感覚は、徐々に壊されてゆく。 寝たり起きたりしていたものが、
いつかずっと寝ていると感じられるようになり、それで別段不都合も覚えず、
変わらぬ闇の中を見つめて目だけはじっと開いている。 やがて動き出す様に
なってもどうにも寝ている間の事に感じ、境は次第に曖昧になり、記憶は薄れ
今壁に身体を寄せて座っているが一体何時からこの姿勢をとっているか判らず、
自分がどんな姿勢であるか考えようとしても思考は散り散りになりまとまらない。
 魔人はもう私に話し掛けもせず、時折みては笑っている。 その声と闇とが
壁に触れている肩から伝わってくる。 伝わってくると思うと壁が改めて
冷たく固く、ほんの少し上面だけ柔らかく粘土のようだと感じる。

 ディンガルの英雄ネメアが追放されたという報が伝わると、それまで
ディンガル、ウルカーン双方の庇護を受けていた東方6王国の内部は混乱し、
この機会に方針を変えるべきだと主張するもの、地位の逆転を狙う者などの
権謀術数の場と化し、ついには小王国同士の争いにまで発展した。
 これはロセン東部の安定を望むリベルダムの商人達にとっても、
ディンガルへの防波堤を置いておきたいロストールにも危惧すべき
事態であったが、幸い政権の転覆までには至らず、死の商人達はここぞと
ばかり暗躍した。
 アンティノは親友ロティ=クロイスと組んで仕事をしていたが、既に
輸出済みの戦闘用モンスターの他に未だ極秘開発中の新型モンスター、
デス=ギガースを試用する事を思い付いた。
当日はロストールやロセンの賓客、果てはアルノートゥンの神官まで集まり、
各国の注視する中、戦闘は始まった。

 暗がりがまだ明けぬ内に部隊はゆっくりと移動する。 町からいくらも
離れていない所に敵が宿営しているとの情報が入ったのは昨日の夜だった。
部隊といっても騎馬の者はほんの少数、あとは歩兵ばかりである。
 私は後方からデス=ギガースを操り、魔法で支援する役割だった。
護衛役の者達は落ち着かな気に前方を見回している。 年は13、4と
いった所だろうか。 兜の下から見えかくれする素顔はまだ幼い。
 アーギルシャイアはここには来ていなかった。 ほんの少し心が
軽くなる事にほっとしながら、息をついているようじゃ駄目だと戒める。
「怖い?」
 私は護衛役の少年に話しかけた。 「良い剣ね」
「こ、これは、母さんが……」
 緊張しているのか、後に続く言葉は消え入りそうに弱く、聞き取れない。
「そう。 ……弟もいつも剣ばかり振っていたわ。 前にも一一」
 角笛が響き渡った。 さわれそうな程張りつめた気が満ち、やがて丘の向こうより
