相対光速度(c−Vcosθ)について パート1
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 アインシュタインの言う「光速度 」は絶対的な値であり、何に対しても、どんなスピードで運動している系に対しても、いかなる慣性系座標に対しても、光速度は絶対に であるとして(光速度不変の原理といいます)、“時間” の方を変えて独特の数学世界に入ります。
 それに対して私は、「何もディスターブするものがない自由空間の光速は一定値 であるため、鏡など観測系にとって相対的に光速度は変わる」としています。
 じつは、この「光速一定」は、私だけが特別に提唱している内容ではなく、マックスウェル電磁理論からの理論的な結論でもあり、また多くの先人たちの測定や実験から得られた結論でもあります。
 現在、測定されている最も正確な光速 299,792,458m/secであるとなっています。
 したがって、自由空間を一定の光速で走っている光に対して、鏡など観測装置が向かっていけば相対光速度は速くなるし、逃げて行けば相対光速度は遅くなるのは当然考えられることです。この原理を応用したものが、リングレーザージャイロであり、現象としてはドップラー効果があります。
 
 ところで、ここでK大学M物理学教授の反論をご紹介します。
上述した299,792,458m/secについて、「この値は地球上で誰が測定しても同じ値として得られる。地球は宇宙空間を動いているのにだ。だから光速度不変の原理は正しいのだ。アインシュタイン博士が間違っているはずはないのだ」というものです。この反論は残念ながら的を得ていません。先生の言われる、この “光速” は光など電磁波の “伝播速さ” です。
 電磁気学的に言えば、「電界と磁界が交互に変位しながら1秒間に299,792,458m進む」であり、“波長λ” と
“周波数 ” を別々に正確に測定して掛ければ定数 が得られますが、その値です。「光速度不変の原理」とは意味が異なります。
 
 
 アインシュタインの言う “光速度不変の原理”(何度も言いますが、これはあくまでアインシュタインまたは前妻のミレーバが考えた仮定です)は、鏡など観測デバイスが、どんな速度でどんな方向に動いていようとも関係なく、そこへ光は光速度 で届く、変わるのは運動系の時間だとなっているものです。
トップページの有名な「L、vt、ct、 光の直角三角形」
Fig.1(http://www7b.biglobe.ne.jp/~kubota-takashi/ein-kubota.html)をご覧ください、そのような図になっているでしょう。
 このような図は数学的にも物理学的にもあり得ないというのが私の指摘で、鏡の運動によって相対的に光速度 c’ は変わるとしています。
 
相対光速度は c’ = c−Vcosθ          この相対光速度という名称は多くの人々から嫌われています。
                            理由は現在、どの物理学書にも、教科書にも載ってないからです。
                                  したがって名称につきましては今後の物理学の発展に任せます。
(1)すぐ分かるように、θ が の場合は、鏡に垂直に光が照射しているときです。明らかに相対光速度は c’ です。マイケルソン・モーリーの実験解析に応用できます。この実験はほぼ θ ですから、c’≒c となり、干渉縞の変化数は極小となります。
(2)θ がゼロは?そう、やってくる光から逃げている場合です。相対光速度は c−V です。もし、 となると、鏡に光は反射しないことになります。こういうことはまだ人類は実験も経験もしていません。
(3)θ の場合は、やってくる光に向かって行っている場合です。相対光速度は です。もし、 になると、相対光速度は 2c となり、鏡と激しい衝突をすることになり、危険ではないかと思われます。しかし、シンクロトロンなど加速器内では、これに近い現象が起きていて、粒子同士の激しい衝突の末、未知の素粒子が発生している可能性があります。
 
 なお、 は先に述べたように、自由空間中の光速で、一方の はその基準光に対する変位速度です。
この微少な Vcosθ を干渉縞の変化として検出して計算し、ジェット戦闘機や旅客機、ロケットなどの自動操縦をやっているのが、リングレーザージャイロです。そして、この原点はまさに「マイケルソン・モーレーの実験」の応用そのものであります。
 ただし、c−Vcosθ につきましては、現在はどの物理学書や教科書にも載っていません。この式でブラッドリーが観測から得た式を理論的に証明したのですが、それを私に無断で使用して論文発表しているのが世界で1件あります。アインシュタインがポアンカレの発想を盗んだのと同じです。
(窪田登司/2001年1月10日/9月11日/11月30日
 
