光速度不変の原理という仮定
 
(1)光速度不変の原理
 アインシュタインの光速度不変の原理という仮定は、「いかなる座標系でも光速度は一定値 c である」とされるものです。
 座標というと数学用語なので難しく感じますが、間単に言いますと、静止系でも運動系でも光速度に変化は無く c だというものです。ここで静止系とは何かというと、アインシュタインによれば「等速直線運動は絶対静止と区別できないので、例えば2つの等速直線運動している慣性系があれば、どちらを静止系と定義しても良い」というものです。
 
 光速度不変の原理という仮定は正しいかどうか考えてみましょう。答えを先に言いますと「正しくない」です(^_^)。
 
 光速度の測定には2つあり、一つはメートル原器に使われているように、「波長と振動数を別々に測ってそれらを掛けて光速 c を決定する」もの。または最近のメートル原器の定義はWikipediaによると、1/299,792,458秒の長さとなっているので、光速度 c はマックスウェル電磁方程式から得られる値となっています。(註:これは光速度不変の原理ではないし、相対論とは関係ありません)。
 もう一つは運動している観測者が直接光速度を測るもの。これは「ある距離 L を何秒かかって飛んだかを測定して、
c=L/t とするものです。
 これら上記2つの光速度は明らかに異なった値です。なぜかと言うと、後者は「運動している観測者が直接測った光速度」だからです。地球上で測ったか、ロケットの中で測ったか、火星表面で測ったか等で異なります。
 特殊相対性理論では、そういう事は無視して、どんな運動観測者でも、光速度は一定値 c だと仮定しています。これが光速度不変の原理です。“アインシュタインの速度の加法則” という有名な式があるでしょう。c+v は c になる、c−v も c になるっていう式。あれです。c+c は c になるし、c−c は 0/0 という「0または無限大」という数学ではない値になります。これが光速度不変の原理です。
 
 何年か前に全国版読売新聞の朝刊の第一面の中央に「アインシュタインの光速度不変の原理は正しい」という標題で、次のような解説が載っていました。「光と一緒に光速で観測者が並進運動すると、光が止まってみえるか。アインシュタインは止まって見えたらいけないので、観測者は、その光の速度を c とした。つまり、どんな速度で観測者が移動していても、常に観測者から光速は c で飛んで行くように見える」とありました。文面が当該書面と同じではないですが、こういう内容でした。これは多分、相対論物理学者の監修であり、「窪田を潰せ」という腹があったのだろうと思いますが、アインシュタインの光速度不変の原理です。
 現在、もしアインシュタインが生きておられたら「私の勘違いだった。こんな事はない」と訂正されたでしょうが、そうなんです、間違いが二つあります。
 一つは「光は見えない」です。だから止まって見える事はないのです。もう一つは、こんな状況下で「光速を測定することは不可能」です。不可能である事を承知で “仮定” しているのが、光速度不変の原理です。だから、これは物理学ではないです。
 特殊相対性理論は、もう一つ後述する「特殊相対性原理」という仮定とで構築されています。これは「光も物体の運動と同じ法則で飛ぶ」というものです。これも、もしアインシュタインが生きておられたら「私の勘違いだった。こんな事はない」と訂正されたでしょう。だって光は電磁波で、物体は慣性運動する “物体” だから。これも物理学ではないです。
 
 音速度はいかなる座標系でも一定値340m/sである、という「音速度不変の原理」なる仮定と、音波も物体と同様の運動をするという「音波版特殊相対性原理」を設けると、「この世で音速度以上のものは存在しない」というローレンツ変換が導けます。
「いやそんな事はない。事実マッハ1以上のジェット戦闘機が存在するではないか!」と反論する人がいるかも知れませんが、アインシュタインの速度の加法則によれば、マッハ1以上にはならないので、そのジェット戦闘機の速度はマッハ1です。マッハ1以上で飛んだら過去に、つまり後ろ、後ろに飛んじゃってパイロットは段々と若くなっていきます(^_^)。
 これが特殊相対性理論の理論構造です。
 
註:多くの読者とメール交換していると、たまに「アインシュタインの光速度不変の原理」と「ジェームス・クラーク・マックスウェルの電磁方程式から得られる光速一定」の2つの区別が出来てない方がおられます。非常に重要な部分ですので、ぜひとも小生のHPの(2)「マックスウェルとアインシュタインの論争」をじっくりと時間をかけて読んでください。
 
