天使で悪魔
生命の価値
生命の価値。
それは一言では説明出来ない。何故なら人それぞれにその価値観は違うのだから。
だから断定出来る価値観はない。
しかしあたしは思うのだ。
人の持つ価値観は人それぞれ。
それでも。
それでもあたしは許してはいけないと思うのだ。
……ファウストは、許せない。
「わったしの名前はヴィヴィララ♪」
女の子はそう名乗る。
この場にいる以上、ファウストが従えている以上彼女もまた改造されているに違いないけど……年の頃にしてみればあたしとそう変
わらないように見える。十五歳ぐらいだろうか?
種族も同じ。
ブレトンだ(人形姫もそもそもブレトンをベースに改造&強化している存在なので、フォルトナは純粋な意味ではブレトンではない)。
「ハロー♪」
「……」
無邪気なヴィヴィララに対して、あたしは痛ましい視線を向ける。
歳が近い為やはり同情的になるのは仕方ないか。
殺意が鈍るのは得策じゃあない。
それでも。
それでも鈍らざるを得ない。
一歩間違えればあたしが彼女の立場になっていたわけだし、突飛な話をすれば立場が逆転していた可能性だってある。
いずれにしても進んで改造を志願したわけじゃないだろう。
どの程度の改造を施されているのかは知らないけど、おそらくは……。
「ヴィヴィララ」
「はあいファウスト様♪」
「下がりなさい」
「はあい♪」
入れ違いに一歩前に出るファウスト。
その後ろにヴィヴィララと緑色の巨漢の化け物が居並ぶ。巨漢の方は、緑色ではあるもののオークではない。何なんだろ、人間的
なフォルムではあるけれども人間なはずがないだろう。
ファウスト、嫌味ったらしく一礼。
この動作も好きになれない。
……。
まあ、好きになる必要はないんだけれども。
ちなみに阿片は壁に叩きつけられたままで、もう動かない。死んだのだろうか?
これまた心配する必要もないんだけどね。
複雑な関係だなぁ。
さて。
「人形姫。再び雌雄を決する時が来たね」
「雌雄?」
この間の戦いの事かな。
十血の武闘会(究極の生物参照)だっけ?
ブレトン以外の連中と戦った覚えがある。……あれから結構経つなぁ。いつになったらシロディールに戻れるんだろ?
……。
まあ、そこはいいか。
ともかく雌雄を決するとはこの間の雪辱戦という意味だろう。
ただあれからずっとファウストは黒牙の塔の地下に監禁されていた。つまりこのブレトンのヴィヴィララはそれ以前に改造され、ずっと
この建物にいた(もしくは保管されていた)事になる。
ブレトンを出して来た、つまり最初からファウストもブレトンが最強種ではないかという考えがあったのだろうか?
そうでなければ出し惜しむ意味がない。
……今日の戦いすらも見通してたのかも。まあ何でもいいですけど。
「人形姫。私はブレトンが最強種だと知っていたよ。前回の戦いは君のデータを取る為の試験に過ぎない」
「本当ですか?」
「もちろん」
どうだかなぁ。
「このヴィヴィララは君のデータを全て覚え込ませてある。……私が黒牙の塔で休暇していた時も培養液の中でずっと学習して
いたのさ。彼女こそが最強の、究極の生物。魔力の糸は振るえないが代わりに衝撃波の能力がある」
「衝撃波」
さっきの阿片を一撃で倒した不可視の攻撃か。
あれはあれで怖い。
不死っぽい阿片が一撃で倒されるぐらいだから。不可視な以上、感覚を研ぎ澄まさなければ回避出来ないしそんな戦いをしてい
たら疲れる。だからといって対抗策も、まだ何も思いつかない。
ただ言える事。
ファウストはヴィヴィララに強力な力を付加しているという事。
それに……。
「そこの緑のはなんです?」
「緑? ああ、出来損ないだよ。腕力と耐久力だけが高い木偶の坊に過ぎない。君達にはこう言った方がいいかな。渇きの王と」
「……っ!」
渇きの王っ!