敵部隊が姿を現わした。
先頭に立つ歩兵が一斉に弓を構える。 束の間の静けさの後、彼等は互いをめがけ
喚声と共に進んでいく。
先頭を駆けてきた者はあっという間に矢と石の雨の中、もんどりうって転がり込む。
負けじと向こうも投石隊を前に出した。 直ぐにこちらも幾人か倒れる。
どちらも譲らず進む事もかなわぬ応酬の中、ぞくぞくと倒れた兵は地面に重なり、
血と獣にも似た吠え声を大地に刻む。 やがて嵐は不意に静まり、突如その中央が
二つに割れた。 「進め、進めえ!」号令一下、途方もなく長い槍をまっすぐに構え、
兵士が横一列に並び突き進んでゆく。
石を手にした者、矢の尽きた者もまた剣に持ち替え、戦場のさなかへ躍り出る。
敵も剣を手にし、なだれを打って襲い掛かってきた。
何本もの槍が彼等を突き刺し、それでも足らぬとまだ前に進み続ける。 怯えて
弱腰になり、顎のあがった者達は引きつらせた表情のまま騎兵に打ち取られた。
 乱戦の中、次の合図が打ち鳴らされる。 一瞬の後、敵味方一斉にどよめきがあがった。
「おいで……いい子ね」
 古の神の血より生まれ、竜王の眠る島に巣食う巨人は、死して後その闇の半身のみ蘇り、
暗き目を持つ怪物として再び歩き出した。
味方の兵ですら慌ててその進路を塞がぬ為にこけつまろびつ逃げてゆく。
一体で何が変わるものかと残る弓兵は次々五月雨の如く矢を射るが全て跳ね返し、
おのおの握りしめた剣をふりかぶりてんでに斬り掛かるが傷ひとつ付かず、
やがて、デス=ギガースはその腕の一振りで敵味方入り交じり十数人を薙ぎ倒し、
鎌のような手先はそこかしこに胴体だけの屍を転がす。
飛びついて倒そうとする者を味方は突き落とそうとするが害が自分に及ぶのを恐れ
近寄れず、続々と敵は落とされてもなお縋り付き、震える手で短剣を突き刺した。
怪物は煩いとばかりに身を揺らし咆哮する。
 私は両手を掲げ、あらん限りの力を込めて呪文を唱えた。
一転快晴の空に厚く灰色に染まった巨大な雲が膨れ上がり、稲妻が走る。
まずは数名、その雷で絶命し、次に降り出した土砂降りはしがみつく者の手を
容赦なく滑らせた。
全ては敵のみにあたり、地面には一滴の水さえも落ちていない。
転がり落ちた敵兵はそのまま踏みつぶされ、或いは斬り殺され散ってゆく。
 恐れをなし、後退をはじめた部隊を正面無敵を誇る槍隊が突破し、外側から
囲い込んだ騎兵に追われ、扇形に布陣した部隊の左翼はもはや壊滅、司令のいる
右翼もその惨状をみて急速に士気は低下、落伍する者命乞いをする者を押し退け、
巨人を背にした味方は勝利を確信するように叫びつつ本陣へと襲い掛かった。

