久我山昔話






久我山の 250 ㎏爆弾
昭和 19 年12月3日正午過ぎ、B29爆撃機から250㎏爆弾が投下さ れた。高井戸第二国民学校〔現 高二小〕の南側の松村宅と西側の 大熊音次郎宅で破裂した。大熊さん宅では、防空壕に避難した6名 の内 4名が亡くなり、一番奥に居た大熊高明(8 歳)さんが近所の人 に掘起され、佐竹医師によって医療用トレーに一杯の土を鼻・口・ 耳から取り出され翌日、気がついた。戦争は、ダメ・ダメ・・・・・。 (大熊高明さん(昭和 11 年生)談)(平成27 年5月 75)

空襲

出典:『区民の戦争戦災証言記録集』 杉並区空襲関連地図(抜粋)


高射砲
およそ、65 年位の前の事じゃつた〔太平洋戦争時〕。
NHK グランドと王子製紙グランドに跨って(またがって)高射砲陣 地がありそこに B29 という名の米軍爆撃機を打ち落とす高性能の 高射砲があった。
砲身は、地下に隠れていたので、遠くからは見えなかったが、ハン ドルを回すと空に向かって立ち上がった。砲弾が発射されると、久


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