故郷の村が焦土と化し、親しかった者達は皆惨殺され、今また自分の
何倍もの大きさの怪物が、自分と妹を狙い鎌のような腕を振り上げる。
このような絶望的な状況の中、その人はまるで何も無いが如くに
妹を振り返り、穏やかに話し掛けた。

「カノン、ここを離れるんだ」
 
 妹はその声色に却って危機を感じたのか、激しく拒否している。
が、ロイは譲らなかった。 決して荒立てる事なく、柔らかい口調で、
しかし其処にはどうあっても変える事の無い意志が覗いていた。
「村人を避難させてくれ。 魔物は、必ず私が倒す」
 カノンはそれでもまだ逡巡し、頼むようなそぶりさえ見せたが、
兄が決して譲る気配がないのを見て取ると、やがて決意したように
固く頷いた。
 ロイはそれをみると満足気に微笑し、からかうように付け足した。
「大丈夫だ、私が嘘をついたことがあったか?」
 
 カノンは何か答えようとした一一が、言葉にならなかった。
一瞬の沈黙を過ぎると、カノンは何も言わず後ろを振り返り、
村へと走り去った。
「何故逃げなかったの?」
 妹の行く先を見送っていた兄は、その言葉を聞くと振り向いた。
既に穏やかな色は消え失せている。 
「芝居も大変ね。 でも、どうして? 一緒にここを離れれば、
少しは時間が稼げたんじゃない?」
「それでは追っ手がかかる恐れがある」
 ロイはあくまで冷静に答えた。 そして、灰色に奇妙な文様の
描かれた仮面を懐から取り出した。
「お前達の狙いはこの闇の神器だろう」
「お前……達?」
「違うのか? 身体はもう一人いる魔術師のものの様だが」
「当りよ。 私は魔術師。 ……そしてどちらも仮面を狙っている」
「そうか」ロイは答えた。
「だが、それは決してさせない。 私はこの隠された神殿に仕える
神器の守護者の一族、ロイ=ミイスだ。 
円卓の騎士と魔術師よ、私が相手になろう」
 その言葉が終わると同時に、ロイは仮面を両手で持った。
「いけない一一」魔人が叫ぶ。 彼は緊張した面持ちでそれを
みていたが、やがて決心したように忘却の仮面を被った。
忽ち彼の身体は闇の色に染まり、聖剣日光でさえもその輝きを失う。
苦悶の呻き声が低く大地に響いている。
 しかしその威圧感は今までの比ではない。 振り降ろされた
巨人の鎌の腕を、彼は楽々と捕まえた。
「これでもう、使えませんよ」
ばたばたと動くそれを、彼は強引に押さえ付ける。 両手が
ぐいと持ち替えられ、力を込めると腕は真っ二つに捻切られた。
「デス=ギガース!」
 半狂乱になりながらファイアボールの呪文を唱える。 空中に
出現した炎の球は、今にも仮面の騎士を焼き尽くさんとばかりに
猛り狂っていたが、不意に虚無へと消えた。
「何?!」 走ろうとする足が鎖に繋がれたように重くなる。
次いで腕が、胴体が動かせず、最後に首が両手で激しく
締め付けられているように息ができず私は苦しみ悶えた。
 一一落ち着きなさい。
「でも、このままじゃあの子が!」
 一一今の彼に魔法など無意味よ。 人間が使うより遥かに
強大な力を得ているのですもの。
 心配ないわ、少しの間凄まじい力を手にする代わり、もうすぐ
彼は記憶を失い、反動のように地に伏して動けなくなる。
 何故戦っているのかもわからず、死を賭して守りたいと思う
妹の事ももはや思い出す事はない。