 離れた丘の頂より形勢を眺めていた陣がこれを機に撤収してゆく。
敵本陣が総崩れになり、どこからともなく勝利を叫ぶ声が轟き渡ると私も
デス=ギガースを元へと還した。
ただの一本の矢もここへは達しなかったのである。 これが人の力か。
かつて私と弟から家族や故郷を奪い、卑しい笑い声をあげながら略奪を
繰り返した者達も、この呆気無く倒れてゆく無力な者達も同じ兵士だというのか。
「もう、いいわね」
 護衛兵は何も言えず真っ青な顔でこちらをみる。
私は踵を返し、数歩進むとエスケープの呪文を唱え、虚空へと消えた。

 転戦する事数度に重なり、私にもこれが小王国同士の争いというよりは
ディンガルの異変を危惧した者達の策謀であるという事がわかってきていた。
英雄ネメアの行方は杳として知れない。 当初は北方テラネよりアルノートゥンの
援軍を得て挙兵するという噂がもっぱらだったが、恐慌したエリュマルク帝が
いくら探させようとも露とも手がかりは得られなかった。
 強盛であってはいけない。 が、内乱が打ち続くようでも安心できない。
主に北の牧畜地帯に居住し、迫害され、数を減らしているコーンス族を刺激し、
東にあっては高い塀の向こうに閉じこもるロセンの王を叩き起こしたい。
 水面下で常に争いの火種は仕掛けられ、ついにディンガル軍は小規模ながら
友好国の危急に際し軍を送った。
静観していたウルカーンもここに至り重い腰をあげ、国境近くにゴーレムの
部隊を待機させ、両者は東部六王国を挟んで睨みあった。
 ディンガル軍が来ている! それを知った時私は、胸中に去来する奇妙な
高揚感を禁じ得なかった。 
もう、どうでも良いと思っていた。 山脈の向こうにある小さな村落など、
祖国は決して本気で救援しようとはしなかった。 ただ、ロストールが
退くのに乗じて領土を回復したというだけであった。
むしろ、逃げてくる者を容赦なく追い返し、斬り捨てた黒鎧の騎士達。
彼等が今、あと少しで手の届く所にいる。
 そうだ。 かつてアンティノの看破した通りであった。
どうでも良い、興味はない、形にできればそれで充分と、困難と思う事には
はじめから扉を閉ざし、考えぬふりをしながらしかし欲望だけは膨らませて
いたのではなかったか。 
 最後の戦闘は凄惨なものであった。 まずはウルカーンで研究している
薬品を混ぜ少々の水ではその勢いを弱めない火が密かに持ち込まれる。
味方は故意に退却したとみせかけ、深追いしすぎた敵軍を待ち構えた者達は
次々に渇ききった草原に火を放つ。 忽ちの内に猛火が一帯を荒れくるい
死兵と化した彼等は振り向くと腕を斬られてもまだ止まらず、瀕死の縁から
せめて一太刀あびせようと碌に走れもせぬ体で巨人へと向かってくる。
デス=ギガースはその首をはね、まだ動くその胴体を真っ二つにし、
地に転がった肉の塊がまだもぞもぞと揺れる上から踏みつぶした。
 しかし、それでは納まらなかった。 私は巨人を先へ先へと進ませると
その目を借りて周囲を探った。
 いた。 勝算なしとみて引き上げる最中の間抜けな後ろ姿が。
しかし遠すぎる。 追い付く事はできるだろうが巨人を操れるか。
後詰めについた黒鎧の騎士が二人程遅れている。 
もう少しで追いつける。 彼等も追っ手がいる事に気付き、槍を手にして疾走する。
巨人の影が二人に重なったその時、私の前にいた護衛兵がどさりと倒れた。
 顔半分を潰された兵が、よろよろと剣を構え歩いてくる。
「お前が……魔女か……」
 デス=ギガースは遠く離れている。 こちらに振り分けられる魔力はそう
多くなかった。
「覆い隠せ、ダスト!」
 巻き上がる砂塵は兵を包み込み、翻弄する。 が、彼はまだ向かってきた。
魔力が尽きかけている。 膝から力が抜けてゆき、その場に崩れそうになるのを
私は必死にこらえて立っていた。
「お前が……皆、殺したんだな……」
 異変に気付いた味方がこちらへと走ってくる。 もうロースペルひとつ撃てる
力も残ってはいない。 一歩進む度に吐き出すように血を流しながら兵は
私に向かい、剣を構える。
 突然幼き日の光景が浮かび上がる。 のんびりとした小さな村。
母と手をつなぎ歩いている弟と私。 炎上する家。 地面に流れた血の跡。
見上げれば優しい笑顔を浮かべた母は背中を切り裂かれ倒れている。
優しい? どこかで聞いた。 どこで聞いたのだったか。 弟だ。
セラ、私に昔の幻を求めるのはもうやめて。 貴方の声は聞くのが辛い。
過ぎ去ったもの。 積まれた死体。 嘆きの声。 斜めに差し込んだ日ざし。
「……お前が……殺した……」
 兵士は音も無くその場に倒れた。 口から血の泡を噴き出している。
ディンガル軍はすでに去った後だった。 私はがくりと座り込んだ。
もう一歩も動けなかった。

「風向きが変わったようだな」
 アンティノのその言葉を聞いたのがどこでだったかは記憶にない。 
輪郭の鮮やかな夢は、何度も繰り返し流れ現実を侵蝕する。
「南の森でゴブリンが3匹程騒いでいるのをみたよ」
「ゴブリン……?」
「ああ、酒杯を交していた」
 言い終わるとアンティノは急に真剣な表情になり、こちらをじっと見つめた。
「……そう、風がね……」
 朦朧とする意識のなか、それだけ答えたのは覚えている。

