マックスウェルとアインシュタインの論争
 
 ここで、スペシャルチャプターとして、ジェームス・C・マックスウェルとアインシュタインの論争を
Justin Manning Jacobs著 "Relativity of light" から掲載致します。
 
 翻訳は日頃懇意にさせて戴いている芝浦工業大学学長・村上雅人教授に特にお願いをしまして実現したものです。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
マックスウェルとアインシュタインの論争
 
司会:本日は、大変光栄なことに、偉大なる物理学者であるマックスウェル先生とアインシュタイン先生をお迎えして、光速について議論していただきます。
 
I 部 光速と屈折率
 
司会:まず、マックスウェル教授にお伺いします。1860年代に、先生は、光速に関する論文をいくつか発表されていますね。
 
マックスウェル:はい、おっしゃる通りです。正しくは1862年、1865年と1873年です。
当時、光が真空中を約300000km/sの一定の速さで移動するという実験結果を目にしたのです。いまでは、真空における光速を小文字の c を使って表記していますね。
 
司会:なぜ、光は真空中を一定の速さ c で移動するのでしょうか ?
 
マックスウェル:真の真空とは、地球と月の間の空間のようなもので、どんな物質粒子をも含んでいない空間のことです。
よって、真空には、光の波、あるいは光子の運動方向を変化させるものが存在しないのです。そして、光には直進する性質があります。したがって、光は、真空という媒体の中を一定の速さ、すなわち、光速 c でまっすぐ進むのです。
 
司会:いま、マックスウェル先生は、真空を媒体と呼ばれましたが、それには、どんな意味があるのでしょうか?
 
マックスウェル:光の媒体とは、光が透過できるもののことを指します。それを、透明と呼びます。例えば、真空、空気、水、ガラス、ダイヤモンドなどが、透明な物質です。
 
司会:水には、たくさんの物質粒子が存在しますね。このような場合、光の速さはどうなるのでしょうか。
 
マックスウェル:水中での光速は、たったの226000km/sです。これは、真空や空気に比べて、水中には、光の進行を妨げるたくさんの物質粒子が存在するからなのです。空気中には、物質粒子はそれほど多くはないので、光速は、真空中よりもわずかに小さいだけです。一方、ダイヤモンドは高密度の粒子からできていますので、光の速さは、124000km/sまで低下します。
 
司会:媒体中の光速はどのようにして分かるのですか?
 
マックスウェル:1620年に、オランダのスネルが屈折の法則を発表してから、ほとんどの透明媒体の屈折率は測定されています。そして、私が、1865年の論文で、媒体中の光速と屈折率の関係を明らかにしています。つまり、媒体の屈折率が分かれば、そこでの光速が分かるのです。
 
司会:真空中の光速が300000km/s ということは、いろいろな実験で確かめられている事実でしょうか?
 
マックスウェル:その通りです。光源から出た光が、反射して、戻ってくる時間を測定するという手法で、光速は測定されており、多くの実験で、ほぼ同じ値が得られています。ここで大事なのは、静止あるいは等速で運動している慣性系で、光の往復運動を測定すれば、光速は常に一定になるという事実です。太陽のまわりを30km/s の速さで公転している地球も局所的にはひとつの慣性系であり、そこでの光速も一定の c となります。ただし、光を往復させないと光速の測定はうまくいきません。
 
司会:マックウェル先生ありがとうございます。それでは、いよいよアインシュタイン先生に登場いただきます。先生は、1905年の6月に、特殊相対性理論に関する論文を発表されましたね。どのようにして、この理論に至ったのでしょうか?
 
アインシュタイン:それは、マックスウェル先生が言われたように、どのような慣性系においても光速は常に一定の c であるということを証明するためじゃよ。例を出そう。いま、動いている電車に、ひとが近づくことを考えよう。列車が、ひとに向かっているときと、反対方向に離れていくときでは、当然、向かっているときのほうが所要時間は短くて済む。つまり、動いている列車の相対速度は、ひとが止まっているときと、動いているときでは、異なるということじゃ。ところが、不思議なことに光はそうではないんじゃ。動いている列車からみても、止まっている人から見ても、常に一定の c となる。
 これを説明できるひとは、それまでいなかったのじゃが、わたしの特殊相対性理論が、はじめてそれに成功したというわけじゃ。
 それだけじゃない。1887年のマイケルソン・モーリーの実験で、東西方向と南北方向で光の速さが変わらないという実験結果さえも、うまく説明できたのじゃ。それは、地球が進む方向では、装置の長さが縮むという画期的な理論だったのじゃ。
 
司会:それが特殊相対性理論が誕生した経緯だったのですね。
 
アインシュタイン:そうじゃ。そして、何10年にもわたって、科学界を惑わせてきた光のパラドックスを見事に解決したのじゃよ。これら謎が解明されなければ、科学界は混乱していたじゃろう。
 
司会:マックスウェル先生は、いかがお考えでしょうか?
 
