朝早い内に街の大門を通る。 冒険者らしい男が一人木陰に佇んでいたが、
私をみると手をあげた。
「驚いたな、本当にここから出てくるとは」
背後で大きな音と共に再び外部の侵入を阻む重い扉が閉められる。
私はその言葉には答えず、黙っていた。 ロセンはディンガルの報復を
恐れ鎖国を続けていたが、王の大切なモンスターの開発者とわかれば
招き入れない訳にも行かなかった。
「よくわかったわね」
「ああ、でも最初ギルドで話を聞いた時は騙されたかと思ったよ。
親父は選ばれた貴方にだけ依頼しますとか言い出すしさ、絶対詐欺だなって」
冒険者の男は戯けたように喋り、こちらの反応を伺う。
「腕の立つ人が欲しかったのよ、その点は大丈夫そうね」
「ああ。 で、どう行ったらいいんだ?」
「まずは街道沿いの村を目指しましょう。 そこから森に入れるわ」
よく晴れていた。 冒険者の男はのびをし、時折歌を口ずさんだ。
「どうしたんだい、元気ないな」男は不思議そうに訊ねた。
「こんないい天気だってのに」
「本当ね」私は無理矢理笑顔を作ってみせた。 「旅には最適だわ」
昨晩、ロセンに入ってからというもの、突き刺さってくる視線は
恐ろしい程だった。 表立っては誰も何も言わない。 が、皆知っていた。
あれがあの城のモンスターを造った者だと。
大きな目を見開いた子どもが逃げるように遠ざかる。 誰も私に
話し掛けず、会話を聞かれるのを怖がる。 宿屋の主人でさえ、必要
以上の事には決して触れようとはしなかった。
一一考えても仕方のない事だ。
研究所を出て久しぶりにみた世界は眩しかった。 足の裏から踏み付ける地面の
固い感触が伝わってくる。 歩いている自分は随分高い所にいるようで、
頼り無い気がした。
ここはこんな場所なんだ。 地図でみた時は細いまっすぐな線の一部にしか
過ぎなかった。 でも、実際は曲っている。 覆いかぶさるような木陰がある。
うるさい程虫が飛んでくる。
「旅なんて滅多にしないのか?」冒険者が訊ねた。
答えようとした時、左腕に薄緑の羽虫が止まった。
「ずっときょろきょろしてるからさ、一一ん?」
冒険者がこちらをみているのが何となくわかる。
「おい、どうしたんだ。 ……気分でも悪いのか?」
緑の薄い羽が千切れながら形を変えてゆく。 小指の先程もないような
かぼそい虫の体がどす黒い色に染まり、次々立つ泡のように膨らんでいる。
そんな事はないとわかっているのに、目の前では何度も何度も小さな虫が
異形の者に姿を変えては抑えきれずはじけて四散する。
悲鳴がこだましていた。 何が本当のものなのかもうわからなかった。
気がつくと私はその場に座り込んでいて、冒険者は何か必死に語りかけていた。
ゆっくりと辺りを見回した。 もう、何も起こらない。
「大丈夫一一大丈夫よ」
冒険者の表情が和らいだ。
「日にあたりすぎたみたい」
耳を澄ませる。 どこか近くから鳥の声が聞こえてきた。
街道沿いの村で昼食を取る。 店主は「こんなに賑わうなんて久しぶりだよ」と
よく冷えた水を持ってきてくれた。
「いつもは日に2、3人立ち寄ればいい方なんだけどね」
「そうなの?」
私は返事もそこそこに飲み干すと、ふうと息をついた。
「ああ、あんた達で5人目かな。 強そうな剣士が3人に、美人が2人。
何かあるのかね」
食事の間店主は、まだ何か言いたそうにそこに留まっていたが、終わり頃に
なってはたと膝を叩いた。
「さっきから妙な感じがしてたんだが、……そうか、わかったよ。
あんた、ちょっと前にここを出た剣士にそっくりなんだよ。 髪とか、顔立ちとか」
「私が?」
店主はそうそうと頷いた。
結界のある森。 時折小型の怪物に出くわす事もあったが、冒険者がすべて
打ち払った。 あとはわかりやすい細い小道がずっと続いている。
この道をずっと行くと、隣の村に出るのだと店主は言った。
だから、どこかで知らず知らず道を誤らせる仕掛けがあるのだ。
私は落ち着かなかった。 今通り過ぎた所がそうかも知れなかったし、それに
店主の言葉が気掛かりだった。
弟がいるのかも知れない、そう思うだけで心がざわついてくる。
もしそうだったら? もし会ってしまったら?
