同時の相対性が持つ内部矛盾
 
 本ホームページでは「同時の相対性という奇抜な考えをなぜアインシュタインは考えたか」ほか、
読者の質問、ご意見についてお答えします
 
(1)「相対論でしか説明できない物理現象がある。だから相対論は実験で確かめられた正しい理論である」という反論もいくつかありました。
 しかし、こういう事はうっかり言わない方が良いのではないかと思われます。
 間違っていることを正しい事にしてしまえば何でも出来ます。
 正しい事で、正しい事を説明するのは難しいことがままあります。結果がピタッと合わないといけないからです。
 でも、間違っていることで何かをするのは容易に可能です。なぜならもともとが間違っているのだから、何でも出来るのです。人類の歴史にはそういう例は数多くありました。現在進行形でもあります。
 ミューオンの寿命が伸びたという話も同様でしょう。成層圏で発生した素粒子“そのもの”が地上で観測されたなど、どうやって証明できるでしょう。ましてや寿命が伸びたから“その素粒子が”地上まで崩壊しないで届いたなど絶対に証明できるものではありませんから。K大学M物理学名誉教授によれば「成層圏で発生したミューオンの立場に立てば寿命は伸びていないが、地上で観測すると寿命が伸びている」とはどういうこと?
 
 私は、これまでに得た人類の偉大な物理学は、ニュートン力学とマックスウェル電磁力学、そしてそれらを粒子と波動という面からフォローしたニールス・ボーア系量子力学、この3本柱であると、堅く信じています。
ニールス・ボーアは相対論には反対し続けた科学者の一人です。逆にアインシュタインは一生、量子力学を理解することなく否定し続けました。アインシュタインがニールス・ボーアに向かって「君は神がサイコロ遊びに頼るなどと本気で信じているのかね」と言ったとき、ニールス・ボーアは「古代の思想家は神の属性を日常の言葉で語ることについて、すでに厳重な警告を発しています」と答えたそうです。ニールス・ボーアの偉大さをここに知るべきでしょう。
 
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(2)「すべての物理法則は同等なのだ。それが窪田君には分かってないようだね」という手紙もいくつかありました。
この反論には相対論物理学者の先生も含まれていました。私を説得しようと事細かく説明もされていました。例えば、
「等速直線運動している電車の中でボールを床に落とすと、真っ直ぐに下に落ちる。しかし、地上からそれを観測するとボールは斜めに飛んで行ったようになる。基準系をどうとるかで現象は変わるが、それは座標変換すれば同じ事なのだ」
という説明です。
 こういう説明は、その通りなのです。
 私が指摘したことは、「物体ならそうなるが、光ではそうはならない」ということです。
“物体”の場合を「ガリレオの相対性原理」といいます。
 
 一方、“すべての物理法則は同等である。つまり光でもそうなる”という仮定が「アインシュタインの特殊相対性原理」です。周知のように、この「アインシュタインの特殊相対性原理」と、「光速度不変の原理」という2つの相反する仮定によって構築された理論が「アインシュタインの特殊相対性理論」です。
         Fig.3
 Aから物体を電車内の床に落とすと、真下のCに落ちます。これは電車内の観測者も、大地にいる観測者も、万人が認める正しい現象です。(Fig.3)
 電車内の人は「Aから真下のCに行った」と報告し、大地から“見た”観測者は、「物体は斜めに落ちて行きCに行った」と報告します。つまりどちらも「C」に到達します。この事は非常に重要です。のちに、これに反する事を述べますから覚えておいてください。
 話を戻しますが、アインシュタインは「物体と同様に光でもこうなる」と考えたのです。それが「アインシュタインの特殊相対性原理」と呼ばれる仮定です。
 “物体”の運動法則である「ガリレオの相対性原理」を“光”にまで拡張して考えたのが「アインシュタインの特殊相対性原理」と呼ばれるものです。
 
