特殊相対性理論の間違いの根源
 
反論者Yさんへご説明します。 
 このvt とct はXY 座標(静止系とか基準系と呼ばれるもの)と運動系座標に囲まれて作られたもので、ct は運動系の図ではありません。いかなる座標系も光速度は一定値c であるという『光速度不変の原理』なる仮定は間違っています。
(なお上図は運動系が光速の約78%、秒速約23万4千kmで運動している例です。)
 
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 図1は光源が太陽、鏡が地球の場合ですが、この図は見て分かるように太陽の光を基準系にとったもので、鏡(地球)という運動系の図ではありません。
 光源(太陽)そのものも宇宙空間を運動しています。ところが、このように光源から出た “光” そのものによって XY 座標を定義して良いことを示しています。
 そして “8分前に” 光源から出た光が、“8分後” に鏡に到達したとき、“8分” 前の光源という物体は、“8分後” にはどこにあろうが関係のない座標です。これを私は基準系(静止系、空間系等々、呼称は自由です)としていることをご理解ください。
 光源を太陽、鏡を地球にした場合、その距離は1億5千万kmもありますが、それでも φ は約0.006度程度です。
 
また、「光も物体と同様の運動をする」というアインシュタインの考え「特殊相対性原理」という仮定も飛躍し過ぎているし、そういう実験事実はないことを、ここに改めて申し上げたい。
 
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 なお余談ですが、私は空間は “無” であり、“無限” だと考えています。“有限” ですと、その向こうは何かということになるからです。“無” の空間にさまざまの物質が “存在” し、それらが “宇宙” を形成しています。“宇宙” は有限かも知れませんが(無限かも知れません)、“空間” は無限だと考えています。また相対論物理学者は数学上の “空間” と物理学の “空間” を混同しているフシがあります。
 また、“無限” とは何かにつきましては、私は “どこでも中心であること” と定義しています。時間も同様です。時間は無限だから、どのポイントでも t=0 と定義できます。2001年5月14日/窪田登司
 
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【反論者Yさんへパート2】
 優秀な頭脳の科学者がほんの小さなミスにハマッていると申しますのは、たとえば「光速一定」と「相対光速度」の件があります。
 どの相対論の教科書にも、「120年前に地球の絶対運動から(c−v)や(c+v)を見出そうとしたが失敗であった。光速度は常に一定値c であった。そこから特殊相対性理論が生まれた」と書いてありますが、マイケルソン・モーリーの実験をそのように解釈するからいけないのです。
 当時のマイケルソン・モーリーの実験は(c−v)や(c+v)が分かる実験ではないし、その後の多くの優秀な科学者によって測定された光速は、「相対光速度」を測定したものではなく、「光(電磁波)の伝播速さ」を測定したものです。
 だから一定値c であることは当然で、これは「光速度不変の原理」ではないのです。
でも述べましたが、もう一度次の図2にその重要な違いを再掲しておきます。すべての相対論を擁護する人々が、この違いを考えようとしてないのが現状なのであります。
 
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【反論者Y氏からの手紙】/2001年5月31日
「そんなに自信があるのなら、なぜ学会に発表しないのですか。NHK出版のエレクトロニクス関係の雑誌や徳間書店の三文本に発表したものなど、学者は無視するのは当然ですよ。大学の先生は学問の最高峰を研究している人たちだから、間違ったことをするわけないです。学会に発表したら、認めてあげます」
という手紙がきました。
 
 これに対する回答は簡単です。私は何もしてこなかったわけではありません。いろいろの学会に相談してもすべて没になったのです。理由は2つあります。
 一つは、内容があまりにも簡単で、使用している数学が中学生、高校生レベルであるためです。あまりにも易しい低レベルの数学なので、大科学者には理解出来ないのかも知れません。
 論文審査した某先生は数学ではなく「算数だ」と述べられました。またある別の学会の先生は「これはパロディーかね」と申されました。拙い英文だったため読む気も起こらなかったのかも知れませんが、しかし図面と数式を見れば、私が何を謂わんとしているかくらいはお分かりになると思うのです。このように蔑視されると、何も出来なくなってしまう私の心境をお察しください。
 もう一つは、論文審査する学者先生方すべてが「相対論は絶対に正しい」と思い込んでいるので、論文審査が通らないのです。「たたき台にしてみよう」とさえ考えてはくれません。なぜか分かるでしょう。私は物理学会に所属しているわけではないし、ただのエレクトロニクス関連の “物書き” だからです。「せいぜい遠吠えしてろ」です(^_^)。
 
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 追加(06年2月27日):じつは、Y氏の手紙には「新聞やTVで取り上げないのが、その証拠だ!」と書いてあったのですが、上記はそれを割愛していました。1993年にc−Vcosθ を発表して以来、この種のお便りは何通もありました。
これに対する私の考えを遅ればせながら述べておきます。
 第2次世界大戦の真っ只中で、新聞は『この戦争はいけない。間違っている』と書くことができたでしょうか。
 第2次世界大戦の真っ只中で、ラジオ放送が『大本営の発表はウソだ。米英軍の方が優勢だ』と放送できたでしょうか。
 