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数学による暴力
                        (この項2001年1月18日
 ある国立大学の学生からきた手紙をご紹介します。
 私の c' =c−Vcosθ は正しいと理解した学生ですが、当該大学物理学教授に、この式を提示したら、次のように反論されて非常に悔しい思いをしたと綴っていました。
その教授の反論は次のようです(下図参照)。
「窪田さんは Vsinθ を忘れているんだよ。つまりね、鏡は光に対して Vcosθ で遠ざかると同時に、Vsinθ で横にそれているので、遠ざかる相対光速度 c−Vcosθ と鏡のそれる速度 Vsinθ のベクトル合成で見かけの光速度 c’ を求めなければならないんだ。
 
となり、これが見かけの光速度だよ。アインシュタインの相対性理論が間違っているなんぞ、考えてはいかんよ」
というものです。
 
 本ホームページをお読みの皆さんはこれをどうお考えになりますか。
 
 この学生の手紙には次のように書かれていました。
「ぼくはすぐ、AD方向の “鏡との相対光速度” を問題にしているのに、どうして垂直方向の “鏡のスカラー成分” 持ち出して、その二つをベクトル合成するのですか?そんな事って数学的に出来るんですか?」と聞きましたら、ムッとして睨み付けられたので、怖くなって「もういいです」と言って教官室を出て行きました。
 特殊相対性理論はもともと「光速度はゼッタイに変化しない、いかなる慣性系も だ、光速度不変の原理だ」として理論が組み立てられているものです。それなのに教授は平気で見かけの光速度は
だって言うんです。            
 とにかく ローレンツ因子さえ出てくれば、それが相対論だと信じ込んでいるんです。ああ、イヤダ、イヤダ・・・・・(あとは省略させていただきます)」
 
 最後に、この手紙は「・・・数学による暴力ですね」と結んでありました。確かにこの件は、「相対論を分かっているつもりになっている大学教授でも、そのじつ何にも分かってはいない」ということが知れた貴重な手紙でした。
2001年1月18日/窪田登司)
 
追加いたします2001年1月26日/2023年11月2日
「相対論を分かっているつもりになっていても、分かってない大学物理学教授が多い」ことは、じつは私も以前に何人も会ったことがあり、その時の簡単な事柄を思い出したので追記しておきます。
 
 皆さんは、アインシュタインは論文の中で、下図において(1905年の論文の冒頭に書いてある式=原−です)
「慣性系においては、いかなる にも無関係に −t = t’−tB である」
と断言して(正確には “定義により” と書いてあります。そして、“この定義は無矛盾となる” とも書いてあります)、話を進めていることをご存じですか?
 
             時刻 光発射時刻 受光
            A地点―――――――――――――――――――――B地点 ⇒等速直線運動
              時刻t’受光直ちに反射
 
 この「等速直線運動は絶対静止と区別出来ない」というのがアインシュタインと当時の奥さんミレーバの人が考えた根本的な出発点なのですが(正確には、“ある種の(思考的)物理実験により” と書いてあります)、この時点からすでに間違っているのです。
 ただし、明治38年当時は一部の人たちは正しいと考えたかも知れません。“物体” を同速度で投げたのならば、
−t = t’−t ですものね。
 何度も言うように、この発想から生まれたのが「光速度不変の原理」という仮定であり、更に物体の運動法則は電磁波である光にも適用しようという仮定が「特殊相対性原理」です。
 
 上図(およびこのサイトの最後の図面)に “直ちに反射” と書いてありますが、“直ちに” でなくても構いません。要は同じ距離AB間の右方向に要する時間と、左方向に要する時間を測れば良いだけです。
 は右方向に移動しているのだから、光は追いかけて行くので、時間がかかります。左方向の光はが向かってくるので、早くなります。
 100年以上も昔と違って、現在ではこれを応用したのがリングレーザージャイロです。−t t’−t なのです。
 そして、この事実をもとに発見したのが c’=c−Vcosθ であり、マイケルソン・モーリーの実験と、ブラッドリーが観測から得た光行差の式を理論的に説明したのが相対光速度説(仮称)です。ただ、この “相対光速度” という名称は難があるかも知れません。光行差から分かるように、真の光速が変化したのではなく、観測系の動きによる “見かけ上の光速の変化” ですから。だからこの名称の件は今後の物理学の発展に任せます。
 