すかさずシャルルさんが口を挟む。
「それは反乱分子の主の名前では?」
「ああ、その通り。……色々と裏事情があってね。反乱分子は私が操っていたのさ。私もまた依頼されただけだがね」
「ほう。もっと詳しく」
「悪いがこれ以上は話せないよ。いくらシャルル、君でもね」
「それは残念」
「それではここで終わらせるとしよう。さよならだ」
「死ねチビ胸っ!」
ドォォォォォォォォォォォォンっ!
大気が震える。
あたしは咄嗟に横に転がった為、直撃は避けた。阿片を一撃で仕留めた衝撃波だ。
どうやら直線のみの範囲らしい。
必ず放つ際には手のひらをこちらに向ける必要があるらしく、回避しようと思えば回避できる。
あたしはヴィヴィララの相手。
その他大勢は渇きの王と遣り合っている。
ファウストは高みの見物。
「避けずに当たれーっ!」
ドォォォォォォォォォォォォンっ!
無茶言うなっ!
「はあっ!」
転がりながら魔力の糸を放つ。
こちらは自在に動く不可視の攻撃。同じ不可視の攻撃でも直線のみの攻撃とは格が違う。
ヴィヴィララに迫る魔力の糸。
射程範囲内。
そして……。
「あっはーっ!」
ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンっ!
自身の足元に衝撃波を放つ。
浅いクレーターが出来るほどの威力だ。地響きであたしの側の足場も揺れる。当然体勢が崩れた。体勢が崩れたところで魔力の
糸の狙いに影響はない。不安定な足場は関係ない。
魔力の糸はあたしの思考が関係している。思考1つで動くわけだけど、そこには当然視界が必要になってくる。
揺れた際に思わず下を見てしまう。
お陰で魔力の糸はヴィヴィララを外してしまう。
くっそー。
「あんたのデータは全て持ってるんだよ。……チビ胸の所以もねっ! この平面胸っ!」
「むきーっ!」
「死ねチビ胸っ!」
投げられるナイフ。
……下らない事を。ナイフ投げは得意らしい。見れば分かる。あたしの心臓を的確に狙う軌道。
だけど衝撃波回避出来るんだからこの程度大した事はない。
一歩横にずれてナイフを回避。
ナイフは通り過ぎた。
そして……。
「あぅっ!」
激しい痛みが突然背後を襲う。左肩に刺す様な痛み。……いや。実際に刺されているのだ。
ナイフ。
……回避したはずなのにっ!
血が噴出す。
「くっ!」
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンっ!
危うく集中が途切れそうになるものの、集中途絶えればその場で死ぬ事になる。あたしは魔力の糸を振るってヴィヴィララの投げた
ナイフを切り落とした。綺麗に寸断する。
カラン。
床に転がるナイフの残骸。
「やるやるぅーっ!」
「くっ!」
グググググ。
肩のナイフを引き抜く。
「だけど惜しいなぁ。後ろから貫かれて前からも貫かれたら気も良いのになぁー♪ ……その快楽、味わいたくなかったの?」
「戯言っ!」
魔力の糸を……。
「ふふふーっ!」
「きゃあっ!」
頬から血が噴出す。
引き抜いたナイフが突然動き出してあたしの頬を薙いだのだ。
血の噴出量にしたら傷は浅いものの、あたしは驚愕する。頬を薙いだナイフはそのまま宙を彷徨う。ゆらりゆらりと。
さらにヴィヴィララはナイフを宙に投げる。
無数に。
無数に。
無数に。
その数は十数本に及ぶ。
その数のナイフが宙を彷徨い、あたしを貫こうと隙を狙っているかのようだ。
これは……魔法……?