 デス=ギガースはもう一方の腕で騎士を追い詰めつつ、失った側で
その首を刎ねようとしている。 何が起きているのか理解できて
いないのだ。 ただ痛みは感じるのだろう、金属を打ち合わせる様に
かん高く、何度も、何度も怪物は悲痛な叫びをあげた。
「助けられない……なんて……」
 深い淵の底に似た憎悪が沸き上がる。 半ば冗談のように感じていた
目の前の醜悪な巨人への思いは、愛おしいというより他に何と言い様が
あるのだろう。 そうだ、いつも無慈悲な程強く、残酷だった。
あれは私の大事な子だ。 おぞましい姿で、その鎌の下に倒れた者達の
無数の呪う声を浴び続けた、私の望みの為の生贄なのだ。
「嫌よ、私はあの子を助けるッ!」
 鎖の一端が千切れる。 再び空中に現れた炎の球は、今まさに
我が子の首をかっ切ろうとしている仮面の騎士を直撃した。
「なんだ、これは?」
 炎は騎士の広げられた手の平へと吸い込まれてゆく。 腕が忽ち
むくむくと膨れ上がり、行き場を失った炎がその中で暴れている。
やがて騎士がその闇の色に染まった剣をかかげると、剣は炎を従え、
輝きはじめた。
 騎士は身体を二つに折り苦しむデス=ギガースの頭を鷲掴みにすると、
一息にその喉を切り裂いた。
怪物は空気を震わす悲鳴を残し、ついに倒れた。 同時に仮面の騎士も、
その身に得た力を全て費やしたか、がくりと膝をつき、空をあおぐように
見上げながら倒れてゆく。
 私の四肢を縛り付けていた鎖は始まりと同じく不意に消えた。
叩かれたように騎士と怪物のもとへ走り出す。 怪物はまだ、ぴくぴくと
手足を震わせていたが、最早助からないのは自明の事であった。
 怒りを隠しきれず、私は仮面の騎士を振り返り、その手に握られた剣で
とどめを刺そうとした。 「一一ッ!」
剣は私をまるではじくように拒否し、彼を守っている。
「聖剣、日光よ」
 魔人は静かに注釈を入れた。
「今は闇に姿をやつしてはいるけど、元々私が触れることのできぬもの」
「あの男を殺しても」私は尋ねた。
「それでも、仮面は手に入る?」
「勿論よ。 殺さなくてはあの仮面は外せないわ……でもね」
 アーギルシャイアは村の方へ視線を向けた。
「今、村の入り口にいた最後のインスが殺された……無限のソウルの
持ち主を放っておくのはちょっと……面倒……かしらね」
「わかった」
 村への道を歩き出した時、急に誰かが私の腕を強く掴んだ。
「貴方は……」仮面の騎士が膝をついた姿勢のまま、私を見返す。
「どうして? もう既にあなたは闇に意識を取り込まれている筈だわ」
 邪険に腕を振り解くと、仮面の男はもんどりうって地面に転がった。
「ああ……あ……」
「馬鹿ね、自ら殺されにこの場所に留まるなんて」
 彼はもがき、必死に私の足に縋り付く。
「いいわ、先に殺してあげる」
 私は仮面の騎士に向き直り、まっすぐに見下ろした。
暫くの間、彼は自分を包み込む闇に抵抗していたが、漸く耐えきれなく
なったのだろう、掴んでいた手は力無く離れた。
何か言ってはいるが、それはもう言葉を成していない。 自らの頭を
抱えこみ、何度も何度も前後に体を揺らせている。
「無惨ね」
 苦悶の呻きが押しつぶしたように低く、断続的に聞こえてくる。
それでも彼は僅かに残った意識で戦おうとでもいうのか、行く手を
阻むように体をよじらせた。
 私は仮面の男の前に屈み、ぐいと顎をもちあげた。
「もう何もわからなくなった心で、それでも守ろうというの?」
 男は呻くのを止め、ぼんやりとこちらを見上げた。 その喉が
ひくんひくんと動いている。
生きている一一生きている! 私の子を殺した男が!
「もういいのよ、あなたに出来る事はもう何もない」
 できるなら、同じ思いをさせて苦しませたい。 でも出来ないから。
せめて私の全力をもって。

私はそのまま呪文を唱えはじめた。 仮面の騎士は最早抵抗もできなくなり、
ぐにゃりと腕にもたれている。
あの男が。 森で会った男が。
……あの時、放っておいてくれれば。 私は考えていた。
そうすれば、迷うことなどもうなかったのに。 
 一一「奴は……名前は、ロイ=ミイスと言う。 
 神官で同時に誇り高い戦士だ」
セラの残した言葉が響いている。 
楽しそうに話していた弟の表情、あんな事、滅多になかった。
でも、この男は。 この男は、デス=ギガースを殺したわ!
何も出来なかった悔しさで手が震えているのに、何故私はためらう?