マックスウェル:もちろん、真空中を運動している光の速さは常に一定の c で、物体の運動には依存しません。光の速さは、それが透過する媒体の性質によって決まっているからです。そして、真空中で、光の往復運動を測定すれば、その速さは常に c という結果になります。それが、地球上であれ、異なった速度で移動しているロケットのなかであれ、結果は同じになります。
 
補足:マックスウェル方程式によれば、光は、電場と磁場が交互に振動しながら媒体中を伝播する自己進行波である。その進行速さは、運動の物体には左右されず、常に一定となる。ただし、電場や磁場に影響を与える媒体中では、遅くなる。
 
司会:アインシュタイン先生。マックスウェル先生の説明はいかがですか。
 
アインシュタイン:確かに、そう考えれば、矛盾はないかもしれんが、特殊相対性理論では、そう考えなかったということじゃ。
 
司会:では、アインシュタイン先生の考える光の運動とはなんでしょうか。
 
アインシュタイン:わしの考えはこうじゃ。光も物体と同じように、力学の法則にしたがって相対運動する。これが第一歩じゃ。ここでいう力学とは、ニュートン力学と、ガリレオの相対性原理、そして、基準座標や、座標変換が基本ということになる。
 
司会:なるほど、光も物体と同じような運動をするということですね。それから、どうやって特殊相対性理論が導かれるのですか?
 
アインシュタイン:それは、真空中の光速がすべてなんじゃよ。しかし、その前に、相対論に至る科学の歴史を少し振り返ろうじゃないか。
 
U部 アインシュタインが考えた光
 
司会:アインシュタイン先生。それでは、先生の言う科学の歴史というか背景を教えていただけますか?
 
アインシュタイン:1905年の時点では、物理は電気や光を取り扱う電磁気学と、物体の運動を取り扱うニュートン力学のふたつが主流じゃった。
 19世紀後半のドイツの大学では、力学の諸法則については、広く教えられていたので、わしも習熟しておった。ところがじゃ、電磁気学やマックスウェル先生の理論については、ほとんど教えられておらんかった。わしも、仲間も、それを待っていたのがじゃが、結局、学校では何も習わなかったのう。
 
司会:アインシュタイン先生。それでは、マックスウェル先生の光に関する理論は習わなかったということですか?
 
アインシュタイン:1902年にスイスの特許事務官の試験を受けるときに、独学で学んだというのが正直なところじゃな。教科書は、1894年にフェップル先生の書いたものを使っておった。ただし、光速や光の本質については何も知らなかったというのが正しいじゃろう。
 
司会:マックスウェル先生。光の理論を学ぶのにフェップル先生の教科書はどうでしょうか?
 
マックスウェル:もちろん、不十分です。わたしの光の理論を正しく理解するためには、1862年、1865年、そして1873年にわたしが発表した論文を読まなければなりません。しかし、これらの論文はドイツ語には翻訳されていません。
さらに、フェップルをはじめとしてドイツの科学者たちは、わたしの光の理論を正しく理解していませんでした。
 
司会:アインシュタイン先生。先生は、光の速さをどのように取り扱われようとしたのでしょうか?
 
アインシュタイン:わしは、力学しか知らんから、それを基礎に考えたのじゃ。力学で、物体の速さを論じるときは、ほかの何かを基準にするじゃろう。例えば、地面に立てているポールを基準にして、ボールの速さを決める。いちばん分かりやすいのは、自分を基準にすることじゃ。例えば、自動車の速さを決めるときは、自分を基準にして近づているか遠ざかっているかを決めることができる。動かない地面や道路標識を基準にしたり、他に走っている自動車を基準にすることもできる。ただし、すべて、速さは相対的なもので、どれを基準にするかによって変わるものなのじゃ。
 同じように、光の速さも、何かを基準にして決める必要がある。しかし、真空中には、何もないから、基準になるものがないじゃろう。もともと、多くの科学者は、真空を光の媒体とさえ考えておらんかった。わしの有名な「わが相対性理論」という本に、こう書いておる。
「もちろん、他のすべての物体と同様に、光においても、その速さを知るためには、基準としての物体が必要になる」と。
 