「……あっ」
「見つかったのか?」
冒険者が駆け寄ってくる。 一見他と変わらない。 が、そこだけ何か力を感じた。
あたりを見回す。 両側の草むらに2つ、木の枝に3つ、聖光石の結晶が置かれている。
「何で、こんな所にこの石があるんだ?」
「魔力を持続させるためよ。 ……待ってて」
解呪の言葉を詠唱すると、簡単に力は消えた。 前と同じにみえるが、
隠された道一一本来そこにあるはずの道が開かれていた。
簡単すぎる。 私は思わず考えた。 本当の結界はまだ他にあるのだろう。
「何も変わらないじゃないか」冒険者は不満そうに口を開く。
答える気にはなれなかった。 無言のままさっさと歩きだした。
同じ様な道がえんえんと続く。 ただ森の中の道なき道を進むというならまた
違ったろうが、下手に道がついているだけに余計に性質が悪かった。
額からうっすら汗が滲み出てくる。 足の裏が痛かった。 それでもどこかには
進まなければいけない。 どうしようもない。
何度目かの結界を越えたところで、不意に冒険者が「あ」と小さく呟いた。
私も気付き、辺りを見回して思わず毒づきたくなった。
「元の場所ね……」
どこかで仕掛けの外し方を間違えたらしい。 一度違う道を選ぶと容赦なく
最初の所まで戻るように出来ているのだ。 迷った事もわからず先へ進むと
隣の村へ着いてしまう。
もう一度やろう、と呪文の詠唱をはじめた時だった。 冒険者がやめろ、と
私に手で合図し、剣の柄に手をかけた。
すぐ近くで人の声が聞こえる。 私は耳をすませた。 中の1人の声に
聞き覚えがある。
(セラ……!)確かに弟だ。 会話の内容までは聞き取れない。何か口論
しているようだ。
最初にここへ来た時はまるで気がつかなかったが、ほんの少し元の道を
進んだ所に彼はいたらしい。
弟は、リベルダムの研究所に私を訊ねてきていた。 しかし会いはしなかった。
洞窟の研究所に移ってからはそれを気にすることもなくなった。 が、おそらく
其処で私の行き先について聞いてきたのだろう。
他の目的があるかも知れないとは私は考えなかった。 偶然にしては時期が合い過ぎる。
声をかけるべきではないと思ったが、彼等が話している事が気になった。
「もう少し前へ」小声で冒険者を伺う。 彼は頷き、剣を納めるとそろそろ歩きだした。
声の主はやはりセラで、もう1人は女性のようだった。
よく聞き取れない。 木の陰に隠れながら思いきり体を伸ばす。
「……何故そんなに怒るの? 私はただ私のものを返して欲しいというだけよ」
「無駄だ、諦めろ。 ウルグの配下のお前にはこの結界は通れない」
「そうかしら?」
「……どういう意味だ」
少しの間、沈黙が流れる。
「大体、どうしてお前がそんなに闇の神器にこだわる? 今になって。
破壊神を復活させたい訳でもないだろう」
「そうだとしたら?」
女性のくすくす笑う声が聞こえる。
「……嘘よ、そんなに恐い顔しちゃ嫌。 セラ、私ね、どうしてもやりたい事があるの。
その為には神器の力が必要なの……」
女性はセラの首に優しく両腕を回し、頬へ唇を近付けた。
「だから、邪魔するなら貴方でも殺すわ」
「俺は、最初からその積りだと言った筈だ、アーギルシャイア」
弟は邪険に女性をはねのけた。 アーギルシャイアと呼ばれた女性は再び声をあげ
笑いながら乱れた髪を直している。
「かわいいわね、お姉さんの前じゃ恥ずかしいの?」
「何?」
女性はこちらを振り向いた。 「下がって!」私は小声で冒険者に合図すると、
急いで解呪の言葉を唱えた。 弟が近付いてくる。
まだ見つかってない、あと数歩という所、後ろで剣を構える気配がする。
がさっ、がさっ、と草を踏み分ける音が響き、目の前の木から影が動いた。
思わず目を閉じる。
「姉さん一一」
声はそこで途切れた。 誰もいない道が続いている。
(間に合った)
冒険者が驚いている。
「な、何だ、どうなってるんだ」
「急ぎましょう」
私は短く告げると、すぐに歩き出した。
ひとつひとつ仕掛けを解き、前へ前へとミイスを探し続ける。
近付いてゆく手ごたえは感じても、気は重かった。
今会わずとも、いつか弟は私のしようとしている事を知るだろう。
その時、私はまだ彼の姉でいられるだろうか。
「この近くみたいだな」
ずっと周囲を警戒していた冒険者が、不意にぼそりと言った。
道が消えていた。 草むらの丈が低くなり、枝を張り巡らせた巨木が
