天使で悪魔





静寂



  その世界は静かだった。
  その世界は音を失っていた。
  その世界は……。
  ……。
  私の選択が正しかったのか、間違っていたのか。
  それを客観的に見てどうかと問われると、判断はし辛い。価値観は人それぞれであり、絶対などありえない。
  しかしこれだけは言えるだろう。
  ……私は生きている……。






  静寂。
  静寂。
  静寂。
  「……」
  私は過去の生き方から、現在に至るまで静寂は好きだった。静かな場所は落ち着く。
  そして孤独も。
  でも今は?
  ……怖い。どうしようもないほどに怖い。
  震えてる。
  震えてるのよ、私が、私の体が。
  どうして?
  「……」
  私は自分が生き延びる為に皆を殺した。
  毒で。
  そう、せめて苦しまないようにと毒で殺した。
  しかしただの気休めであり、そして独善的で利己的な自分の心情を満足させる為だけの行為だとも理解している。

  苦しめずに殺すのは、私が彼ら彼女らが苦しむ様を見て、必要以上に自分を苦しめたくないから。
  ただ自分の所業を見たくないから。
  それだけでしかない。
  理解してるし、心底その為だけでしかないのを認めている。

  「……」
  皆、死んだ。
  息なんてしてない。息をしていないという事は、心臓も止まっている。
  本当に?
  本当に。
  この美しくも残酷な世界に、メルヘンなんて存在しない。
  あるのは個人ではどうしようも出来ない、ただただ残酷で冷酷な仕組みであり、そして結局は神頼み。
  だがその神頼みにすら代価が必要なのだ。
  無条件なる救いなど存在しない。
  何故なら、この世界は美しくも残酷だからだ。本来成り立たない仕組みの上に存在する世界。その成り立たない仕組みを
  逆手にとり為政者は世界を回す。自分の思い通りに。だからこそ、世界は更なる悲劇を生み続けるのだ。
  「……」
  死者は生き返らない。
  死者は戻らない。
  来世があるかなんて誰にも分からない。魂の救済も、転生も、そんなもの神官の戯言だ。
  私は正しい事をした?
  ……そうかもしれない。
  ……そうでないかもしれない。

  ただ言えるのはアン達は暗殺者だった。
  シシスの名の元に、夜母の名の元に人を殺し、報酬を得る、暗殺者達。
  その暗殺者達を殺し、その楽園を潰したのは私。
  人から褒め称えられる事はあっても、批判される事はまずあるまい。そうよ、私は正しい事をした。正しい事を。
  「正しい、かな?」

  この楽園にいる暗殺者達を私は愛した事。
  それが世間一般との価値観の違い。しかしそれももうお終い。
  自分自身の手でこの楽園を潰したのだから。

  ……自分が助かりたい一心で。
  ……本心を建前や様々な理由で隠し、あたかも正当であると言い聞かせて。
  ……私が、居場所を壊したのよ。
  「見事な腕前だな」
  「……検分は済んだ?」
  姿を現したのはノルドの暗殺者。性別男。……ふん。こんなむさい顔で女だったらある意味で反則だ。
  ルシエンの暗殺者達。総勢で九名。
  検分役、とは名ばかりで私が暗殺失敗&放棄した場合の、執行者。
  皆を殺して私も殺す、刺客。
  今の今まで姿を隠してはいたものの、もう隠す必要はないのだろうね。全員が私の前に姿を現した。
  「全員、心拍停止を確認した。毒殺か。なかなかうまい手を使う」
  「変な事してないでしょうね?」
  「変な事?」
  「遺体に傷付けてないでしょうねって事よ。……せめて綺麗なまま、埋葬してあげたいのよ」
  「下らぬ事を」
  「下らないですってっ!」
  「お前が殺した。自分が助かりたい一心で。大好きな大好きな家族を、死にたくないから殺したんだ」
  「ち、違うっ! 違う違うっ!」
  「違わないさ。お前は顔では泣きながら心ではこう思ってるのさ。あーあ、死ぬのが自分でなくてよかった」
  「……」
  私はよほど滑稽な顔をしたのだろう。
  ノルドの男は半ば軽蔑し、半ば愉しむように笑った。ルシエンの手下なだけあるわ。ネチネチした、程度の低い男だわ。
  「感傷は捨てろ。お前はただの人殺しだ」
  「……違う、違うぅー……」
  「違わない。お前は自分の為なら誰でも殺す。その結果、家族すらもな。まさに暗殺者、なのに下らん感傷を抱きやがって」