 そして私は愈々予想された時が来たのを知った。
死への恐怖の記憶と積み重なる断末魔の悲鳴とが繰り返し波のように押し寄せる。
アーギルシャイアは笑いながら逃げるならそこよ、とドアを指し示す。
ひた走り、ドアを開けてもすぐにそこは血の色に染まり、次を開ければ今度は
漆黒の闇が広がっている。 これは夢だ、魔人の生み出した夢だと考え
扉を開け出て行こうとしても其処はまた悪夢に満ちた場所だ。
セラが通路の途中に立っている。 「姉さん……」やめて。 貴方は弟じゃない。
これもアーギルシャイアが見せている幻。 わかっているのに抱き締めずには
いられない。 その体温を、息遣いを感じずにいられない。
「寂しかった……寂しかったわ。 馬鹿ね、でも会いたかった。
どうしても会いたかった」
 ……いいえ、セラなんだ、夢じゃない、セラがここにいるんだ絶対。
「虚像とわかっていても縋るの? 哀れね」
 アーギルシャイアの蔑むような笑い声が聞こえる。
「ねえ、セラ、貴方のお姉さんね、古の時代の巨人まで造っちゃったのよ」
「駄目! ……違うわ、そんな事はないのよ」
「そうなの? じゃ、どうだって言うの?」
「違うわ、いいえ違う。 ……殺したのは私じゃない」
「じゃ、誰なの?」
「アンティノよ。 あの男に言われたからやったのよ。 
私が悪い訳じゃないわ。 あの男が計画した。 そして実行した。
私は何もしていない。 利用されただけ。 騙されただけ。
あの男が嘘をついた。 私を閉じ込め、強要したんだわ」
「記憶を歪めなければ生きていけないの? 
都合の良い認識でほんの少し楽になるのね。 ……醜いわね」
 セラの瞳が妖艶な輝きを帯びはじめた。 赤く染まった唇が動いている。
「もう、いいでしょう?」
 魔人はゆっくりと問いかける。 
離す事はできない。 私の両腕はまだ私の中の魔人を抱き締めている。
いや、もう離さなくていい。 私は考えた。 もう、これでいい。 
毒を飲む事になるとわかっていて、それでも選んだ事だ。
 弱い光などすぐに染まってしまう闇の意識が、私の中で広がりはじめる。
ぼやけてゆく視界の中には無数の扉。 どれも外には決して開く事などない。

 夢。 何度も繰り返す夢は、現実との境を曖昧にし、逆転させる。
それは、この上もなく優しい、甘い逃げ道。 先が見えない程激しく
降りしきる雨の色と同じ、出ることのできない朧気な牢。
 憧れること、そして願うこと。 けれど決して叶わない。 
アーギルシャイアの中で木霊する悲鳴は、静寂に憧れ、人が生まれる以前の、
始原の世界への回帰を願う。 
 しかし、薄暮の檻を開き、小花咲き乱れる草原に走り出てそこに溢れる
光を浴びれば、悲鳴は願いが叶った事に気付くより早く消失するだろう。
が、絶望して闇に堕ち、無に帰することもまた無い。
すべては混沌の中に在って思うもの一一それがアーギルシャイアの力なのだ。