若く真直ぐな細い木立に変わっている。
私も答えた。
「そうね、そして一一」向こうからのそりのそりとやってくる影がある。
「あれが最後の仕掛けのようだわ」
最初に姿を現わしたのはプレデターだった。 すぐにインス、ゴブリン、
ウルフとモンスターが続々と集まってくる。
皆、それまで出現したものより一回り大きく、猛々しい。
(おそらく神器の力の為なのだろうけれど)
「でも」私は自分に言い聞かせるように呟いた。
「それは、私も同じ事だわ」
自分の中の魔力がどんどん跳ね上がってゆくのがわかる。 妙な
自信のようなものが芽生えた。 正直、負ける気がしなかった。
飛び掛かるインスを冒険者が一閃、真っ二つに斬り捨てる。 胴体から
絞り出すように流れる血をみると、周りのモンスター達が一斉に色めき立った。
冒険者はもう次の相手へと移っている。 素早く動き回るウルフの向こうから
プレデターが白い絡み付く糸を吐き出す。
それらすべてをかわす間に私の手の中で生まれた毒の塊は膨れ上がり内部から
緑色の光を放ち輝きはじめた。
冒険者が真横へと飛んで逃げる。 敵を見失ったモンスター達が一斉に
私へ向かってその牙を糸を剣をぶつけてくる。
一一簡単ね。
投げ付けられた毒の塊はプレデターに当って飛び散り、他のモンスターへと
広がる。 剥き出した牙は届くことなくその場に崩れ落ち、彼等はもがき
のたうち回り、全身をどろどろに溶かされながら死んで行った。
「すごいな」
冒険者が隠れていた樹の間から顔を出す。
「それがアカデミー仕込みの魔法って奴かい?」
その言葉に一種のからかいめいた響きを感じ、思わず冒険者を睨みつけたが
彼はにそんな気は別にないようだった。
(考え過ぎだ、考え過ぎ)
頭を振って嫌な考えを打ち消す。
「そんな事一一」私は言葉を止めた。 まだ何か……誰か残っている。
目をこらし、息をひそめ前方を注視する。
と、岩陰からざくりざくりと砂を踏む音が響き、茂みを割って人が飛び出してきた。
いかにも慌ててやってきたという風情である。
「どうしました? この森は危険ですよ」
「実は、探しものをしているのです」
(わざとらしい言葉ね)私はその男の風貌を落ち着いて観察した。
全身白っぽい服を着ている。 剣士らしいが持っている武器は短剣だけの
ようだ。 その剣が何か普通のものではない力を持っている事に気付いた。
「迷うといけない、出口までお送りしましょう」
男は何でもないように言った。
「いいえ、とても大切なものですから」
私は相手の反応を探りながら答えた。
「何をです? この森には何もありませんよ」
「……忘却の仮面、よ」
男の表情に微妙な動揺が走る。
「知りませんね」
口調は冷静を保っている。
下手な嘘、と思い更に問い掛けようとした時だった。 私は相手の視線が
突然おどおどと落ち着かず、何度も私の顔をみているのに気が付いた。
「あなたは、もしかして……」男は迷ったような口調で話しはじめた。
「何かしら?」
「……い、いいえ、ただ……知り合いに似ていたものですから」
「不思議ね」私は思わず微笑んだ。
「今日は同じ事をよく言われる」
この男が多分ロイ=ミイスなのだろう、と私は内心思った。 セラから
聞いていた特徴とも合う。 神器の場所も知っているに違いない。
そこまで案内させるか、それとも場所を聞き出そうか。
けれどもロイ=ミイスなら相当な強者の筈だった。
(構わない)いざとなればこちらは2人。 彼がかばおうとした方向がミイス。
そこまで考えて、ふと相手と目があった。 向こうも私達の目的を推し量って
いたらしい。 無意識にその手が短剣の在り処を確かめるように動いた。
「とにかく、出口まで送りましょう」
「いえ、結構よ。 この先に行きたいの」
通り過ぎようとするその行く先を、褐色の腕が阻む。
「何もないと言ったでしょう」
「嘘ね、本当に何もないなら私達を止める必要もない」
腕を掴み、ぐいと押しやろうとして相手の顔を見上げた。 再び彼の表情が
落ち着かないものへと変わる。
しかし目の前に伸ばされた腕はいくら押しても動かなかった。
(苛々する)素早く炎の呪文を唱える。 が、その前に彼の腕をより強い炎が覆った。
(いつの間にっ?)守備する炎はより小さいそれを吸収し、こちらへとその舌先を伸ばす。
一足飛びに後退り、辛うじて避ける。
(呪文を詠唱する声など聞こえなかった……どうして?)