マックスウェル:でもアインシュタイン先生、その仮定は明らかに間違っていますよ。光は真空中を、一定の光速 c で進んでいく波です。何かの物体に対する相対速度として、光速 c で移動しているのではないのです。アインシュタインさんは、このことを理解していませんね。そして、力学の知識をもとに、何かの物体に対する相対速度として光の速さを考えようとしましたね。
 
司会:マックスウェル先生、速さとはなんですか?
 
マックスウェル:それは、簡単ですよ。距離を時間で割ったものです。物体が、ある時間に、ある方向に、どれだけ進んだかを示す指標となるのです。例えば、自動車が1時間に、ある方向に50km 進んだら、その速さは50km/h となります。光の場合には発射したポイントから1秒間に300000km 進むので、300000km/s という速さになります。
 
司会:それは分かりやすいですね。それでは、アインシュタイン先生に質問です。先生は、マックスウェル先生がおっしゃっている真空中での光速を、なにかを基準にして測定するということを考えられましたか?
 
アインシュタイン:もちろん、何度もやったよ。例えば、光が光速 c で東方に進んでいるとしよう。ここで、電車が東方に速さ v で運動している場合と、西方に速さ v で進んでいる場合を考えようじゃないか。まず、動かないひとから見れば、光速は c じゃが、東方に進んでいる電車にのったひとから見れば光速はc-v となり、西方に進んでいる電車にのったひとから見れば光速はc+v となる。この結果をみて、わしは悩んだのじゃ。
 
司会:なぜでしょう?
 
アインシュタイン:わしは、ガリレオの相対性原理をポアンカレから習っておった。それによれば、自然の物理法則は、静止系においても、一定速さで動いている慣性系においてもまったく同じものにならなければならない。それは、光速にもあてはまるはずじゃ。
そして、マックスウェル先生によれば、光速はどの系においても c でなければならない。これが自然の物理法則じゃ。しかし、先ほど見たように、運動する系から見ると、光速が変化したように見えてしまう。これは明らかにおかしいじゃろ。
 わしの本である「わが相対性理論」に、つぎのように書いておる。
「この結果は、力学の相対性原理に反している。なぜなら、他の物理法則と同じように、光速は静止しているひとにとっても、電車にのっているひとにとっても一定の c でなければならない。しかし、いまの簡単な計算から、これは成立しない。もし、どんな系からみても光速が常に一定ならば、動いている電車から見た光速に関しては、別の物理法則をあてはめる必要があることになる」
 こんな、いとも簡単な考察から、従来の相対性原理は、光速に関しては破たんすることが明らかになったのじゃ。したがって、ポアンカレに教わったガリレオの相対性原理をとるか、マックスウェル先生の光速がどの系からみても一定の c である光速不変の原理という自然法則をとるかのいずれかを選択しなければならないと悩んだのじゃ。そして後者を選択したというわけじゃ。
 
司会:マックスウェル先生、いかがでしょうか。アインシュタイン先生の考察は、先生の言われる光速 c が真空中では一定であるという考えを正しく反映したものでしょうか?
 
マックスウェル:いーえ、もちろん違います。理由は明らかです。まず、電車や自動車が動いていることと、光が真空中を一定の光速 c で伝播するという現象は、まったく関係ないということです。
 光が真空中を一定の速さ c で伝播するというのは、光が自己進行波ということを反映したもので、光固有の性質なのです。電車が動いていようが、ひとが動いていようが、真空中での光速は常に c なのです。ここへ物体の力学の法則を持ち込む事自体が間違っているのです。
 例えば、異なる媒体間での屈折率が一定の値になるという実験事実が、このことを支持しています。媒体中の光速は一定なので、屈折率も一意に決まるのです。もし、真空中の光速が c でないとすれば、屈折の法則は成り立たなくなってしまいます。
 したがって、同じ真空中をいろいろな速さで移動している物体があったとしても、光の速さは常に= 300000km/sと
一定なのです。それを観察しているひとが動いていても、この値そのものが変わるということはありません。
 
司会:マックスウェル先生は、電磁方程式から導かれる固有の性質である光速 c を、運動物体との相対速度として求めてはいけないという考えですね。いかがでしょうか?
 