 呪文は中程で途絶えた。 男を振りはらい、打ち捨てる。
身体を折り曲げて横たわる騎士。 私は立ち上がった。
「ごめんね……」
 仮面の男から目を背けると、誰に言うとでもなく呟いた。






「最近ちっとも喋らないじゃない。 どうしたの、死んじゃった?」
 アーギルシャイアが上機嫌で話し掛けてくる。
私は無視した。 消えたと思うならそれで結構だった。 ロイが
記憶を失った日以来、魔人は彼をサイフォスと呼び、片時も離れる
ことなく側において玩具のように扱っている。 彼もまた、とても
従順だ。 恐らくはただ記憶を失っただけではなく、仮面にその心を
支配されているからなのだろう、管理者たる魔人は絶対という訳だ。
……でも、気持ち悪い。 昨夜の出来事を思い出し、虫酸が走った。
肉は感じているというのが、尚の事不快でたまらなかった。
目の前に突き出された靴の紐を、大人しく解いてゆく男。
魔人はまるで愛玩物にするように、その髪を何度も撫でている。
やめてくれ! 叫びたかった。 ……靴ぐらい脱げる。
いや、もう脱がなくてもいいよ。 酸っぱい匂いで苦しんでも
それはそれでいいから、だからそうやって膝小僧にくっつきそうな程
近くに顔を寄せてみるのやめてくれないかな!
「厭よ、自分が臭いなんて。 冗談じゃないわ」
 魔人が呆れたように言うと、ロイは顔をあげた。
「いいのよ、サイフォス。 足をみられるのが恥ずかしいんですって」
「それは……」
「やめちゃだめよ、ねえ?」 魔人はロイの手を取ると、解きかけていた
膝上の結び目に押し当てた。
網のように組み合わせた紐越しに、手の感触が伝わってくる。 すぐに
離しても、刹那に感じたその温かさは中々消えない。 固く冷たい紐が
何度も肌を滑るように往復する。 骨張った節の長い手が、絡んでいる
紐をたぐり、鋲穴から入れては外す度、堅い指先がつ、つ、と曲線を
なぞるように静かに流れた。
 ゆっくりと、包んでいた黒い革は剥がれ、外側へとめくれてゆく。
内から現れる生白い脚を、髪を撫でるように押さえつけられているロイが
舐れる程近くからじっと眺めている。
「何を考えているの」
 魔人の問いが静まり返った室内に響く。
「……この子と、同じ事?」
 含みのある言い方で魔人は更に問うと、見すかしたように笑った。

あの後……いや、考えるまい。 只、あれがこれからも続くと思うと
……駄目だ。 こちらの思考など魔人には筒抜けである。 上機嫌なのは
何もロイと忘却の仮面が手に入ったからというだけではないだろう。
 一一色惚けした魔人などに、私は消せないわ。 話す気にならないだけ。
「そうだったかしら……貴方も随分と歓んで……ふふっ」
 吐き気がする。 けれども一番痛かったのは、魔人の言葉が的を射ていた
からでもあった。 何故、あんな事を望んだなんて言えるのか。
自分が一番、気持ち悪い。
ロイはどう考えているのか、気になっていた。 彼は魔人の忠実な下僕で、
あれもその意に沿っていたら延長線に私がいた、というだけなのだろう。
 現に昨夜も言っていた、「私はアーギルシャイア様の言葉のみ従い、
貴方の為にだけこの剣を奮い、貴方を守るための盾になる」と。
 でも身体は私のものでもあった訳だわ! ……本当に気持ち悪い。