 お読みくださると明らかに「光速度不変の原理」は間違っていることが分かるでしょう。このことは私が指摘する前から(昔から)言われていまして「光速度不変の原理」に疑義を持っている科学者は多くいました。その時点で「相対性理論はおかしい」と言えばいいのですが、立場上なかなか口に出して言えなかったのでしょう。また「相対論は間違っている」というには、それに変わる理論がないといけないから言えなかったのでしょうね。私の自伝もお読みくださると、この件を後半に書いてありますので、“目からうろこ” だと思いますよ。
 ジレンマという言葉があります。三省堂の新小辞林に「板ばさみになること」とありますが、もう少し詳しく言いますと「二つの選択肢があった場合、どちらも選ぶことが出来ない状態のこと」です。相対性理論を選ぶか、それとも私の c’ を選ぶか、あなたは今ジレンマに陥ってはいませんか?(*^_^*)、そういう場合は<窪田登司 自伝>の§16をお読みくださる事を希望いたします。
 
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(2)特殊相対性原理
 アインシュタインの特殊相対性理論(アインシュタインがポアンカレの発想を盗作したもの)には、理論を構築するために「特殊相対性原理」と呼ばれる仮定が使われています。これと上述の「光速度不変の原理」の関わりを簡単に説明しましょう。
 
 
 じつはアインシュタインの「特殊相対性原理」という仮定(要請)によれば、上図のように、もし敵が逃げないで、AC 上におれば(たとえば等速直線運動している巨大宇宙船内で敵と睨み合いをしているシーンを思い浮かべてください)、この巨大宇宙船は“等速直線運動”であれば、どんな方向に、どんなスピードで運動していようとも、必ず A から C に向けてレーザーを発射すれば、C に(つまり t 秒後にD に)到達するとなっています。
 いわゆる「等速直線運動は絶対静止と区別できない」という考えから、このようになるとされているのです。
 
 分かりやすく説明しますと、敵とレーザー銃は並進運動しているので、t 秒後に敵は D にいて、レーザー銃は A’ にあるわけですが、レーザー光線の向きは A→C(つまりA’ →D の向き)で良いことになっています。
 
 この考えは皆さんよくご存じの「ガリレオの相対性原理」ですね。物体の場合、たとえばミサイルなどを敵に撃ち込むのでしたら、敵 C は AC 上に居るのだから、A から C 方向に撃てば、ミサイルは“ベクトル合成方向”に飛んでいくので A から D に行きます。つまりあたかも A’ から D に飛んで行ったと同じになり、D で命中します。
 
 アインシュタインは明治38年に “物体” と同様に、“光” でもこうなるだろうと考えたのです(またはポアンカレの発想を盗作した)。これを「アインシュタインの特殊相対性原理」といいます。“原理” というと、「絶対に正しい」ような響きを持たせますが、あくまでも、これは “仮定” です。アインシュタインの論文を読むと分かりますが、彼は光を物体の運動力学と同様に考えているのです。
 
 “物体”は自己推進力はないので、外力によるベクトル合成方向に飛んで行き、そのまま慣性の法則で飛び続けますが、
“光”(電磁波)は自己推進(EとHの直交相互エネルギー変換)によって、発射された方向に出て行き、直進する性質があります。上図の例では A から C 方向に発射したレーザーは、そのまま C 方向に飛んで行くので、D には到達しません。
 ただし、K大学M物理学名誉教授は「それは疑似科学だ。レーザーはほっといてもDの方向に飛んで行くのだ」と、私に反発されていますが、私は全〜然納得してはいません。だって電磁波と物体は全〜然異なるものだから。電磁波は手で掴んで放り投げることはできないでしょう。
 K大学M物理学名誉教授は、この他にも全読者から笑い者になった凄〜い間違いを平然と書いてあります。「窪田氏は光は直進すると言っているが、リングレーザージャイロは、リングの中を光が曲がって飛んでいるではないか!」というものです。本当にこんな事をマジで考えたのでしょうか。著書というのは一旦出版されると改訂版を出版しない限り訂正出来ないものです。私も何冊か相対論関連の著書を上梓して参りましたが、中にはミスっている部分があり、読者から「窪田はバカだ」と散々な目にあいました。
 話を戻しますが、リングの中をレーザーは<直進しながら>進んでいるのを教授は知らないんですね。中学校の理科の教科書に「全反射」という項目があり、その説明があります。読んでご覧。
 