 誤解されるといけませんので、ひとこと申し添えておきますが、私は「アインシュタインの相対性理論は、ここを手直しすれば、あそこを手直しすれば、正しい理論になる」とか、そんな事を言っているのではありません。根本的に理論を作る出発点が間違っていたので、物理学ではないことを述べているのです。
−t = t’−t ではなく、−t > t’−tB であることを知った瞬間に、相対性理論は音を立てて総崩れします。
 
 なお、余計なお節介ですが、相対論が間違っていた事を理解した人が「アインシュタインはペテン師」だと述べていましたが、それはアインシュタインの論文はポアンカレの著書や論文の丸写し(?)だからですね。まあ、ポアンカレにしても、レーザージャイロなどなかった昔なので、単に考え違いをしただけでしょう。これを盗んだアインシュタインは “ん?” です。
 
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21世紀物理学へのステップ
 
 いまジェット戦闘機が空を飛んでいます。この速度が時速何kmというのは、何に対する速度でしょうか。 そう大地に対してですね。大地が基準になっていますね。では太陽を基準にするとどうなるでしょう。秒速3万mくらいでしょう。もし、銀河中心を基準にしたら?そう、このジェット戦闘機は秒速400kmものスピードになりますね。
 このように、何かを基準にして物体の速度を決めるというのは、人類は何千年も昔からやってきたことです。
 
 ここで考えましょう。
 ジェット戦闘機に搭載されているリングレーザージャイロは、ジェット機が大地の上にあるとき、レーザージャイロの
“ゼロアジャスト” をします。そして離陸して飛び立ってレーザージャイロとコンピュータが「速度はいくらいくらである」と計算します。この速度は “何に対する速度” ですか? ここが重要な事です。当然 “大地” に対してですね。
しかし更に重要なことは “測定光であるレーザー” に対しての変位や位相を検出して計算していることです。絶対に太陽を基準にした秒速3万mや、銀河中心を基準にした秒速400kmや、現在では “無い” とされている絶対静止している “エーテル” に対する速度などにはならない値です。あくまでも “測定光であるレーザー” が基準になっているのです。
 
 このように「基準を何に取るか」について、20世紀人類は何千年来やってきたことに変更を加えたのです。よく考えてください。ここが大切なところです。
 何千年来人類は “物体” と “物体” の相対変化しか考えなかったですが、20世紀の華々しい、そして驚異的なエレクトロニクスの発展は “レーザーつまり光” に対して “物体(ジャイロ)” がどのように変位があるかを検出するようになったのです。
 レーザージャイロは直交軸に基搭載されています。なぜか判りますね。ただし、私見では1基でも可能ではないかと考えています。GPSで自分の位置を正確に知る事が出来る世の中になっているからです。これらは超精密・ハイテクノロジーによって、可能となったわけです。明治38年とは雲泥の差です。いつまでも −t = t’−t にしがみついてはいけません。
 もし “光速度不変の原理” や (c+v)=c になるとか、(c−v)=c になるとかが正しかったら、レーザージャイロやGPSは作れません。
 なお、何年か前に「レーザージャイロは等速直線運動は計測出来ない。加速・減速時だけだ」との反論が来たことがありますが、日本航空電子工業に取材した時、担当者はそういう説明はしなかった。分かりやすい説明として、例えば「ジェット戦闘機が飛び立って時速600k、700k、800k、900k、1000kと加速していくと、計器はその通りに指示し、
1000kで加速を止めて等速になると、1000kを計器は示している」との話があった。これは −t > t’−t に於いて、左辺と右辺が一定値になっているからです。もし −t = t’−t が正しかったら、計器は0を示すことになる。
2001年8月26日2023年11月17日/窪田登司)
 
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【反論がきました】2001年11月17日
 『光速度不変の原理は正しいのだ』という反論がきました。名前が書いてないので、返事が出せませんので、本HPで公開しておきます。
『上記−t = t’−t に於いて貴殿は間違った解釈をしている。光も物体と同様に速度のベクトル合成則は成り立つはずだ。したがって光源の前方に発射した光の光速度は c+v となるはずだ。反射後の光速度は当然 c−v である。したがって、往復すると (c+v)+(c−v)=2c となり、往復つまり平均して光速度は となり、いかなる にも無関係に光速度は となるのだ』
というものです。
 
窪田回答:面白い反論?ですね。(*^_^*)
 「往復つまり平均して光速度は となり」は大笑いの間違いです。中学生の数学の問題ですよ。近所の中学生に聞いてご覧。・・・この時点での記事は省略します。
 