私は少し距離をとり、じっと相手を睨み付けた。
(言葉によらない……元々その人間に備わる力と考えるのが自然だわ。
習得したものではなく……生来宿っている力)
そういえば調べていた記録の中に「神器の守護者」という言葉があった。
セラも言っていたではないか、彼は「神官で誇り高い戦士」だと。
(守護者……神官……守るもの、そしてその力を司るもの)
「やはり貴方がロイね」
私は確認するように言った。
「ええ、そうです」ロイはあっさりと頷いた。 もう先程の動揺は消えている。
「で、貴方達は何者ですか」
答える代わりに私は召還の呪文を唱えた。 後ろの冒険者があっと小さな声を上げる。
ロイは平静を装ったまま、短剣を抜いた。
「聞かない方が宜しかったですか」
戦闘用モンスターはロイをみると触手を伸ばし、泡を吹き出した。
「そうね、聞かない方が良いと思うわ」
勝てる筈だった。 殺さずにおけばミイスへの道も開ける。
しかし、この時背後で何か重い音が響いた。
「うわ、ば、化け物……」冒険者は剣を取り落とし、がたがた震えている。
「怖いの?」私は冷笑を交えて尋ねた。
「だってそれは、それはロストールで暴れた怪物じゃないか」
「そうよ。 私が作ったの」
冒険者が呆然としてその場に立ちすくむ。 おかしかった。 別に構わなかった。
同時に私は今の言葉がロイにどんな影響をもたらすか観察していた。
彼はほんの少し眉を顰め、しかしすぐに冷静で余裕すらある表情へと戻っている。
さすが弟の認めた剣士。 私はひそかに尊敬の念を抱いた。
けれども、いつまでもそうしている訳には行かなかった。 戦闘用モンスターは
命令を聞くが早いか毒の霧を吹き出しながらロイに襲い掛かった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。 私は服に付いた若干の汚れを払いながら
目の前に這いつくばる相手を見下ろした。
「その傷は命を奪う程ではないわ」戦闘用モンスターを元へと還す。
「じゃあね」
行き過ぎようとするその側で、必死に彼はもがき、呻いた。
顔をみられないように前を向いたまま、私は密かに微笑した。
これでいい。 後はロイがミイスへと戻るのを追えばいいだけ。
今なら幾らでも好きな所で殺してしまう事ができる。
(やっと手に入れる事ができる)忘却の仮面。 闇の神器。 先人類の叡智を秘めた
破壊神の魔道器。 叶えたいもの。 暗い夢。 どうしても引き摺られる希望。
姉さん…… 急に先程のセラが思い浮かぶ。 苦味が広がってくる。
(セラ……セラ……)たった二人だけの家族。 何よりも大事だった弟。
弟は今の光景をみたら何というだろう?
(その全てを失っても良いと決めた筈だわ)激しく頭を振り、打ち消そうとした。
不意に背中に鈍い衝撃を感じた。 振り返ろうとしてそれはすぐ
強い痛みへと変わった。
「は……うは……ふ、ふ……」
冒険者が顔中に汗を滴らせながら笑っている。 彼の剣は私の背中を深々と刺していた。
「あ……」声が出せない。 痛みとも何ともつかない波が繰り返し襲ってくる。
冒険者は更に力を込めて剣を押した。 ゆっくり、体の中を何かが通り抜けてゆく。
痛いとも、何も言うことすらできない。 口だけが渇きを訴えるようにぽかりと開いている。
私はそのまま前に崩折れた。 途方も無く熱くなり、やがて冷たい闇へと帰っていった。
無限の闇。 星すらみえない、ひたすら続く静寂。
……私は死んだのか。 そうか。 他人事のように考えた。
もう少しだったのに。 一目だけでもみたかった、手に取りたかった。
その力を試してみたかった。 欲張りね、でもどうしようもない。
ああ、死んだらこんな事で悩まずに綺麗さっぱり美しいことでも考えるのかと
思ってたけど、そうじゃないんだ。 むしろこの永遠の闇の中で?