マックスウェル:そうです。言い換えれば、真空中を伝わる光速が常に c と一定であるということは、速度 v で動いている電車のひとから見れば、光速がc+v c-v になっても構わないということです。これは、別に変なことではありません。なぜなら、その場合でも、真空中の光の速さは、あくまでも c と不変だからです。
 そして、これはガリレイの相対性原理と矛盾しません。物理の本質(つまり光の本質)とは関係のない相対速度であり、当然、電車の速さが変われば、相対速度は変化します。その時、物理定数としての c が変わったわけではないのです。
 
司会:マックスウェル先生、それでは、アインシュタイン先生の特殊相対性理論の問題を指摘いただけますか?
 
マックスウェル:実に簡単なことです。まず、アインシュタインさんは、光の運動も、物体の運動の法則を規定する力学によって解析できると考えました。しかし、物体の運動が、電磁気学における光の運動に影響を与えるでしょうか。たとえば、運動座標系や静止座標系などの座標変換によって、光の性質が変わるでしょうか。答えはノーです。光は真空中を電場と磁場が振動しながら光速 c で進むだけです。運動系の影響など受けません。
 つぎに、アインシュタインさんは、止まっているひとから見ても、動いている電車に乗っているひとから見ても、光速 c は常に一定であると考えました。「光が自己進行波で、真空中ではその進む速さが c と常に一定である」という光の性質を誤解して、どの慣性系からみても、光速 c は常に一定であると混同してしまったのです。
 アインシュタインさんは、物体の運動を記述する力学と、電磁気学における光の伝播を同じものとして、特殊相対性理論をつくりました。「c+v はc になる」とか、「c−v もc になる」とか、誤解以外のなにものでもありません。つまり、特殊相対性理論はその原点から間違っているということになります。
 
V部 アインシュタインの1917年の思考実験
 
司会:アインシュタイン先生。電磁気学ではなく、力学に基づいて、ある物体を基準にして光速は測られるという考えは、間違った仮定であるとお考えになったことはありませんか?
 
アインシュタイン:一度もないね。逆に運動物体によって、光速がc-v になったり、c+v と変化するほうがおかしいのじゃよ。そして、この矛盾を数学的に説明しようというのが、わしの立場じゃ。
 そして、1917年に発表した論文で、観測系によって光速が変わってしまうというパラドックスと、それに対する解決策を発表したんじゃ。実は、この論文の前に、ある思考実験をしておる。それを説明しておこう。
 宇宙に静止している太陽から、ある方向に光が発射されたとしよう。マックスウェル先生の理論によれば、この光は、太陽から300000km/s の速さで離れていくことになる。
 ここで、太陽から光と同じ方向に1000km/s で、ある物体を投げたとしよう。この物体に乗ったひとからみたら、光の速さはどう見える?実に簡単な計算だね。もちろん、299000km/s じゃ。
 
司会:マックスウェル先生、ここまでの話はいかがでしょうか?
 
マックスウェル:そこは間違ってはいません。ただし、それをもって、光の速さが299000km/s に変わったと考えるからおかしいのです。単に、1000km/s で動いているひとからは、このような相対速度になるというだけで、物理的本質としての光の速さは300000km/s のままなのです。
 アインシュタインさんは、1000km/s で動いているひとから見ると、光の本質的な速さが299000km/s に変わったと誤解していますね。そして、それが自然の物理法則と異なっていると。そんなことはありません。相対速度の変化は、わたしの光の理論にまったく抵触することはないのです。この場合でも、真空中の光の速さは300000km/s と一定なのですから。
 
司会:アインシュタイン先生、先生の考える光速299000km/s とはどういうものなのでしょうか?
 
アインシュタイン:光速が299000km/s になったということは、マックスウェル先生の理論である光速 c が常に一定であるという物理法則に反するということじゃ。なぜかって?
当り前じゃないか。事実、300000km/s が299000km/s になってしまったのじゃからな。これは、マックスウェル先生の理論に対する明らかなパラドックスじゃよ。
 
 
W部 1905年以前におけるアインシュタインの光の解釈
 
司会:アインシュタイン先生。1905年までは、先生は、真空中の光速 c が常に一定であるというマックスウェル先生の理論に疑問を抱いていたというのは本当でしょうか?
 