 202424日追稿:友人との会話「あまりにも面白いので、次の問題をやらせてみるといいよ」、「いや、ハガキだったし、10年以上の昔なので相手が分からない」、「そうか、まあいいよ、次の問題を書いておこうよ」、「ああ、いいね。アインシュタインは、この問題は解けないね。これが解けるほどの数学力が無かったから特殊相対性理論が作れたんだよ」
 
問題:A地点とB地点の距離は100kmです。ある車がAからBまで時速100kmでぶっ飛ばして行きました。1時間かかったそうです。帰りはBからAまでゆっくりと時速50kmで走ったので2時間かかったそうです。往復の平均時速はいくらでしょうか。
 
 「光も物体と同様に速度のベクトル合成則は成り立つはずだ」と書いてあるのも面白いです。これがアインシュタインの「特殊相対性原理」という仮定であることは知っていますね。
 そうすると、−t > t’−t ではなく、−t < t’−t だというわけですね。そして平均すると光速度は だから、−t = t’−t である、光速度不変の原理も正しい、ということですね。
 
 もう話にならない間違いです。まさしく、これがアインシュタインと前妻ミレーバのお二人が陥ったミスそのものです。「あっちではこう考え、こっちではこう考え、異なる考えをまとめて、こうだ!」としている論法にハマッてはいけません。こういう論法にハマるから「あっちでは歳を取らないが、こっちでは歳を取る」というように時間の概念がズタズタになるのです。そのズタズタを “時間と空間の概念を変えた大天才アインシュタイン” とやってしまうから、際限なく虚構の数学世界へと迷い込むのです。どれほど多くの優秀な科学者が、これに翻弄されてしまったことか。特殊相対性理論は正しいと考えるのは錯覚です。一番最初の出発点に戻ってお考えください。
 現在では−t < t’−t でもなければ、−t = t’−t でもないことがはっきりと分かっています。
−t > t’−t なのです。
2001年11月17日、2024年2月24日/窪田登司)
 
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 ある新聞に、ある大学物理学教授が私の考えは間違っているとして、次のような記事を投稿していました。もちろん、お名前も大学名も分かっていますが、ここでは公開しません。
「・・・(途中略)、アインシュタインは光速は一定としたが、光速度まで一定にしたわけではない。窪田氏は光速と光速度の違いが理解できてない」
 あとは省略させて戴きます。この記事はずいぶんと反響を呼び、物議を醸し出しました。徳間書店編集部が新聞が出た直後にFAXを送ってくれて読んだのですが、唖然としました。これで大学教授かな?って。
 
 トップページのFig.1「vtct光の直角三角形」がすべての元凶である事を何度も述べていますが、私は「アインシュタインは光速度まで一定にした」と指摘していますので、みなさん今一度お考えください。
 この図は、見てお分かりのように、いかなる であっても無関係に線分 ADct としているでしょう。だから運動系は絶対に光速 を超えることは出来ない図になっているのです。光速を超えると過去に行けるんですって。
 
 光には光軸など方向性があります。にもかかわらず、それを無視して、いかなる∠ADC でも線分ADct と置くのは、“光速度” までも一定にしていることです。いわゆる “静止系座標と運動系座標を何の意味もなく ct で結んでいる” のです。こういう事をすると当然数学的な矛盾を生じますが、時間の方を変えて、t’ にして数学展開しています。
(この数学展開は間違っています/2022年12月発売の拙著「相対性理論は擬似科学だった」に0=0という方程式の中に時間が縮む式が入っていた29ページ、30ページ参照
(2002年8月4日/2023年4月25日/窪田登司)
 
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ありがとうございます。
 最近(2003年5月19日記)、「やっと窪田さんの言う c−Vcosθ の意味が分かった」というお便りを数通頂戴しました。「光が基準になっている」というごく単純な発想なのですが、今までになかった概念なので、なかなか私の頭の中が見えなかったというお便りです。ありがとうございます。
 
 しかし逆に徹底的に私を馬鹿扱いして、「自分こそ真に相対論を理解している者だ。窪田は相対論を分かってない」と主張する人もいます。
 ここで、もう少し私の頭の中を、改めて簡単に説明しておきます。
 
 “物体” の場合は、相対速度というのは、必ず基準系が存在して、その土俵上で云々します。例えば車Aの速度 v 、車Bの速度 V といった場合、v と V は「何に対する速度か」が定義されています。この場合、大地です。大地が基準系になっています。その大地という基準座標上で、v と V の相対速度というのが計算されます。AとBの方向によって、
(v+V)になったり、(v−V)になったり、いろいろ計算されます。
 