 しかし、日本の開発したリングレーザージャイロが示しているように、あるいはブラッドリーの光行差の現象が示しているように、光は物体を投げたようにはならないのです。
 物体は自己推進力はないので初期速度に依存するベクトル合成された方向に飛んで行き、慣性運動しますが、光はベクトル合成されることなく、そして慣性運動ではなく、発射された方向に、自己推進(E とH の相互エネルギー変換)によって一直線に進む性質があるので、Cには到達せず、後方にズレます。電車の速度によりますが、たとえばE点などです(もちろん正確なズレを検出するには、電車内は真空でなければなりません。空気などディスターブ物質があると、光は散乱しながら進むからです)。
 
 この事を指摘したのが、NHK出版「エレクトロニクスライフ誌1993年3月号〜5月号」連載の拙筆「相対性理論の意外な見方」でした。
 この記事を書いたときは、私の右脳も左脳も興奮状態でしたので、いささかミスがあり、また校正ミスもあり、かなり物議を醸し出しましたが、基本的には「窪田は何を指摘したか」は多くの読者の理解を賜り、共感を呼びました。
 もちろん、“共感”どころではなく、もの凄い“反感”を被ったことも事実です。それは「アインシュタインが間違っているはずはない!」という極めて根強い先入観からくるものです。
 冷静になって100年前、いや120年前に戻って下さい。
 
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(3)なお、上記(2)に関しては、私が「日本の開発したリングレーザージャイロの原理はズレECを検出しているものだ」と述べたことに対して(説明不足だったようで)、反論者は「リングレーザージャイロは等速直線運動は速度を検出できない!したがってズレECなどは存在しない!光も物体と同様、AからCに飛んで行っているのだ!」との反論、反発があります。
 しかし、それは反論になってないのです。考え方にミスがあるのです。
 現在のレーザージャイロは回転角速度の微分値を検出したり、加速度センサーからの検出情報をもとにして速度を計算しています。したがって等速直線運動では、それらは“一定値”だから微分したら0になるし、速度を割り出せないのは当然なのです。
 つまり上図で言うと、等速直線運動のズレECは“一定値”だから速度が計算できないのは当然のことなのです。ズレECの変化分が分からなければ速度は計算できません。つまり加速度センサーなどのデバイスが必要なのです。
 リングレーザージャイロの設計者に取材したら、「微小なズレECは存在する。これはあまりにも小さいので干渉縞として得る。この変化分をコンピューターで計算する。等速時には干渉縞の変化はないので速度は計算できない」と教えてくれました。日本航空電子工業/S氏、名前を公表しないのは、氏が相対論崩壊に加担していると周囲から白い目で見られるようになることを怖れるからです。なお余談ですが、このレーザージャイロは地上に置いておくだけで、地球の自転を検知して干渉縞が動くそうです。
 
 極端な話、もし仮に光速に近いほどの高速で運動したら、“加速度センサー”がなくても、つまり“等速直線運動”でも、ズレECは“巻き尺”で測れるでしょう。
 いかがでしょう。このような説明なら、お分かりになると思います。
 
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(4)同時の相対性について
 同時の相対性というのが、アインシュタインの論文の中にあります。一風変わっている言葉なので、人々の心を捉えるには十分です。
 内容は難しいものではありません。下図(Fig.4)で説明しましょう。NHKスペシャル「アインシュタインロマン」でも、同じような説明がありました。ただし、よく考えてください。上記(2)とは異なった矛盾した内容であることに気が付く人は多いはずです。
 
                                                   Fig.4
相対論の教科書には次のように書かれています。
「われわれの特殊相対性理論によれば、等速直線運動している電車内で、その両端AとBから“同時に”光を中央のCに向けて発射すると、電車内の観測者はそれらの光は“同時に”Cで受光し、大地から観測すると、B光の方が先にCに到達し、A光は遅れて到達する。したがって電車内で同時である現象も、大地から観測すると同時ではないのである。これを“同時の相対性”という。」
 
 いかがでしょう。何度も何度も読み返してください。1905年のアインシュタインの論文にあるのだから正しいのだと短絡的に捉えないで、内容をよく考えて下さい。
 
“物体”をA,Bから同時に同速度で投げた場合、中央Cにそれらの物体は同時に到達します。
そこでアインシュタインは“光”でも「そうなるはずだ」としたのです。どうしてかと言うと「等速直線運動は絶対静止と区別出来ないからだ」と考えたからです。ならば、大地から観測しても同時にCに行くはずでしょう。上述した(2)がそのような内容です。
 ところがアインシュタインは「そうならない」と言うのです。矛盾してませんか?
 