 風が吹き抜けている。 私は目を開けた。 満天の星が輝いている。
小高い丘の上から先を見渡せば、遥かに向こう迄深い闇の森が続いていた。
(ここは、何処だろう……?)
「目が覚めたのね」
 慣れない感覚に、私は少し驚いた。 いつもの様に半分内からではなく、
全く自分と同じ所から声が聞こえている。 むしろ自分自身が会話して
いるようだ。 全く、覚えのない、考えてもいない言葉で。
「……遂に完全な肉体を手に入れたという訳ね」
「ええ、でも呆れたものね。 自分が力を手にするためなら自分の中に残る
光にむいた意識さえも犠牲にするというの?」
「……何のことかしら」
「この身体を乗っ取ってみて、はじめてわかったのよ。 貴方はわざと
私に向いて隙を作っていた、という事。
 逃げられないと知れば、むしろそれを受容しその中で自分を残す事を選んだ。
でも、どうして? 何故そこまでしようとするの?」
「闇の神器が欲しいからよ、わかっているでしょう。
……あの時、貴方に乗り移られた侭でロイの妹を殺し、ミイスへ行く事もできた。
けれど、神器が手に入れば瀕死の私では貴方に勝てない。 そして、
私の身体無しには貴方は結界を越えられない」
「この事まであの時から予想していたというの?」
 アーギルシャイアは驚き、ややあって自嘲気味に呟いた。
「あなたは結局私を利用することしか考えていなかった。 
負い目をすべて私に押し付けて、力は手に入れたいのね。
罪を感じる事もなく」
「協力しないか、と言っているのよ。 私ではせいぜいデス=ギガースを
操るくらいの魔力しかない。 それでは足りないの」
「冗談じゃないわっ」アーギルシャイアは激昂した。
「人間なんかと協力……? すぐ死んでしまう弱い生き物が、私に何を
求めるっていうの。 小狡くて、卑怯で、騙すことばかり考えている人間が!
 私が欲しかったのは、貴方の身体、その力、そして記憶だけよ。
孤独を埋める存在など、必要ないわ」
「そう、残念ね。 目的は共通すると思ったのだけど」
「…ふ、ふふ……いいわ。 これから貴方に面白いものをみせてあげる。
絶望の檻に閉じこもり、言葉を失うまでゆっくりと苛んであげるわ」
「それでは私はその檻の中で叫び続けてあげる。 私は貴方に殺されない。
貴方なんか、ただ目的の為の手段にすぎないのよアーギルシャイア」
 アーギルシャイアは唇を噛んだ。 そして小さく呟いた。
「奇遇ね。 ……私もよ」


「ゴブリン……ですって?」
 夜明け前にはミイスの森まで来ていた。 以前に来た時とは仕掛けの位置が
変わっている。 四苦八苦して結界を解く私に、魔人は溜め息をついた。
「役に立たないわね」
「ちょっと黙っててよ、気が散る」
 私は反駁した。
「大体貴方が喋ると自分で言ってるみたいで気持ち悪いの」
「私だって同じよ。 だから黙って罪の意識のずーっと奥に閉じこもって
いればいいのにまあ喋る喋る三倍は軽く一一」
「煩いわね。 あ、ひとつ解けた、次行くわよ」
 私はアンティノの言葉が気になっていた。
(南の森と杯といえば、やはりロストールにある禁断の聖杯としか思えない。
ゴブリンが3匹……もしかして)
「そのようね」
 魔人が口を開いた。
「ここに来て私にも、異変が起きているのを感じられるわ。
ふふふ……また猫ちゃんが余計な気を起こしたのかしら。
それはそうと、近くにも面白い人が歩いているようよ」
「わかってるわ」私は答えた。
「どこに居ても追って来る気配がしていた……」
 濃い青とその影に染まった世界がようやく白んでくる頃、私達は最後の
仕掛けのある場所まで辿り着いた。
 この向こうには小さな広場があり、奥の方にミイスへの道が続いている。
「変ね、開いているわ」
 私は驚き、思わず声をあげた。 ここまでずっと閉じられた森が、最後に
なって開かれている。 しかも、仕掛けの跡をみるにかなり慌てた様子だ。
アーギルシャイアは低い声で答えた。
「黙って……誰かいるわ」
 そっと辺りを窺うと、広場の向こう側に誰かしゃがみ込んでいるのが見えた。
一人は白っぽい服、もう一人は緑の簡素な服を着ている。 どうやらここに
生えている薬草を探しに来たらしい。
(あれは)私は考えた。
(あれは、ロイ……だったかな)
「何よ、その寝ぼけた言葉は」
「だって一度会っただけなのよ。 ……ね、ほら何か言ってる」