  「……違う、違うのぉー……」
  弱々しく頭を振る。
  普段の私なんか、ただの虚勢?
  ……こんなに自分が弱いなんて、知らなかったな……。
  ……もっと強い女だと思ってた。
  ……もっと……。

  「レンツさんっ!」
  女暗殺者が叫ぶ。女、と言っても外見では分からない。声で分かった程度だ。アルゴニアンの暗殺者。
  その女の視線の先には……。
  「アンっ!」
  私は他の暗殺者が対応する前に、立ち上がって走った。

  アンが這いずってる。
  息を吹き返した?
  「アン? アンっ!」
  私はその場所にしゃがみ、そして抱き上げる。
  ……ああ。あれはこの符号なのか?
  その光景は、服こそ着ているもののあのブロンズ像と同じ恰好だ。
  ……神様なんて信じない。
  ……運命なんて信じない。
  ……でももしも神様も運命もあるとしたら……なんて残酷なのだろう。

  これじゃあ、この為だけにあのブロンズ像があると言ってもおかしくないじゃないかっ!
  「アンっ!」
  「どうしてぇ? どうしてこんな事したの……?」
  「ご、ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」
  「ん、許す」
  「……えっ……?」
  柔らかく、アンは微笑んだ。無邪気な笑顔。
  「何となく分かってた。フィーは嘘吐くの下手だし」
  「分かって……ならなんでっ!」
  「ここが私の家だから。ここにいる人達が私の家族だから。フィーの都合でこんな結果になったなんて思えなかった。
  だから悟ったの、ああこれはルシエンの指示なんだって。私は、従わなきゃいけないから」

  「馬鹿じゃないのっ!」
  「酷いなぁ、フィー。最後ぐらい、甘えようよ、お互いに」
  「……お姉様はいつだって甘えたでしょうに」
  「くすくす。そうだね」
  アンは助からない。
  死ぬ。
  もうすぐ死ぬ。
  解毒は存在しない。私が作らなかったから。
  この毒は一度体内に入ったら確実に対象の心臓を停止させる。絶対に、確実に。
  息を吹き返したのは、ある意味で奇跡だ。
  でもね、奇跡は続かないものよ。
  ……もうすぐ、彼女は死ぬ。
  「あたしはずっと寒かった。路上で、いつも死と隣り合わせで。誰もあたしを見てくれなかった。でもルシエンはあたしを
  拾ってくれた。あたしに家族をくれた、あたしに居場所をくれた。だから、寒くなくなった」

  「……」
  「それでも死ぬのは怖い。……死が怖いんじゃなくて、また寒くなるのが怖いの」
  「そっか」
  「でも今はもう寒くない。何でだと思う? 聞きたいでしょあたしのスリーサイズを聞きたいぐらいに」
  「いえスリーサイズは必要ないですから」
  「そうだね。フィーはあたしの体を手で直に測ったもんね」

  「測ってないっ!」
  「くすくす」
  笑いながら、彼女は咳き込んだ。
  血を吐くなんてしない。そんな毒じゃない。自然に死ぬ。外傷もなく、吐血もなく。
  そういう毒にしたのよ。
  ……無残な死体は、私の心を壊すだろうから。
  ……ふん。結局、自分本位。私も俗物でしかないわけだ。
  「フィー、あたしは寒くないよ? 何でだと思う?」
  「何で?」
  「フィーがいるから、もう寒くない」
  「お姉様?」
  「……」
  「……アン? アン、アン……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
  むぎゅー。
  抱いたよ、だから何か言ってよ。優しく何か答えてよっ!
  「あんた馬鹿よっ! 居場所だからって、家族だからって、死んだら何もならないじゃないっ!」
  「……」
  「気付いてるならやり返しなさいよ勝手に自己満足で死なれたら、私はどうやって生きていけばいいのよっ! こんな
  気持ち抱いて、酷いよこんなの残酷な仕返しだよっ! アン、アンっ!」
  「……」
  「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

