初代:LKIT−16(PANAFACOM)
       
    (追記) 発売は1977年3月だそうです。ですから私が中学生の時です。
  
       TK−80(NEC)全盛の時代にあって、唯一16ビットマシンとして、後世に名を残す?
       マシンでした。
       これを組み立てたいがために、事前に電子工作のキットなどにもトライして
       ある程度半田付けの経験をつんでから組み立てに着手した記憶があります。

       当時は基本的にアセンブラしか搭載しておらず、必然的にマシン語
       というかプリミティブな言語を理解せざるをえない状況でした。
        IOとかマイコン等という雑誌が創刊されたのもこの頃。
        雑誌に掲載されるマシン語のダンプリストを打ち込んでゲームやTINY
       BASIC(極基本命令しか無いベーシックインタプリタ)を走らせていました。  
       今のようにディスプレイがあるはずもなく、7セグメントのLEDを表示
       デバイスとして備えていました。
        なぜかたまたま当時のカタログを保管していたので、掲載しておきます。
       こんな時代があったのよん。
       
       組立キットのため、作ったはいいが動かなかったという方も結構おられた
       のでは?
        このころ8インチのFDDが88万円!もしたことが、すごく印象に残って
       います。(下記カタログ参照!!)
       本体が確か9万8000円程度だったから、庶民が買える代物
       ではないですね。
 

当時のカタログです。(なつかしい〜) --- 画像アップデートしました。
    これが私の人生を変えた?きっかけのマシンです。

当時の売れ筋は8ビットのTK-80でした。
雑誌などで得る情報量もそっちのほうが格段に
多かったはずですが天邪鬼な私のこと。
人と違う選択をしてみました。

今思えば、それがそのまんま自分の性格だなと
感じます。
当時はマイコンが市民権を得はじめた黎明期だと
思います。
この後続々とマイコンからパソコンへと進化しながら
雨後のたけのこのようにいろんなメーカから個性豊
かなマシンが市場へ送り出されました。

自分が半田ごてを握って組み立てたマシンですから
動いたときの感動は忘れられません。
そして、いろいろなインターフェースボードも購入し、
組み立て・接続、テレビを改造してビデオ入力つきに
するとか、いわゆるマイコンシステムにするために
木工でマイコンケースを作ってフルキーボードをつなげる
など、これ一台からいろいろな楽しみが広がりました。

すでに私の手元にはないので現物の写真を残せなかった
のが残念です。

                           
      
    
  左記スペック表より

 CPU    MN1610 (16ビット並列処理)
 ROM    MB8518EC(1K語・最大2K語)
 RAM    MB8111(0.5K語・最大1K語)
 入出力ポート MN1630
 インターバルタイマ MN1640

キーボードスイッチ 48個
出力装置 7セグメントLED 8桁
カセットテープインターフェイス

電源
 + 5V  1.5A
 +12V  0.15A
  - 5V  0.05A
 
   
 ↑これが88万円のFDDだ!すごっ!!  ↑こっちは拡張メモリボード。32Kワード(64KB)!?
↓ ちなみにこっちは当時売れ筋のTK-80です。 ↓ 
   
  
ちなみにこっちの仕様は、
  CPU  μPD8080AD
  ROM  μPD454D
  RAM  μPD5101C(0.5KB 最大1KB)   
  パラレルI/O μPD8255C
  定価 88500円也