自分のした事を全てそのまま認めていたら、アーギルシャイアの復活がなくても
私はとうの昔に自分を失っていただろう。
今振り返れば、あれは偶然だったのかとも思う。 例え牢の格子が氷で出来ていても、
そこから逃げる事はできず、消える事もなかった。
それが、良かったのかはわからない。 空の肉体だけ残して後はすべて虚無に消え失せても
当然だと考えたし、楽だったようにも感じる。 実際、それを選ぶ事もできた筈だ。
けれども、私は生き続けたいと思った。
そして今なお罪の記憶はずっと消えず、忘れられず自分を責め続けている。
私は、殺される直前のモンスターの目をよく覚えている。
怯える、助けてくれと哀願する、やがてどうにもならぬとわかり狂乱し、そしてふと
一切の色が失われ虚無へと帰る。
デス=ギガースを造るよりはるか前、ほんの些細な実験の時だ。
どこにでもいる生き物、無害で、地を這い回るしかできない小さなものに、魔道の術を
行う。 それは最初戸惑っているが、すぐに自分に溢れて来る何かに慌てて走り回り、
その体を限界まで巨大化したかと思うとやがて、力はもっと大きな器をもとめて
肉体より溢れ出す。 多くはここで死んだ。 が、その後も生き残ったものは
もはや元の生き物とは想像もつかない凶暴なモンスターとなって新たな産声をあげた。
折しもディンガルとその東方の隣国ロセンとの関係が険悪になっていた頃であった。
南方の大国ロストールは、英雄ネメアを得て益々強盛になるディンガルを危惧していた。
エリス王妃はリベルダムの武器商人ロティ=クロイスらと組んでロセン王ペウダを唆し、
しばしば隣接するディンガル東端の小村を襲わせた。
アンティノが私や学院の生徒に目をつけたのもこの為だった。 彼はロセンだけでなく
ロストールの貴族達とも親交を持ち、少しづつ軌道に乗りはじめた人造モンスターを
高値で売りつけようと考えていた。
追い風は彼に吹いていた。 魔王バロル没落後帝位に就いたエリュマルクはあまり
評判の芳しくない人物だった。 甥にあたるネメアとの不和も噂されていた。
一見バイアシオンには平穏な空気が流れていたが、また大陸全土を巻き込む戦乱へと移る
前兆は既に存在した。
一方で私はほぼ出来上がった人造モンスターに不安を抱いていた。
「凶暴すぎるのです」
私はアンティノにそう報告した。
「一般の兵士では扱えません。 放った側から周りの人間を食べてしまいます」
「食べる?」
「ええ。 満腹しても動くものがあれば殺しにかかります。 一旦鎖を外してしまったら、
もう一度捕獲するのは困難です」
アンティノは実際に見てみたいと言い、私は実験場へと連れて行った。
モンスターは寝ていたが、私達が近付くとその頑丈な鎖を引きちぎらんばかりに突進し、
呑み込もうと大きな口を開けた。
一緒に居た部下2人は怯えて後退さる。 モンスターの鎖は肉に食い込み、怪物は
呻きながらそれでも進もうとした。
「放してやれ」
アンティノが言った。
「えっ」
「繋いだままではわからん。 さっさと鎖を外すんだ」
部下は今にも泣き出しそうな顔で怪物に近寄ったが、怪物がそちらをむくと震え出した。
おそるおそるこちらを縋るように見たが、アンティノはにべもなく「早くしろ」と突き放した。
部下は鎖を外した。「うわあ一一」声は途中で途切れた。 怪物はその触手を伸ばし、
毒の霧を吹き掛けた。 部下はその場に倒れた。 絶命しているのは誰にでもわかった。
アンティノは、もうひとりの部下にもほら行けとばかりに蹴った。
怪物は殺した部下を食べようとしていたが、その音を聞くとゆっくり向きを変えた。
部下は顔色蒼白でもはや動けない。 怪物は触手を伸ばし一一不意にぐうぐう眠りだした。
「ん? 何だ、どうした」
アンティノは驚いたが、すぐ私の手許に視線を走らせると笑い出した。
「小賢しいな。 ……まあ、大体性能はわかったよ」
彼は鷹揚にそう言うと出ていってしまった。 部下はまだ大きく目を見開き動けずにいる。
額に脂汗が浮かぶのを感じた。
あの頃、一体どのくらいのモンスターを造りあげただろうか。 後半になると主導は他の者に
移り、私はデス=ギガースを含めもっと扱いやすく、強いモンスターの形を模索していた。
そのどれもが倒され、現在大陸上には一体も残っていない。
夢と言えば夢のようでもあり、幻ともみえた。 実際、最初に感じていた抵抗感を越えると、
予想外に楽しい時を過ごしていた。 自分の生み出したモンスターがどんどん強くなってゆく。
血と憎悪を残し、そこに息づいてものをすべて無に返してしまう爽快さ。
山道で襲ってくる盗賊共を一掃し、ひとり悠々と歩いた。