  こんなの酷い。
  こんな、二度も死を看取るだなんて……。
  ……。
  いいえ。これは正当な仕返しね。
  私が殺した、悪いのは私。
  私が悪いの私が私が私が。だから私は仕返しされても仕方ない。そうよ。これは正当な仕返しよ。
  ……正当な……。
  冷たくなったアンの死体。アルゴニアンの女暗殺者はご丁寧に脈を取り、心臓の音まで聞いて死んでいますとレンツと
  呼ばれたノルドの暗殺者に伝えた。あのレンツが、おそらくはこの中のリーダーか。

  「立て。ルシエン様に報告しに行くぞ」
  「私は奪いし者よ。あんた程度の命令は聞かない」

  「まだ違う。正式には、報告が済んでからだ。つまり今のお前は俺の命令に従う義務がある」
  「断る」
  「そんな死骸は捨てて、とっとと来い」
  「……っ!」

  死骸っ!
  私は飛び掛り……あっという間に、他の暗殺者二人に取り押さえられた。
  「離せぇーっ! 殺す、殺してやるぅーっ!」
  レンツ、冷笑。
  「やはりお前は使えないな。ルシエン様の命令だ。不要な様なら消せとのお達しがある。……殺せ」
  『はっ』
  二人の暗殺者は刃を振り上げ……血煙の中に倒れた。
  喉元を私のナイフで掻き切られたのだ。
  「なっ!」
  「ああ、そういう事。そっちがその気なら私も手加減はいらないわけだ。……私は天使で悪魔だからね。気分紛らわせる為
  だけの殺しだって、別に躊躇いはしない。……悪いけどお前ら殺すよ」

  ひゅん。
  ナイフを背後に迫っていたアルゴニアンの女性に投げつける。
  ナイフは胸に吸い込まれ、女性は絶命。
  こいつら二流以下だ。
  特にボスのレンツが駄目ね。今の背後に迫ったアルゴニアンだって、気配で感じ取る前にレンツの眼の動きで分かった。

  タッ。
  私は呆然から立ち直れないレンツに迫り、彼の腰のナイフを抜き放つ。
  「なっ!」
  ザシュッ。
  そのままナイフを彼の顔で横に一閃。両目が潰れる。
  「眼がぁっ! 眼がぁっ!」

  「裁きの天雷っ!」
  バチバチバチィィィィィィィィっ!
  指揮を下す者が戦闘不能となり、連携が可哀想なまでに取れずにただ個々に迫ってくる暗殺者に電撃。
  一人が電撃に焼かれる。
  残りは四。
  「デイドロスっ! こいつら食い殺せっ!」
  「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
  二足歩行のワニは、雄叫びを上げてダンマーの女暗殺者を頭から食い千切る。間合いを保ってワニから殺そうと大きく
  飛び下がるカジートの暗殺者はデイドロスの口から放った炎に焼きつくされ、炭化。

  残り二人。
  ……ああレンツは省いてる。あいつはもう既に戦闘不能だから。

  「あわわわわわ」
  「こ、こんな馬鹿なっ!」
  腰が抜けているブレトンの女暗殺者と、虚勢を張るインペリアルの男性暗殺者。
  私は肩を竦める。
  「巡り合わせが悪いわね。同情するわ。……あんた達が悪いのよ、調子に乗るから。だから私も本気出したわけ」

  血塗られたナイフの切っ先を向ける。
  「悪いけど殺そうと思えばあんたらも、ルシエンも容易いのよ。……本当、ついてないわね。報告しに行きなさい、ルシエンに。
  私が聖域メンバー全員を殺したと、報告しに行きなさい。今すぐにっ!」