 広場にいる二人はやはりロイとその妹だったらしい。 華奢な身体に
細身の剣を持っている妹は、熱心に草むらを調べていたが、何かみつかる
度に嬉しそうに兄の元へ走っている。
「兄さん、ほら、こんな所に復活の真珠が」
「よく見つけたな。 ……元気の草もこれだけあれば足りるだろう」
 妹は何か考えこんでいる。
「どうした? 魔物に襲われていた怪我人なら心配ない。 今し方
父上が神殿へ運んでゆかれた」
「いえ、そうではなくて……」
 妹は何か言い淀んでいる。 その姿に、どうとは言えないが何か
以前とは違うものを私は感じた。
(何だろう、何かしら。 強くなった? いいえ)
「目が、違うのよ」
 アーギルシャイアは声を顰めて答える。
「こんな所に無限のソウルがいるとはね」
 ロイは何か妹に話し掛けている。 それでようやく納得したらしく、
二人は村へと急ぎ歩き出した。
 魔人は悪戯そうに笑う。
「試してみるわ」
 魔人は片手を挙げ、軽く揺らした。 小さな悲鳴があがる。
ロイとその妹の前に突如ウルフの集団が現れていた。 青く禍々しい
獣は、その鋭い牙を剥き出し、泡を噴き出している。
 ロイは妹を庇うように進み出ると、落ち着いた声で問いかけた。
「魔物と戦うのは初めてか?」
 妹は怯えた顔で何か囁いている。
「心配するな、訓練と同じだと思うんだ。 兄がついている」
「それじゃ意味ないじゃない。 ……簡単すぎて」
 アーギルシャイアはぼやいている。 そんな事とは露知らず、妹が
剣を構えたのを確かめると、ロイは励ますように頷いた。
「……ゆくぞ」

 戦いは本当にロイの剣であっという間に終わってしまった。
「ウルフの集団が五分とたたずに全滅とはね」
 アーギルシャイアは呆れたように呟いたが、すぐに気を取り直した。
「でも、デス=ギガースならどうかしら」
「えっ」止めて、と思わず私は言いかけた。 しかし、沈黙は無意味だ。
「やはりあの二人を殺すのは嫌な訳?」
 アーギルシャイアは笑っている。

 一一「大丈夫か、カノン?」
 ロイが尋ねている。 カノンと呼ばれた妹は未だ蒼白な顔をしていたが、
兄の言葉を聞くと気丈に微笑み、頷いた。
ロイはその様子に満足げな色を浮かべたが、魔物の屍をみるとすぐまた
厳しい表情に変わり、諭すように続けた。
「闇が動き始めている。 いずれ、破壊神の復活を目論む魔人達が神器を狙い、
ここにもやってくるだろう。 その時には、お前も神器を守る一族として
魔人や魔物と戦わねばならない」
 妹は熱心に何か答えている。 「これは杞憂だったか」ロイは優しく笑った。
「そうだな、お前は強い。 ……もう、修行の旅に出てもよい頃だ……」

「魔人と戦うんですって。 まあ、怖いこと」
 アーギルシャイアはからかうような口調で笑い、付け加えた。
「神官で守護者って厄介ね、頑なで。 でも今なら問題ないわ」
 何も言えなかった。 魔人がこちらの思いを察し、せせら笑っているのが
よく伝わってきた。
「いいのよ、わざわざ殺さなくても」
 ぞっとする程優しい口調で魔人が言う。
「足留めさえしておけば問題ないもの。 他はただの村人だとわかっているし。
ねえ、どう思う? あの二人は止めておいて村だけ襲うか、それとも皆まとめて
殺しちゃうか、どちらが良いかしら?」
「ま、待ってよ……まだ……」
「嫌なの?」
「……そうよ」
「思い上がるんじゃないわ」魔人は苛々したように切り捨てた。
「貴方を完全に消してしまわないのは、じっくりと苛んであげたいからよ。
悲鳴をあげさせたいの。 他に理由なんてないわ。
 闇の神器が欲しいんでしょう? 私もよ。 だから手に入れてあげる。
貴方はそこで、自分の望みが引き起こした事をよく観ていることね」
 
 アーギルシャイアは立ち上がり、草むらをわけ広場へと歩み出た。
二人は驚いて振り返る。 ロイが「……セラ?」と小さく呟いたのが聞こえた。
「ごめんなさい、少しいいかしら」
アーギルシャイアは妖艶な微笑を浮かべ、話し掛けた。



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