残酷だろうか? バイアシオンを救った勇者も同じ事をしていたではないか。
私は剣を扱えない。 弟なら、立ち塞がる敵がいればそれを、闇の中でも輝く月光と共に
真正面から薙ぎ倒してゆくのだろう。 かつて、両親を失い二人だけになった時から、
ずっとそうして来たように彼は私を守ってくれていた。
ロストール軍も、逃げる途中で何度も怖い思いをした盗賊も、エンシャントに入り初めて
みたバロルの配下で恐怖政治を敷いた者達も、皆、当然の如く私達に剣を向けた。
力が無いというのは何と苦々しいものだろう。
端から見下してかかり、抵抗などできない
事は百も承知で襲い掛かる者の目を、私は忘れない。
もしドワーフ王国の地下深くであの泉のように静まり返り暮らしていたら、或いは南方の
島エルズで大陸の戦乱をよそに風の巫女の庇護のもとで生きていたなら、世界はまた違った
ものにみえていたのかも知れない。
が、私達には二つの選択肢しか残されていなかった。 力を持ち、他を圧倒するか、
支配され、いつ殺されるともわからず怯えて暮らすのか。
そして躊躇せず私は力を選んだ。 可愛い怪物達と、魔道の力を。
セラはずっと、アーギルシャイアが私を乗っ取ったのだと思っている。 多分、ロイも
そう考えているのだろう。 確かにそれは間違いではないし、アーギルシャイアもそう
だったと思う。これからもそれを否定するつもりはない。 が、私は私の内に彼女と同じ
闇がある事を知っている。
そして闇に落ちきれず、全て私ではなくどこか別世界の話をみているかのように感じ、
光を志向しては安らぐ自分がいる事にも気付いている。 結局、どちらにも成りきれず
光と闇との間に生まれた虚無は魔人の存在をむしろ望んでいた。
初めてアーギルシャイアに出会ったのはデス=ギガースを造っている頃だったろうか。
その魔人が、いつ、どこで生まれたのか、円卓の騎士になるまではどうしていたのか、
何故破壊神の部下として闇の神器のひとつを司るようになったのか、歴史書には何も
記されていない。
でも、彼女はこの世界を満たしている精霊達があげた断末魔の悲鳴の化身。 おそ
らくは、ウルグが現れるより遥か前から、人がこの世界に降り立った時より嘆きは
はじまるのだろう。
ティラの造り上げた完全な調和の取れた世界を神は喜ばなかった。 完全である事は
静寂に通じ、やがて静寂は虚無をもたらすから。 そこで神は、自分に似せたもの、
草木を燃やし、鳥や獣を殺す、混沌をもたらすもの……人間を造った。
始原口伝、もはや各地に残る文献から辿るしかない神話の一節だ。
それでは、闇の神器と魔人は、直接の関係はないのか、ウルグを復活する為の物
だから自分の手元に置こうとしたのか。
いや、幾つかの神器はもともと円卓の騎士たちの物であるし、仮面は一一
忘却の仮面は、偶然にしてはアーギルシャイアと類似する点がありすぎる。
おそらくその創成の時から関わっていたとみるのが妥当なのだと思う。
ほどなくして、戦闘用モンスターはロセンやロストールに買い手が
ついた事を聞かされた。
心配していた彼等の凶暴な習性については、新たに加わった優秀な研究員が
人の手で管理できる程度に矯正したと知り、私は驚いた。
「その人に会ってみたいわ」
「ああ、こちらにもいずれ連れてくるさ」
アンティノは疲れた様子で答えた。 ここ暫く彼は大陸各地を飛び回っていて、
碌に眠る暇もないとこぼしていた。
あれ程執着していた禁断の聖杯も、最近は会話にも上らない。
「何か飲む?」私は訊ねた。 「冷たいお茶ならあるのよ」
「それよりどうだ、何か不足なものはないのか」
「不足? そうね」私は堅い岩の壁をみまわした。 以前使っていたリベルダム近郊の
研究所はもう引き払っていた。 洞窟を利用して造られたひっそりとした今の場所は、
陽光こそあまり差し込まない暗い場所ではあったが、他人が騒ぎ立てる事もなく
その心配もなかった。
「本が少ない事ぐらいかしら」
「ああ、そうだった」彼は笑った。 そして注がれたお茶を一口飲んだ。
「変わらないものだな、ずっと」
アンティノはそれから、二、三とりとめのない会話をした後、急に黙り込んだ。
私は不思議に思った。
「何か、話があるの?」
「あ、ああ」彼は慌てて答える。
また短い沈黙の後、彼は思いきったように口を開いた。
「デス=ギガースを造った後はどうする積りだ」
「新しいものを考えるわ」
「恐ろしいな」口調はからかっていたが顔は平静だった。 私は何と返していいか
わからず、黙っていた。
「ロセンの王が買い込む様が目にみえるようだ」