  「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
  背を向けて逃げ出すブレトン暗殺者。
  同族とはいえ、情けない姿に溜息。ぎゃ。小さく悲鳴を上げ、彼女は床に突っ伏した。
  後頭部にナイフが刺さっている。
  「ごめん。闇の一党の支給品だから返すわ。……あらら、もう聞えないか。死んでるもんね」
  インペリアルの方を見る。
  ……愉快ね。
  そんなに怯えてくれて、嬉しいわ。
  「行きなさい」
  「あ、あぅぅぅっ!」
  「ここにいたら確実に死ぬわよ? わずかな可能性信じて背を向けて逃げたらいかが?」
  じりじりと後退しながら、そのまま走り去った。
  これでいい。
  これで……。
  「ま、待てっ! 俺を置いていくなぁーっ!」
  「レンツ安心して。貴方には、それに相応しい最後を用意してあるから」
  「だ、誰か助け……っ!」

  「ふふふ。いいわねその態度。……殺し甲斐があるわね」
  「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」









  結局、私は何がしたかったのだろう?
  何の為に?
  誰の為に?
  私は何の為に誰の為にこんな事をしたのだろう。ただ中途半端なだけの私がここにいた。
  天使にもなれず。
  悪魔にもなれず。
  善人でも悪人でもない、私はどちらにすらなれなかった。
  何て中途半端なの。
  そしてその中途半端さが、私を惨めな存在にし、私に殺された者達の価値をさらに貶める。

  ……なんて中途半端なんだろう。
  ……なんて……。
  「ごめんね、皆。私は天使にも悪魔にもなれなかったよ。私は……」



  ……悪魔にすらなれなかった……。

  注意:↑へのアクセスは、出来れば読み終わってからのほうがよろしいかと。










  雨が降る。
  ポツポツと。雨粒が、私を打つ。それはわずかな雫、しかし次第に強くなり吹き荒れる。
  「……」
  心地良い。
  雨に打たれ、体を伝うその感触は心地良い。

  洗い流せるだろうか?
  血の臭い。
  そして、私の罪を。雨は洗い流してくれるだろうか?
  ……私は信心深くないけど、九大神がこう語りかけてる気がした。
  《罪に塗れた者よ、永劫に苦しむがいい》
  ……。
  ふふふ。
  誰も私を救えない。無理よ、ありえない。
  だって私は自分を救えない。自分自身でも救えないのに、他者が私を救えるはずがない。
  私は救えない。
  救いようのない、存在。
  救いようの……。
  「……」
  私は今、ファラガット砦に向かっている。
  ルシエンに報告する為に。

  もっとも、報告は見逃した手下の一匹が成した後だろうから、私のは事後報告であり追加予備補填的な内容でしかない。
  ルシエンは私を殺す?
  ……さあ、それはどうだろう。
  仲間殺しを禁じる戒律から今、私は解き放たれている。
  つまりルシエンの手下どもを殺したところで従来の戒律は通じず、その懲罰もまぬがれるはず。
  まあ、闇の一党は家族大事にします的な部分を前面に出しているものの、結局は利己的であり独善的。
  上層部ブラックハンドは自分達の利益の為なら平気で建前を捨てる。
  そして見向きもされない。

  自分達の都合で戒律もすぐに改変する連中だから、手下殺しは重罰かもしれない。
  ……それならそれでいい。
  ……ルシエンを殺す。
  でも、出来れば芋蔓指揮に殺したい。闇の一党、あんた達は私に喧嘩を売った。
  買ってあげるわよ。
  誰に喧嘩売ったか、思い知るといい。
  「夜母よっ! これが私の反逆の狼煙よ、受け取りなさいっ!」
  バチバチバチィィィィィィっ!
  虚空に向って裁きの天雷を放つ。
  私の心を、この空虚な空白感を埋める為には復讐しかない。例えそれが逆恨み的な復讐であったとしても。
  私は殺そう。
  殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すっ!
  夜母を、闇の一党を、殺して潰す。それだけが今の私の支えとなる。
  ザーザーザー。
  雨は次第に強くなる。土砂降りだ。
  「……」
  今日の雨は、頬に絡みつく。
  しつこく絡みつく。本当に煩わしい。今日の雨は私の顔を重点的に責めるわけ?
  私が泣いてる?
  ……泣くはずないじゃない。これは雨よ、ただの雨。
  ……泣くはず……。