月はほんの少し欠け、木々の合間から高く空に浮かんでいる。
歩く先に道はなく、ただ星の位置から向きを知るのみ。
「リベルダムまでとぶ事もできるけれど」
 私は自信無げに呟いた。
ロイはそれを聞くと一度こちらを向いたが、それ以上の言葉がないと
わかるとまた振り返り、歩き続けた。
 何故ともなく寒くて仕方なかった。 全身に鳥肌が立つ震えは未だに
去らない。 
 木々に行く手を遮られつつ進む内、そこだけ抜け落ちたように
ぽっかりと開けた場所に出た。
 おそらく古代の忘れ去られた遺跡であろう、巨大な岩が重ねられ、
色濃い影を作っている。
 私は立ち止まった。
「ねえ」
 それまで見えていた灰色の背中は、すぐに闇の中へと消える。
「待って。 ……ねえ、そこにいるの」
「少し、ゆっくり行きますか」
「いいえ。 ……ね、待って。 此処なら大丈夫よ」
 再びロイの姿がみえると、こんな些細な事にすら不安を感じたと知らされる。
自分の弱さが信じられない。
ロイはまだ反対したそうな素振りをみせたが、やがて諦めたようにひとり頷いた後、
念入りに周囲に誰もいない事を確かめていた。
その間も、ただひたすらロイの姿だけを追っている。 
「何も居ないようですね」やっと納得がいったのかロイは表情を緩め、その腕を
伸ばす。 近寄るとぐいと腕が回り、そのまま抱き寄せられた。
そこだけ青白く浮き上がってみえる首すじに両腕をまわし、胸元に顔を埋める。 
「皮の匂いって好きじゃないわ。 ……」
 もつれるようにその場へ腰をおろした。 小石の崩れる音が遠くに聞こえる。
 ロイは黙ったまま力無く抱き続け、我慢できずほんの少し目をあげた。
「どのくらい、思い出したのかしら」
 問いかけながら、指先を髪に絡めさせ、はらりと離れてはまた絡める。
「これは、覚えている? セラは貴方の親友で、カノンは貴方の妹よ。 
貴方の故郷は壊されたの。
もうないわ。 私が全部、焼いてしまったもの」
 ひとつ何か言う度、どんな反応をみせるか息を潜め注視している。 けれど
ロイも予期していたのか到って冷静なままで、ただ、私が言葉を止めると
思わず小さくひとつ息をついた。
「帰りたいと思う? 彼らの所へ、戻りたいと」
 青白い首の中程に、爪を立てる。
「当然よね。 貴方のただひとりの家族だもの、気にならない訳ないわ。
いいのよ、会いたいと思って。 彼らと、もっと話がしたいと思って」
 指先に力を込めると、短く低い声が洩れた。 構わずゆっくり横へと
なぞるように滑らせる。 ほんの少し遅れ、追い掛けるように線が赤く染まった。
「……でも、離さないけど。 決して」
 そのまま、襟を少し緩め、内側へと手を差し入れた。
体温が、直接指に伝わってくる。 見えないその奥へと尚も手をのばし、
指でそろそろと探るうち、静かに上下していた胸が浅く、小刻みに動きはじめる。
「このまま、」
 頬にあたる肩の感触が心地よい。
「このまま、爪を立てて引き裂けば、貴方はもうどこにも行かないわね」
 指先で固くなった部分をつまみ、転がしてはもて遊ぶ。
荒かった呼吸が不規則になり、急に震えてはまた小刻みに戻っていた。
「くすぐったいの?」
 何度も血の滲む喉に唇を押しあて、離す度に囁いた。
「笑っちゃ嫌、こうやって遊ぶのが好きなの。 ……子どもみたいにね」
 唐突に今までだらりと下がっていたロイの腕が持ち上がり、脱がせるのも
もどかしいというように乳房を鷲掴みにした。
荒々しく揉みしだきながら、もう片方の手は不器用に上衣を押し下げる。
剥き出しになった肩に灰色の身体が被さるのを見ながら、私はいつかの夜を
思い出していた。 とても不愉快だった気もするし、けれどそれでいて
より貧欲に相手を求めた。 波に揺られるように記憶の端がぼやけ、
そこで見ている者だったようにも、触れている者の様にも思えた。


 



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