 上図に話を戻しますが、Dポイントで敵を撃ち落とすには、あらかじめ A から D 方向にレーザーを発射しなければなりません。
たとえば上の図は、敵は光速の約67%、秒速約20万km で逃走しているのですが、もう少し実戦的な例を述べますと、
∠ACD が直角の場合、敵がマッハ3(時速約3600km )、距離1000m とすれば、φ ≒0.00019度
(θ≒89.99981度)の方向に発射すれば敵に命中します。
 マイケルソン・モーリーの実験解析に一考を投じた私のアタマの中が見えましたか?見えたお人は私より遙かにアタマが良いです。
 
 相対性理論の著書を読んで勉強して内容がよく分かった場合、読者の持つスタンスには二通りあります。
一つは「これは凄い理論だ。まさしくアインシュタインは大天才だ」とするのと、もう一つは「え〜?こんな考えで物理学なのかな?」と疑問を持つ事の二つです。
 わたしは高校1年生の頃から相対論にハマって40歳の頃まで前者でした。内外含めて300冊以上は読んだでしょう。
そして「理解できた」と思った40歳過ぎに、「これは物理学ではない」との結論に至ったのです。何故かと言いますと、特殊相対性理論は数学的に間違っているし、一般相対性理論の方程式は絶対に解けない架空のものだ、という二つが私を襲ったからです。
 詳細は私の自伝をお読みくださると面白いかと存じます。
 
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(3)相対光速度の概念
 アインシュタインは以上のように「絶対に光速度は一定なのだ」という要請をして数学展開します。その代わり、「時間」と「空間(長さのこと)」が相対的に変化するのだという理論が「特殊相対性理論」です。一見して面白いです。
 こうして20世紀物理学では、アインシュタインによって「相対光速度」という概念は否定されました。
 
 これに対して私は、1993年にNHK出版「エレクトロニクスライフ誌」(3月号〜5月号連載)で、「相対光速度」の概念の重要性を発表しました。
 自由空間では「光速は一定値 c 」なのだから(マックスウェル電磁力学に於ける光速一定)、運動系にとって「相対光速度は変わる」と提示したわけです。これが相対光速度説(仮称)の始まりです。
 
 
 この図は球面波の場合です。 “運動系” にとって相対光速度は変わる、というのがお分かりになりますか?球面波と運動系を静的に描いていますが(アニメで描こうとしたのですが、時間と距離の関係をピタリと合わせるのが難しかったのでやめました。ごめんなさい。運動系が A から入って C に出て行くワケがないですよね<笑い>)。
 だから静的にみてポイント、ポイントで説明します。静止系の原点というのが球面波を発射した空間の、ある一点です。
 第4象限では相対光速度は c より早いです。当然、第1象限では相対光速度は c より小さいです。たとえば、この例は運動系が基準系のX軸に平行、正の方向に光速の約83%、秒速約25万km で運動しているので、
Aポイントでは相対光速度c’=c−Vcosθ ≒50.5万km/s
Bポイントでは相対光速度c’=c−Vcos(兀/2)=c≒30万km/s
Cポイントでは相対光速度c’=c−Vcosθ ≒9.5万km/s
となっています。
 
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「トップページのFig.1はどの相対論の教科書にも書いてある。だから間違っているはずはない。鏡に対する相対的な光速度はc・sinθ である。c−Vcosθ などナンセンスだ」という反論が静岡県のY氏からきました。
そして次のように“証明”(?)されていました。
「L=ct sinθ であるから、両辺を t で割って、L/t =c・sinθ である。(証明終わり)」と(原文のまま)。
 
 私は何度もトップページのFig.1「L、vt、ct、光の直角三角形」がすべての元凶であることを述べてきました。
こういう図は数学的にも物理的にも存在しない、架空のものであることを指摘してきました。Y さんも、もう一度冷静になってお考えください。
 まず最初に、なぜL/t が鏡に対する相対光速度なの?
特殊相対性理論では、相対光速度という概念は否定され、L=ct’ となって時間の方が変わり、c は不変であるとなっているのですよ(光速度不変の原理)。
 次に、図のように同じ長さの架台が2つあって V > v とすると、t 秒後にC’ は必ずD’ に到達しますね。そのとき、A’D’ =ct ですか?もしそうならば、L/t=c・sinθ =c・sinθ’ ですね。そんな数学がありますか?
 つまり、こういう図「L、vt、ct、光の直角三角形」は存在しないのです。いわゆる「静止系と運動系を何の意味も無く ct で結ぶ」というのは数学でも物理学でもないのです。