「念動だよ、チビ胸ちゃん♪」
「念動……」
魔法は得意じゃないけど、念動は知ってる。一通りの魔法は最近は文字が読めるようになったから、本を読んで知っている。
念動の魔法。
確か失敗作の魔法だと本には記されていた。
攻撃能力は秘めていないのだ。
あくまで遠い距離の物体を動かすだけの、引越し用の魔法。モノを投げつけたりの礫にもなり得るものの、コントロールが難しい
魔法なのであまり使い勝手はよくないようだ。
それに。
それにだ。
重量のある物体を運べるものの、何故か人は動かせないという欠点もある。
ヴィヴィララの使ってる念動は桁が違うの?
「死ねーっ!」
「……っ!」
襲いかかるナイフの群れ。
そして……。
「おらぁーっ!」
ガンっ!
チャッピーのメイスが唸る。ドラゴニアンの腕力は随一。使用している武器は強度の高いドワーフ製のメイス。
渇きの王の頭部に決まる。
普通ならこれで頭が砕ける。砕けないにしても、まず戦闘不能になる。
にも拘らず渇きの王は動いている。
タフなのか。
痛みをそもそも感じないほど低脳なのか。
まあ、おそらく両方だろう。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
「このデカブツめっ!」
ドゴォォォォォォォォォォンっ!
肉薄する渇きの王に炎の球が激突。爆炎を撒き散らすもののまだ動いている。
その時、ケイティーが切り込む。
「我は宣言する。貴様の敵は、チャッピー殿だけにあらず」
ザシュ。
脇腹に深々と刺さるデイドラ製のロングソード。
デイドラ製とは、悪魔の世界オブリビオン限定の武器。タムリエルの武器とは比べ物にならないほどの威力を有しているものの、
その反面重量が激しい。それはつまり、そのままドレモラの身体能力が人を遥かに上回っている事を示している。
バッ。
渇きの王が小うるさそうに腕を振るった時、ケイティーは大きく後ろに飛び下がった。
剣は刺さったままだ。
「シャルル殿っ!」
「分かってますよ。うまい事を考えましたね。……アーケイよ、力を。聖雷っ!」
バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
シャルルの手から電撃魔法が放たれる。アーケイを信奉しているというのは、嘘ではなく魔力の出所の1つはアーケイへの信仰心だ。
……もっとも実際のところは魔王信奉からも魔力を得ているのだが。
ともかく。
ともかく、雷がドレモラ製のロングソードに直撃する。
そう。渇きの王の脇腹に刺さった剣に対してだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
外面は強度でも内面は、誰しもが内臓器官を有している。
鋼鉄並みの皮膚を持つドラゴニアンも例外ではない。ドレモラにしてもそうだ。
そして渇きの王も例外ではない。
響く苦悶の声。
バチバチバチィィィィィィィィィィィィィィィィっ!
さらにシャルルは電撃を強め、ケイティーも電撃を放つ。相乗された雷は剣を通じて渇きの王の体内に流れ込み、焼き尽くす。
一際高い絶叫が断末魔となった。
口から、鼻から、耳から、眼から煙を発しながらそのまま倒れる。
ズドォォォォォォォォン。
地響き。
そしてそのまま動かなかった。
渇きの王、撃破。
「そ、そんな……っ!」
驚愕の声。
それはあたし……ではなく、ヴィヴィララのものだった。
カラン。カラン。カラン。
無数に床に落ちる音。落ちたものはナイフ。宙に浮いていたナイフだ。
「お遊びはお終いです」
「……っ!」
あたしの力に気圧された感じがするのか、ヴィヴィララは後退りをした。
宙に浮かぶナイフ。打ち落とすのなど容易い。
魔力の糸はあたしの意思1つで自在に動く。念動もまた同じ原理かもしれないけどあたしの魔力の糸ほどの自由性はなかったようだ。
1つ残らず撃墜した。
一歩。
また一歩と、ヴィヴィララは後退する。
その時、シャルルさん達は緑色の巨人を倒していた。