アインシュタイン:その通りじゃ。Nature という雑誌に書いたことがあるのじゃが、「真空中で光速 c は常に一定である」という物理法則そのものをあきらめようとしたことがある。当時は、光源に位置している人間からみたときだけ、光速は一定の c になると考えておった。そして、そのまわりで動いているひとから見ると、光源に対する運動によって、光速は変わるものと思い込んでおったのじゃ。
 
司会:アインシュタイン先生、観測者の運動によって速度が変わるという考えは、マックスウェル先生が話されていた光の相対速度と同じもののようにも聞こえますね。マックスウェル先生は、アインシュタイン先生の初期の考えをどう評価されますか?
 
マックスウェル:そもそも、光速一定という意味を取り違えているのが問題です。光源という物体を基準にとって、その地点からの移動速さだけに注目すれば、光速一定ということが奇妙に見えるのは当たり前でしょう。光速は、まわりの運動物体に関係なく、真空中を一定の速さで進む自己進行波なのですから。
 ただし、1905年以前のアインシュタインさんの考え方として、運動しているひとから見ると、光の相対速度が異なるというところは間違っていなかったのですがね。ただし、そのことが、光速一定の法則と抵触しないということを、アインシュタインさんには、理解できてなかったのです。
 
司会:マックウェル先生、運動物体からみると光速が異なってみえるということを、もう少し説明していただけないでしょうか?
 
マックスウェル:水の中の光速を例にとってみましょう。水という媒体中での光速は真空中の75% しかありません。つまり、0.75c です。そして、この値も常に一定です。測定するひとによって変わりません。そばを運動物体、たとえば、魚雷が通ったからといって光速が変化するわけではありません。いま、水の中の魚雷に乗っているひとが光の速さを測ったとしましょう。光と魚雷が同じ方向に進んでいて、魚雷の速さがv とするならば、そのひとにとって、光の相対速度は0.75c-v となります。
 
司会:なるほど、とすると、おふたりの説明される光速が一定となるという考えは、かなり違っていますね。
 
マックスウェル:その通りです。わたしの電磁方程式の解の一つである光速一定の法則というのは、真空中を光が一定の速さ c で進む自己進行波ということを言っているのです。これが、電磁気学に基づく自然の物理法則なのです。
 一方、アインシュタインさんは、光の速さを、ある基準に対する相対速度とみなしたうえで(ここもまちがっているのですが)、運動するあらゆる物体に対して、この相対速度がすべて等しく c になるとしているのです。これを光速度不変の原理と言っているのですから、電磁気学の光速一定の法則とはまったく違うものです。
 光は、真空中を一定の速さ c で進む自己進行波です。そのまわりには、何万何千という物体が、それこそ、いろいろな速度でいろいろな方向に運動しています。しかし、そんな運動には関係なく、光速は常に一定の c なのです。そして、これら運動物体からみた場合には、光の相対速度は変化します。相対速度がすべて c などということはありえません。これが、自然の法則です。このことをアインシュタインさんは理解していません。
 そして、なにより重要なのは、真空中の光速 c が常に一定という電磁気学に基づく自然の法則は、なにも矛盾を生じないということです。アインシュタインさんと、そのお仲間は、光速が、運動する物体からの相対速度であり、しかも、それがすべて同じ c になると仮定して、力学と数学を駆使して、まちがった理論を構築してしまいました。
 
X部 光速不変に対する間違った数学操作
 
司会:それでは、アインシュタイン先生にお聞きします。光速不変の法則に関わるパラドックスに対して、先生は、どのように対処したのでしょうか?
 
アインシュタイン:運動している物体からみると、本来 c であるべき光速がc+v c-v に変わってしまうという矛盾を解消して、マックスウェル先生の光速一定(不変)の法則を救うことが、わしの使命だと思ったのじゃ。それには、いろんな方向に、いろんな速度で運動しているどんな物体からみても、 c は常に一定となるような数学的操作をすればよいということが分かったのじゃ。
 
マックスウェル:間違った数学展開でしたね。しかも、そんな操作は物理という観点では何ら意味のないことです。すでに説明したように、光速は媒体の性質(誘電率と透磁率)によってのみ決まります。そして真空中では一定のc = 300000km/s となるのです。
 このことは、ふたつの媒体間の界面における光の屈折率が常に一定であるということによって証明できます。これら測定結果は、物体の運動や力学の法則とは、なんら関係ありません。光速は媒体の性質で決まるもので、物体の運動に左右されるものではないのです。これは、自明なことです。
 先ほど、アインシュタインさんは、わたしの光速一定の法則を救うということを言われましたが、これは自然の法則であって、なにも矛盾を生じません。アインシュタインさんの間違った数学的操作によって救ってもらう謂れはないのです。
 
