラ、来てくれたのか……」
「ロイ、なのだな」
 親友の声にも微塵も動かされた様子はなく、セラは一歩進み出、冷静に確認する。
「セラ」もう一度大切そうにその名を呟いた後、ロイはその短剣を抜き放った。
「……会いたかったぞ」不意打ちで斬り掛かる親友に、セラも妖刀で応戦する。
空気を震わす清冽な音が二度、三度響き組み合った刹那、僅かにその薄い唇が
ぎゅっと噛み締められるのがみえた。
「お前は確かにロイだ」
 すぐに剣を離し、二人はやや距離を置いて対峙する。 
「だが、ロイは俺が唯一認めた男なのだ。 別の人格に変わっているとはいえ、
せめてもう少しましな台詞を吐いて欲しいものだな」
 向いあうセラの言葉は淡々として抑揚に乏しい。 それは、彼を知る者には
いつもと何ら変わらないと思えただろうけれど、私には何だか胸に痛かった。
 呪文を唱え、ロイの隣に立つ。 今まで兄をじっと見ていたカノンが
こちらへと視線を移した。 その目にどれ程の憎悪や怒りが込められているか
感じてはいたが私はそちらを見なかった。
 私はただ、セラをみていた。 セラも最初ためらうように、そしてゆっくりと
目を向けた。
 冷たい目。 けれど、この目がかつて熱を帯びて語りかけた日があったのだ。
思い出そうとしても記憶は霧に隠れぼやけてしまう。 ただ、断片はまだ在る。
記憶の森の中に居た魔術師と、同じ色を持つ目の記憶が。
 ロイからも決して肯定的とは取れない気配が伝わってくる。 が、それこそ
私は気付かないふりをしていた。
 一一サイフォス、一体何を心配しているの。
仮面を通し、話し掛ける言葉にロイが一瞬、息をのむ。
 一一貴方はあんなに優しいのにね。

 ふふっ……と声に出し笑うと、セラの目の色が変わった。
「抜け目ないのね、セラ」その表情の変化が可笑しくてたまらない。
「親友に対しても心を開けない。 でも、それって寂しくはないのかしら?」
 そしてロイは親友にだけ心を許している。 わかっているとは思えないけど。
あの親友の名を呼ぶ声の、そこに込められた微かな響きの差を。
 私にはそれが少し妬ましい。 ……そして、ほんの少しやはり胸に痛い。

「過剰とも言える警戒心……癒される事のない孤独……」
「そんな物はどうでもいい」
 言葉と共に浮かべた微笑が尚一層セラを苛立たせる。
「姉を返して貰おう」
 単刀直入な物言いに私は思わず声を上げ笑った。
「嫌だと言ったら?」
「お前の生命を貰い、姉を取り戻す」
「まあ、恐い」私はくすくす笑い、驚いたという様子をしてみせたが、意識は
隣に向いていた。 こうして話す間、ロイからは何の変化も読み取れない。 
(もし……)いいえ、私は内心の不安を必死に打ち消し、考えた。
ロイは決して私の期待を裏切らない。 決して。