ヴィヴィララの戦意は眼に見えて衰えていた。どうやら念動が彼女の力の全てらしい。……ああ、そうか。衝撃波もまた念動の延長線
上の力なわけだ。
「終わりです」
「お、終わりだとこのチビ胸っ! 終わりじゃないっ! 終わるのは……あんただっ!」
バッ。
手をこちらに向ける。
衝撃波だ。
阿片は一発受けたが為に再起不能になった。威力は申し分ないのだろう。ただし念動とは違い手をこちらに向けるというモーション
が必要になる。ナイフの遠隔操作ではなかったモーションだ。
その動作が不要。
あたしの魔力の糸は既にヴィヴィララの腕を捉えている。腕を落とすのは容易い。
だけど。
だけど、ヴィヴィララに罪はない。
殺すのには抵抗がある。
殺すのには……。
「死ねチビ胸ーっ!」
パタリ。
そのまま、勝ち誇った顔のままヴィヴィララは倒れ伏した。
自分が死んだ事にすら気付かなかったに違いない。
「ケイティーっ!」
「主が背負い込む必要はありませぬ。その罪、我が背負いましょう。……主の微笑こそ、我の幸福なれば」
「……ケイティー……」
ヴィヴィララを背後から切り伏せたのは、ケイティーだった。
彼は優しく微笑する。
不思議とその笑顔が怖くなかった。
視線をヴィヴィララに移す。ケイティーほどの腕の持ち主が倒し損ねる事はないだろう。つまり確実に死んでいる。
死顔は勝ち誇ったまま。
あたしは瞑目し、小さく呟く。
「もう、苦しむ必要ないでしょ。……おやすみ」
「全ての悪夢は終わらせますっ!」
あたしは高らかに宣言する。
全ての敵は沈黙させた。
渇きの王もヴィヴィララももう存在しない。にも拘らずファウストは余裕の表情のままだ。
「終わらせる? 悪夢を?」
「はい」
「そんなチームワークでかっ! 見れば分かるぞ、以前よりもガタガタだっ!」
タッ。
地を蹴り迫り来るファウスト。
その動きは俊敏そのもの。眼では追えるものの体が対応出来ない。魔力の糸は一度指を振るえば自在に動かせるものの、ファウスト
の動きは指を振るう隙すら与えない。
もっとも。
もっとも、狙いはあたしではない。
狙いは……。
「シャルルさんっ!」
その警告は遅かった。
シャルルさんもまた対応出来なかった。
ガッ。
ファウストの右手の義手がシャルルさんの首を掴む。あの腕はファウストの力の源であり、人を魔物を創造する腕。
「駄目っ!」
「人形姫。君は勇ましいんだか女々しいんだかよく分からないね。……作り変えたいのは山々だが種族が分からない」
種族?
……ああ。種族が分からないと改造できないとか前回言ってた気がする。
シャルルさんは吸血鬼。
純粋な意味ではインペリアルではない。
その時……。
「そいつは吸血鬼だよ」
「なっ!」
チャッピーっ!
にぃぃぃっとファウストは笑う。
「ありがとうドラゴニアン君。……そうか吸血鬼か。ならば、こんな感じで……どうかな? 作り変えられる気分はどうだい?」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「シャルル。これで君と私は本当の友人になれるというわけだ。気分はどうだい?」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……なんちゃって♪」
「……っ!」
「気分かい? 良い気分だよ。インテリ気取りの裏を掻くのは楽しいものさ」
あっ!
そうかシャルルさんは吸血鬼もどき。純粋なインペリアルではないけど、純粋な吸血鬼でもない。種族不特定な存在だ。
ガンっ!
拳がファウストの顔面を襲う。
「トカゲさんナイスです」
「ふん」
チームワーク完璧だね。
よろけるファウスト。
「はあっ!」
魔力の糸がファウストの心臓を貫く。
「あ、あれ?」
しかし、何かが変だった。
その意味はすぐに分かった。血がまるで出ていないのだ。ファウストはよろけながらもふてぶてしく答える。
「無駄だよ。私は自身を不死に改造してある」
「嘘っ!」
何なの不死の大安売りっ!