「どうして?」私は訊ねた。 「また何かあったの?」
「ディンガルに惨敗したのが恐ろしくて城にずっと篭っているんだよ。
近隣の村から美女を次々と攫っているそうだ」
「ひどい話ね」私はあまり考えずに返事をした。 そして彼は一体何が言いたいの
だろうと気になった。
「用が済めばモンスターの餌にされているらしい」
私は思わずアンティノを見返した。 彼はいたって冷静で、自分の言葉が
どんな変化をもたらしたか見定めているようだった。
怒るべきか、それとも受け流すか私は迷い、黙って相手の出方を待っていると、
彼はそれも興味深そうに眺めていたが、やがて言葉を続けた。
「お前はずっと、怒りから研究を続けているのだと思っていたよ」
「私が?」
「ああ、幼い頃に両親や帰るべき故郷を失った怒り、魔王の恐怖政治の下で
無実の者が殺される事への憎しみ、そういったものが原動力ではないかと考えていた」
「そうね……否定はしないわ」
「だろうな」彼は皮肉な笑顔になった。
「復讐が望みか?」
「……さあ、どうかしら」
「お前の造ったモンスターは、結局の所お前が嫌う者達の力を増やしただけに過ぎないがな」
「私は、自分の能力を形にしてみたいだけよ。 別に戦おうと思ってるわけじゃないわ」
「そうか?」アンティノはぐい、と残った茶を飲み干した。 「そうなのか?」
「そうよ。 それだけよ」
「いやはや、恐れいったよ」アンティノは大仰に驚いてみせた。
「この暗い研究所で、ひたすらモンスターを造り続ける事が望みとはな。
形になれば満足か。 それがどんな結果をもたらそうが知った事ではないか」
「何が言いたいの」
私は顔が赤くなるのを感じた。
「忘れたのか? 俺が学院で引き抜けそうな奴を探していた時、どうしようもない程
引き付けられたのがお前だった。 優等生だからっていうんじゃない。
闇の神器の話を聞いただろう。 あの後の行動で確信した。
こいつにも、何かどうしても満たしたくて堪らない餓えがある。 俺と似ている。
だから引き抜いた。
それがどうだ。 蓋を開けてみればやっぱり優秀な研究員てだけじゃないか。
能力、か。 確かに能力だよ、感心だ」
「わ、私は、」
「ディンガルが怖いか? ネメアが攻めてきたら怖いよなあ。 ロストールも大国だしなあ。
いや、わかるよ。 うちは幸いロセン王家にも、ロストールの貴族にも交流があるからな。
その名前の下でせいぜい強いモンスターを開発してくれればそれでいいさ」
アンティノはそこでわざと止めた。 私の返答を待っているのはよくわかった。
闇の神器。 欲しくない訳がない。
が、あと少しの所で引っ掛かる何かが、私に即答する事をためらわせた。
沈黙していると、アンティノの顔つきが変わった。 今まで一度も見た事のない、
親身になって聞こうとしている、優しい表情だった。
非常に嘘くさい、茶番に乗るのも気恥ずかしくなるような、そんな感じの。
「……弟か?」
答えようとして、ぐっと胸が詰った。
「たった二人きりの家族だものな」
いいえ、と言おうとした。 でも、出来なかった。 声を出そうとすると、
それは言葉になる前にどこか破れたような音になって消えた。
セラ。 今、どこでどうしているんだろう。
アンティノは立ち上がった。 私はその出てゆく後ろ姿をぼんやり見送っていた。
が、彼は出入り口付近でもう一度立ち止まり、こちらを振り返った。
「……だが」彼は慎重に言葉を選んでいた。
「だが、君はその全てを投げ打ってでも壊したい何かがあると、俺は考えている」
独りになると、溢れかけていた涙がぴたりと納まった。
アンティノの言葉の表裏など勿論理解していた。 相手がそれを知っている事も。
闇の神器。 決して忘れた訳ではなかった。
怖かったのだ。 この研究所で自分の中の闇に折り合いを付けながらモンスターを
造っていれば、安心でもあったし、満足もできた。
あれを手に入れるという事は、日常を壊す事。 自分の中の限界を越える事。
弟の信頼を失う事。
それでも、もしその可能性があるというのなら、私は本当にその全てを失って
構わないと思うだろうか。
自分の中を覗き込んでみても、不透明で暗い底はぼんやりとしかみえない。
翌日私はリベルダムのアンティノの自宅を訪れ、暫く休暇を取りたいと申し出た。
彼はあっさりと了承し、替わりをすぐにまわすから心配ないよ、ゆっくり
休む事だな、と付け加えた。
「そうですか」安心するべきなのかも知れないが、笑えなかった。
むしろ屈辱に似た思いが掠めた。
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