「嫉妬?」
 一一自分にとって重要なものを他人が欲しがらないからといって、
事実を都合よく歪めるのはやめてくれない?
「面白い事いうのね……無駄だけど……」

 確かに無駄だった。 そして私は自分の言葉に嘘がある事を
知っていた。 けれど、それは必要だったのだ。
デス=ギガースを失って後、私は代わりを造る事がどうしても
できなかった。 それどころか、他のモンスターを使う事すら
考えられなくなっていた。 空白の場所には虚無が広がり、
そこに落ちる手前にはあの悲鳴ともつかぬ音が流れている。
空気の震える音。 ほんの微かな、けれど忘れられぬ音。
 その音が消える時には。 私は考えていた。 
その時には、もうあんな声をあげる事のない身体にしてあげる。
永遠に廻り続けるだけの肉体に。 
 ただ、忘却の仮面を使う事はもう無理な話だった。 仮面の
強固な古の力は、例え魔人が望んだとしても外れはしない。
そして、何れにせよ禁断の聖杯は必要なのだ。
しかし聖杯はもうロストールには無かった。 魔人の推測通り
猫屋敷に住む円卓の騎士がゴブリン達を使い、盗み出させた
らしい。 ならばその円卓騎士のもとに在るのかというと、
現在はゴブリン達が持って逃走中との事であった。 
「持ち逃げされたらしいわよ」 魔人はおかしそうにくつくつ笑う。
 アーギルシャイアは勿論そのゴブリン達を追ってはいたが、それ程
熱心という訳ではなかった。 
「彼等に扱えるものではないわ。 せいぜいちょっと賢くなる位」
 確かにゴブリン達では持て余すのが目に見えていた。 しかし、
そんな消極的な理由で諦める筈もまた無く、実際他にも、そして
本当の理由はやはりあった。


 ティラの娘。 闇に堕ちた聖母神ティラがこの世界に送り込んだ
千匹の怪物である。 彼等は一旦ソリアスとそれに付き従う人間達の
手により滅びたが、最近各地で復活しているとの噂があった。
「一体、どうやって?」
「私達と同じよ。 ゾフォルは……結局妖術宰相は昔も今も不変ね」
 古の伝説に残る怪物。 それは、是非とも欲しい所だ。 現在
大陸で最も強いモンスターといえば、竜王の島のギガース達であろう。
が、彼等は所詮古の世より細々と続いてきた巨人の末裔である。
現世に蘇りし古の怪物そのものとは雲泥の差があった。
 アーギルシャイアはロイに命じ、早速調べさせた。 そして、
私はティラの娘を退治してくれという依頼が既に冒険者ギルドに
出されている事、そしてその依頼をある新来の冒険者で、そして
……旧知の人物が受けた事を知った。

 エンシャント近郊にある乙女の鏡。 先人類の遺跡が残り、私自身
何度か訪れた場所である。 いつ行ってもさざ波ひとつ立たない
美しい湖の奥に、そのティラの娘が現れたという話であった。
「確かに綺麗な所ね」
 アーギルシャイアは爪先に当った小石が跳ねて転がり落ち、湖の
表面に完全で等間隔の真円が幾つもできるのをみると、そう言った。
「夢幻の湖は色彩鮮やかな中の白の美しさだけれど、こちらはまるで
最初から白と黒の二色だけの濃淡で構成されているようだわ」
「本当に一人で行かせて大丈夫?」私は訊ねた。
「別に一人じゃないわよ」魔人は軽く答えた。
「彼等にとっても、サイフォスとは戦う理由がない」
「という事は……やはり、「彼等」はそこにいるのね」
「会いたいの?」
「……話したい事がある」
 魔人は暫く考えていた。 
「いいわよ」彼女は底意のある笑顔を浮かべ、付け足した。
「ただし、条件があるわ。 ……できるかしら?」

 戻ってきたロイと一旦合流し、彼の話に従って湖の入り口で
待っていると、果たして彼等がやってきた。
その姿……正直な所私は少々驚愕していた。 成長著しい頃に
ある者とは、短期間でこうも印象の変わるものか。
以前に会った時は、ただの剣が使える少女に過ぎなかったのに。
 彼等も私の姿をみとめると、驚いたように立ちすくんだ。
「久しぶりね、カノン」私は微笑した。 「また会えて嬉しいわ」
「貴方は……」ロイの妹は忽ち表情を一変し、怒りを露にした
様子で剣を構える。
「でも、とっても残念。 約束を果たせそうもないわ……」
「何を馬鹿な事を!」言葉が終わるが早いか、カノンはこちらへ
斬り掛かろうとした。
 私の中のアーギルシャイアがゆらりと動く。 ロイの妹は
呆気無くその場に尻餅をついた。
(手を出さなくていいわよ。)
 一一そう? それは失礼。
私は、カノンと共にいた人物をみた。 懐かしさがこみ上げる。
けれども、それを悟らせる訳には行かなかった。
「私、あなたと一緒にいる人が邪魔なの」
 その人物……弟は、その言葉で突然我にかえったか、激高した。
「貴様が……やはり……!」
 鈍い奴。 
私は弟の怒りに満ちた表情をみると、つくづくそう思った。
(まあ、いいわ)だから言える事でもあるし。