 いま私たちが直面している問題は “光” と “物体”(鏡など観測系)の場合です。“物体” の速度は上述したように必ず
“ある基準”を定義しなければならないので、たとえば「大地に対して v 」としましょうか。これは可能です。たとえ地球がどんなスピードで宇宙空間を運動していても、可能な定義です。
 次に、そのとき光速 c は何に対する速度でしょう。“大地に対して” と定義できますか?ノーです。なぜなら光速 c は自由空間を一定のスピードで走る値で、光源の運動には無関係だからです。
 もし光速 c が光源の運動に依存するものでしたら、大地に光源を置いておき、“大地に対して” と定義できますが、そうは出来ないのが “光という電磁波” と “物体の運動” は異なるという物理現象です。物体は自己推進力は無いです。外力が必要です。しかし光はEとHの相互エネルギー変換によって一定光速 c で自己推進します。
 
 そこで私は発想の転換をしました。
“物体” の速度を決める基準に、大地などの “慣性系” を取らないで、“用いる測定光” そのものにしたわけです。光速度が c である系を基準系と定義したのです。この基準系に対して “速度 v ” としたのです。これはガリレー変換となり、ここから一気に特殊相対性理論が崩れていったことは言うまでもありません。
 c−Vcosθ をご理解者くださった多くの人々が辿り着いた点は以上の部分であり、それが相対光速度説の始まりです。
(2003年5月19日/窪田登司)
 
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「光速度不変の原理は絶対に正しいのだ。世界中の科学者が認めていることをなぜ貴殿は否定するのか。上図で(a)でも(b)でも光速度に変化はなく、c であったという実験を世界中の科学者が認めているのだ」という反論がきました。
 名前を書いてないので、ここでお答えしておきます。(2003年10月29日/窪田登司)
 
 この件は私はすでに30年以上前に知っており、この実験(測定)は「光速度不変の原理を実証しているものではない」ことを見抜いていました。
 どうしてかと言いますと、この実験(測定)は観測点で光を往復反射させて行っているからです。往復させると v はキャンセルされ、c になるのは当然だからです。
 
 上図と似たような観測で「光速度不変の原理は正しい」という図も見た事があります。例えば木星の衛星が地球から離れて行く場合の “地球への、その光の速度” と、衛星が地球方向に近寄って来る場合の “地球への、その光の速度” とを測定すると、同じ c である事から「光速度不変の原理は正しい」というものです。
 これも上図と同じですね。地球上で “その光” の速度を測定する場合、光を往復反射させて定常状態での波長と周波数を測定し、それを掛けることによって光速 c を決定しています。したがって測定系の運動速度 v はキャンセルされており、v の影響が出ないことは常識です。これを「光速度不変の原理」と勘違いしている人々は多いです。
また、マックスウェル電磁方程式から得られる「光速一定」とアインシュタインの仮定した「光速度不変の原理」を混同している人々も多いです。学者先生でもいます。
 メートル原器はマックスウェル電磁方程式から得られる「光速は一定である c 」を使っているのですが、これをアインシュタインの「光速度不変の原理」を使っていると豪語した反論者がいました。
 
(追稿:2003年11月14日/2023年12月14日
 宇宙空間を等速直線運動しているロケットの速度を測定するには、光を往復反射させて可能であることを次の図に示します。自伝の§20(芝浦工業大学大学院で講義)に書いてございます。学生達の理解力には度肝を抜かれます。
 
 特殊相対性理論では等速直線運動は絶対静止と何ら変わらないとされ、常に目で見える“物体”間の相対速度を記述するので、単独で等速直線運動している外の見えない系の宇宙空間での速度というのは無意味ないし、測定不可能であるとされています。
 しかし、相対光速度説(仮称)では、上図のように等速直線運動系の速度が光によって測定可能となります。人類はこういう測定をした事はまだありませんが、レーザージャイロの原理が、まさにこれです。T と の超精密な干渉縞の変化をコンピューターで計算しているのです。
 “直ちに反射” と図中に書いてありますが、“直ちに” でなくても構いません。要は右方向に要する時間と左方向に要する時間を測ればよいだけです。
 