「じゃあ、私も私の欲しいものを同じ方法で奪う事にするわ。
貴方には親友による死を、そしてカノン、貴方には兄による死を」
 三人がどう動いても対処する積りで、私は言葉を結んだ。
セラは月光を構え、目の前の曾ての親友を見る。 
 ロイもライジングサンを構え、間合いを計っている。
カノンは……しかし確かめようとするより早く、 私はもう一人、他方から自分へと
斬り掛かる金色の影を見た。
「……ッ!」
応戦する暇もない。 気付けばもうカノンは目の前にいる。
金色の流星と呼ばれた輝きが眩い程に飛び込んで来た。 思わず目を閉じかけた
その時、不意に灰色の影が視界を遮った。
「アーギルシャイア様!」
砕けそうに激しくぶつかり合う音が鳴り、木霊する。
カノンは剣を弾かれ、飛び退って斬り込んでくる剣をかわした。
紙の様に白い頬にうっすらと線が引かれ、血が一滴、傷口よりしたたり落ちる。
「……ロイ」庇うように立つその背を、私は不思議な気持ちで眺めた。
カノンは容赦なく二撃、三撃とくり出してくる。
一度は受け止めた、が、横合いから援護しようとするセラに気を取られた隙に、
漆黒の剣はロイの肩口を貫いた。
 灰色に染まった聖剣が地に落ちて転がる。 抑えようとする間に、幾筋も
血が伝わって流れ出す。
二人はロイが動けないのをみると、それ以上攻撃するのをやめた。
 一一許せない。 しかし急いで呪文を詠唱しようとすると、ロイはこちらを
振り返り、静かに首を横に振った。
「……ロイ?」
 地に伏した聖剣を拾おうともしない。 朱に染まった腕をそろそろと辛そうに
あげ、ロイは仮面に手をかけた。
 地を這うが如き低音が響き、空気は静かに緊張で張りつめる。 灰色の背中は
ゆっくりとその色を濃くし、私は闇の力が強まるのを感じ取った。
 何故、と思い、すぐにはっとなり視線は仮面へと吸い寄せられる。
わかった、と私は思った。 一一そう、わかったわ。
 ロイは一一ロイは、闇の神器の力を解放しようとしている。
あのウルカーンの妖魔の時みたいに。 
それは、もうただ記憶がなくなるというだけではない。 肉体は崩れ、自我を失い、
完全に闇の軍勢として生まれ変わる。 そうだ、私が作った怪物達のように、
醜悪で、力の平衡を失い、ただ力尽きるまで戦い続ける。
 けれどそれなら一一確かにあの二人を殺せるかも知れない。 勿論、妖魔と
化しただけなら倒されるだけだろう。 でも、此処には私がいる。 神器の
管理者たる魔人が。 その力を限界を越えて高める事も、封印として使う事も、
神器を媒介にしてより強大な力を持つ者を呼ぶ事も、今なら可能だ。
何より今でこそ冷静さを保っていても、親友であり実の兄であった者の
闇に食われた姿に対し、他の怪物相手に戦う様にはとても行くまい。
心の弱さを露呈した者なら、それに付け込む事も実に容易い。
更に此処の場所にはゴブリン達用に目には映らぬ結界を設けてある。 そうだ、
次の手を間違えなければ彼らに勝つ事もできるだろう。 そして、全てが終わった後、
この場所には決して壊れぬ神器だけが残される。
 一一冗談じゃないわ。 

 無性に腹立たしくなるのを私は押さえて考えた。
全く、貴方はただ私の玩具なのに!
(要は、禁断の聖杯が手に入ればいいのよ)
 まだ目の前に立つロイを無理矢理押し退け、半ば強引にセラの前に進みでる。
「本当に、容赦しないのね」
 震えも怒りも悟らせる積りはない。 私はくすくすと常のように笑った。
もうロイは使えない。 迷っている事を気付かれてはならない。
「でも、この美しい肉体を持った私を、果たして貴方は斬れるのかしら?」
 問いに対する答だとでもいうように、セラは無言で斬り付けてくる。
私は難無く避け、尚も挑発する為に笑みを浮かべたままセラを見上げた。
「この月光は精神を斬れる。 心配は無用だ」
 心配? 心配って何かしら。 一瞬にも満たない程短い間にみせた貴方の
その表情の事かしらね。
「死にたくなければ、まず姉を返すのだな、アーギルシャイア!」
 小心者が。 私は私を追い詰めたつもりでいる弟を心底哀れに思った。
幾ら大層な事を言っていても、貴方は、斬れないのよ私を。 その弱さを
消す事だけは出来ないんだわ。 だから動きが一瞬鈍る。 だから避けられる。
 でも、貴方の隣にいるその人間は違う。 それこそ、本当に怪物。
そしてセラ、貴方の目に映る、貴方にとても良く似た目の持ち主も……