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「相対性理論はミンコフスキー計量によって無矛盾を証明できる。相対論に文句を付ける人がミンコフスキー計量を示しているのを見た事がない。くやしかったら計量を説明してみよ」(琉球大学K助教授)と、どんなに難しい数学を並べてみても、その理論を作る土台が間違っています。砂上の楼閣です。
 洋服を着る時、いちばん初めのボタンを掛け間違えると、あとは “どんなに正確に掛けていっても” 、それは間違いのままです。一見して洋服が着られているように見えても、それは不具合のままです。
 
 アインシュタインの相対性理論はほんの小さなミスから途轍もない巨大な理論に膨れあがったものです。相対論は間違っています。
 小舟で巨船に体当たりしてきましたが、すでに巨船にはcracks(亀裂)が入っています。
それは修復不可能な“ひび ”です。 いずれ、必ず、350年も経てば、この巨船は沈没します。窪田登司 自伝の§16
を読んでくださると、嬉しいのですが。わんぱく坊主の子供の頃はどうでもいいから(^_^)。2020.10.13追加
 
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 追加いたします(2003年5月7日)
 最近、時折反論してくる人のメールを読んでいますと、共通した私への非難があります。それは、私に対して「相対論を理解してない」としている事です。そして、よく読むと、相対論を構築するいちばん初めの仮定に立ち戻って考えてない反論
なのです。
 私をやり込めようとして、「ミンコフスキー計量によって相対論は無矛盾を証明できる」とか、「ミンコフスキー空間を勉強せよ」、「時空図を書いてみよ。そうすれば相対論を理解できる」、「固有時の概念が貴殿は理解できてない」、
「マイケルソン・モーリーの実験は相対論とは関係ない。相対論は独立した時空理論だ」、「時間、時刻、時計というものは光によって合わせるのだ。それが分かれば “時間の遅れ” という概念が分かるんだよ」、「相対論は “論理的に” 矛盾のないものだ」等々、いくら “相対論の立場” から私を攻めても、私は「そういう事はない。それは物理学ではない」と述べていますので、私を説得することは出来ないです。
 
 たとえば、「すべての座標系で光速度は一定値 c である。すべての慣性系で光速度は一定値 c である。すべての観測系で光速度は一定値 c である。すべての等速直線運動系で光速度は一定値 c である。これが光速度不変の原理だ。これを貴殿は理解できてない」と言われても、私は「そういう事はない。自由空間の光速は一定値 c だから、運動系では相対光速度は c−Vcosθ でしょう」と述べていますので、私をやり込めることは出来ないです。
 しかも、決定的なのは、相対論の数学展開は数学的に間違っている、ことです。
 
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ご参考までに、アインシュタインと私の時空光速度の違いを一覧表にしておきます。
 
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 いま(2002年12月24日)、ふと思い出したのですが、拙著「アインシュタインの相対性理論は間違っていた」(徳間書店刊)が出版されたとき、この本を日頃懇意にしているM弁護士(この人は東大法科のご出身ですが、サイエンスに非常に興味を示される方です)に差し上げたら、早速読んで「アインシュタインは光と物体を同じように考えて理論を作ったのだね。おかしな理論になるわけだ」と電話をくれたことを思い出しました。
 
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【御理解者 長野県のSさんへ】
 その通りです。トップページのFig.1とFig.2は根本的に異なる図面ですね。
 
 私が初めてFig.2をT 大の有名なK 物理学名誉教授にお見せしたとき、「こんな図は今まで見たことがない」と度肝を抜かれて出てきた言葉が、「架台2は架台1より早く動いているので、時間はゆっくり刻むから、これで良いのだ」とされたのです。相対論は絶対に正しいと考えて、このような回答をされたのですね。
 でも、注意深く考えると、Fig.1とFig.2は根本的に異なる図です。Fig.1「L、vt、ct、光の直角三角形」は、“運動系”の立場では、常に光は “光源” の位置である A’ からやってくるようになっています。
 しかし、Fig.2は “運動系” の立場に立っても光は発射されたポイント A から伝播して来ています。
 この両者の違いをご理解されている方は、現在では S さんを含めて、日本だけでなく、オーストラリア、韓国などの学者先生を含み、多数いらっしゃいます。
 一方では「Fig.1は正しい」、一方では「Fig.2も正しい」と言う特殊相対性理論がいかに人々の頭脳を混乱させ、屈曲させているかが分かる図ですね。
 
 ご質問のもう一つは、S さんのご理解通りです。私は、Fig.2におきまして、
運動系鏡 D の立場では、相対光速度は c=c−vcosθ    (θ=∠CDA)
運動系鏡 F の立場では、相対光速度は c=c−Vcosθ    (θ=∠CFA)
であると提起したのです。これが相対光速度説(仮称)の始まりです。
 
 お便り有り難うございました。/2001年12月13日、2002年2月23日/窪田登司
 
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 特に読んで貰いたいのは<(10)静止系と運動系について>です。