 アインシュタインの言う事には、もっと矛盾した事があります。それは「光速度不変の原理」。どういうことかと言うと、電車内のA光もB光も、大地から観測したA光もB光も、すべて光速度は一定値 c であるという仮定です。無茶苦茶ですね。
 何か一つの事を言った場合、それが正しいならば、二つ目の事は正しくない事を組み合わせて理論を作っているのです。
 
 これを、「動く電車は縮んでいるから」とか、「動いている電車と大地では時間の進み方が異なるから」とか、もっと人々を“説得”するには「アインシュタインの4次元時空では」と難しい数学によって、絶対に相対論は正しいとされてきたのです。
 
 Fig.4の正しい現象は、日本の開発したリングレーザージャイロが示しているように、「電車内の観測者も、大地からの観測者も、中央Cに到達するのはB光の方が早い」です。
 
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(5)間違いの出発点=最重要
 なぜ、アインシュタインがこのような矛盾した2つの考え、すなわち「A=Bとなるはずだ。しかしA≠Bである」という2つの要請をしたかというと(・・・・学生結婚した当時の奥さんミレーバと一緒に考えたと言われています。特に“光速度不変の原理”はミレーバの発想だったとも言われています。有名になってからミレーバとは離婚しています。・・・・)、明治38年、1905年の彼の論文を注意深く勉強すると分かりますが、当時話題になっていた「マイケルソン・モーリーの実験」を説明するために、
東西方向の光の振る舞いと南北方向の光の振る舞いを別々に考えて
それらに当てはめた要請をしたからです。
 東西方向は(c−v)や(c+v)が出てくる計算で、光速度が変化しています。
 ところが南北方向は「絶対に光速度は c であり変化しない、光速度不変の原理だ」としています。トップページで示した有名な「L、vt、ct、光の直角三角形」がそれです。じつは東西方向も光速度不変の原理は見え隠れしていますが、その件は後述します。
 これらを組み合わせて理論を創り、装置の東西方向を自動的に短縮させれば(ローレンツ短縮といいます)、マイケルソン・モーリーの実験を説明できる、としたわけです。
 ここに間違いの出発点があるのです。100年の間、このミスに誰も気が付かなかったことは20世紀物理学にとってきわめて残念と言えましょう。
 
追加註:アインシュタインは講演で、「私はマイケルソン・モーリーの実験なんて知らなかったよ」と述べたそうです。また別の講演では、「私はマイケルソンとモーリーに感謝している」とも言ったそうです。どちらが本当かは、今になってみれば知るよしもありません。アインシュタイン語録には、いろいろ考えさせられるものがあります。「この世で女ほど厄介なものはない」というのも、その一つです。ミレーバの事を指しているのでしょうか。ノーベル賞の賞金は離婚の慰謝料に使いました。
 
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(6)再度説明します/この項2001年2月24日追稿
 光は物体を投げたようにはならないということは、すでに200年以上前にブラッドレーが光行差の現象として、それを証明しています。下図をご覧ください。
 