「本当、昔から人間って好きになれなかったわ……。 
弱いくせに生意気で、いつでも裏をかくことを考えてて、油断ならなくて……」
 ロイ、何故貴方は私に優しい。
「分をわきまえる事ね。 貴方達はみんな私の玩具なのよ。
戯れに殺され、断末魔の悲鳴に興じる為に、此処に呼んだだけの存在なの」
 私は貴方を殺す事だけ考えていたのに。
けれども貴方がセラと呼ぶ声の震えが私を止める。 弟が僅かに見せた隙が
千切れていた記憶の断片を呼び覚ます。
 私は……いいえ、何故私の玩具は勝手に神器を解放しようとするの?
そんな意志は与えなかったわ。 そして何故月光を持つ剣士は、私を斬る等と
言えるのかしら。 月光こそ滅ぶべき剣の名だというのに。
 全く、私を誰だと皆思っているの。 そう、闇の円卓騎士のひとり。
破壊神に仕える者。 人間がこの世に現れた時より生まれた闇。
「それなのに私を傷つけ、かわいいロイも傷つけて……
少し、おイタが過ぎるわね」
 私は呪文を唱えた。 天より禍々しい光が降り注ぎ、二人を覆う。
耐えられず、倒れる二人に歩み寄り、側に落ちている神器を取り上げた。
「聖杯はいただいておくわ。 貴方達には不要でしょう?」
 悔しそうに顔を上げたカノンが剣を拾おうとしたが、その手も途中で
動かなくなった。
 ロイが安心したように膝をつき、私を見上げた。 その腕は痛々しく
血に染まっている。 
「ロイ……」
 ぐらりと揺れ、もたれかかってくるロイを抱き締め、私は目をそらした。


 昼とも夜ともつかぬ洞窟の暗闇の奥で、どこからか入ってくる淡い光が
膝にもたれ眠るロイを映し出している。
酷かった出血は一応止まった。 でも、赤黒く開いた傷は思ったより深くて、
何も出来ずにいた事への後悔が私を苛んでいた。
「アーギルシャイア様」いつの間にだろう、ロイが目を覚ましていた。
「此処は?」
「研究所よ、帰ってきたの」私は出来るだけ静かに答えた。
「まだ動かない方がいいわ、一応の回復はしておいたけど」
「でしたら、大丈夫です」
「だめ、命令よ。 じっとしてなさい、ロイ。 いいわね?」
 薄闇の中、彼の微笑する気配が伝わって来た。
「……承知致しました」

 一一たった1人で、どうする気だったの。
彼らから神器を奪う積り? 「それとも」声が洞窟に響いている。
 彼らに、神器を渡すつもりだった?
一一「責める訳じゃないのよ」沈黙する相手に私は言った。
「ただ、聞いてみたかったの」
「申し訳ありません、アーギルシャイア様」
「謝らなくていいわ」私は迷いながら口にした。
「だって、……ずっと私も、同じ事を考えていた。 貴方が聖剣を取り落し、
闇から抵抗する術を失った時。 弟や、あの金色の流星と戦って、貴方達が
神器を残し消えてしまう事を、望んでいた。
何故なら私は……ねえ、貴方も私をアーギルシャイアだと思ってる?」
「……無論です」
「確かに私の記憶は魔人のそれで、私の魔力も人間には到底出来るものでは
ないけど……でも、やはり私は魔術師なのよ。 
もう忘れてしまっているけど……弟と居る時、デスギガースと居る時、
どんなに消したつもりでもまだ残る淡い何かが、記憶の断片となって私の中で
蘇るの。 勿論、自分の事とは思えないわ。 でもきっとそう……」
 何も言い様がないのだろう、沈黙が続き言葉は闇に吸い込まれ、
別にロイが眠ってしまってもそれはそれで構わない。
 でも、一一何故かしら、とても「寒い」
ずっと、そうだった。 魔人と共に在る事を望んだ日から。
ウルカーンの炎も、アンティノの屋敷からみていたリベルダムの喧噪も、
全ては風のように通り過ぎ、意味は沈黙の向こうに消え失せる。
「こうしていると温かいのに」
 無意識にロイの腕を求めていた。 けれど、右肩だけは避けるように
していた事に気付いて、私は短く笑った。

「これもいつか忘れてしまうのかしら、私が私の事を、すべて忘れてしまったように。
でも、だからこうしていられる。 だって、私はかつて貴方を憎んでいたから。
死んでしまっても構わないと、むしろ殺してしまえたら、と、そう考えていた。
でも今は……貴方を抱き締めたいと思っているもう一人の記憶が、私に
貴方を求めさせる。
忘れてゆくたびに、消えてゆくごとに、震えはますますひどくなり、身を
貫くような寒さは増してゆくけれども、こうしていれば温かくて、先が闇に
吸い込まれ消えてゆく不安も、今だけは考えなくてすむの」

 こういう感情を何というのか、私は知らない。 
これから先も、知ろうとは思わない。


 数日後、アンティノが訪れてきて、私はロティ=クロイスが死んだ事を聞いた。



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