阿片も今は死んでるみたいだけど、不死に近い耐久力を持っていた。
ファウストは続ける。
「遺伝子は基本的に永遠なのさ。生まれながら掛けられているリミッターさえ解除したら人は永遠に生きられる」
「くっ!」
「なかなか楽しい趣向だったけどそれも無意味だったようだね」
ヴヴヴヴヴヴヴ。
空間が歪む。
ファウストの右腕が淡く光る。マリオネットの義手であり、魔力の増幅器としての役目を持つ。ファウストの力の源だ。
「転移する気ですかっ!」
「ご名答。さすがはシャルルだね。察しがよくて助かるよ。無駄な説明をしなくていい」
ヴヴヴヴヴヴヴ。
音は次第に強くなっていく。いや、音だけではない。深紅の光が収束していく。
「お暇させていただくよ」
カッ。
紅い門が具現化した。
オブリビオンの門だっ!
……いや。
正確にはタムリエル行きの為に開いた門だからタムリエルの門?
いずれにしてもフロンティアで破壊大帝が開いた門のミニチュア版が目の前に具現化している。人一人通れる大きさの門。
シャルルさんが蒼い門なのに対して、ファウストは深紅の門。
色の違いが何かあるのかな?
まあ、蒼い方が視覚的に綺麗かなぁとは思う。
さて。
「はあっ!」
魔力の糸を振るう。
逃がすもんかっ!
「下らない」
バチィィィィィィィッ。
ファウストは右手で魔力の糸を打ち砕いた。普通なら出来る芸当じゃあない。
それだけあの腕の強度が高いのだ。
「女王を実験出来ないのは残念だが、この世界でやりたい実験は既に終わっている。シェイディンハル辺りで悠々と生活しながら次
の実験でもするとするよ。……ああ人形姫、君は悪夢を終わらせるとか言ってたな」
「言いましたけどそれが何か?」
「ならば教えてあげよう。悪夢は決して終わらないっ!」
次第に深紅の門に取り込まれて消えて行くファウスト。
空間転移されたらお終いだっ!
だけど魔力の糸ではあの腕は潰せない。よほど強力な魔力が込められているのだろう。太刀打ち出来ない。
あの腕がある限り。
あの……。
……。
……。
……。
「あっ」
そうだっ!
強度が高いのは、強力なのは腕だけ。ならばっ!
最後の一撃を食らえーっ!
「はあっ!」
「無駄だと言ったっ!」
魔力の糸を振るう。
狙いは正確無比。あたしの意思1つで自在に動く。意思に反映し瞬時に軌道修正し相手に迫る魔力の糸を回避出来る者はまずいない。
死霊術師ファウスト。彼は強い。性格に問題ありだけど、強い。
しかし今は違う。
逃げる事を考える者にはどうしても付け入る隙がある。
逃げる事に対して気持ちが集中している。
さらに『魔力の糸なんて効かない』という思い込みがある以上、さらに隙は大きくなる。
戦いは相手の常識の裏を衝く事に意味がある。これが鉄則だ。
ファウストは思っている。『魔力の糸なんて効かない』と。
それはすなわち腕を潰す事前提であたしが動くと思っている。
腕を潰さない限りは倒せないからね。……でも、発想を代えれば楽勝だよ?
その腕、潰せないなら……。
「落ちろーっ!」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
ザシュ。
魔力の糸は、ファウストの生身の右肩を跳ね飛ばした。
当然肩に付いていた腕も落ちる事になる。
力の源を失ったファウストは深紅の光の中で絶叫を上げた。
ガク。
膝を付く。
トドメっ!
「滅びろっ! 悪夢っ!」
「過去の存在の分際で生意気な人形姫っ! いつか、必ずぅーっ!」
ザン。
その攻撃は床を断ち割っただけに過ぎなかった。
寸前でファウストの姿が消えた。
……えっ?