司会:アインシュタイン先生、いかがでしょうか。
 
アインシュタイン:なかなか理解してもらえんようじゃな。それでは、1917年のわしの思考実験にもう一度戻ってみようじゃないか。そこでは、運動しているひとから見たら、一定のはずの光速がc+v c-v に変化してしまうということを説明した。これは明らかな矛盾と考えたわけじゃよ。なんで、一定の速さで進むはずの光が、みるひとによって変わってしまうのか。300000km/s であるはずのものが、同じ方向に1000km/s で進むひとからみたら299000km/s と異なる物理定数になってしまうのか。これでは、いかんと思ったのじゃ。そこで、自分に問うたのじゃ、物理定数であるはずの光速が運動するひとによって変わってもいいのじゃろうかと。
 
司会:その結果はどうなったのでしょうか?
 
アインシュタイン:結論は、ガリレオの相対性原理を覆す必要があるということじゃった。つまり、力学の法則だけではなく、電磁気学を含めた、あらゆる物理法則が慣性系では、そのままそっくり成立するというものじゃ。すごいじゃろう。つまり、静止している物体でも、速さv で動いている物体からみても、光速は不変で、常に c でなければならないという結論に達したのじゃよ。
 そして、この新しい相対性理論に基づいて、太陽から発せられた光は、太陽からみても、また1000km/s で動いている物体からみても、同じ300000km/s という結論を得たのじゃ。(c+v)は c となる、(c−v)も c となる、とな。
 
司会:アインシュタイン先生。先生の新しい相対性理論によると、宇宙に存在するありとあらゆる物体にとって、それらが、どんな方向に、どんな速度で動いていようとも、光速は常にc = 300000km/s でなければならないということになりますね。とすると、どこを基準にとっても、光の相対速度は、絶対的に c という定数であるということを意味しますが、それでよろしいのでしょうか。相対速度が絶対速度になる!??
 
アインシュタイン:まさに、その通りじゃ。どうやら、ようやく分かってくれたようじゃな。それが、光速不変の法則を守るための唯一の数学的操作だったのじゃ。
 
司会:マックスウェル先生は、納得されますか?
 
マックスウェル:納得なんかできませんよ。ガリレオの相対性原理は、物体の運動にかかわるもので、光速とは無関係です。真空中や多くの媒体での自己進行波として光が進む速さは常に c と一定である。これが自然の物理法則です。
 さらに、アインシュタインさんの理論によれば、光と同じ方向に、異なるスピードで動いている物体にとって、光速は、すべて300000km/s となりますが、こんなことは物理的に不可能でしょう。数学的操作もできないはずです。間違っている数学操作なら別ですが。
 光と同じ方向に1000km/s で進む物体からみれば、光の相対速度は299000km/s となりますが、だからと言って、これが物理定数のc = 300000km/s に反しているということではないのです。単なる相対速度なのですから。
(窪田:会話中、口を挟んですみません。<アインシュタインの速度の加法則>はベクトルとスカラーをごちゃ混ぜにして作った間違い数学です。マックスウェル先生の方が遙かに数学力は優れておられます)
 
司会:アインシュタイン先生。動いている物体にとっても光速が300000km/s と変わらないとするためには、どんな操作が必要となるのでしょうか?
 
アインシュタイン:それは簡単じゃな。太陽で測った1秒と、運動物体で測った1秒の時間の長さがそれぞれ異なるとすればよいだけじゃ。1000km/s で運動している物体の1秒は図5によって0.999994 秒となる。結局、動いている物体の時間の進み方が遅いとすれば、なんの問題もないのじゃ。
 
司会:そうでしょうか。太陽と地球で時間の進み方が違うというのは、にわかには受け入れ難いような気がしますが。たとえば人間が光速で運動すると、その時間はゼロになってしまい、心臓が止まりますよ。量子論によれば光も粒子性がある(光子)のですが、アインシュタイン先生の理論では光の時間はゼロ!? それでよく光は飛びますね。
 
アインシュタイン:(笑いながら)それが、わしの相対性理論の画期的なところじゃろう。そして、世界中の研究者が驚いたのじゃ。物理の常識を覆したのじゃからな。自分がいうのもなんじゃが、大天才と呼ばれるゆえんじゃ。
 
司会:マックスウェル先生はいかがお考えですか。光速一定の法則を守るために時間の長さを変えるというアインシュタイン先生の発想は?
 