静止系                運動系
 
 等速直線運動している筒の下のAから、Cに向けて“物体”を投げた場合の図ですが、筒の中を“物体”は無事通過してCに(つまりDポイントに)出てきます。これがガリレオの相対性原理で、万人が認める正しい現象です。
 アインシュタインは「光でもこうなる」として(アインシュタインの特殊相対性原理と呼ばれる仮定です)、相対性理論を作ったのですが、光は自由空間を直進する性質があるので、筒が動いていると筒壁に光は当たってDには出て来ないのです。
 それを端的に示しているのが、ブラッドリーの光行差の現象です。
(ただし、K大学M物理学名誉教授は「筒は傾けなくても光はほっといても斜めに飛んで出てくるのだ」と、その著書で書いています。前後を読むと私をバカにしている様子がよくわかります)
 
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(7)同時の相対性について追加(この項2001年8月21日)
 K大学M物理学名誉教授は「同時の相対性」について、「NHKスペシャル/アインシュタインロマンの説明は間違っている」として、上述した(4)の説明を「間違っている」と断言しています。
 
 氏の説明は「列車中央の観測者は“左右のランプが同時に光ったため、同時に観測した” と解釈するのに対し、ホーム(上図では大地)にいる観測者は“Aのランプが先に光り、あとからBのランプが光ったため、列車内の観測者には光が同時に届いた。”と解釈するのだ」
というものです。
 
 本ホームページをお読みのみなさんはどう読みましたか? 結局、“同じこと”を “別の視点から”述べているだけですね。
NHKスペシャル/アインシュタインロマンの説明は間違っていません。
 
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(8)マイケルソン・モーリーの実験の東西方向の計算について(この項2001年10月28日)
 すでに多くの読者が理解してくれた内容ですが、先日メールで、表題の質問がありましたので、簡単に再度ご説明しておきます。
 次のような説明図を相対論の啓蒙書や参考書によく見かけることがあると思います。学術書には静止系と運動系が座標として描かれて数式展開されますが、内容は同じで、難しいものではありません。
 
 ここで、“静止系”というのは特殊相対性理論では「動いていても、それが慣性系ならば“静止系”と定義できる」ものですので、慣性系A系とB系があって、どちらかを“静止系”と決めれば、他方が“運動系”です。
 相対論では“絶対静止系”というものは否定されたとされていますが、じつはそうではなく、“いかなる慣性系”も、それ自体を“絶対静止系” と見なしています。いわゆる「慣性系は絶対静止と区別できない」というアインシュタインの基本的な考えです。(他項で説明しましたが、区別できます
 相対論以前は、空間には“絶対静止のエーテル系”とか“エーテル基準系”というものがあると一時期信じられていた事があり、アインシュタインが、“慣性系”そのものを“絶対静止系”と見なして、“エーテル基準系”というものを否定したので、大きな物理学の進歩だとされたわけです。
 
 それに対して相対光速度説(仮称)は、リングレーザージャイロの動作原理から分かるように「光そのものを基準にしましょう」と述べているので、当然基準系での光速が c です。
これを私は“静止系”と定義しています。したがって同じ“静止系”でも特殊相対論の“静止系”とは異なることを常に念頭に置いてください。
 また私は“絶対静止のエーテル系”とか、“エーテル基準系”なるものは一切考えたことはなく、自由空間に、そういう
“基準”が存在するとは考えられません。
 
 以前に、ある有名大学の物理学教授が「窪田さんは“エーテル基準系”とか“絶対静止のエーテル系”をぶり返そうとしているだけだ。そういう事をしても無駄だ。アインシュタインが間違っているはずはないんだ」と、小生に反論したことがあります。私の説明が不十分であったためと思いますが、私の頭の中にはそういうエーテル基準系なるものは、一切ありません。
 あくまでも私は「測定光そのものを基準にして、観測系の運動を記述する」ことだけが基本的な出発点です。
 
 
 さて前置きが長くなりましたが、上図におきまして、運動系の前方に発射された光の“光速度”は(c+v)になるとアインシュタインは1905年の論文に書いてあります。光の伝搬を物体の運動と同じとみなしたからです。
 またどの相対論の教科書にもそのように書いてあります。書き方としては、「になるはずだ」と書かれてあるのが普通です。
そして、相反する要請「運動系でも静止系でも光速度は常に一定値 c である」という“光速度不変の原理”とともに特殊相対性理論が構築されていることはすで何度も書きましたので、皆さんよくご承知と思います。
 