 ずっと使わずにいた呪文で、はじめて造ったモンスターを呼ぶ。
「……これ以上ここにいても、別れがつらいだけかしら」
「待て!」弟が叫ぶ。
 威圧している積りなのかも知れないが、怖くも何ともなかった。
(そういえば、子どもの頃からこんな感じで言ってたわ)
微笑ましかった。 けれど。
 貴方がいる事が私には枷になる。 その声が、私の手を止める。
側にいる時は、それは別に嫌じゃなかった。 でも、もう
道を違えると決めてしまったから……
 細身の剣を持ち、隣に立つ人はもう、違和感を感じている。 
今ここで話しているのは、姉の身体を乗っ取った魔人じゃない。
 
「しつこいわ、セラ。 もう良い加減大人になって……。
私も、もう大人なの。 あなたの保護はいらないわ」
 言おうかどうか迷った言葉も。
「……新しい保護者もできたしね」
 魔人が転移の呪文を唱えた。

「あんなものじゃ弟は死なないわよ。 ……あの妹もね」
「わかっているわ」アーギルシャイアは答えた。
「ちょっと、遊んでみたくなっただけよ。 ……行きましょ。
お望みのティラの娘が届いているわ」



 ディンガルを追われた英雄ネメアが単身首都エンシャントへ戻り
叔父にあたるエリュマルク帝を倒して次の帝位に就いたという報が
流れると、バイアシオン全土に大きく動揺が広がった。
かねてより破壊神ウルグが降臨する器と予言された皇帝は、その
運命に抗うべく兵を発し、その魔道器である闇の神器の入手、
そして近く襲来するであろう闇の軍勢に対抗するため、大陸全土を
その手中に収める事を決意した。
 直ちに軍の編成が見直され、ロセン及び東方の小国家へは一兵卒に
過ぎなかったカルラ=コルキアが青竜将軍に抜擢されている。
カルラはこの時、若干16才の少女であったが、その苛烈さと
迅速な行動は他を圧倒するものがあり、彼女は「蒼い死神」として
諸国から恐れられた。
 これら一連の流れは英雄出奔の折から既に予想された事であり、
中立のドワーフ、風の巫女エアの治めるエルズ等の一部を除き、
周辺国は軍事大国ディンガルへの服従かあくまで抗戦するかという
苦渋の選択を強いられる事になった。 
 ロセン東部の小国家群も例外ではなく、彼等は派閥に別れて争い、
ネメア出奔の際の余波で下火になったディンガル派が一気に台頭し、
ウルカーン派は没落して炎と魔道の都市へと逃げ出す者が後を絶たず、
結果、ディンガルへの服属も、ウルカーンやリベルダムとの共闘も
選ぶ事ができなかったロセンは混乱の果てに内部から崩壊し、ペウダ
王は捕らえられ、即日、処刑された。
 既に戦闘用モンスターの取り引きを停止していたアンティノにとって、
ロセンの滅亡は特に痛手という訳ではなかったが、幼い頃戦乱で
故郷を失った蒼い死神が、元兇であるロストールやロセンの貴族達、
リベルダムの武器商人を憎悪しているという話には危機感を抱いた。

 研究所の向こうで大きな声が響いている。
「これは失礼致しました、アーギルシャイア様」
 声のする方へ何かしきりに毒づいていたアンティノは、後ろから
近寄ってきた私に気付くと狼狽し、何度も頭を下げた。
「違うわ。 ……私よ、魔人は今、別の世界で夢をみている」
「そ、そうだったか。 何しろ外見では区別できんのでな」
 その言葉に驚く様子が、またおかしくて仕方なかった。



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