「腕を失ったものの門は消失しなかった……つまり飛んで逃げたわけです。腕がないので制御は出来ないでしょうから、行き先の
誤差は出るでしょうがシェイディンハル近郊には飛べたでしょうね」
「そんなぁ」
シャルルさんの冷静な判断にあたしは思わず不満の声。
逃げた、か。
この場合どうなるんだろ?
腕がないから力の大半を失ったに等しいけど、肉体は不死のままなのかな?
腕の力で強化しているのではなく、改造したらしいから。つまり改造完了している以上、腕の有無は付しには関係しない?
「若造。お前追って始末して来い。それがマスターに対する礼儀だろう?」
「おやまあ何も出来なかったトカゲ風情が偉そうな口聞きますねー」
「貴様ーっ!」
「さて。トカゲさんの相手は置いといてー。……話を本題に戻しましょうか」
しゃがみ、ファウストの腕を拾う。
喧嘩相手を失ったチャッピーはブツブツと悪態をついているものの、相手が乗ってこない以上はわざわざ喧嘩を改めて吹っ掛ける事
はしないらしい。
「力の源は取り上げました。……まっ、これで厄介払い出来たわけです。舞い戻ってくる事はないでしょうよ」
シャルルさんは興味なさそうに腕を弄くる。
腕。それはファウストの腕。もちろん生身の腕ではない。義手。
マリオネットの腕を義手にしていた。
もちろんそれだけなら魔力の糸を掴むなんて芸当は出来ない。ファウストは義手に自らの源を込めていたらしい。
今、その腕が落ちた。
腕はここにある。
だから。
だからシャルルさんは断定する。
ファウストはここに舞い戻ってくる事はないと。……少なくとも今は。
「若造、それは真か?」
「ええ。トカゲさんは相変わらず察しが悪いですねー。あっ、ずっと冬眠してました? だったら仕方ないですねー」
「貴様ーっ!」
「おやおや無知ほどよく吼えるもんですね。……フォルトナさん」
「えっ? あっ、はい」
突然ご指名。
「貴女は理解してますか?」
「はい」
ファウストの力の源は、今シャルルさんが持っている義手。
それを失った今、ファウストは無力だ。
……。
いや。厳密に無力かは分からない。
腕は自身の魔力を増幅&強化している代物であり、ファウスト本来の魔力は健在なのかもしれない。だけど次元の門を開いて舞い
戻るだけの魔力はないに違いない。魔法に関してはあたしは無知だけど、あんなの二度も三度も出来る芸当ではないのだ。
つまりファウスト帰還はありえない。
まあ、今はね。
「そうですかフォルトナさんは理解してましたか。少し下に見てました。実は分からないのではないかとね」
「分かりますよ。これぐらい」
「ははは。貴女は無乳ではあるけれども無知ではないようだ。ははは」
「……」
ああ。そうですか。それが言いたいだけなんですね。
うがーっ!
「主。お気になさるな」
「ケイティー」
慰めてくれるんだ。
優しい……。
「主。主は完璧です。……なあに。胸がないなど局地的な敗北に過ぎませぬ」
「……」
全然優しくないーっ!
うがーっ!
「……お気に召しませぬか?」
「……うん」
「おお。人間の言動はまだまだ難しい。勉強が必要ですな」
「……」
皆嫌いだ。ふぇーんっ!
ガチャァァァァァン。
まるでこの光景が微笑ましいとでも言いたそうな口元のまま、シャルルさんはファウストの腕を捨てた。外観は生身の腕ではあるも
ののやっぱりマリオネットの腕だと思った。
床に叩きつけられた時の音はどこまでも金属音だった。
……あれ?