マックスウェル:そういう間違った数学操作では、何の意味もありませんね。われわれにとっての時間とは、いつも普段使っている時間ですよ。
 
Y部 アインシュタインによる物理学の変革
 
司会:アインシュタイン先生。光の相対速度があらゆる運動物体に対して、常に300000km/s という絶対速度であるということが成立するために、先生は数学的に時間のほうをいじったわけですが、この理論は、その後、どのように展開していったのでしょうか。
 
アインシュタイン:自然のなりゆきじゃが、すべての物理法則は、わしの新しい相対性理論に従うように書き変えにゃならんと思ったのじゃ。1917年の思考実験を覚えとるかな。そこでは、光の相対速度がc+v c-v に変わってしまった。これについては、時間をいじることで、なんとか c になるようにしたが、同じことをすべての物理法則にあてはめなければならん。その結果、物の長さも、質量も時間もエネルギーもみな変えなきゃならんことになったんじゃ。
 
司会:それは大変そうですが、どうやって成し遂げられたのですか。
 
アインシュタイン:それはこうじゃ。まず、わしの新しい相対性理論の根幹として、光速度不変の法則は、なんぴとたりとも口の挿むことのできない“原理”としたのじゃ。そして、もはや距離と時間は、絶対的な存在ではなく、単なる相対的な概念に過ぎないと、これを植えつけていったのじゃ。その代り“光速度”だけは相対的ではなく、絶対的な値 c にしたのじゃよ。これには、みんな驚いたようじゃな。しかし、最後は、みなに納得してもらうことができたのじゃ。頑固なマックスウェル先生と違ってな。
 
マックスウェル :光速度 c は測定精度が増せば変わるものですし、誘電率や透磁率も変わればどんな値にでもなり得るものです。そういうものを絶対的な値とした“原理”にできるでしょうか。
 
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補遺 マックスウェル電磁気学が明かした光の正体
 
 ファラデー、エルステッド、アンペール、マックスウェルらの功績により、18世紀から19世紀にかけて、電磁気学が建設されたが、その重要な成果のひとつは、それまで謎であった光の性質を明らかにしたことであろう。
 マックスウェル方程式を解くことによって、光が何もない空間(真空中)を電場と磁場がたがいに直交方向に振動(たがいを誘導)しながら、電磁場の振動方向に対して90°の方向に、光速c [m/s]で進んでいく自己進行波であることを明らかにしたのである。つまり、光は電場と磁場の横波であり、これら振動方向に直交した方向に進行する。
 
 19世紀には、光が波であることが明らかになっていたが、ここで、多くの科学者の頭を悩ませたことがある。それは、光が波であるならば、それを伝える媒質は何かという問題であった。
 例えば、水面に生じる波は水が媒質となって、その振動が伝わっていく。音も波であるが、この場合は、空気が媒質となって、その振動が伝わるのである。とすれば、「光の媒質はいったい何か」ということが議論になったのである。
 そして、多くの科学者が、宇宙空間には、エーテルという光を伝える目に見えない媒質があるという考えに傾いたのである。そして、このエーテルの存在を証明するために、いろいろな実験が行われた。
 光の正体が「真空中を電場と磁場が相互に振動しながら進んでいく自己進行波」ということが明らかになった現代からは、滑稽なアイデアもあり、エーテルを探そうとする実験そのものも、無意味であるということが分かるが、当時の科学者たちは真剣だったのである。
 中でも、有名な実験がマイケルソン・モーレーによる実験であろう。もともとエーテルなどないのであるから、エーテルの存在を前提とした実験と、その結果の解釈には、首を傾げたくなるものが相当含まれている。ないものを、あると仮定した解釈であるから、無理が出るのも当然であろう。その結果、ローレンツ収縮という奇妙なアイデアが生まれたのである。
 電磁気学は、光は波であるが、その伝播にはエーテルという媒質など必要がないことを示している。しかも、電場と磁場の振動であるから、むしろ、これらに影響を与える物質が空間にあれば、光速はその影響を受けて遅くなることも知られている。