一生くどくど考え続けるの? いやもう一生なんて終わったのだった、
それじゃ果てない時をただぼんやり妄想して過ごすだけ?
せめてあの森がみえたら、神殿を探せたら。 ここはどこなんだ。
光が差さない。 とても寒い。 悔しくて流す涙も欲しいと叫ぶ声も全て
闇に吸い込まれ私自身にさえ届かない。
いいえ、涙はあるの? 声は出るの? 身体はまだ残っているのか、私は今
どうして考えられるのか。
けれども見えない、動かない、ただ本当に涙を流したのか、涙を流したと思う
自分がいるのか、それすら曖昧になる思いがあるだけ。
何も考えられなくなればいいのに。 ……いいえ、いいえ、そんな事はない!
わからなくなるのは嫌。 忘れるのは嫌。 忘れられても構わないけど、
私は覚えていたい、覚えていようとしないと消えてしまいそうな、そんな思いを。
固くて足が吊りそうだった石ころだらけの道を、覆い被さってくる無気味な蔦を、
久しぶりに聞いた弟の声を、たわいもなく崩れてゆく思いすべてを。
けれども忘れてしまうんだ、無限の時の中で。 死んでしまったから!
一一いいえ、そんなことないわ。
誰?
一一貴方はまだ、生きていたいのでしょう?
そうよ、でも一体……
一一私が力を貸してあげる。 貴方の欲しいものを手に入れなさい。
一一くすっ、人って愚かね。 自分を殺そうとした者を助けるなんて。
「待って!」
その途端、声が響いた。 熱が戻った。 何かが私に触れている。
ゆっくり目を開けた。 光と緑の入り交じる光景が一斉に流れ込む。 眩しい。
眩しすぎる。 頭がどうかなってしまいそうだ。
「気がつきましたか」
ロイは側で座り何かしていたが、私に気付くと安堵したように言った。
「……何故、生きているの……?」
「復活の真珠が間に合ったようです、良かったですね」
周りをみようと向きを変えた途端、灼け付くような痛みを感じた。
動けない。 呼吸をするのすら苦しい。 何だ、生き返っただけか。
あと少しなのに。 忘却の仮面はもうすぐなのに。
無理矢理身体を捻り、二歩、三歩前へ前へと這いずろうとした。
「あ、まだ動いては」
全身に溶けた鉄を押し当てたような激痛が走る。
「……くっ……」
最早どうにもならぬとわかると、再び全身の力が抜けていった。
頬に触れる地面がひんやりとしている。
と、私の身体は誰かに抱き起こされた。 ロイだった。
「無理をしない。 折角助かったんだ」
「どうしても……行きたいのよ……行かなければならないの……」
「わかってる。 だから」ロイは厳しい声で遮ったが、少し間をおくと
呆れたように笑いながら言った。
「……仕方ない、動かすこともできないんだ。 いいですよ、行きましょう。
ですがあくまで怪我を治すためです、いいですね?」
はい、を答えようとして逡巡した。 そこまで嘘はつけなかった。
思わず顔をそらした時、私は驚いて声をあげた。
「あれは……? 剣が輝いている」
ロイもそちらをみた。 彼の短剣が震えながら何度も何度も光を放っている。
「共鳴しているんだ」彼は上の空のように呟いた。 「まさか……セラが……?」
ロイは立ち上がった。
「すぐ戻ってくるから、まだ動かないで。 ちょっと様子をみてきます」
柔らかい足音が遠ざかって行く。 私は彼の後ろ姿がみえなくなると、木の幹に
寄り掛かりながら起き上がった。
冒険者の姿はみえなかった。 頭がぐらぐらする。
(早く移動しなきゃ)私は考えた。
木に掴まりながら、一歩、また一歩進む。 また身体が痺れてくる。
(止まらない、絶対に止まらない、歩けなくても、何もわからなくなっても)
やがて茫洋とした混沌の中へと移り変わってゆく。 嘘のように痛みが引いていった。
不思議な感覚の中で私は、自分が未だ歩いている事を知った。
緑は一度深くなり、突然に開ける。 ここが最後の結界だ、と私は思った。
小さな広場の真中に少女が一人、佇んでいた。
少女は剣の持ち方をあれこれ試していたが、やがて不思議そうな表情でこちらを見た。
思えばそれが、無限の魂との初めての出会いだった。