久我山昔話



    
お伊勢の森
明治 40 年頃、高井戸第二小学校の東南〔現校庭入口〕に、有った お伊勢の森は、村所有地だった。村の長老は、久我山稲荷神社の裏 地〔今の幼稚園〕を、買う資金の為、お伊勢の森を秦格之助さんへ 売った。 秦格之助さんの子・保則さんは、その土地を高二小へ貸し ていた。秦さんは小学校の式典に、羽織・袴の正装でいつも出席し ていた。(清水操さん談)
昭和 30 年頃に社(やしろ)を自宅内に移し今も祀られている。(平 成27 年4月 74)


久我山の雨乞い
明治末(1910~)の頃、田・畑の仕事しか無かった久我山は、雨が降 らず作物が枯れてしまい大変困った事があった。
それで井の頭の弁財天さまで、雨乞いの祈祷を行い、竹筒に水を受 け、戻る時に後を振り返ると、願い事が消えると信じ、久我山へ急 いで持ち帰り雨乞いをした。宮下橋の下手(しもて)あたりに、竹を 2本立て、注連縄(しめなわ)を張り、その中央に竹筒を吊るし、竹 筒めがけて川の水を大勢で掛けての雨乞いだった。 (秦録蔵著『久 我山昔ばなし』より)(平成23 年8月 31)


三角山
大正 8年(1919)の頃の事じゃった。
現在の久我山小学校の近くで、くぬぎ・なら・えごの木が茂った雑 木林を、三角山と呼んでおった。早起きして、きのこを沢山採って、 カゴに入れ、朝の味噌汁にしたもんだ。
久我山の「山」も雑木林が多かった事から、「山」と呼ばれたんだ。 (故小作福寿さん、昭和53 年9 月27 日談より)(平成 24 年7 月 42)




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