立花からの電話を切ったあと。
ふと、光司は考えた。
ヤクザ風の男の事を。
「多分…脅したんだろうな…」
きっと、牧野の事を許せなかったんだろう。
そして、意図せず犯罪者となってしまった青年の事を憐れんだのだろう。
明を助けてくれたくらいだ。事件を知って、その背景もすぐに理解したに違いない。
どうやって牧野の失明を知ったのかは解らないが、この先、嫌でも牧野は障害者としてセンターを利用し、生きて行かなくて
はならなくなったのだ。そうなれば、以前自分が食いモノにした被害者や、その被害者に連なる人間と出会う可能性は大きい。
こんな状態で、もしも青年を犯罪者にしてしまったら。
すでに警察が証拠集めの為に牧野が担当した障害者を訪ね回っている。
彼らは事件を知っているのだ。
そして、牧野が失明した事もやがて知るだろう。

ヤクザ風の男は囁いたに違いない。
弱者となってしまった牧野の耳元に。低く。冷やかに。

『牧野よぉ。因果応報。自業自得。テメェにされた事を、みーんな忘れちゃいないぜ。これからが楽しみだな』

ある日。何処かで。彼らに出会ってしまったら…。
その時、彼らの取る行動は…。

男の囁きに、牧野が竦み上がったのは想像に難くない。


「自業自得だな…」
リビングのドアを開け、ふと呟いた光司の声に、ソファで妙な動きをしていた明が振り向いた。
焦点は合わないが、声には敏感らしい。
「え?」
小首を傾げる明に微笑むと、そっとその隣りに腰を下ろした。
「いや、何でもないよ。それより、明さんは何してるの?」
明はアンジェリーナを膝の上で仰向けにし、妙な動きを繰り返している。
「見て解らない? アンジェリーナのダイエット体操を手伝ってるんじゃないか。また重くなってるみたいだよ、アンジェリーナ」
「ええっ!! うそっ。なんで?」
「光司くん。編集の人とか、何かアンジェリーナにあげてるんじゃない?」
「はっ!! そういえば…」
「もうっ。ダメじゃないか。八代医師に注意されてるのに。アンジェリーナが成人病にでもなったらどうするの。ねぇ」
光司にはプリプリと怒る明も、アンジェリーナには甘い。「ねぇ」なんて言いながら、前足をバンザーイと開くと、軟らかなお腹
に頬を擦り寄せる。
今夜は明にも同じポーズをしてもらおう…勿論、ベッドで。
そんな不埒な光司の野望を、アンジェリーナのお腹に甘える明が知るはずもなく…。

「電話、仕事?」
「いや。牧野の事件、無事に示談で済んだらしい。立花刑事が知らせてくれたんだ」
「え…そうなんだ」
「うん。牧野は引っ越したみたいだよ。事件の所為で介護資格も取り消されたらしいし」
「そうなんだ。でも、良かったね。青年が犯罪者にならなくて」

牧野が引っ越したという光司の言葉に、明はあからさまにほっとした顔で微笑んだ。
明は、牧野が失明した事を知らない。
知らなくていい事だ。
牧野が失明した事も、かつて明を助けてくれたヤクザ風の男が青年を救った事も。
明の心の傷が再び開いてしまうような事は、何も知らない方がいい。

「うん。それより、夕飯は何食べる? 今日は明さんの好きな物にしようよ」
「ほんと? じゃあ、パスタがいいな。サラダは俺が作るよ」
「解った。ツナとカイワレのパスタなんてどう?」
「いいね。光司くん、今何時?」
「そろそろ6時。キッチンに立つには良い時間だよ」
「じゃ、先にアンジェリーナのダイエット食を用意しようか」
「うん」

最近、明がよく笑うようになった。
少しは俺の想いを信じてくれたのかな…。

スッと立ち上がった明の腰を抱き寄せてその首筋に口づけようとしたら、明の腕の中にいたアンジェリーナに「にゃあっ」と怒
られた。
アンジェリーナめ。本気で飼い主を変えたな。
「俺と明さんを取り合うなんて、生意気だぞ」
「光司くん…アンジェリーナに焼きもち焼いてどうするの」
「例えアンジェリーナでも、明さんは渡さない」
「もうっ」
光司の言葉に、見る見る明の頬が赤く染まってゆく。ベッドの中では主導権を離したがらず、あんなに大胆なのに、ホント、
可愛い。
きゅっとアンジェリーナを抱き締めてその毛の中に顔を隠してしまった明を見つめ、光司は腰の辺りにトグロを巻き始めた
欲望の熱をどうしようかと考える。
まずは飯だ。そう。飯飯。
そう、飯なんだ。飯のはずだ。
それなのに…。

突然シンクの中に放り込まれたアンジェリーナが抗議の鳴き声を上げている。

「こ…光司っ…こんな、トコ、で…っ」
「明さんが悪い…」
「な…っ」
「アンジェリーナばっかり…頼って…」
「それ…だめっ…んっ。ばか…んくっ…もぅ…」

メインディッシュを先に食って、どうするんだ、俺…。

「光司の…ばかーっ!!!!」


【完】


おまけの後日談。
八代獣医のクリニックにて。

「それにしても椎名君。随分アンジェリーナに嫌われたものだねぇ。何したの?」
「いや、ちょっと…」
数日前、明とHする為にキッチンのシンクに放り込んだなんて、言えない…。
「それに…」
ちらりと待合室のソファで顔を赤くしたままフテっている明に視線を移し、八代は苦笑いを
浮かべたまま溜息を噛み殺す。
「何したの?」
ポソリと耳元で囁かれ、光司は「はぁ…」と気のない返事を返した。チラリと明に視線を向け
れば、耳まで赤くして怒ってる。
言えないよなぁ…騙し打ちで宝石店に連れて行った、なんて。
しかも、その場で指輪を嵌めてしまった、なんて…。

でも。
指輪を外さないって事は、それほど怒ってないって事だよな?

帰宅後。
光司が明から反撃を受けたのは言うまでもない。


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