「シャルルさん、その腕が欲しかったんじゃないんですか?」
「ああ、まあ、口実ですよ」
「はっ?」
「あのまま別れるのでは、やはり後味悪かったのでね。ファウストの腕を口実に手伝いたかっただけです」
「……シャルルさん……」
「ふっ」
照れ臭そうに微笑むシャルルさん。
仲間。
仲間だ。
だけど、もう元には戻れないだろう。あたし達は黒の派閥に加わる気はないし、シャルルさんも戻る気はないだろうと思う。
最初で最後の同盟だ、これは。
帝国には何の感謝もないし恨みもないものの、わざわざ敵対する気はない。
シャルルさんには悪いけどあたしの気持ちはそこにある。
さて。
「臭い芝居してるねぇ」
「……っ!」
生きてたの阿片っ!
痛そうに腰を摩りながら近付いてくる。あのまま動かないから死んだものかと思ってた。
まあ、確かにお腹をグチャグチャにされても動いてた。あれだって普通じゃなくても死んでる。なのに生きてた。
つまり阿片は不死身?
「シャルルさん」
「ああ、まあ、ファウストとは原理が違いますけど彼女も基本不死ですよ。完全なる不死、ではないですけどね」
「ふーん」
世の中なんでも有りらしい。
「シャルル」
「何ですか阿片さん」
「こんな茶番いつまで続けるのよ」
「最後までです」
「付き合ってられないね」
「でしょうね」
「屋敷の外で待ってるから終わったら迎えに来てよ。私は全員皆殺しの展開が好きなんだ。なのにあんたはこいつらを殺すなと言う。
つまらなくて仕方ないよ。血が出ない戦いなんてつまんないよぉ。いっひっひっひぃーっ!」
「相変わらずですねぇ。ははは」
……嫌な仲間関係だなぁ。
シャルルさんこういう人と仲間なんだ。あまり良い付き合いとは思えない。
まあ、同僚関係は望む望まないではないだろうけど。
外に出ようと歩き出す阿片。
あたし達とは当然逆方向。
数歩歩いて、阿片は立ち止まる。
「シャルル。言っとくけど私を置いて帰ろうだなんて思わない事だね」
「そんな事をしたら若に怒られます。それにカザルトの民衆に失礼ですからね。貴女みたいな狂犬を残して行くなんてね」
「ふん、言ってくれるね」
「では後で」
「ああ」
阿片は立ち去る。
黒の派閥ってあんなのばっかりいるのかな?
それにしても黒の派閥。あたしは闇の一党にいたから色々な組織名をそれなりに知っているけど黒の派閥は聞いた事がない。
規模は?
人数は?
謎が多すぎる。
もちろん今はそんな謎なんてどうでもいい。
カエル師匠曰く女王はここに捕らえられているらしい。
既にファウストは倒した。もうこの世界に戻ってくる事はない(いずれは戻ってくるかは知らないけど当面は問題ない)。反乱分子の
親玉の渇きの王も倒した。阻む者はもう何もない。
「フラガリア。進みます」
そこはかつて死蜘蛛、屍人形、毒蟲と戦った場所だった。
椅子に拘束された見知った人物がいる。
「女王様っ!」
「……」
ぐったりとしている。
項垂れたまま動かない。ただ肩は一定の間隔でわずかに上下している。呼吸している、という事だろう。つまり生きている。
ホッとする。
女王はカザルトの要だ。
なんとしても無事に連れて帰らないとシスティナさんが悲しむだろう。
国民だって悲しむ。
女王は全ての者達の象徴。
「ここまで来たという事は、察するにファウストは逃げたか死んだ……と判断してもいいでしょうね」
「……えっ?」
「ようこそ。人形姫」
「……システィナさん……?」
そう。
部屋の片隅に静かに立っているのはシスティナさん。気配がまるでしなかった。
……いや。そもそもどうしてここに?
「反乱分子も片付いた。全ては私のシナリオ通り」
「システィナさん?」
「女王陛下に不満を持つ全ての者達を煽り、反旗を翻させたシナリオはここに完結した。全ては不満を持つ者達の一掃の為。そして
それすなわち女王陛下の為」
「システィナさんっ!」
「貴女達は実よく動いてくれた。お陰で全ての不穏は消し去れた。感謝しますよ」
実に静かに語り掛けて来る。
まるでいつもと変わらない。
とても。
とても全ての、一連の事件を画策したとは思えない口調だ。
だって、つまりはそういう事でしょ?