 “直ちに” 反射の実例ではマイケルソン・モーリーの実験の横方向(東西方向)がありますね。この横方向の往復時間にローレンツの縮み係数を掛けて特殊相対性理論が誕生した件は小生の自伝§22に書いてございます。0=0という方程式です。
 
 500年後、1000年後の将来、人類がカシオペア座や白鳥座の彼方まで宇宙旅行するようになったら、常にレーザーを使って、自分たちの宇宙空間での速度や方向を決めて操縦して行くでしょう。
 
 ちなみに、特殊相対性理論では、T=t となっていることは皆さん既にご存じですね。アインシュタインの1905年の論文は、そうなっています。つまり等速直線運動を “絶対静止系” とみなしているので、v=0 です。
2003年11月14日/窪田登司
 
 上記から20年経ちました。本日(2023年12月14日/12月23日) は縦方向を考えてみましょう。次の図です。
 
 外の見えない真空チャンバーが速度で右方向に運動しています。この速度というのは何を基準にしている速度なのかは、読んでいるうちに自然に分かります。
 からに向けてレーザーパルスを発射します。このレーザーはに届くでしょうか。ポアンカレとアインシュタインは「届く」と言います。なぜかと言うと「等速直線運動は絶対静止と区別出来ない」と考えているからです。もっと分かりやすく言いますと、「ボールを投げたら命中させることが出来るから、光も同様だ」としているからです。ポアンカレとアインシュタインは「物体と電磁波である光をごちゃ混ぜ」にしています。
 
 一直線に飛んでいる光に対して、天井のは動いているからBには行きません。
ではどこに届くのか。天井が動いた距離 vt だけ後ろにズレた B” の位置です。 c’ は、
 c’=c−v・cosθ’=c−v・cos(π−θ)=c+v・cosθ から計算できます当然、A’B”>A’B’ です。
 
 ところで、アインシュタインの特殊相対性理論では、これで直角三角形を作って、
と奇妙な式を作るかも知れません。「時間は遅れるのではなく、進むのである」と。
 こんな式は絶対に作れない。図中に書いたように、A’→B’ という光は存在しないからです。本当の光は A’→B” です。
だから、これは c ですが、運動系から観測すると vt の影響で見かけ上 c’> c となり、大きく(長く)なっています。
問題: c’< c となるのは、どちらの方向にレーザーを発射した場合ですか(*^_^*)
 
 以上の考察はドップラー効果の計算にも応用できます。宇宙は地球を中心にして膨張しているというビッグバン仮説がいかに高度な数学を使った子供騙しだったかが分かる基本概念です。そういう意味では「アインシュタインは1905年に従来の物理学をひっくり返した」と言われますが、私は「物理学を元に戻した」だけです。これが一歩一歩失敗もしながら進歩する人類の足跡(そくせき)です。宇宙は無限の過去から存在し、人類はたったの数百万年前に小さな星地球に現れた生物です。
宇宙の起源が分かったなど “驕り” ではないか?。<驕る平家は久しからず>とも言う。
 
 じつは、この上図は自伝の§20で書いた芝浦工業大学大学院で相対論の講義をした時のものです。
その時、ある学生が「マイケルソン・モーリーの実験の縦方向(南北方向)ですね」と、すぐ見抜いた。別の学生は「あの実験は B” にいくつかの鏡を置いて反射させているので、正確な直角三角形にはなりません」とも言った。更に別の学生は
A’B’ は光ではありません。只の線です。だから正確であろうとなかろうと、要は直角三角形なんて作れません」とも言った。
 また、「光の往復の平均速度はマイケルソン・モーリーの実験の横方向(東西方向)と同じになる!」と、感慨深そうに下を向いて自分で計算したノートを見ながらつぶやいた学生がいた。私はすかさず彼の席に行き、ノートを見せてもらったら、
(c−v)/c を導き出してあった。「よく分かったね」と褒めると、彼は「あの実験は vt が非常に小さくて干渉縞でなくては確認できないものですので、往復の(往)はcosθ≒cos0=1、 (復)はcosθ≒cosπ=−1として計算してみただけです。
 マイケルソン・モーリーの実験の東西方向(横方向)とは往復の順序は逆となりますが、結果は同じになります。これでいいですか?」と訊かれたので、「もちろんさ。これでいい」と、うなずきながら笑顔の会話があったのを思い出す。
さすが大学院の学生達だ。
 こうして上図を理解出来たのは、当時の学長村上雅人教授と同大学院の学生だけであろうか。
 
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