 私の提出した相対光速度説(仮称)は、静止系での光速度が c なので、運動系では前方に発射した光の相対光速度は
c−vcosθ=c−vcos0°=c−v です。
 
 しつこいかも知れませんが、もう一度言いますと、アインシュタインは(c+v)になるはずだ、としていますが、
私は(c−v)になる、としています。
 この違いによって、マイケルソン・モーリーの実験の東西方向の計算の仕方が異なってきます。
 上図におきまして、(1)式が従来の、120年間にわたって正しいとされてきた計算です。それに対して(2)式が相対光速度説による計算です。
(2001年10月28日/窪田登司)
 
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(9)早速、山形県の某氏(名前は伏せて欲しいとのこと。大学物理学教授と拝察致します)から、上記に関して、次のようなメールが届きました。
「多くの相対論の教科書に、マイケルソン・モーリーの実験計算の東西方向は、往復の(往)では、
ct=vt+L
と書いてあります。私もそのように理解していました。つまり(往)に要する時間は、
L/(c−v)
ですので、上記(1)式ではないように思いますが、いかがでしょうか」
というものです。
 
窪田回答:相対論の教科書をいろいろ調べてみますと、往復の(往)の計算にも2通り見受けられます。一つは「前方に発射した光の光速度は(c+v)となるはずだ。したがって、架台の長さLを光が要する時間は L/(c+v)である」と書いてあるものと、もう一つは先生の言われる「ct=vt+L から計算して L/(c−v)である」とするものです。
 これらは、どちらも間違ってはいませんか?
「え?」と思われたでしょう。
 少し説明しましょう。前者はアインシュタインの1905年の論文にあるものですね。しかし、光速度はベクトル合成される性質のものではないので、(c+v)とはならないことが現在では分かっています。
 次に、ct=vt+L という式ですが、これは数学的にやってはいけない方程式です。なぜなら左辺のct というのは静止系での式で、右辺の(vt+L)というのは運動系での式です。異なる座標の式を勝手にイコール(=)と置くことは出来ないです。中学や高校で習う数学の初歩です。
 
 アインシュタインと奥さんのミレーバが「光速度不変の原理」というのを思いついたのは、トップページのFig.1だけでなく、じつはこの式にも言えることで、「どんなに高速で運動している運動系でもct と置け」としたからに他なりません。
数学的にやってはいけないことをやったのが、この式です。
 蛇足ながら分かりやすい説明をしますと、架台が2つあり、v よりももっと早く、たとえばV=2v の速度で運動する架台があった場合、
ct=Vt+L
となりますか?なりませんね。
ct=vt+L も正しく、
ct=Vt+L も正しいことはあり得ません。
 両方とも正しいことにするためには、「早く動けば L は短くなる」という奇抜な考えを持たなければいけませんが、しかし例のローレンツ短縮を使っても、この両式が正しいことは導けません。なぜかと言うと、何度も説明しているように“静止系の式と運動系の式を何の意味もなくイコールで結んでいるから”です。
 正しい計算は、「運動系は運動系内で式を立てる事」です。
 
 以上のように、マイケルソン・モーリーの実験計算とアインシュタインの特殊相対性理論は、気が付いてしまえば、非常に単純なミスを100年間、いや120年間、優秀な頭脳の科学者が背負ってきたものです。
 冷静になって、反省してください。
 
 危惧すべきは、大学生など若い諸君は、私の述べていることをすぐ理解できるのに、K大学M物理学教授など相対論を職業としている先生方には、どうにも理解できないという事実です。
“相対論は間違っていることを理解している学生”に対して、“相対論は正しい”と授業をするのは、いくら職業とはいえ許せるものではありません(この部分は以前に某有名国立大学の学生からきた手紙にあった文章の一部が含まれています)。
2001年10月29日
 
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