システィナさんが画策した。
でも何で?
「どういう事ですかねぇ」
「眼鏡の……確かシャルルだったわね。仲違いしたのでは?」
「そこは触れないでください。僕は現在センチメンタルジャーニーの最中なので。そう、人生とは常に旅なのですよ」
「そ、そう」
……相変わらずシャルルさんって意味不明な人だなぁ。
システィナさん面食らう。
まあ、そりゃそうか。
とてもじゃないですけど今はそんな事を言ってる場合じゃないし。
「システィナさん。貴女は女王から信頼され部下からは尊敬され民衆からは尊敬されている。……それで? 何の得があるんです?」
「得?」
「そう。得です」
「何を言っているの?」
「当然の事を聞いているだけですよ。反乱分子を煽っていた、間違いないですよね? それは女王に不満を持つ者達をあぶり出し一掃
する為だった。そしてそれは成った。それで? 貴女は何の為にそんな事を? 何の得があるんです?」
「下らない」
吐き捨てるように言った。
珍しい。というか初めてだ。システィナさんの言葉には侮蔑のような感情が混じっていた。
愚問、という事だろうか?
「私は女王陛下に対して絶対的な忠誠を誓っている。私の行動は忠誠に則っているに過ぎない」
「ほう? もっと詳しく」
「女王は常に王宮内の反対勢力に心を苛まれていた。アイレイドの栄光を今なお振りかざそうとする愚かなる者達。それらの者達
に心を苛まれている女王陛下の為の行動。そこに何の問題がある? そこに何の問題が?」
「色々と大有りのような気がしますけどね。まあ、言うのはやめておきます。僕も人の事は言えませんのでね」
苦笑しつつ言葉を濁す。
そう、だね。
シャルルさんはフラガリアを脱退して元の組織に戻った。……黒の派閥に。
「貴女達には感謝していますよ。お陰で事は簡単になった」
「……」
「しかし決着は付けて置くべきですね」
「どうして……?」
何故戦うの?
目的は女王に対して不満を持つ者達を煽り、反旗を翻させ、一網打尽にして叩き潰す事だった。そうする事によって女王の心労の種
を消し去る魂胆だった。
反乱分子も死霊術師ファウストも既にこの世界に存在しない。
なのに何故戦うの?
「どうしてなんですか?」
「貴女が人形姫だからよ」
「えっ?」
バッ。
システィナさんは身構える。武器の類は手にしていない。体術?
「無駄ですっ!」
どんなに体術が得意かは知らないけど、あたし達相手に体術だけで事を終わらせるのは事実上不可能だ。
過信ではない。
自信だ。
素手相手に負けるはずがない。
どんなに腕が立つにしても、体術だけでは限界がある。
あたし達の内心を見透かしているのか。
「ふふふ」
システィナさんは笑った。
その自信、どこから出るのだろう?
「勝てると思ってるんですか、システィナさん」
「人形姫ではない限りはね」
「えっ?」
「今の貴女には確かに人形姫の力を感じない。人格を奪われたのは確かのようね。それに、そもそも最初に会った時に私に気付
かなかった。それはつまり貴女は人形姫と別人。……そもそも性格に苛烈さがない」
「……何を……?」
「我こそはフォース。……人形姫、お久し振りですね」
「……っ!」
フォース。
人格を有するマリオネット上位タイプである《12ナンバーズ》の一体であり、四番目。
あたしが探し求めるフィフスの一番上。
数が若いほど強い。
システィナさんがマリオネット?
全然気付かなかった。
人形姫の人格があった時も気付かなかった。それはつまり、あたしは今まで人形姫として存在しているのではなくフォルトナとして
存在していた事になる。システィナさんが身構える。
そして……。