驚愕に見開かれた翔一郎の眼元が、フと、やわらかなカーブを描く。
なるほど、どうやらかなりの情報を得ているらしい。
尤も、匡雅の言動はそのまま日本という国すらも動かしてしまうのだから、隠密行動には限度が
ある。まして翔一郎の力を以てすれば、匡雅の周辺で起こる些細な出来事ですら一日と待たず
に正確な情報として手に入るだろう。
「あのコじゃないよね?」
意味深な視線が匡雅の瞳を覗き込む。やはり、翔一郎が手にしている情報は正確なものなのだ。
匡雅が囲ったのは、三兄弟なのだから。
ただし、愛人とすべく匡雅が手元に置いているのは長男だ。だから、翔一郎の言う『あのコ』という
のは末っ子の事だろう。
「ええ。」
隠しても、今更だ。無駄な事を匡雅は好まない。
「じゃ、あの魔性だ。」
益々翔一郎の笑みは深くなる。
「…。」
万人が平伏す美貌が艶然と笑う。
魔性というなら、この翔一郎とてその部類に入るだろう。
ただ、老若男女を問わず虜にしてしまう翔一郎と違い、男のみを虜にしてしまう彼は特殊な魔性と
言える。
女は、本能的に彼を避ける。
避けねば、比べられるからだ。
自ら磨き上げた美を誇る女たちにとって、男である彼と見比べられるだけでも不快なのに、更に勝
ち目がないとくればその存在は恐怖だろう。
一方、男たちは火に飛び込む蛾のように、本能で彼に惹かれてしまう。
匡雅が、そうであったように…。
「垂れ流しだよね。フェロモン。」
「…直接会ったんですか?」
「否。でも、写真からさえ溢れ出してた。あれは、本人に自覚がないだけにキツイね。」
「ええ。だから、周囲には信頼出来る者しか置いていません。」
「ふぅん。だから角井であり遠野なんだ。」
「…。」
「兄、ぞっこんだね。」
「どうでしょう…。ただ、他人(ひと)には渡したくないですね。」
「それを『ぞっこん』って言うんじゃないの? ああ、溺愛、か。」
言ってから、コロコロと翔一郎が笑う。自分で言ったものの、匡雅には似合わない溺愛という言葉
が、妙に笑いの壺を刺激したらしい。美しいが容赦のない笑みだ。
匡雅以外の人間には恐怖しか与えないだろう。
「お披露目は?」
「予定はありません。」
「隠せば益々危険だよ?」
「アレは堅気です。しかも子供だ。」
「匡雅兄の愛人に、そんな常識を当て嵌めるのは無理があるよ。」
「まだ、愛人にはしていませんが。」
「兄…らしくない。」
「…。」
「護ってあげるよ? その価値さえ認めれば。」
「…考えておきましょう。」
「うん。アレは、匡雅兄の命取りにもなり兼ねない。大事なら、早くね。」
「…。」
意味深な視線がじっくりと琥珀の瞳を覗き込む。
深い翠の視線は、それだけで見る者の心を鷲掴みにする。
「待ってるよ。」
その一言で、翔一郎は踵を返した。
24時間眠らない街、帝都。
宝石箱をひっくり返したような煌びやかな街の中を縫うように走る高速道路。
不夜城と呼ぶには美しすぎる高層ビル群の、その一角を陣取る界桜グループ本社ビルの地下か
ら飛び出したメルセデスは、黒塗りの護衛車を振り切る勢いで郊外へとひた走る。
メルセデス・ベンツ・SLR・マクラーレン・ロードスター。
国際A級ライセンスを持ち、車のコレクションを趣味のひとつとする翔一郎の愛車の中の一台だ。
スウィング・ウィング・ドアの滑らかな動きに一目惚れして購入したものの、自ら運転するのはこの
夜が初めてだ。
本当は、匡雅兄を隣に乗せるつもりだったのに…。
愛車のメタリックな輝きを夜の帳に散らばる星屑の一つに変えた翔一郎は、溜息まじりに右の助手
席に視線を落とした。匡雅が乗るはずだったその場所には、今は見たくもない報告書が捨て置かれ
ている。
----戸崎鷹久(トザキ タカヒサ)に関する身辺調査報告書----懇意にしている興信所から今朝届い
たばかりの匡雅の愛人に関する報告書に、最初、翔一郎は眼を疑ったものだ。
あの匡雅兄が男を愛人として囲うなんて。何度読み返しても信じられないその報告書に、出社予定
などなかった本社ビルで匡雅を捕まえたのが先ほどの事だ。
だが、普段から殺人的スケジュールで動いている匡雅をやっと捕まえたものの、彼にしては珍しく歯
切れの悪い対応に、結局不快な思いをするハメになってしまった翔一郎である。
別に、匡雅が男の愛人を持ったところで翔一郎は構わない。何しろ匡雅はSEXをただの排泄行為と
言い切り、要は突っ込めればそれでいいのだと男でも女でも相手にしてきた。勿論、相手はいずれも
最高級ではあったが、それでも一時間20万の支払いで済ませるような関係がすべてだったのだ。
それが、愛人を『囲った』という。
しかも、SEXの相手には現金での支払い以外花一輪買い与えた事のない匡雅が、その愛人には
超高級マンションの最上階フロアを丸ごと買い与えたという。本人の話では名義は匡雅になってい
るらしいが、そんな事実は大した事ではない。
問題は匡雅が自分の居住空間に他人を住まわせた事だ。
そして、信頼のおける部下を護衛としてつけた事。
そのいずれもが、今までの匡雅からは想像できない行動なのだ。
「くそっ。」
本気だろうか。
匡雅に対して恋愛感情など持ち合わせてはいないが、それでも口惜しさが言葉となって迸る。
光と闇。
翔一郎と匡雅を知る者は皆、二人の関係をそう呼ぶ。
コインの表と裏だと。
実際、そう呼ばれるように、生まれた時からそれぞれの道は決まっていた。
翔一郎は光の世界で君臨すべき存在で。
匡雅は闇の世界の覇者となるべき存在で。
けれど、誰よりも傍にいた二人だった。
親兄弟よりも、二人が共有していた時間は遥かに長いのだ。
それなのに。
「どうして隠すんだ…匡雅兄…。」
そんなに俺が信じられないのか?
角井や遠野は傍に置いているじゃないか?
誰より先に。
この俺に。
真っ先に紹介してくれてもいいじゃないか。
要は嫉妬なのだろう。
そんな事は解ってる。
「戸崎三兄弟…。」
魔性の男と、その弟たち。
「一体、どこで出逢ったんだ?」
翔一郎の疑問も尤もである。
極道と貧しい少年。
まるで古臭い三文小説のような二人の出逢い。
接点など何処にもないはずなのに、彼らは出逢った。
あれほどの美貌だ。この帝都に暮らしていたのなら何かしらの情報があっても良いはずなのに。
少年は、突然現れ、そして椿の目に留まったのだ。
「戸崎鷹久…か。」
写真の中で微笑むその顔には未だ幼さが残る。
とてもではないが裏社会からは程遠い存在であったのだろう。
匡雅に、出逢うまでは…。
メタリックな長い尾を引きながら、メルセデスは闇の中を走り続ける。
翔一郎の苛立ちを、上質な車内に抱え込んだまま。
ただ、ひたすらに。



